幼馴染みの騎士団長が、今日も私の湯浴みを護衛しています
「はぁー…」
ティアナのついた深く湿度のある溜め息が、広い浴室に響いた。
ティアナ・マッキンレイ。
王家の次に権力を持つと言われている、マッキンレイ公爵家の一人娘だ。
綺麗に上を向く長い睫毛に縁取られた、深い海のように澄んだ紺碧の瞳が物憂げに瞬く。
蜂蜜を溶かしたような美しい黄金色の長い髪が、まったりと湯船に揺らめいている。
湯船には、侍女のメリルが摘んできたばかりのホワイトローズが贅沢に浮かんでいた。
ホワイトローズの束を見た時、なんていい香り!どこに飾ろうかしら…なんて、ティアナは少しわくわくしていた。
そこへメリルが、瞳をキラキラ輝かせて「湯船に浮かべるのはいかがですか!?」と提案してきたので、つい頷いてしまった。
湯浴みでは、せっかくのホワイトローズを楽しめない理由があるというのに。
「ティアナ様。ホワイトローズに合わせて、ローズミエルの香油でマッサージいたしますね」
「え、ええ…」
メリルが不思議そうな顔をして、ティアナの体に香油を塗り込んでいく。
「どうかなさいましたか?先ほどから、少し元気がないご様子ですが…」
「まだ、アルフレッドは…居るわよね?」
「当然、居られますよ?」
アルフレッド・エヴァンス。
我が国が誇る帝国騎士団の、騎士団長である。
二十四歳という若さにして、史上最年少で騎士団長まで登り詰めた。
その剣の腕は、毎日気が遠くなるほどの鍛練を重ねて磨き上げられた努力の賜物といえる。
騎士団での任務、睡眠と食事以外の時間はひたすら鍛練に充てる。
そんなストイックな生活が彼の強さを確かなものにしていき、揺るぎない地位へと導いた。
しかしそんなアルフレッドは、毎晩ティアナ・マッキンレイの湯浴みを部屋の外で護衛している。
どんなに多忙でも、どんなに疲弊していても、遠方での泊まりがけの任務の時以外は一日たりとも欠かしたことはない。
湯浴みを終えた体を、メリルが丹念に拭き上げてバスローブを掛ける。
ふう、と一息ついたティアナは浴室を出て、部屋のドアに向かって呼びかけた。
「アルフレッド」
「はい、お嬢様」
「……湯浴みが終わったわ」
「承知しました。では、おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい……」
最低限の会話だけ交わすと、顔を見ることもなくアルフレッドの足音が遠退いていく。
騎士団で働いた後に、貴重な時間を割いて疲れた体で護衛に来てくれている。
そんな彼を待たせてしまっているのが気になって、いつも湯浴みの時間はいまいちリラックスできない。
アルフレッドとティアナは、元々幼馴染みだった。
年は、六つ違う。
アルフレッドはいつも優しくて、年の離れた妹がいるため年下の扱いにも慣れていた。
そんな彼のことが大好きで後を付いて回るほど、ティアナはとてもよく懐いていた。
………子供の頃は。
幼馴染みに、湯浴みを待ってもらっている。
そんな気恥ずかしさが、ティアナからアルフレッドを遠ざけていった。
ここ二年ほどは、まともに顔すら合わせていない。
やっぱり、ホワイトローズは部屋に飾れば良かった。
ティアナは、ムスッとむくれていた。
「もう。ただの湯浴みに護衛なんていらないって、何回も言っているのに…。何なのかしら?嫌がらせ?」
「嫌がらせ、というわけではないかと…。任務で負傷した日ですら、周りが止めるのも聞かずに護衛されていましたから…」
ちなみに湯浴みの護衛は、マッキンレイ公爵夫妻が正式に依頼をしている。
…ことになっている。
実のところは、アルフレッドが願い出たのだ。
どうかお嬢様の護衛をさせてほしい、と。
ただ騎士団での任務や鍛練もあり、専属護衛をするほどの時間や余裕は到底ない。
そこで、湯浴みの護衛だけでも自分に任せてほしいと言った…らしい。
ティアナを溺愛している両親は、あまりにも切実に懇願するアルフレッドの様子に胸を打たれた。
そもそも湯浴みに護衛なんているの?
メリルもすぐ傍についているのに?
…と困惑するティアナをよそに、『湯浴みの護衛』が決定事項として伝えられた。
「明日、湯浴みの護衛は必要ないって…もう一度伝えようかしら…」
ちなみにアルフレッドには、もう数え切れないくらい伝えている。
そして、いつも「依頼を受けていますから」と軽くあしらわれて…終わってしまう。
アルフレッドが従騎士となってから始まった護衛も、かれこれ十年ほどになる。
子供だったティアナも、もう十八歳になった。
いつ結婚の話が来ても、おかしくない。
その時はさすがに湯浴みの護衛も終わるだろうから、どうせそろそろ潮時だと思っていた。
「お父様とお母様にもちゃんと伝えれば、きっと大丈夫よね?」
「ティアナ様が本当にお嫌なら、そうされるのが良いと思います」
「うんうん、そうするわ!」
ティアナは、絶対に明日断りに行こう!と固く決意して眠りについた。
翌日。
バタバタしていて夕食の後になってしまったが、マッキンレイ公爵にティアナが訴えた。
「ねぇお父様、湯浴みの護衛についてなのだけれど。もういい加減、必要ないと思うの」
「…それでも、万が一何かあったらいけないじゃないか…。お前はのほほんとして、結構ボンヤリしているところがあるし…」
公爵が、年甲斐もなく唇を尖らせていじけている。
「だって…外でなら分かるけれど、お部屋での湯浴みなのよ?メリルも居るし、何かあるわけないでしょう?」
「うーん……。アルフレッドに、直接言ってみたらどうだ?それで話が纏まれば、私から正式に断っておくよ」
「分かりました、今日伝えます。ありがとうございます、お父様っ!」
ティアナは、意気揚々と部屋に戻った。
そわそわしながら適当に本を読んでいると、いつもの湯浴みの時間になる。
「こんばんは、お嬢様。護衛の為に参りました」
「アルフレッド!」
やっと来た!と言わんばかりに、いつもは開けないドアを急いで開けた。
驚いて身構えるアルフレッドと、目が合う。
「どうされましたか…!?」
仕事終わりに急いでやって来たのか、しなやかな黒髪が乱れて癖がついている。
長い睫毛に縁取られた深い翡翠色の瞳は大きく見開かれ、真っ直ぐにティアナを見つめていた。
アルフレッドを見るのは、すごく久しぶりだわ。
何だか、また背が伸びた?
体も、一段と引き締まっている気がする…
思わず、まじまじと観察してしまっていたことに気が付く。
気恥ずかしくなったティアナは、閉めたドアにぴったりと張り付いた。
「いえ、あの…どうか、っていうか……」
「……」
アルフレッドが、じっと彼女の言葉を待っている。
「……ゆ、湯浴みの護衛のことだけれど、」
「ええ。それが何か?」
「さすがに私も十八歳だし、わざわざ来てもらわなくても大丈夫かなーと……思って……」
鋭い視線を感じて、語気が弱まってしまう。
えっ……。
何か、怒ってる……?
そう思ってティアナは、気まずくなってしまい縮こまった。
「なんだ、そんなことですか」
「えっ?」
アルフレッドが、ふふっと軽く笑った。
これ…いけるかもしれない!遂に…!と呑気に安堵していると、
「大丈夫じゃないですよ?」
……あ、無理だった。
がっくりと肩を落としたティアナだったが、今日はここで引くわけにはいかない!と、めげずに反抗する。
「…だ、大丈夫よ!」
「いいえ、やめませんから。さ、おれのことはお気になさらず。ごゆっくりどうぞ」
「待って、待って!本当に、もう来なくていいからっ!そもそも、お部屋の湯浴みに護衛なんて…」
「要ります、お嬢様には」
ドアに背中をぴったりとくっつけていたティアナに、アルフレッドがじわじわと距離を詰めてきた。
「忘れたんですか?五歳の頃に、湯浴みで溺れかけたこと」
「……えっ、溺れ……?」
はぁー、とアルフレッドが不機嫌にため息を漏らして、腕を組んだ。
「侍女が止めるのも聞かずに、潜っていて足を滑らせて…。すぐに引き揚げられたものの、湯をたくさん飲んでしまってパニックになっていたそうです」
全く記憶にない話をされて、ティアナは口を噤んでしまった。
そんなことがあったなんて…。
「お嬢様はそれからしばらく、湯浴みの時間になると泣いていましたよ。毎日おれに『浴室のドアの前で待っていて』と言って聞かないので、ドア越しにずっとお話していたんです。お嬢様が動物の鳴き真似をして、おれにそれを当てさせるのがすごくお気に入りで……覚えていませんか?」
「……覚えて、いないわ……」
恥ずかしさにぎこちなく顔を歪めるティアナが、アルフレッドの顔をちらっと見上げる。
昔を懐かしんでいるような優しいその微笑みに、余計に気恥ずかしくなって急いで俯いた。
「一ヶ月ほど経って落ち着いたら、そんなお願いをされることも無くなりましたけどね。でもそれがきっかけで、騎士見習いだったおれは強くなりたいと思ったんです」
「……湯浴みで、私が溺れたことが!?」
「ええ。誰よりも強くなって、一生お嬢様をお守りしたいと思いました。お嬢様を害すのであれば、おれにとっては湯さえも敵ですから」
……何かそれって、…それって、情熱的な告白みたいじゃない…!?
いやいや、そういう意味じゃないのよ、きっと!
でもでも、一生って……!
ぐるぐると考えを巡らせるティアナの顔は、みるみるうちに茹で上がっていった。
「もう、湯浴みの後でしたか?お顔が真っ赤ですよ」
「う、うるさいわね…。まだだって、分かっているくせに…」
「…というわけで、特に危ない湯浴みの護衛はやめられませんから」
薄笑いを浮かべるアルフレッドに、ティアナはぐぬぬ…と唇を噛んだ。
「もう、子供じゃないんだから!潜らないし、溺れないわよ!」
そう言った、次の瞬間。
ぐしゃぐしゃと、髪を撫でられた。
こんなことをされたのは子供の頃以来で、呆気にとられてしまう。
「…なんて、もっともらしい理由つけて声が聞きたいだけって言ったら…怒る?」
悪戯っぽくあどけない笑顔で、アルフレッドはそんなことを言ってのけた。
ティアナは男性への耐性もなければ、こんなふうに甘ったるいことを言われた経験もない。
彼女の顔は痛いほどに熱くなり、その細い体をわなわなと震わせた。
こ、声が聞きたいですって…!?
「……んなっ……!?こっ、ここ、こここっ、、!?」
「それは…鳥の真似ですか?はは、懐かしいな」
「からかわないでっ!もーーーっ…!!」
「今度は、牛?」
「………」
…もう嫌っ!
完全に遊ばれている気がする。
時間の無駄だわ、そうよ…気にしなければいいのよ!
『なんて、もっともらしい理由つけて声が聞きたいだけって言ったら…怒る?』
………怒る!
怒ります、私だって!
ティアナは頭の中で騒がしく一人会議しながら、アルフレッドを睨んだ。
「………怒ります!」
「そうですか。可愛いな」
「~~~………!!」
「早くしないと、せっかくの湯が冷めますよ?」
ニヤリと笑うアルフレッドに「キーーーッ!」と威嚇して、ティアナは勢い良くドアを開けて部屋に入った。
「ふふっ、最後はサルだったか」
アルフレッドは愉快そうに笑って、閉まっているドアを愛おしそうに見つめていた。
次に湯浴みの護衛を断る時には、いつの間に勝手に決められたのかティアナは『アルフレッドの婚約者』になっていた。
しかし彼女はそれに少しも反抗せず、それどころか顔が真っ赤に染まってしまい…「今日の湯浴みは、そんなに温まりましたか?」と、またアルフレッドにからかわれるのだった。
…それは、もう少しだけ後の話である。




