婚約者に捨てられた聖女は隣国王太子に溺愛される――はずでしたが、聖女の力で商売を始めました
その日も商会の仕事が終わってから家に帰った私は、いつも通り夕食と風呂を済ませた後、早々に寝ることにした。
今日は朝からあちこち動き回っていたせいか、かなり疲れていたらしい。
「オーウェン、私明日は早いので、もう寝ますね」
「ああ、おやすみブレア」
まだリビングにいる夫におやすみと告げてからベッドに入ると、あっという間に意識が沈んでいった。
――そして。
「偽物の聖女であるお前との婚約を、ここに破棄する!」
突然響いた大声に、私ははっと目を開けた。
……いや、正確には、目は最初から開いていたらしい。
目の前に広がっていたのは、見覚えのない豪華な広間だった。
高い天井には巨大なシャンデリアが輝き、大理石の床には着飾った男女がずらりと並んでいる。
どうやら今は、どこかの夜会の最中のようだ。
そして私は、そのど真ん中に立っていた。
「…………」
状況がまったく分からない。
私は、自分の手を見下ろす。
それは私の手のはずなのに、まるで違うように見えた。
いつもの手より明らかに指が長いし、陽に当たったことがないと言わんばかりに真っ白だ。
それに着ているドレスにも見覚えがなく、白を基調とした、ずいぶん清楚なデザインだ。
視界の端に落ちてきた髪も、私のものとは色も長さも違う。
ふと顔を上げて窓ガラスに映った自分を見ると、その顔は、元の私とは似ても似つかないものだった。
……これは――――誰?
「ニーナ。聞いているのか!」
私の名前はブレアなんだけど。
どうも声の主は私を呼んでいるようだ。
再び怒鳴り声が飛んできて、私は戸惑いながらも顔をそちらへ向けた。
正面には、金髪の若い男が立っている。
年齢は二十歳前後だろうか。
顔立ちはかなり整っているけど、今は怒りに満ちた表情をしているので、せっかくの美貌が台無しだ。
豪華な衣装と周囲の反応を見る限り、かなり身分の高い人間らしい。
その隣には、淡い桃色の髪をした可憐な女性が、わざとらしく涙を流しながら寄り添っていた。
「レオン殿下、そんなに責めないであげてください!」
「君は相変わらず優しいな、エミリア。だが、こいつは君から聖女の地位を奪い、何年も王家を欺いていたんだぞ」
「それでも……」
「君が庇う必要はない」
…………なんだろう、ものすごく既視感がある。
私は口を挟まず、そのまま二人の話を聞きながら、頭の中で状況整理する。
どうやら今の私は、ニーナという名前らしい。
これまで聖女として王宮に仕え、目の前にいる第一王子――レオンの婚約者でもあった。
ところが最近になって、エミリアという女性こそが本物の聖女で、私は偽物だったことが判明。
そして王家を欺いた罪によって婚約を破棄され、これからこの国から追放される……らしい。
そこまで聞いたところで、私はようやく思い出した。
あ、これ、この間観た劇と全く同じ内容だと。
まだ結婚する前、私は夫と一緒に王都の劇場へ観劇に出かけた。
演目は確か、婚約者に捨てられた聖女が、隣国の王太子に溺愛されて幸せになる話で、流行りの恋愛劇だった。
内容は、本物の聖女であるニーナが婚約者の第一王子レオンに裏切られ、偽物の聖女に仕立て上げられるところから始まる。
レオンは恋仲になったエミリアを本物の聖女だと信じ、ろくに調べもしないままニーナを国外へ追放。
すべてを失ったニーナは失意のまま国を出るけど、そこで隣国の王太子に救われ、やがて彼から一途に愛されて結ばれる。
一方、エミリアは高価な魔石を使って聖女の力を装っていただけで、ニーナを失った祖国では結界も徐々に弱まっていく。
そして魔石の力が底をついたことで真実が明らかになり、終盤ではニーナと隣国王太子によってエミリアの偽装も暴かれ、レオンたちは破滅する。
典型的な逆転恋愛劇だけど、脚本も役者の演技もかなりよくて、思った以上に楽しめたのを覚えている。
そして確かに、目の前の王子は、劇に出てきたレオンと同じ名前だし、その隣にいるのもエミリア。
極めつけに、私は、ニーナと呼ばれている。
周囲を改めて見回すと、豪華な衣装をきた夜会の参加者や剣を帯びた騎士がいる。
建物の造りも、貴族たちの服装も、私が知っている世界とそこまで大きな違いはなさそうだけど、ただ一つ、魔石らしきものが埋め込まれた照明器具を見た時に、やっぱり似ているようで違うと感じた。
だって元の世界には、魔石もないし、聖女なんて存在もいなかった。
それにしても、妙に生々しい。
足の裏には硬い床の感触があるし、香水や蝋燭の匂いまで感じる。
着慣れないドレスに締めつけられる感覚も、やけにはっきりと感じる。
これは、夢なのか。
それとも、本当に劇の世界に入り込んでしまったのか。
正直、今の時点では分からない。
でも――まあそれはそれとして。
「ニーナ! いつまで黙っている!」
レオンの怒鳴り声に、私は再び彼へと視線を戻した。
夢だろうが現実だろうが、今まさに国外追放されようとしていることに変わりはない。
だったら、まずは目の前の問題を片づけるべきだ。
もしもあの劇と同じ展開になるのだとしたら、このあと、ニーナは偽物の聖女として皆の前で罵倒され、何も言い返せないまま、泣きながら国外追放を言い渡されるはずだ。
「…………」
いや、待って。
わざわざ黙って追放される必要はないんじゃないだろうか。
ここがどんな世界であろうと、私に泣き寝入りする趣味はない。
だから、まず証拠を集めよう。
それでも国が聞く耳を持たないなら、国外へ出る。
聖女の力が本物なら、どこの国でも必要とされるはずだし、そもそも、自分の価値を安く見積もるつもりなんてない。
どうせなら私の力を一番高く買ってくれる国と契約したい。
私は目の前でこちらを睨んでいるレオンと、その腕に縋るエミリアを交互に見た。
「……分かりました」
私がようやく口を開くと、レオンが勝ち誇ったように顎を上げた。
「やっと自分の罪を認める気になったか」
「いえ」
私はにこりと笑うと答える。
「とりあえず、私が偽物の聖女だという証拠から確認させてもらえますか?」
「……は?」
追い出す以上、その証拠をちゃんと提示してもらわないと。
まずはそこからだ。
「何を今さら……! エミリアこそが本物の聖女であることは、既に証明されている!」
「そうなんですか?」
「ああ。エミリア、見せてやれ」
「はい、殿下」
レオンに促され、エミリアは胸の前で両手を組んだ。
その首元には、大きな透明の石が嵌め込まれたペンダントが輝いている。
彼女が目を閉じて祈りを捧げると、次の瞬間、ぱっと、淡い金色の光が広間いっぱいに降り注いだ。
「おお……!」
周囲から感嘆の声が上がる。
会場に飾られていた花が一斉に瑞々しさを取り戻し、壁際に立っていた騎士が驚いたように自分の腕を押さえた。
「傷が……」
負傷していたらしき場所に巻いていた包帯を外すと、傷は綺麗に塞がっていた。
なるほど、確かにこれはすごい。
「どうだ!」
レオンが勝ち誇ったように私を見る。
「これこそ聖女の奇跡だ! エミリアこそが本物であるなによりの証拠だろう!」
「そうですね。すごいと思います」
「なら――」
「でも、それと私が偽物かどうかは別の話ですよね?」
「……なに?」
エミリアが聖女の力を使えることは分かったけど、私が使えないことの証明にはなっていない。
そもそも劇では、ニーナは間違いなく本物の聖女だったはずだ。
だったら――。
「ちょっと試してみてもいいですか?」
私は腕をまくると、爪を立てて皮膚を引っ掻いた。
少し強くやりすぎたのか、細い傷から血が滲む。
「なっ、何をしている!」
「傷を作りました」
「見れば分かる!」
そう怒鳴られても困る。
問題はここからだ。
私は自分の傷に手をかざした。
聖女の力なんて使ったことはないけど、この体が本当にニーナなら使えるはずだ。
「ええと、治ってください」
かなり適当に念じてみたけど、手のひらがほんのりと温かくなり、柔らかな光が傷口を包んだ。
「……あ、治った」
血も傷も、跡形もなく消えている。
周囲がしんと静まり返った。
私は自分の腕をひっくり返しながら確認するも、本当に何も残っていない。
「どうやら私にも聖女の力はあるみたいですね」
「馬鹿な……!」
レオンが顔色を変える。
「そんなはずはない! お前、もしや魔石を隠し持っているんだろう!」
自分の身につけているものを確認してみるけど、それらしきものは持っていなかった。
「魔石? いいえ、持っていません」
「嘘をつくな! 高位の聖属性魔石なら、一時的に聖女と同じような力を使える。それを使ったに違いない! 今までそれを使って聖女だと偽っていたんだろう!」
「…………」
というか、まさしくそれ、エミリアのことなんだけど。
劇では、エミリアは高位の聖属性魔石を使って聖女の力を装っていた。
終盤では、それをニーナが隣国王太子と共に暴いていたわけだけど、私は今その事実を知っているわけだし、わざわざ数カ月後まで待つ必要もない。
というわけで。
「だったら、さっきのエミリアさんの力も、本人のものだとは限らないんじゃないですか? だって魔石で聖女の力を再現できるんでしょう? エミリアさんが力を使えたから本物だ、という理屈なら、私だって同じですよね? なので、条件を揃えて確認しましょう」
まず私は、女性の使用人たちにドレスや装飾品を確認してもらった。
当然ながら魔石は一つも出てこない。
その状態でもう一度、小さく作った傷を治してみると、問題なく治った。
「これで、少なくとも私は魔石なしでも力を使えることは分かりましたね」
「…………」
「次はエミリアさんです」
「え?」
さっきから若干顔色が悪かったエミリアの顔が、さらに強張る。
「私と同じように、装飾品を全部外した状態で力を使ってみてください」
「そんな……私を疑うのですか?」
「あなたが本物の聖女なら、問題ないはずですよね?」
「それは……」
私は彼女の首元を見る。
あの大きな石がついたペンダントが、劇では確かその魔石だった気がする。
ものすごく高価な魔石で、あのサイズのものは滅多に発掘されないはず。
効果は抜群だけど、当然無尽蔵に使えるはずもない。
「特に、そのペンダント。外してもらえます?」
「ここ、これは、その、そう、母の形見なのです!」
分かりやすく声が震えるエミリアを庇うように、レオンが前へ出る。
「やめろ! そこまでする必要はない!」
「ありますよ。私が魔石を隠している可能性を疑ったんですから、エミリアさんにも同じ確認をしないと公平じゃないです。それとも、外すと何か困ることでも?」
その一言で、周囲の空気が変わった。
レオンもさすがに黙り込む。
結局、エミリアは渋々ペンダントを外した。
「では、お願いします」
「……はい」
彼女は先ほどと同じように両手を組み、祈りを捧げる。
だけど、何度試してみても何も起きない。
「先ほど大きな力を使ったからです!」
エミリアが慌てて声を上げた。
「力を使いすぎて、今は……!」
そういえば劇の中では、ニーナが国の周辺に結界を張ったあと、そのまま何百人もの怪我人を治療する場面があった。
それくらいの力を使っても、聖女の力が尽きた様子はなかったはずだ。
「本物の聖女なら、まだ問題なく力を使えるんじゃないですか?」
「それは、その……」
エミリアは答えられず、青ざめた顔で俯いた。
まあ、そうなるよね。
私は何も身につけていない状態でも問題なく力を使えた。
一方、エミリアはペンダントを外した途端、まったく力を使えなくなった。
これだけでも、十分分かりやすい。
「念のため、そのペンダントも調べてもらいましょうか」
「やめて!」
エミリアが咄嗟に叫んだけど、もう遅い。
侍女からペンダントを受け取った神官が、嵌め込まれた大きな石を確認する。
やがて、その顔から血の気が引いた。
「……これは、高位の聖属性魔石です」
ざわりと広間が揺れる。
「やっぱり」
劇で見た通りだ。
「つまり、私は何もなくても聖女の力を使える。でもエミリアさんは、その魔石がなければ使えない。これって、もう答えは出てません?」
誰も反論しなかった。
エミリアは真っ青になって震えているし、レオンも呆然と彼女を見つめている。
「念のため、神殿の記録も確認してください。エミリアさんが聖女の力を使えるようになった時期と、この魔石を手に入れた時期。それから購入経路も調べた方がいいですね」
これだけ高価な魔石なら、どこから手に入れたのか辿るのも難しくないはずだ。
エミリアはすぐに兵士たちによってどこかに連れていかれてしまった。
レオンはエミリアが偽物だと知ってショックを受けているように見えたんだけど……その数分後。
「ニーナ、すまなかった! やはり君こそ本物の聖女だったんだな。よしっ、婚約破棄は撤回しよう!」
満面の笑みで近づいてきたレオンに、私は思わず目を瞬かせた。
調子のいい男である。
だけど私の答えは決まっている。
「お断りします」
「…………え?」
レオンの笑顔が固まった。
「なぜだ?」
「なぜと言われても……」
逆に、どうして受けると思ったんだろう。
「殿下は私よりエミリアさんを選んだから、婚約破棄を申し出たんですよね?」
「だ、だがそれは、彼女が本物の聖女だと思っていたからで……!」
「でも、エミリアさんと恋仲だったのは事実ですよね?」
「…………」
答えが止まった。
どうやらそこは否定できないらしい。
「それに、ろくに調べもしないまま私を偽物だと決めつけて、国外追放までしようとしましたよね。なので婚約破棄はそのままでお願いします」
「待て!」
レオンが慌てて私の腕を掴もうとしたので、一歩下がって避ける。
「俺が悪かった! もう二度とこんなことはしない!」
「そういう問題じゃないんですよね」
そもそも、仮にここが夢の中であっても、そうでなかったとしても、私はこの人と結婚したいとは思えない。
そこへ騒ぎを聞きつけたらしい国王や神殿の高位神官たちまでやってきた。
事情を聞いた彼らはエミリアの聖女詐称には青ざめたものの、私が本物の聖女だと分かると、今度は揃って私を引き留め始めた。
「ニーナよ。今回の件については、王家から正式に謝罪しよう」
「ありがとうございます」
「であれば、これまで通りこの国の聖女として務めてほしい」
「それもお断りします。私はこの国で無償奉仕という形で、長く聖女の仕事をさせられてきました。なので、これ以上便利な道具扱いされるのは嫌です」
ニーナは元々孤児で、幼い頃に聖女の力を持っていることが分かってから王家に引き取られた、という設定だったはずだ。
そのままレオンの婚約者にされ、子どもの頃から国のために聖女として働き続けていた。
だけど本人はそれを当たり前だと思っていて、逃げたいとか、こんなのはおかしいとか、考えたことすらなかったらしい。
もちろん、聖女がいなければ国が滅びるわけではない。
騎士や兵士だけでも魔物とは戦える。
それでも、結界を張り、怪我人を治せる聖女がいれば、国が得られる恩恵は大きい。
だったら、その力には相応の価値があるはずだ。
と、ここで私はあることを思いついた。
そうだ、私自身を競売にかけるのはどうだろう。
いや、競売というより、入札と言った方が正しいだろうか。
私は少し考えながら、条件を整理していく。
まず各国に、聖女としての契約条件を提示してもらう。
報酬、住居、仕事の範囲、休日、移動の自由などなど。
当然、婚姻に関しては別問題だ。
聖女を自国に留めておくために王族と結婚させられ、一生そこから動けなくなるなんてまっぴらごめんである。
「――というわけなので、私を聖女として雇いたい国には、条件を競ってもらおうと思います」
「…………」
「どうせなら、一番いい条件を出してくれるところで働きたいですし」
私がまとめた考えを伝えると、王家の皆さんは揃って絶句していた。
……そんなに変なことを言っただろうか。
その後、当然ながら国王にはかなり引き留められた。
だけど、長年無償で聖女として働かせていたうえに、今回はろくな調査もせず偽物扱いして国外追放までしようとしたのだ。
そのあたりを一つずつ指摘すると、最終的にはこれまでの奉仕に対する補償金を王家からきっちり支払ってもらえることになった。
もちろん、あとから話をひっくり返されても困るので書面にも残してもらう。
数日後には各国へ向けて、正式に知らせを出した。
――聖女ニーナ、新たな契約国を募集と。
◇
各国へ知らせを出してからというもの、予想以上の数の申し出が届いた。
私は提示された条件を一つずつ確認し、その中から最も条件のいい国を選んだ。
それが、隣国のアルディア王国だった。
奇しくも劇の中で、ニーナが追放されたあとに辿り着く国でもある。
劇では道中で倒れていたニーナを、この国の王太子ライアンが助けることになっていた。
だけど今回は違う。
私は正式な契約相手として、自分の足でこの国へやってきた。
王宮の応接室でライアン殿下と初めて顔を合わせ、簡単な挨拶を済ませたあと、すぐに契約の話へ移る。
「聖女の力は、他で簡単に代えが利くものではないからね。国が得られる恩恵を考えれば、この金額は妥当だ」
私が提示した条件書に目を通したライアン殿下は、そう言って頷いた。
「この額で契約しよう。ただし、結界を張る範囲や治療日数については再調整したい」
「もちろんです」
そこからは普通の契約交渉になった。
そして最後に。
「婚姻に関しては、この契約とは一切関係ありません」
「分かっているよ」
ライアン殿下はあっさり頷いた。
「君をこの国に置くために結婚を利用するつもりはない」
どうやらこの人は、元の筋書きでニーナを幸せにしただけのことはあるらしい。
こうして私は、アルディア王国で聖女として働くことになったんだけど……。
実際に仕事を始めてみると、聖女の力には思っていた以上に使い道があった。
水を浄化すれば長期間腐りにくくなるし、布に聖力を込めれば、弱い魔物を遠ざけられる。
私は元々、商人だ。
目の前に売れそうなものがあるのに、それをただ眺めているなんてもったいない。
どうすれば商品になるのか。
どうすれば必要な人の手元まで届けられるのか。
そういうことを考え始めると、どうしても止まらなくなる。
「……これ、量産できません?」
私がそう言うと、神官たちが揃って目を見開いた。
「聖女の奇跡を、量産するのですか?」
「ええ、可能なら。その方が多くの人に行き渡りますよね?」
幸い、私の聖女としての力はかなり強いらしく、毎日の結界維持や治療をこなしても、まだ十分な余力が残る。
そこで余った力を使って試してみたところ、一日に作れる量には限界があるものの、祝福を施した品をある程度まとめて作れることが分かった。
なら、あとは売り方だ。
例えば富裕層向けには高品質な祝福品を高値で販売して、一方で、一般市民向けの治療や浄化はできるだけ安く提供する。
これなら無理なく続けられるし、より多くの人に聖女の恩恵を届けられる。
「聖女の力で商売を始めると聞いて、初めは耳を疑ったよ」
ある日、報告を聞いたライアン殿下が苦笑しながらそう言ってきた。
「こういう仕組みを考えるの、好きなんです。どうやったら売れるかなとか、どうやったらもっと広げられるかなとか」
「……楽しそうだね」
「楽しいですよ」
それは即答できる。
誰かに言われてする仕事ではなく、自分で考えて、自分で形にしていく。
やっぱり私は、こういうことをしている時が一番楽しい。
それから数カ月経った頃。
私が作った祝福品は順調に売れ、商品開発も流通の仕組み作りも、思っていた以上に上手くいっていた。
そしてどういうわけか、その頃からライアン殿下が頻繁に私のところへ顔を出すようになった。
ある日は、彼は立派な箱を抱えてやってきた。
「君に贈り物だ」
中に入っていたのは、美しい刺繍が施されたドレスだった。
「わあ、素敵ですね!」
「気に入ったか?」
「はい! 特にこの刺繍、すごく細かいですね。これ全部手作業ですか?」
「ああ」
「こんなに繊細な刺繍のに糸がほとんど浮いてない……すごいですよこれは!」
思わず顔を近づけて見入ってしまう。
それから、はっと閃いた。
「ライアン殿下、この刺繍ってどこの工房のものですか?」
「……え?」
「この技術で聖力を込めた糸を使ったら、貴族向けにかなり高値で売れそうです。魔除け効果も付けられたら、見た目と実用性の両方を――」
「待って」
「はい?」
「君に着てほしくて贈ったんだけど」
「もちろん着ますよ! ただ、それとは別に、その工房も紹介してください!」
「…………」
なぜかライアン殿下は黙り込んだ。
別の日には夜会へ誘われた。
「来週、王宮で夜会がある。よければ君も来ない?」
「この国の主要な商会の方も来ます?」
「……何人かは来るけど」
「では行きます」
正直、夜会そのものはそこまで好きじゃない。
私はただ好きなように商売ができればそれでいいんだけど、そのためにはいつまでも個人で動くより、いずれ商会のような形を作った方がいい。
そうなれば人脈も必要になる。
面倒だけど、必要なら仕方ない。
そう答えると、なぜかライアン殿下は少し遠い目をしていた。
でもその後も誘いは途切れなかった。
花を贈られれば、珍しい品種だと生産地を聞いて、宝石を贈られれば、加工した職人を紹介してもらい、遠乗りに誘われれば、道中の街道整備を確認した。
そんな私に対して、ライアン殿下は呆れるどころか、なぜかますます楽しそうにするようになった。
そして私はまだ知らなかった。
劇と同じように、結局この王太子が、私に恋をすることになるなんて。
◇
そんな日々を過ごしているうちに、いつの間にかこの国へ来て半年以上が経っていた。
そしてある日。
「ニーナ。君に話がある」
いつになく真剣な顔をしたライアン殿下に呼び出され、私は王宮の庭園へ向かった。
人払いまでされていたので、何か重要な話なのだろうとは思っていたけど……。
「私は君を愛している」
予想外の言葉に、思わず目を瞬かせた。
「……私を、ですか?」
「ああ」
ライアン殿下は真っ直ぐ私を見る。
「最初は、優秀な聖女としてこの国に来てくれた君を歓迎していただけだった。だけど今は違う」
そう言うと、彼は少しだけ困ったように笑う。
「聖女の力で商売を始めたと思えば、贈ったドレスから新商品を思いつくし。夜会に誘えば商談を始めるし、遠乗りに誘えば街道の状態を確認して、もっとこうすればいいとか提案してくるし」
「……すみません」
「責めているわけじゃないよ。むしろ、そんな君を見ているのが楽しかった」
その声はとても優しかった。
「だから、これは聖女との契約とは関係ない。君をこの国に留めるためでもない」
ライアン殿下が一歩近づく。
「私はニーナという一人の女性を愛している。もし君も同じ気持ちになってくれるのなら、……いや、少しでも可能性があるのなら、私の妃になる未来を考えてはくれないかな?」
なるほど、私がヒロインのニーナだからだろうか、劇と同じ展開になっている。
本来ならここが、物語最大の見せ場だった。
すべてを失ったニーナが、自分を救ってくれたライアン殿下から愛を告げられ、涙を流しながらその手を取る。
実際、断る理由を探す方が難しいくらい、この人はいい人だと思う。
私を聖女としてではなく一人の人間として見ていて、なおかつ仕事を尊重してくれるし、商売にも口を出さない。
王太子としても優秀で、話も通じる。
なのに。
「申し訳ありません」
気づけば、私はそう答えていた。
ライアン殿下が少しだけ目を見開く。
「……理由を聞いても?」
「私にも、よく分からないんですけど」
自分でも不思議だった。
条件だけで考えれば、悪い話ではない。
それどころか、かなりいい。
なのにこの国でライアン殿下の妃になって、このままずっと暮らしていく自分を想像すると、どうにも違う気がしたのだ。
――その時、ふと一人の顔が浮かんだ。
銀灰色の髪と鮮やかな緑の瞳を持った、現実世界での私の夫、オーウェンの顔だ。
私たちは恋愛の末に結ばれたわけではない。
元々は仲のいい友人同士だったけど、互いに降りかかっていた厄介事を片づけるため、利害一致で結婚しただけの関係だ。
そういえば、あの劇を観た帰り道、もし私がニーナだったらどうするのかという話をした。
私は確か、そんな王子とはそもそも婚約しないし、聖女としての価値があるなら、一番高く評価してくれる国と契約すると答えたはずだ。
……実際、その通りのことをしてしまったわけだけど。
今の私を見たら、彼はなんて言うんだろう。
呆れるだろうか。
それとも、やっぱり君はそうすると思った、と言うだろうか。
そんなことを考えてたら、なんだか急に顔が見たくなってきた。
「どうやら私には、帰りたい場所があるみたいです」
「帰りたい場所?」
「はい。といっても、本当にそこに戻れるか、分からないんですけどね」
口にしてから、自分でも少し驚いた。
この世界が夢なのか、やっぱり分からないけど、私は、いつの間にかオーウェンの隣が自分の居場所だと思っていたらしい。
ライアン殿下はしばらく黙っていたけど、やがて小さく息を吐いた。
「……そうか」
「すみません」
「謝らなくていいよ。最初の契約で約束しただろう? 婚姻は君の自由だ」
そう言って笑った彼を見て、私は改めて思う。
やっぱりこの人は、いい王子だ。
劇のニーナが彼を選んだのも、きっと間違いではなかったんだろう。
ただ、私が選ぶ相手ではなかった。
それだけのことだ。
◇
ライアン殿下から求婚された少し後、かつて私がいた国から緊急の知らせが届いた。
どうやら魔物の群れが押し寄せ、騎士や兵士だけでは防ぎきれなくなっているらしい。
劇でもあった展開だ。
ニーナがいなくなったことで、それまで張られていた結界が消え、魔物の被害が一気に増える。
劇ではそのまま国が荒廃していったんだけど――。
「ニーナ、頼む! 国を救ってくれ!」
わざわざアルディア王国までやってきたレオンは、必死な顔で私に頭を下げた。
「元婚約者のよしみで、どうか力を貸してほしい!」
「それとこれとは関係ないですよね?」
そもそも以前の聖女としての無償奉仕については、国を出る際に補償金をきっちり支払ってもらっているし、今さらその件を蒸し返すつもりもない。
ただし、だからといって今後も無料で働くつもりもない。
実際、アルディア王国に来てからも、他国で大規模な魔物被害や災害が起きた際には、依頼を受けて治療や結界を行ったことが何度かあった。
もちろん、すべて報酬をもらっている。
「救援自体は引き受けます」
「本当か!?」
「はい。ただし、元婚約者のよしみだからではなく、仕事としてです」
レオンの顔が固まった。
「今回は大規模な結界と負傷者の治療が必要なんですよね? なら、こちらが提示する救援費用を支払ってください」
「だが、かつて君が暮らした国だぞ?」
「だからなんですか?」
王家には思うところがある。
だけど、そこで暮らしている人たちまで見捨てる理由はない。
かといって、そのために私が無償で働く理由もないのだ。
「国民を助けるのは構いません。でも、そうですね、その費用まで国民に負担させるのは嫌なので、今回は王家の財産から支払ってください」
「…………分かった」
「あと、今後また聖女が現れた場合、本人の意思を無視して王家に囲い込んだり、無償で働かせたりしないこと。それも書面にしてください」
「そこまで必要なのか?」
「必要ですよ」
私みたいな目に遭う人間を、また作られても困る。
結局、レオンたちはすべての条件を飲んだ。
私は一時的に祖国へ戻り、騎士や兵士たちと協力して魔物の群れを退け、国境周辺に新しい結界を張った。
負傷者の治療も終え、数日後には被害も落ち着いた。
「ニーナ。このまま国に戻ってきてはくれないか?」
帰り際、レオンにそう言われたけど。
「それはお断りします」
と、当然即答した。
「私は今の生活が気に入ってますから」
こうして物語の中では滅びかけていた国も、今回は無事に持ち直した。
王家にはきっちり対価を払ってもらえたし、民衆も助けることができた。
依頼は無事に完了した。
さて、アルディアに戻ったら、留守にしていた間に止まっている新商品の試作を進めないと。
私の頭はもう次の商売のことでいっぱいだった。
そこからさらに時間が経ち、気づけば私がこの世界に来てから、もう一年近く経っていた。
……もし夢なのだとしたら、ずいぶん長い夢だ。
まさかこんなにニーナとして過ごすことになるとは思わなかった。
ただ、こちらでの生活は順調そのものだった。
聖女としての仕事にも慣れたし、始めた商売も軌道に乗っている。
扱う商品も増え、人も雇い、最近では私が直接動かなくてもある程度仕事が回るようになった。
ライアン殿下とも相変わらず良好な関係で、商売について相談すれば協力してくれるし、国としても聖女の力を利用した新しい仕組みを少しずつ整え始めている。
我ながら、かなり上手くやったと思う。
このまま戻れなかったとしても、私は商人としての生活を大いに満喫していけるだろう。
……なのに最近、ふとした瞬間に、元の世界のことを考えるようになった。
この一年のことにあった話をしたら、私の夫はどんな顔をするんだろう。
「これが夢なんだとしたら……そろそろ、起きてもいいんだけどな」
その夜。
そんなことを考えながらベッドに入り、私はいつものように目を閉じた。
◇
「……ブレア」
誰かに、私の本当の名前を呼ばれている。
「ブレア、朝だ」
聞き慣れた声に、ゆっくりと目を開ける。
「…………」
最初に見えたのは、銀灰色の髪だった。
次に、私を覗き込む鮮やかな緑の瞳。
「……オーウェン?」
「ああ」
思わず周囲を見回すと、そこは見慣れた自分の寝室だった。
窓からは、柔らかい朝の光が差し込んでいる。
そして目の前にいるのは、間違いなく現実世界での私の夫だった。
それより、どうして私の部屋にオーウェンがいるんだろう。
私たちは契約結婚ということもあって、寝室も別である。
まだ起き抜けの頭でぼんやりとしていると、オーウェンが申し訳なさそうに眉を寄せる。
「勝手に部屋に入ってすまない。君は今朝、早くから仕事があると言っていただろう。それなのに時間になっても起きてこないから、何かあったのかと思って」
「ああ……」
そうだった、確か昨日、そんな予定を立てていた気がする。
というか、あれって昨日のことだったのか。
時計を確認すると、眠ってからまだ八時間しか経っていない。
なのに彼の顔を見るのが、ものすごく久しぶりな気がする。
「一年ぶりですね、オーウェン」
「……昨夜も会ったが」
真顔で返された。
ならやっぱり、あれは夢だったようだ。
「すみません、ものすごく長い夢を見てまして。およそ一年ほどそこで過ごしたので」
「一年?」
さすがのオーウェンも怪訝な顔をした。
その後、身支度を済ませた私は、朝食を取りながら夢の話をすることにした。
一緒に観た劇のヒロイン、ニーナになっていたこと。
偽物の聖女だと断罪されたこと。
だけど調べてみたら、自分がちゃんと本物の聖女だったこと。
「それで、私を一番高く評価してくれる国と契約しました」
「…………」
「あと、聖女の力を使った商品も作りました。結構売れましたよ」
「…………」
「元いた国が魔物に襲われたので、報酬をもらって助けにも行きました」
オーウェンは黙って私の話を聞いていたけど、全部話し終えたところで深く息を吐いた。
「やっぱり君は、あの劇通りの展開にはならなかったな」
「当然でしょう?」
観劇帰りにも言ったはずだ。
私なら黙って追放されたりはしない、と。
「聖女になった自分を一番高く評価する国と契約すると言っていたが、本当にやったのか」
「競売ではありませんよ。入札です」
「似たようなものだ」
「全然違います」
ちゃんと条件を比較して契約したのだから、一緒にされては困る。
オーウェンは呆れたような顔をしていたけど、その口元は少し笑っていた。
やっぱり、夢の中で考えた通りだ。
……こういう顔をすると思った。
「そういえば」
と、オーウェンがふと口を開く。
「あの劇では、最後にニーナは隣国の王太子と結ばれていただろう?」
「そうですね。夢にもそのライアン殿下が出てきました」
「……その男とは、どうなったんだ?」
「求婚されましたね」
オーウェンの手が止まった。
「…………そうか。それで、君はどうしたんだ?」
「断りました」
間髪入れず告げると、オーウェンが不思議そうに首を傾げる。
「なぜだ? 君の話だと、そのライアン殿下はとてもいい人だったんだろう? 王太子としても優秀で、君の仕事も尊重してくれて」
「うーん……」
うまく説明できないけど、それでも私は少し考えてから答える。
「条件だけ考えれば、かなりいい相手だったと思います。なのに断った明確な理由は、自分でもよく分からないんですよね」
だけどあの時、確かに思ったことはある。
私はライアン殿下の妃になる未来ではなく、オーウェンの元に戻りたい、と。
そして今、こうして目の前にいるオーウェンを見ていると、なんとなく理由が分かった気がする。
「多分ですけど」
私はパンを一口食べてから、何気なく続けた。
「私の夫は、オーウェンしかいないと思ったんですよね」
「…………」
その瞬間、紅茶のカップを持っていたオーウェンがぴしりと固まった。
「オーウェン? どうしました?」
「…………いや」
しばらくして、彼はゆっくりと視線を逸らしながらカップをテーブルに置くと、俯き加減でなぜか長いため息を吐いた。
「そうだな。……俺にとっても、妻は君だけだ」
「急にどうしたんです?」
「……今の話への返事だ。その、あまり気にするな」
「そうですか」
「ああ」
そう答えたオーウェンは、なぜか少しだけ耳を赤くして視線を逸らした。
……何を照れているんだろう。
だけど本人が気にするなと言ってるんだし、まあいいか。
「あ、オーウェン。パン、取ってもらえます?」
「……君は本当に」
「はい?」
「いや。なんでもない」
差し出されたパンを受け取りながら、私は首を傾げる。
やっぱりオーウェンは少し変だけど、夢の中で一年ぶりに会った夫と、こうしてまた同じ食卓を囲んでいる。
それがなんだか妙に嬉しくて、私はパンをちぎりながら、自然と笑みを浮かべていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
こちらのお話は、長編『婚約破棄をでっち上げられた商人令嬢は、面倒ごとを避けるため堅物騎士と契約結婚します。〜これで仕事に集中できる!〜』に登場する主人公ブレアとオーウェンの番外編になります。
本編では、仕事第一の商人令嬢ブレアと、生真面目な騎士オーウェンが、利害一致で契約結婚をするところから物語が始まります。
今回のお話だけでも楽しんでいただけるように書きましたので、少しでも二人を気に入っていただけましたら嬉しいです。




