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忘れさられた婚約者~記憶をなくした王子様は最愛の薬師令嬢に惚れ直す~  作者: かべうち右近


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5.偽の恋人

「レベッカ殿」


 ワゴンを片付けようとしたレベッカになぜかユリシーズがついてきた。


(護衛は?)


 そうは思ったものの、彼は少し話をしたらすぐに戻るつもりらしい。ドアの前で立ちどまって、あたりを見回してから小声で話し始めた。


「本当にいいのか。殿下に貴女のことを言わなくて」


 ユリシーズの顔は気づかわしげだ。レベッカが真実を言い出さないから、ユリシーズも空気を読んで話を合わせてくれていたのだろう。さっきは何やら二人の仲を進めようとでもしているのか、後押しをしてはいたが。とはいえ、一度レベッカの意志を確認しようと出てきてくれたらしい。彼は常にサイラスの傍にいるからレベッカと話す機会がほとんどないから、今になったのだろう。そんなユリシーズに対し、レベッカは首を横に振る。


「ユリシーズはサイラス様から、『恋人を言わないように』とでも言われているんじゃないの?」

「それは、そうだが……」

「やっぱり」


 言い当てればユリシーズは困ったように眉尻を下げる。サイラスがユリシーズに恋人の名前を聞かない明確な理由はわからない。だがレベッカは聞く必要もないと思っている。大事なのは彼の気持ちである。


(やっぱり迷惑になるってはっきりしたわ)


 サイラスが知りたくないと思っている以上、後回しにせねばならないだろう。


「今のサイラス様は命を狙われているかもしれない状況だもの。記憶にない恋人だって名乗ったって、邪魔になるだけだわ」

「レベッカ殿……」


 顔を曇らせたレベッカに、ユリシーズが気遣わしげにつぶやく。


「ごめんなさい、ユリシーズ。こんなこと言われても困るわよね」


 謝ってから、レベッカはすぐに暗かった表情を明るい笑顔に切り替える。心から笑えるわけでなくとも、笑みは彼女の心を明るくしてくれるから。それはレベッカが子供の頃からずっと心に留めていることだ。


「でも本当に弱音を吐いてる場合じゃないもの。私はサイラス様のためにできることをやらなくちゃ」


 ぐっと拳を握ってそんなことを言いつつも、ティーポットの中はまだ淹れたてのお茶が入っていてサイラスから逃げ出してきたばかりなのを思い出し、レベッカは自分で笑ってしまう。


(ちぐはぐね)


 だがそんな空元気でも、ユリシーズは騙されてくれることにしたらしい。


「わかった。無理はするなよ」


 苦笑したユリシーズがそう言って、執務室へと戻っていく。それを見届けてから、レベッカはティーワゴンを押して一度厨房に向かう。


(お茶を淹れなおしたら少し落ち着いたわ)


 今のレベッカは、魔女としてサイラスの傍にいるに過ぎない。名前を呼ばれたからと言って舞い上がっている場合ではないのだ。今度は薬草の入ってないお茶を準備したレベッカは、執務室に戻る道すがら、考えをまとめる。


(疲労回復の薬草が劇的に効くわけじゃないなら、やっぱり忘れ薬は関係なさそうだわ)


 魔女の妙薬の効果が出ている状態で他の効能の強い薬草を摂取すれば、副作用が出ることがある。疲労回復の薬草は本来他の薬草との飲み合わせを避けるべきものはないが、忘れ薬だけは別だった。異常に眠くなるのだ。それだけといえばそれだけだが、薬の特定には役立つ。


(あとはすぐに確認できるのは、惚れ薬か、自白剤か……)


 禁じられた薬物ならば、特定はもう少し難しくなる。慎重に進めねばならないだろう。そう考えたところで、廊下の先にメイドを引き連れた集団を見つけた。


(どなたかしら?)


 おそらく外部からの客人だろうが、このあたりはサイラスの執務室があるため、通さないはずである。そう思いながら歩を進めていると、集団の中央の女性がぱっとレベッカのほうを向いた。


「あら、そこのお前。気がきくじゃない」


 唐突に話しかけられて何のことかときょとんとする。メイドを引き連れているのは、黒い髪に黒い瞳の綺麗な女性だ。きらびやかなドレスを身にまとっているあたり、おそらく貴族令嬢だろう。彼女のことは見覚えがあった。


「サイラス様のところにわたくしが行くと聞いてそのお茶を用意したのでしょう? いいわ、お前に案内されてあげる」


(どういうこと?)


 居丈高な態度にますますレベッカはきょとんとしてしまう。サイラスのためのお茶をこの令嬢のために用意したと言いたいらしい。そう主張したいのは理解できるが、そもそも来客など聞いていないのだ。そのまま行ってしまおうかとも思ったが、サイラスの名前を出されては無視もできないだろう。


「失礼ですが、王太子殿下は本日来客の予定がないと聞いております。どなたかにお約束されてらっしゃいますか?」

「まあ! あなた失礼ね! グレンダ様になんて口のきき方なの?」

「いいのよ、約束がないのは事実だもの」


 色めきだったメイドに、黒髪の令嬢――グレンダは制止をかける。


(約束がないならお帰りいただいたほうがいいけど……でも)


 眉をひそめながらレベッカは考える。グレンダはあの舞踏会の日、倒れたサイラスの傍に立っていた令嬢だ。このまま帰らせていいものかと迷う。それに、グレンダという名前と、王城にあがることを許されていることから、レベッカは彼女の身分に見当がついた。


「エマーソン侯爵令嬢、申し訳ございません」


 身分を正しく言い当てたからか、謝罪されたからか、グレンダは満足そうにする。侯爵令嬢を事情も聞かずに追い払うわけにはいくまい。


 グレンダがあの舞踏会にいたことにレベッカは気づいたが、グレンダのほうはサイラスを介抱した薬師だとは気づいていないようだ。あの時はドレス姿、今はメイドのお仕着せで髪を隠している。おまけに舞踏会ではサイラスに目を向けていて伏し目がちだったので、目の色までは見られておらず、わからないのかもしれない。


「約束のない方は執務室に入れるなと厳命されております」


 それは今日言われたわけではないが、以前聞いた話である。来客がある場合には必ず応接室に通して、執務室は集中して作業するために、メイドと護衛騎士以外の執務に直接関係しない者は入れないのだという。執務室に直接行こうとしている時点で、グレンダは招かれざる客だ。


「でもこうお伝えしたら必ずお会いしてくださるはずよ」

「?」

「サイラス様の恋人がきた、と」


 自信たっぷりに言い放った彼女に、思わずレベッカは絶句する。


(偽の恋人が名乗りをあげるとは聞いていたけれど……この方もなの?)


 確かに舞踏会ではサイラスが会話に応じていたのだろうし、倒れる直前まで一緒にいたとなれば恋人だという信憑性は高いだろう。だが、ほかならないレベッカはグレンダの言葉が嘘だと知っている。


「どうしたの? 何か言いなさいな」


 執務室は目と鼻の先である。どう判断すべきが迷って、すぐにさっき考えていたことを思い出す。


(……偽の恋人も、サイラス様に盛られた薬の手がかりになるんじゃないかしら)


 特に彼女はサイラスが倒れたときに一緒にいたのだから、より疑わしい。


「かしこまりました。一度殿下にエマーソン侯爵令嬢がいらっしゃった旨をお伝えしてまいります。ここで少しお待ちいただけますか?」

「いいわ、待ってあげる」


 レベッカはグレンダに一礼すると、ティーワゴンを押して執務室に戻る。背中にグレンダの視線が刺さっているのを感じながら、ドアをノックし入室許可を得て執務室に入れば、サイラスが柔和な顔で迎えてくれた。ドアをしっかりと閉めてから、レベッカはメイドらしいそぶりで会釈する。


「王太子殿下、お仕事中に申し訳ありません」

「出入りするのはかまわないよ」


 先ほど変えたばかりの呼び名を変えたことに、サイラスはすぐ気づいたのだろう。首を傾げたところで続きを促す目線を送ってきた。対するレベッカは、『恋人』という言葉を言いかけて、一瞬惑う。けれど、すぐに口を開いた。


「王太子殿下に会いたいというお客様がいらっしゃってます」

「そんな約束はないから帰って……と言いたいところだけれど、誰かな?」

「グレンダ・エマーソン侯爵令嬢が『殿下の恋人』としてお会いしたいとおっしゃっています」


 報告した途端に、柔和だったサイラスの顔が渋面になる。黙っていたのはたったの一秒程度だ。だが、重々しいため息を吐いたあとに、レベッカを見つめる。


「……君はエマーソン侯爵令嬢を、この部屋に入れろ、と?」


 ぴりっと苛立ちを孕んだ声音だ。だがレベッカはひるまない。だが、代わりに部屋の外に聞こえないようにサイラスに近寄り小声になった。


「サイラス様が舞踏会でお倒れになったとき、すぐそばにいらっしゃったのがエマーソン侯爵令嬢です。そうよね? ユリシーズ」


 ユリシーズに同意を求めれば、彼は「そうです」とすぐに応えてくれる。それでサイラスは、彼女を調べたほうがいいと思い至ったらしい。


「それは……話を聞いてみる必要がありそうだね」


 気が進まない。そうサイラスの顔に書いてあるようで、レベッカは眉尻を下げる。


「申し訳ありません。私がエマーソン侯爵令嬢をお断りできればよかったんですが……調査には必要なのではと思いまして……」

「いや、君の判断は正しいよ。だが、この部屋には入れたくないな。彼女には応接室を案内しよう」


 決裁の途中だった書類をまとめたサイラスは、そう言いながら立ち上がる。


「わかりました」

「一緒に移動しよう」


 そう言って、レベッカたちが執務室を出た、すぐのところだった。


「サイラス様……!」


 嬉しそうな声が耳に届く。もちろんグレンダだ。


「初めまして、グレンダ・エマーソン侯爵令嬢」


 彼女のことも忘れているらしい。それを隠しもしないサイラスの挨拶に、途端に空気がぴりりと凍りついた。


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