第二章 帝都の三人(8)
その日の夜更け、北東区の外れにある一軒の廃屋敷。
ここは、かつてはある騎士の一家が住む屋敷であったが、主が去って後は荒れるがままとなっていた。
周辺一帯も住む人はまばらで、昼間でも近づく人は少ない。
その屋敷を、かの傭兵たちは根城の一つとしていた。
用心深く、入り口から玄関の辺りには灯を置いていない。
だが、玄関から裏口まで至る所に武装した、寝ずの番が詰めている。
一番奥の間に、常に十人近い傭兵が詰めていて、ソファにリーダー格の大男が座っていた。
三人掛けのソファであったが、それでもこの男にとっては窮屈なように見える。
さすがに外套は脱いでいるが、黒頭巾はそのまま被っていた。
肩幅が広く、岩石を繋ぎ合わせたような隆起した上腕。
ズボンがはち切れそうなほど、太ももの筋肉が発達している。
首は大木の根のように太い。
男はずっと、目の前で揺らぐ燭台の火を見つめていた。
その背後の壁際に、昼間シェリーと戦った赤毛の女が仏頂面で控えている。
周囲の男たちはくつろいだ様子で、艶笑談をしたり、サイコロ博打に興じたりしていた。
男が腰を上げた。火が大きく揺らぐ。
傭兵たちが一斉に彼に視線を集め、次の瞬間には傍らにある得物を構えていた。
男の正面に、白金の髪の女が立っていた。
いつの間に、と誰かが呟く。
この部屋の入り口は二つ。だが、どちらにも常に番を置いている。
誰かが近づけば、鈴を鳴らすのが決まりになっていた。
「お前か」
男が腰を下ろすと、周囲の傭兵たちも得物を収めた。
誰かが舌打ちを洩らす。赤毛の女が忌々しげに唾を吐いた。
女が優雅な仕草で、大男の傍に腰掛ける。
まるで体重が無いかのような、人とは思えぬような動きであった。
女は白金色の美しい髪を、後頭部でシニヨンにしてまとめていた。
透き通るような白い肌に、碧の瞳。
深紅の唇には不敵な笑みを浮かべていた。
身体は細く、男が腕を回せばすぐにでも折れてしまうようにも見える。
女は妖かしの民だった。
「言ったはずだ。勝手に出入りするなと」
男は不機嫌そうに呟いた。
地の底から響くような低い声音だ。
しかし女は、全く怯む素振りすら見せず、
「あは、そんな怖い顔しないでよ。ほんのお遊びよ」
「遊びだと?」
「部下にいくら徹宵の警備をさせても、かい潜って貴方の命を狙うことなんて容易だってことよ。私たち、殺し屋にとってはね」
赤毛の女が鼻を鳴らした。あらお下品ね、と殺し屋の女がせせら笑う。
顔を歪めて前に出ようとする女を、大男が軽く手を上げて制した。
「何か用か?」
「ええ。貴方こそ聞きたいんじゃないの?昼間、そこのレディがこてんぱんにされた、妖かしの民の女について……。いえ、もしかしたらあの女が連れていた鬼族の女の子のことかしら?」
大男が身を乗り出した。
それまで内に秘めていた気が、女の言葉で一気に噴出してきたかのようだった。
居合わせた傭兵たちが、何事かと顔を見合わせる。
「聞かせろ」
女はその様子に満足げな笑みを浮かべた。
それから数日後の夜。
マナとサーラの同窓生、ミネアは自宅の庭で剣の修行に汗を流していた。
(……負けないわ。あの娘には、あの娘にだけは、絶対に……)
すでに一時間近く、一人で素振りと型の稽古を繰り返していた。
両親はすでに床に就き、使用人たちも数名を残してみな休んでいる。
使用人が毎日手入れをする芝生の上で、何度も何度も細剣を振るう。
彼女は、名門騎士の次女としてこの帝都で生を受けた。
厳格な父と温厚な母の元で何不自由なく成長した彼女は、幼い頃から剣も勉強も優秀と評判だった。
純血な中央人の家系で、クセのない美しい金髪と宝石のような輝きを放つ碧眼、白い肌の持ち主だ。
彼女はその血統と自らの才能に絶対の自信を持っていた。
6歳の頃から、聖白龍女学園附属の幼稚舎に通っている。
両親は貴族の子女が通う学園も考えていたようだが、彼女は自身の希望で聖白龍を選んだ。
おしとやかな姉は貴族や騎士の貞淑な妻となることを夢見ているようだったが、ミネアは『近衛騎士団』にずっと憧れていたのだ。
戦乱の時代に一軍の将として活躍した女傑や、伝説の『剣聖神女』のように、男たちにもひけをとらない人物になりたかったのである。
幼稚舎から少女部まで、同学年の間では常にトップの成績を収めてきた。
下級生にも慕われ、学園のプリンセスとまで呼ばれた。
だが、そんな賛辞を一身に浴びながらも、彼女は決して努力を怠ることはなかった。
中央人は他の種族を治め、統べるべき存在。
だから、人一倍研鑽を積むことは、上に立つ者としての責務と考えていた。
努力を怠り、ただ血筋だけを誇りにする人間を彼女は軽蔑していた。
そんな彼女が衝撃を受けたのは、聖白龍女学園の本科に入学して間もない頃のことだった。
幼稚舎・少女部からの持ち上がりではない『外部生』が、入学後の試験でトップのミネアに次ぐ点を取ったのだ。
それが、彼女とマナとの出逢いだった。
(……どうして、どうして……?)
容姿端麗で成績も優秀なマナは、あっという間に学園の人気者になった。
自分の優秀さを鼻にかけるようなところもなく、誰に対しても分け隔てなく接する。
掃除や周りの世話なども率先して行う、まさに絵に描いたような優等生だった。
だが、彼女は東方系の人間で、おまけに庶民の出だ。
中央人であることにプライドを持っているミネアにとっては、それが腹立たしくてならなかった。
剣に、勉学に、一心不乱に打ち込んできた。
貴族・騎士の子女として学ぶべき礼法・舞踊も手を抜くことがなかった。
そんな自分の努力は無駄だったとでもいうのだろうか?
「負けない! 負けない! 絶対に!」
いつの間にか、剣を振るいながら内に秘めた心が漏れてしまっていた。
力が入りすぎ、剣先がぶれてしまっていることに気づき、ミネアは愕然とした。
一旦動きを止め、気息を整える。平常心を保つことが第一だ。
近衛騎士団の入団試験の日は刻一刻と迫ってきている。
(……あの人のことは、もうあまり考えないようにしよう…)
マナのことを思うとそれだけで、自分でも驚くほど動揺してしまう。
いったいこの感情は何なのだろうか。
嫉妬か、怒りか、あるいは……。
「あは、熱心なことね、お嬢さま」
突然、背後から声をかけられた。
全身に怖気が走る。
咄嗟に振り返ろうとしても、身体がいうことをきかなかった。
唇が渇き、手足が熱病にかかったかのように震えている。
息が苦しい。
まるで内臓を冷たい手で鷲掴みにされてしまったかのようだ。
「だ、誰……」
かろうじて言葉が出た。
本当は叫びたかったのだが、本能がそれを拒んでいた。
声を上げてしまったら、きっとこの声の主は容赦なくミネアを殺すだろう。
生まれて初めて感じる強烈な『殺気』に、彼女は金縛りにかかってしまった。
「あは、そんなに怖がらないで。私は貴女の味方よ」
女性の柔らかな声だったが、それもミネアの耳にはまるで死の宣告のように響いていた。
「貴女のこと、色々と調べさせてもらったわ。ずいぶん憎んでいるようね、あのマナって女の子のこと」
「な、何を言っているの……」
振り返ることもできぬまま、ミネアは必死に背後の声に答えた。
すぐ真後ろに立ち、耳元で囁かれているのだが、まるで人の体温が感じられない。
泣き出したくなるほどの恐怖だった。
「あら、もしかして違うのかしら? ひょっとしたら私と同じなのかもね、貴女は」
その女が何を言っているのか、さっぱり見当がつかなかった。
逃げ出したくて堪らない。
悪夢なら早く醒めてほしいと心から願った。
「貴女のお友達について、ね。面白い話があるのよ」
(続く)




