第三章 奪われたもの、喪ったもの(3)
必殺の斬撃は回避されたが、シェリーの優位が揺らぐことはなかった。
無理な体勢で避けたためバランスを崩して膝をついた男に、続けて一撃を放とうとする。
リーダーの危機を察した傭兵たちがその行く手を阻むが、物の数ではなかった。
なおも迫るシェリーだったが、予想だにしなかったココの叫び声で足を止めてしまった。
「お兄ちゃん!」
その一瞬の隙をつかれた。
「囲め!そいつを仕留めろ!」
回復した赤毛の女傭兵の声が響き渡った。
それに呼応して、傭兵たちが一斉にシェリーに飛び掛ってくる。
シェリーは鋭く舌打ちし、次々に繰り出される刀槍を受け流した。
鬼族の男が立ち上がる。
部下たちに包囲されたシェリーには構わず、ココに向かって駆け出した。
それに気づいたシェリーだが、この状況ではどうすることもできなかった。
「ココ!」
師母の悲痛な叫びで、ココは我に返った。
兄が、配下を数名引き連れてココたちの居る馬車へと駆けてくる。
側近と護衛の男たちが身構えた。
「どけ」
兄が三節棍を上段から振るう。
側近が剣先でその重たい一撃を受け流す。
護衛の一人が兄を側面から突こうと狙うった。
だが、兄はその体躯からは想像できない速さでそれを避け、足元をなぎ払う。
護衛の男が跳躍して何とか避けた。
兄は舌打ちを洩らした。
側近も護衛の男たちも、想像以上の手馴れ揃いだった。
防衛に専念されてしまうと、倒すにはかなり時間がかかる。
その内に援軍か、あるいはこの区の保安隊が駆けつけてくるだろう。
そうなれば元も子もない。
馬車の後方から迫っていた傭兵たちは、ココに目をつけていた。
鬼神の如き強さのシェリーは包囲され、側近と護衛たちも兄一人に注意を払っている。
ただ一人ココだけが、修羅場の恐ろしさと兄との再会で、隙だらけになっていた。
この少女を人質にとれば――。
「てめえら!俺の妹に触れるなっ!」
思いがけず兄の怒声が飛び、傭兵たちは顔を引きつらせてその場に固まった。
「俺の指示に従えないのか!? 殺すぞ」
地の底から響くような兄の声に、傭兵たちはたまらず後ずさりした。
ココに危険が迫っている。
シェリーの胸中に怒りが渦巻いた。
あの男がココの生き別れた実の兄――だとしても、それが何だというのか。
ココとマナは必ず守る、それが現在のシェリーにとって全てだった。
命を賭して果たすべき使命。
彼女たちのためにならば喜んで魂も捧げよう。
シェリーの刀術は衰える気配も見せず、取り囲んだ傭兵たちを次々に蹴散らしていった。
そのシェリーの背筋を、寒気が貫いた。
あの凄まじい『気』を、すぐ間近に感じたのだ。
いつの間に現れたというのか。
「あらあら、お兄さん。ずいぶんお困りのようね」
人を小馬鹿にするような耳障りな声が聞こえてきた。
兄が声の主を探す。
その女は、誰もが気づかぬうちに馬車の屋根に座り、煙管をふかしていた。
束ねた白金の髪。
人とは思えぬほどの透明感のある肌。
そして狂気を湛えた碧の瞳。
「何処で遊んでいた、蒼血燕」
「あは、失礼ね、ちゃんと仕事していたのよ? でもあの元締さん、なかなかやるわね。仕留められなかったわ」
女は煙管から灰を落とした。
話を耳にした側近たちが色めきたつ。
女が腰から刀を抜き、馬車から飛び降りた。
「退け!」
咄嗟に側近が叫ばなければ、彼らは全滅していただろう。
その声に反応して全員が一斉に飛び退ったが、目にもとまらぬ刃の嵐が彼らの周囲を駆け抜けた。
一人が肩口を、一人が顔を浅く斬られて膝をつく。
「あは、貴方たちも大したものねえ」
恐るべき刀術を披露した女は、涼しい顔でココに近づく。
兄が「やめろ!」と怒声を浴びせたが、まるで聞く耳を持たない様子だ。
「……来ないで……」
ココは今にも消え入りそうな声を出し、震えながらも刀を構えた。
その必死な様子に、女がにんまりと笑みを浮かべる。
「あは、そんな構えじゃダメよ。仮にも貴女の師叔母なんですからね、私は」
女はまるで構えようともせず、無造作にココに近づいてくる。
震えが止まらない。
頭の中が真っ白になったココだったが、その耳に師母の絶叫が届いた。
「気息を整えなさい、ココ!」
はっと我に返り、言われたとおりに丹田に力を込め、息をゆっくりと吐き出した。
全身の血流がにわかに活発になり、身体の震えが止まった。
「あは、やるじゃないの。これはちょっと、楽しませてくれるかしらね?」
ココは身を守ることに専念せよ、という師母の言葉を想起した。
刀を中段に構え、腰を落とす。
どんな攻撃にも対処できる態勢になった。
いつもの稽古と同じだ、と自分に言い聞かせる。
女が笑みを浮かべたまま、ふわりと間合いを詰めてきた。
その意外なほど遅い動きに、ココは戸惑った。
一瞬、自分から仕掛けたくなったが、師母の言いつけを守らなきゃ、と自重した。
「あは、お利口さんねえ、嬉しいわ」
女の刀が、先程までの緩慢な動作からは想像もできない速さで動いた。
ココが師母から習った、基本中の基本の技を仕掛けてくる。
その防御法はココも会得しているが、速さが尋常ではなかった。
カキン、と刃と刃のかみ合う音が鳴り響く。
その一撃が重かった。
腕力と速度だけではなく、内功も込めた打撃だったのだ。
ココはかろうじて刀を落とすことなく、次の攻撃に備えた。
女はもう、手加減してこなかった。
隙間の無い連撃がココを襲う。
ココは受けきるのが精一杯だった。
受けるたびに腕が痺れ、何時間も稽古を続けた時のように汗が吹き出てくる。
師母の何度も呼びかける声が、追い詰められたココをかろうじて支えていた。
声は徐々に近づいてきている。
(もう少し、もう少し頑張れば師母様が来てくれる!)
そう繰り返して、自分を励ました。
「あは、お稽古はここまでよ、鬼族のお嬢ちゃん」
恐るべき速度の刃嵐を繰り出しながらも、額に汗一つかかない女が呟く。
次の瞬間、今までよりも遥かに速く重い斬撃がココを襲った。
何とか受け止めたココだったが、頭のてっぺんからつま先まで痺れるような衝撃を受けた。
思わず刀を取り落としてしまう。
慌てて拾おうとした時には、もう目の前に女が立っていた。
師母と同じ白金色の髪。端整な顔立ち。
だが、その女の顔には師母のような温かさは微塵も感じられなかった。
恐怖に硬直したココの意識は、そこで途絶えてしまった。
(続く)




