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忘れさられた婚約者~記憶をなくした王子様は最愛の薬師令嬢に惚れ直す~  作者: かべうち右近


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4.突然のメイド

「それでどうして私が殿下つきのメイドに……?」


「すまないね。調査を協力してもらうにも、秘密裏に調査を進めるには、カモフラージュが必要だから」


 サイラスの執務室で今、レベッカはいつものローブではなく、メイドのお仕着せを着ていた。メイドとして彼にお茶を出して仕事はこなすが、フリルがふんだんにあしらわれたメイド服はなんだか落ちつかない。このやりとりを、いつものようにサイラスを警護しているユリシーズは部屋の隅に立って黙って見ている。


「具体的な調査としては、僕の生活に同行して、怪しいものがなかったかどうか気を配ってみて欲しい」

「わかりました」

「そのために……ユリシーズ」


 傍に控えていた護衛騎士のユリシーズが、礼をした。


「彼はいつも僕のそばにいるから、そのつもりで」

「レベッカ殿、よろしく頼む」

「ええ、よろしくお願いいします」


 ユリシーズが砕けた物言いなのに対し、サイラスが止まる。


「……ユリシーズはアンカーソン嬢と知り合いだったのか? ……いや、そうか。そうだね。僕が忘れているだけか」

「気になさらないでください」

「改めての自己紹介は必要なかったね」


 申し訳なさそうにするサイラスに、レベッカは苦笑する。


(やっぱり優しい方ね)


 女性嫌いとはいっても、筋は通す人だ。だからこそもともと知人であるレベッカのことを忘れていることに負い目を感じているのだろう。


(気にされなくていいのに)


 これはサイラスが悪いわけではない。舞踏会のときに冷たい視線を向けられたときは確かに驚いたが、こうして言葉を交わしてくれるだけでも十分だと今のレベッカは思っているくらいなのだ。


「本当に、気にしなくて大丈夫ですよ。メイドなのもよく考えたらよかったかもしれません」


 レベッカは持ってきたティーカップに茶をそそいで、サイラスに差し出した。


「殿下にお茶をお出しするのに、困りませんから」

「ああ、そうだね」


 助け舟にほっとしたようにサイラスはティーカップを手に取る。


「うん。いい香りだ……。これはどんな効果が?」

「疲労回復の効果がある薬草入りです。……今回は最初なので、まずは薬草の味に慣れていただこうかと」

「気遣いありがとう」


 ワイズ伯との話しあいの中で、レベッカはサイラスに盛られた薬の特定を任せられた。様子を見ながら複数の薬草を試し、記憶喪失の効果が打ち消されるかどうかを試すのだ。効いた薬草がわかれば、自然と使われた薬もわかるというわけである。人体実験に近いが、薬が特定できれば出所も特定しやすくなろう。


「ユリシーズもどうぞ。砂糖は入ってないわ」

「ああ」


 サイラスに出したお茶をユリシーズに差し出すと、すぐに受け取ってくれた。そのやり取りをサイラスが片眉をあげて見る。だが何も言わずに手元のカップを口に運んだ。


「これは……おいしいな」

「口に合ってよかったです。甘いのお好きでしたもんね」

「ああ、そうか……君は、昔からの知り合いだったんだな」


 つい口走ってから、しまったとレベッカは思う。


「……殿下は、私がそばにいるのはいやではありませんか?」

「どうしてだい?」

「殿下を一方的に知っている者が近くにいるのは、気持ち悪くありませんか? それに女性が苦手でしたでしょう?」

「……ああ、それも君は知っているのか」


 申し訳なさそうに言ってから、彼は考えるようなそぶりを見せる。


「逆に聞いてもいいかな」

「なんでしょう」

「君はどうして、僕の都合を優先してくれるの?」


(王太子殿下の依頼を優先するのは普通では……?)


 そう思ったレベッカの気持ちが顔に現れていたのだろう。サイラスは気まずそうな顔になった。


「こんなことを自分で言うのはどうかと思うけれど、普通の令嬢ならここぞとばかりに自分をアピールするところだろう? 君は『恋人です』って言ったりしないの?」


 サイラスが言った途端に、背後のユリシーズがお茶を飲みかけていた手を止めてサイラスをドン引きした様子で見る。いつも仕事中は無表情で立っていることの多い彼が、表情豊かなことである。だが、レベッカはユリシーズに見せるように、首を振った。


「殿下が望んでいないのに、傍にいたってなんの意味もないと思います」


 レベッカはきっぱりと言い放つ。それに驚いた様子でサイラスはカップを持った手が止まっている。


「あと……私はここに仕事のためにいますから」


(恋心は迷惑になるだけだわ)


 自分に言い聞かせるように言うと、なんだか自分が仕事人間になったかのようだ。その断言ぶりに、サイラスはふっと息を漏らして顔を崩した。


「ふふっ君はそう思うんだね。うん、確かにそうだ」


 楽しそうに笑ったあと、サイラスはレベッカに緩めた目元を向ける。


「ワイズ伯の推薦だから、というのもあるけれどね。そう言ってくれる君だからそばにいても大丈夫だと思うんだ。僕は結構、人を見る目はあるほうだと思っているよ」


「……ありがとうございます、殿下」


 記憶を失ってからサイラスとこうして過ごすのはまだ二度目だ。だからこそ喜んではいけない。そう思うのに、ほんのりと嬉しさで胸が弾む。うっかり口元が緩んでしまい、耳が赤くなった。


「……なんだか、アンカーソン嬢を見ていると、思い出さないといけないことがあるみたいに感じてしまうな。僕は君に、何か……」

「いえ! 何もありませんよ、殿下!」


 慌てて手を振って否定する。下手に過去のことを話して、わずかに緩んだ彼の警戒を強めたくない。別に後ろ暗いことを隠しているわけではないのだが、妙に緊張する。


「そうだ、呼び方についてだが、もしかして今まで君は、僕のことを『殿下』とは呼んでなかったんじゃないかい?」

「それは……」


 言い淀んだレベッカを見て、サイラスはぱっとユリシーズを振り返る。


「ユリシーズ」

「レベッカ殿は殿下のことを『サイラス様』と呼んでましたよ」


 裏切り者である。ユリシーズの発言は、できるだけ穏便に話を進めたいと思っているレベッカに対する明確な裏切りだといえよう。


「そうか。では僕のことは『サイラス』と」

「一介のメイドが親しく呼ぶのはおかしくないでしょうか……」

「なに、君は王城つきのただ一人の魔女だからね。問題ない。それに今まで名呼びを許していた相手に殿下と呼ばせ続けるのもおかしな話だろう?」

「ですが」

「殿下のおっしゃる通りです」


 いつもはむっつりと黙りこんでいるくせに、こんなときに限ってユリシーズは返事をしてくる。


(他の人の前では殿下って呼んでいたのに)


 そもそもレベッカとサイラスは交際を隠していたから、王城内で会うことがあっても、あまり親しい様子を見せていなかった。


(どういうつもりなの、ユリシーズは)


 もちろん、彼に悪意などないのだろう。ワイズ伯と同様、サイラスに忘れられてしまったレベッカを案じているだけに違いない。だが、忘れられていることを受け入れようとしているレベッカにはなんだかその待遇が近いようで遠くてどうしていいかわからなかった。


(無理に距離を詰めたら、きっとサイラス様だって困るのに)


 この記憶喪失で一番被害をこうむっているのはサイラスなのだ。今以上に彼を煩わせたくなんかない。だがそれを今サイラスのいる前でユリシーズに言うわけにもいかないだろう。


 レベッカが困っているのを察したのか、サイラスはもう一口お茶を飲んで、ふっと微笑んだ。


「僕はこのお茶ごと君を忘れているんだ」


 それを残念そうにつぶやいて、改めてサイラスはレベッカを見つめる。


「舞踏会のときは君に冷たくしてしまってすまなかった。悪気がなかったとはいえ、古くからの知り合いに冷たくされたのはいやだったろう。君に不快な思いをさせるのは本意ではないから。どうか僕のためと思って、今までと同じ呼び方をしてほしい」


 切々と訴えるその瞳は、まだ記憶を失う前のあの甘い眼差しを思い起こさせて、胸が詰まる。もちろんそんなつもりがないこともわかっているのだが。


「……っ、わかりました。では、サイラス様……」

「うん」


 やりとりの後ろでユリシーズがほのかに満足気な顔をしている。


「ユリシーズが、アンカーソン嬢を名前で呼んでいるということは、もしかして僕も名前で呼んでいたんだろうか?」

「えっ」


 慌ててレベッカが否定しようとしたところで、またもユリシーズが頷いた。


「呼び捨てになさってましたよ」

「なるほど……僕はどうやら君とずいぶん親しかったらしい。ではこれから君のことも『レベッカ』と呼ばせてもらうよ。……いいかな?」


 その聞き方はずるい。


「大丈夫です」

「ありがとう、レベッカ」


 頷いたサイラスが名前を呼んだところで首を傾げる。


「……不思議としっくりくるような気がするね? レベッカ……」


 どう答えていいかわからず、レベッカはティーポットを取り上げた。


「それより、お茶を飲んで気分は悪くなっていませんか?」

「うん? そんなに即効性があるものなの?」


 きょとんとしてお茶に目を移したサイラスに安堵して、レベッカは頷く。


「魔女の妙薬が関連していればそういうこともあります」

「特に問題はなさそうだよ」

「わかりました! じゃあお茶がなくなったようなので、次を淹れてきますね!」


 まだカップにはたっぷりお茶が残っている。それはわかっていたものの、話を逸らす方法がわからず、レベッカはティーワゴンを押して執務室を逃げるように出たのだった。


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