8.心配されて
ユリシーズが去った直後に、サイラスはレベッカに目線を戻すと、何かに気づいたようにぴくりと眉を動かす。
「執務室へいこう」
「きゃあっ!?」
言葉と同時にさっとレベッカの身体を横向きに抱き上げて、サイラスは歩き出した。思わず叫んだレベッカのことなどおかまいなしだ。
「あの、サイラス様! だめです、こんな……!」
「震えているんだから大人しく僕に運ばれてくれないか」
(気づかなかった)
腕から逃れようとしていたレベッカは、少しだけ怒ったように言われて、ぴたりと止まる。平気だと思っていたのに、やはり人に囲まれてよってたかっての暴言を浴びせられるのは自分が思うよりも堪えていたのだろう。
「……ありがとうございます」
王太子の腕に運ばれるなんて、普通から考えたらとんでもない。そうは思うが、素直に彼に甘えて礼を言う。だが、サイラスはなんだか憮然としていた。
(煩わせたくなくてあそこにいたのに、結局余計に迷惑をかけてしまったわ……)
グレンダが近くに来る前に断ってくると言えば彼が気を回すと思って、用事を済ませてくると言って執務室を出たが、それがかえって彼に心配をかけたのだろう。反省するが、彼がかけつけてくれたのが嬉しかったのも事実だ。
(ううん、私のことよりも)
「サイラス様、私が魔女だってことを侯爵令嬢に言ってもよかったんですか?」
「構わないよ。少し脅しをかけないとエマーソン侯爵令嬢はいつまでも諦めないだろう? それに……」
そう言いかけたところで、サイラスは眉をひそめた。
「令嬢のことより、君だ」
「?」
続きを待って彼の顔を見つめると、サイラスが大げさにため息を吐いた。
「どうして言い返したり、身分を明かさなかったんだ。 そうすれば君が叩かれることもなかっただろう」
もとはといえばレベッカがメイドのふりをしていたのはカモフラージュのためだったのだ。レベッカが自分勝手に身分を明かすことはできないだろう。だがそうしてでも自分を守れというサイラスの言い分は、まるでレベッカが傷つくこと自体を怒っているようではないか。
(勘違いしそうだわ)
きゅうっと胸が詰まって、レベッカは思わず目をそらす。彼は女性嫌いとは言っても、もともと義理堅く、身内に優しいだけなのだ。恋人だった時のように自分を気遣ってくれているのだと勘違いしてはいけないとレベッカは思いなおす。
「私が下手に動けば、エマーソン侯爵令嬢に警戒されるでしょう?」
グレンダに警戒されるのは得策ではないだろう。というのも、グレンダは事件の容疑者の一人なのだ。彼女の今までの行動を鑑みるに、ずいぶんときな臭い。サイラスが倒れたときにそばにいたこと、偽の恋人として王城に通うようになったこともだが、過去の二件の令嬢襲撃事件もである。目撃者こそいないものの、二人とも事前にグレンダと揉めていたことがわかっていた。だからこそ、グレンダにレベッカが警戒されずにぼろを出すのを待っていたほうがよかったのだろうが、レベッカが魔女だと知れた以上、彼女はうかつなことはしないだろう。
(他の令嬢が襲われることを考えたら、調査をしていると伝えて警戒してもらったほうがいいのかしら)
「だとしてもだよ」
思案するレベッカを見たサイラスは、またも溜息交じりだ。
「あんなふうに囲まれて、平手打ちだけじゃすまされなかったかもしれない。もっと君は自分を大事にしたほうがいい」
「ごめんなさい……」
「君はいつも自分をないがしろにし……、っ……?」
言い募りかけたところで、サイラスが顔をしかめる。
「大丈夫ですか!? 私もう、歩けます」
「いや、問題ない。少し頭が痛んだだけだから」
慌てたレベッカに対してサイラスが首を振って、ふう、と息を吐く。レベッカを抱きあげたまま再び彼は歩き出す。
「君は僕を煩わせないためにって我慢したんだろうけれど……次こんなことがあったらきちんと身を守ること。いいね?」
「わかりました」
レべッカの意図もお見通しだったらしい。どこまでもレベッカを案じる彼に、返事をすればやっとサイラスは仄かな怒りが収まったようでほんのりと笑む。
「うん。侯爵令嬢のことだけど、どうせ彼女の周りで調べられることは尽きていた。レベッカのことがわかれば、侯爵令嬢も新しい動きを見せるかもしれないからね。ちょうどよかったよ」
「それなら……いいんですが」
どうにもサイラスに迷惑をかけてしまったようで落ち着かない。そこまで話したところで、ちょうど執務室にたどり着いた。執務デスク前の応接用ソファに降ろされて、レベッカはいつの間にか震えがおさまっているのに気づく。
「サイラス様、ありがとうございました」
彼と話していたおかげで別のことに気を取られて震えがおさまったのだろう。だが、対するサイラスは浮かない様子で、レベッカの前に跪き、彼女の顔を覗きこんできた。そんな姿勢をとられて慌てたレベッカが口を開きかけたところで、そっと頬に手を当てられ意識がそっちに奪われる。
「……つい責めるような言い方をしてしまってすまない」
「サイラス様?」
「あんなふうによってたかって囲まれて、傷ついたのは君だったろう」
まるで自分が傷つけられたかのように尋ねるサイラスに、一瞬レベッカはきょとんとする。だが、すぐに柔らかく微笑んだ。
(本当に、優しい方だわ)
「大丈夫ですよ。あんな言葉で私は傷ついたりしませんから」
さっきまで震えていたことを知っているからか、サイラスが疑わしげな目線を向ける。彼の掌はまだレベッカの頬にあてられている。腫れているほうの頬はまだじんわりと痛いが、反対に添えられた手のおかげで温かい。
レベッカはゆっくりと目を伏せてその温かさを噛みしめて、もう一度開いてサイラスに視線を合わせる。そのぬくもりだけで胸の奥のほうまで熱くなる気がした。
「本当に大丈夫なんです」
穏やかに告げたレベッカの顔をしばらくまじまじと見つめたサイラスは、やがて小さく息を吐いた。
「……君は、強いんだな」
「私は強いわけではないです。ただ……」
そっとサイラスの手に自分のものを重ねて、彼の紫色の瞳をまっすぐに見る。
「この赤い瞳を綺麗だと言ってくれた人の言葉を信じているだけなんです。誰がなんと言おうと、私は私であることを恥じる必要がないと。だから……確かに今日は少し怖かったですが、心まで傷ついたりはしません」
「……そうか」
「あ、ご、ごめんなさい……手を」
ゆっくりと話せば、きっと理解してくれたのだろう。サイラスは頷いたが、レベッカに触れていた手をやんわりと離した。それで手を重ねていたことが急に恥ずかしくなる。顔を赤くしたレベッカに、サイラスは首を振った。
「いや、僕のほうこそ許可もなく触れてすまなかった。……触れるべきでは、なかったな」
後悔の滲むような声音に、レベッカはすぐに自分の羞恥など忘れて彼が心配になる。
「どうかされました?」
「いや、その言葉を君に送った人は、君にとって大事な人なんだろう? それなのに、他の男が気軽に触れたりなんかしてよくなかったと思ってね」
「え……」
虚を突かれたレベッカの戸惑いの声に、サイラスはふいっと目をそらす。
「人を思いやって行動できる君のことを支える言葉だ。それを君に贈った人は、きっといい男なんだろう」
なんだか悔しそうに見えるのは、気のせいだろうか。まるで嫉妬でもしているかのような響きを帯びていて、一瞬引いていた頬の熱がまたのぼる。
(これを私に言ってくれたのは)
「サイラス、様……」
そっと彼に手を伸ばしかけたところで、執務室のドアががちゃっと勢いよく開いた。その音でレベッカが竦みあがって手が止まる。
「殿下、濡れタオルを持ってきました」
焦った様子のユリシーズがノックもなしに入ってきて、異様な雰囲気の二人を見て固まった。
「……うかがいも立てず、申し訳ありません。いったん外に出ますのでお話を続けていただいて」
「いや、待って。早く戻ってきてくれてよかったよ。レベッカの頬を冷やしてあげて」
何事もなかったかのようにさっと立ち上がったサイラスはそう言って、執務デスクにつく。
(私、さっき言っちゃいそうだった……)
ユリシーズが持ってきてくれたタオルを頬にあてながら、レベッカは気まずく思うのだった。




