6.新たな事件と居丈高な侯爵令嬢
凍りついた空気の中で、グレンダだけは笑顔を崩さなかった。
「まあ、わたくしのことをお忘れになってしまわれたのね。でも大丈夫です。わたくしともう一度恋をいたしましょう?」
自信満々にグレンダは手を差し出したが、それを一瞥したサイラスは王太子らしい張りつけた笑みに変わる。目の奥が笑ってない。舞踏会でレベッカに見せた顔だ。
「……エマーソン侯爵令嬢が、僕の恋人だと?」
「はい、そうですわ」
「君は何の証拠をもって恋人だっていうんだい?」
「証拠?」
とぼけた様子のグレンダは、可愛らしく首を傾げてみせる。まるでそんなもの必要ないとでもいいたげだ。
「ユリシーズ。僕はエマーソン侯爵令嬢と舞踏会よりも前に会ったことがあるかな?」
「個人的な逢瀬はありませんね。夜会では挨拶程度でしたら」
ユリシーズが短く答えたのに嘆息して、サイラスはグレンダに目線を戻す。
「だそうだから、君は僕の恋人ではないんじゃないかな?」
「わたくしと会っていることを隠しておりましたもの、護衛騎士の方は知りようもありませんわ」
ふてぶてしい回答に、サイラスの笑みが消える。
「へえ? じゃあ、舞踏会の夜に君を婚約者に指名すると言ったの? 僕が?」
呆れた心情を隠しもせず、サイラスは言外に『ありえない』と滲ませる。だが、対するグレンダも負けていない。
「ええ、そうですわ」
いくら否定されても認めようとしない構えである。
「なら、婚約の証に何かを渡しているはずだよ。それがなければ信用できない」
「え」
「応接室に行くまでもない。申し訳ないけれど、僕はまだ執務中でね」
「サイラス様」
「これで失礼するよ」
しつこく食い下がろうとするグレンダをすげなくあしらい、サイラスはつい今出てきたばかりの執務室のドアに手をかける。そこで後ろに控えていたレベッカに目を向けた。
「レベッカ、悪いけれどエマーソン侯爵令嬢を外まで送ってくれるかな」
「かしこまりました」
「そんな、サイラス様」
そう言って、サイラスは執務室に入ってしまう。そのドアに追いすがろうとしたグレンダの前に、ユリシーズが立ちはだかった。
「申し訳ありません、公爵令嬢。殿下の命です。ここを通すわけにはまいりません」
「……っまた来ますわ!」
「お帰りをご案内いたします」
「お前が指図しないで!」
そう言いながらもこの日グレンダは帰っていった。そして宣言通り、この後何度も彼女はやってくるようになったのである。
*
グレンダが執務室に押し掛けるようになってもう何日目だろうか。そのたびにサイラスはすげなく彼女の訪問を断り、レベッカが対応することが増えた。本当はサイラスが相手をしたほうがいいのだろうが、最初の訪問以来、彼はグレンダに会っていない。
というのも、グレンダが訪ねてきた日の翌日、事件が起きたからだ。
「令嬢が襲われた?」
とある男爵令嬢が乗った馬車が、横転する事故が起きたらしい。幸いにも男爵令嬢は軽い怪我で済んだようだが、問題は彼女が『偽の恋人』の一人だったことである。
「馬車には『身の程知らず』と書かれた紙が貼られていたそうです」
「……僕の恋人を名乗ろうとしていたから、誰かから警告を受けた、ということかな」
報告をしたのは、サイラスが抱えている諜報員の一人である。こんな事件が起きては、いよいよサイラスの記憶喪失は事件みを帯びてくる。
「名乗りをあげた他の令嬢にも一応注意喚起をしておいたほうがいいね。それから、しばらく特定の誰かに会わないほうがいいかもしれない」
そう言って、サイラスは一旦、令嬢たちの面会申請を、グレンダを含めて全て断ることにしたのだ。調査は進めねばならないが、人命に関わるなら看過できない。だが、その決定をして数日後すぐに、二人目の被害者が出た。
「よくない状況だね」
二人目の令嬢は、王城にやってきたところで階段から突き落とされたらしい。ちょうど人通りのない場所で、なぜか目撃者がいなかったのだという。犯人を探す方向で調査を進めているが、被害に遭った令嬢も含めて目撃者がいないから手がかりに乏しい。
そんな中でもグレンダはめげずに毎日、サイラスを訪ねてくるのだ。二件目の事件が起きてしまっては、危険性が高すぎる。
「レベッカ、今日はもしエマーソン侯爵令嬢が来ても、取次自体を断ってくれるかい?」
「わかりました」
今までは建前上、一応サイラスにうかがいを立てるようにしていた。だが、今日に限ってはそれさえ断ってほしいと言われたのだ。もちろん、王城の警備する騎士にも通達してあるが、連日グレンダは身分を振りかざしてをれを突破してきていた。そもそも王命で無用な出入りを禁止しているのだが、エマーソン家は王城勤めの者もいる。家族への用事だなんだと理由をつけて押しかけてきており、なかなか取り締まれていない状況だった。
(今日は執務室前じゃなくて、棟の入り口で待っていたほうがいいかもしれないわ)
執務室の近くでグレンダの相手をすれば、サイラスの邪魔になるだろう。そう考えての判断だったが、それがあだになった。
執務室のある棟に繋がる渡り廊下の前でレベッカが待機していると、案の定グレンダがやってきた。メイドを引き連れたグレンダは、レベッカの顔を見るなり不機嫌そうな顔になる。
「サイラス様にお会いしたいのだけど?」
連日断られているから、今日も断られるかもしれない。それはグレンダもわかっているのだろう。
「本日、王太子殿下は執務のため、誰の取次もするなと仰せです。申し訳ございませんが、門までご案内いたしますのでお帰りくださいませ」
機械的に伝えたレベッカに、かっとグレンダは顔を赤くした。
「メイド風情が偉そうに!」
ぱしん、と乾いた音が響いて視界が揺れる。一拍遅れてじんわりと頬が痛んだ感触で、やっとグレンダに平手うちされたらしいと理解した。
「なんの権限があって、一介のメイドがわたくしの歩みを阻むというの!?」
きっとこうして城の騎士たちも威圧しているのだろう。容易に想像がつく。だが、レベッカはにこりと微笑んでくりかえす。
「申し訳ございません。王太子殿下の厳命でございます。今日はどなたも通すなと」
「……っ!」
ぱしん、とまたも平手打ちされた。同じところを叩かれてはさすがに痛い。
(どうしたら帰ってくれるのかしら。いつもは聞こえるように伺いを立てているから一応納得してくれるけれど……)
頬に手を当てて黙っていると、レベッカがショックを受けたとでも思ったのか、ほんのりと満足そうにした。
「いい機会だわ」
周囲をちらりと見て、他の者がいないのを確認したグレンダは、にっと笑む。
「お前に物の道理というものを教えてあげる。レベッカと言ったわね」
「はい」
「今すぐサイラス様のメイドをやめなさい」
素直に返事をしたのがよかったのか、グレンダは楽しそうに続ける。
「お前のような汚らわしい魔力持ちがサイラス様のおそばにいること自体が間違いなのよ」
「グレンダ様、目を合わせたらいけません。呪われるかもしれませんわ」
「真っ赤な瞳ですもの。おお怖い」
くすくすと笑いながら、グレンダとメイドたちが口々に罵ってくる。ずいぶんと幼稚な罵倒だが、彼女らは自分たちが正しいと思っているのだろう。
(子供のころなら、泣いてたかもしれないわね)
内心で嘆息しながら、レベッカは顔に笑みをはりつける。
魔力を持っている人間は非常に珍しい。馴染みのないものは忌避されやすいものだが、特に貴族は魔力持ちの者が下賤であると思う傾向が強い。
魔法使いや魔女が、基本的に魔法薬を作るのに徹していているのもこのせいだ。人体に魔力がこめられることがわかっていても、魔力自体が忌避されているので広まらない。だから魔力を使った研究はずっとずっと進んでいなかった。
レベッカが言い返さないのをいいことに、グレンダたちはまだとうとうとありがたくもない貶し文句を並べ立てている。呪われると言いながら真正面から言ってくるのだから、大した度胸である。
(目が合っただけで呪うなんて、迷信なのに)
ただただ黙って聞き流せるのは、心に支えがあるからだろう。
「何を笑っているのよ」
「いえ」
魔力持ちだと罵ってはいるものの、どうやらレベッカのことを王城つきの魔女だとは知らないらしい。それも当然なのかもしれない。
王城つきの魔女がいることは知られているが、レベッカは魔女として表舞台に立つことがほとんどなかった。というのも先代の魔女が社交嫌いで徹底的に儀礼や式典の場に現れなかったからだ。おかげで跡を継いだレベッカも魔女として社交界に出ることはあまりなく、ワイズ伯の下で薬の調合を学んでばかりいるので、彼女の存在自体を知らない者も多かった。おまけに表に出るときにはいつもグレーのローブを目深にかぶって髪も瞳も隠しているから、顔立ちを知っている者もほとんどいないだろう。
だからこそ、レベッカがメイドとしてサイラスの傍にいることができているのだが、今回はそれが裏目に出ているといえよう。ただ赤い瞳をもって気持ちの悪い魔力持ちだと断じられているのだから。
「まったく……気持ちが悪いわね。大体最初に見たときから気に食わなかったのよ。お前、女のくせにどうしてサイラス様つきのメイドなの」
いらいらと暴言を吐き続けていたグレンダが、突然ふん、と口の端をあげた。
「ああ。お前、汚らわしい魔力持ちだものね? 魔女の惚れ薬でも使ってサイラス様に取り入ったの? そうよねきっと。早くお前を更迭させなきゃ。いいえ、罪を明らかにして処刑しなくてはね。醜い魔女なんだもの」
これ以上聞いていても話は堂々巡りだ。
(そろそろお茶の時間だわ)
きりあげようとレベッカは頭を下げた。
「お怒りはもっともですが、今日、王太子殿下にお会いすることはできません。どうぞご容赦ください」
「わたくしの話を聞いているの!?」
どこまでも静かなレベッカのセリフに、グレンダの顔が真っ赤になった。
「この、醜い魔女が……っ!」
ぱっと勢いよくグレンダが手を振り上げる。そこでぴたりとグレンダの手が止まった。
「そこまでだよ」
第三者の男性の声が、割って入ったからだった。




