3.言い出せるわけがない
(サイラス様……)
薬剤室から出てきたレベッカは、グレーのローブを頭からつま先まですっぽりとかぶっている。目深にかぶり、髪が薬剤に入らないように髪をまとめているから、サイラスからは口元しか見えない。彼からすれば、うさん臭い若い女が現れたとしか思えない状況らしく、案の定彼は顔をしかめている。
それもそのはずだろう。医師としてのワイズ伯の診察を受けるだけなら、王城の私室にワイズ伯を呼ぶだけでいいのだ。サイラスがこの家を訪れるのは、お忍びで内密な話をするためである。だからこそワイズ伯以外の人間がいたとなれば、こんな反応になるのも仕方ない。とはいえ、その反応をしているのはサイラスだけで、後ろで立っていたユリシーズは平然としている。
(やっぱり……)
冷たい紫の瞳に、レベッカの胸が痛む。このグレーのローブは、王城で過ごすときの普段着だ。当然、今まで何度もサイラスは見たことがあるはずなのだから、顔が見えずともレベッカだとわかりそうなものだ。サイラスが、レベッカを覚えてさえいれば。
「他の者に話を聞かせていたのか?」
酷く気分が悪そうに、サイラスは言う。彼からすれば盗み聞きしていたようなものだから無理もない。そんな彼の態度に、片眉をあげたのはワイズ伯だ。
「聞かせたも何も、レベッカはいつも隣の部屋におるのは当たり前……ははあ。レベッカのことをやはりすべてお忘れか」
「彼女と僕は知り合いだったのか?」
にんまりと笑うワイズ伯に驚いた顔をしたのは、サイラスである。ワイズ伯とユリシーズの顔を交互に見て、最後にレベッカにもう一度目線を向ける。その瞳から内密な話を盗み聞きした見ず知らずの女への険しさは消えたものの、未だ他人を見る色は消えない。
(わかってたつもりだけど)
舞踏会が始まる前まで甘い言葉を囁いてくれていた恋人の姿に重ならず、ぎゅうっと胸が詰まった。けれど、レベッカはあえて口元に微笑みを浮かべたままでいる。そんな二人を見比べたワイズ伯はやれやれと首を振った。
「レベッカが知り合いも何も、殿下がお忍びでここにいらっしゃるときは、レベッカがいつもお相手しておりましたのに。なんともまあ、情けない話ですなあ」
「……それは……忘れていてすまない」
謝罪はされたものの、彼の目線には申し訳なさ以上に、不審な人物を見る感情がうかがえる。他の貴族令嬢のように、自分との関係を訴える可能性のある相手だと警戒したのかもしれない。
(やっぱり、私のことを全部忘れてるんだわ)
沈む気持ちを抑えながら、レベッカはふわっと笑ってみせ、頭にかかったローブを肩におろす。途端に隠れていた濃い紫の髪があらわになり、その髪にサイラスの視線が釘付けになった。
「お気になさらないでください、サイ……王太子殿下。改めてご挨拶申し上げます。アンカーソン伯爵家が三女、レベッカ・アンカーソンです。王城つき魔女、そして薬師としてワイズ様のもとで勤めさせていただいております」
カーテシーをして、レベッカは顔をあげる。するとぽかんとしたような様子だったサイラスは、レベッカの挨拶が終わったことに気がついて眉尻を下げた。
「君は舞踏会で僕を介抱してくれた令嬢だったんだね。雰囲気が違って気づかなかったよ。あのときも今も……思い出せずすまなかった」
「いいえ、お気になさらないでください」
首を振って努めて明るくレベッカは言う。
本当は、思っていることを全て吐き出せたらどんなにいいだろう。
(言えるわけがない……)
今、サイラスの周りを取り囲む令嬢は、『嘘をついて自分が恋人だと告げる』者ばかりだ。酷い場合に
は他の貴族と口裏を合わせて関係を訴える者もいるらしい。そんな中で自分とサイラスとの関係を訴えても、彼には信じてもらえないだろう。よくて一蹴されるだけ、悪くて軽蔑されて終わりだ。サイラスとレベッカの関係についてワイズ伯とユリシーズだけは知っているから口添えをしてくれるだろうが、それでは他の偽の恋人たちと同じになる。だが、そんなことよりも、とレベッカは思う。
(今、混乱のさなかで一番つらいのは、サイラス様のはずだわ)
舞踏会の途中に急に倒れたなんて、彼の普段の健康状態からしたら考えられない。なんの事件に巻きこまれたのかもわからないのだ。
(私が負担になったりしたらいけないもの)
彼が忘れたというのなら、新しく関係を築きなおせばいい。そう心に決めたらなんだか気持ちがしゃんとして、レベッカはきゅっと拳を握った。
「私のことよりも、殿下に盛られたかもしれない薬のほうが問題です」
そう告げると、サイラスはパチパチと瞬きをした。それから少しだけほっとしたように顔を緩め、やがて「ありがとう」と呟いた。
(どうしてお礼を?)
疑問に思ったものの、ここで彼の心情を尋ねられる関係性ではない。少なくとも今の彼にとっては。
「ワイズ様のお話の続きを」
「うむ。レベッカなら記憶を捻じ曲げる薬に心当たりがあるのではないか?」
ワイズ伯に勧められて彼の隣に腰かけたレベッカに対し、サイラスは意外そうな顔になる。きっと若いレベッカがワイズ伯よりも薬に詳しいなんて、と思っているのだろう。
「はい。魔女の妙薬には覚えていたくないものを忘れてしまう……ように暗示する薬ですとか、惚れ薬、自白剤の類がありますね」
「忘れ薬か……」
「ただ、忘れ薬は『思い出を一つ消す』というようなもので、今回の殿下のように意中の女性や他の人を忘れるなんてことはないはずなんです。それに倒れるような副作用はありませんし、今回の殿下の件には当てはまらないと思います」
「ふむ?」
あえてレベッカは言わなかったが、忘れ薬は忘れたいことを強く念じながら飲むので、誰かに薬を盛られたと思われる状況には当てはまらないだろう。ワイズ伯とレベッカの会話をサイラスはじっと黙って聞いている。
「恋人をお忘れになったということですから、関係がありそうなのは惚れ薬の類ですが……それなら、殿下にどなたか想い人がいないとおかしいですから」
「想い人なんていないな」
ちらりとサイラスに目を向ければ、きっぱりと断じられた。そのサイラスの背後で、ユリシーズがぴくりと眉を動かしてちらりとレベッカに目を向けてきたが、彼女は瞼を伏せただけで応じる。
「あとは、禁じられた秘薬なども考えられますが……基本的には国内に作る技術のある者自体がいないのと、そこまでとなるとすぐにはわかりませんね。少しずつ調べていくほかないようです」
「そうなのか」
サイラスはやや落胆した様子だ。
「ただ……」
「なんだい?」
言葉を濁したレベッカに、サイラスが続きを促す。
「私が懸念しているのは殿下が魔法薬を盛られたと仮定して、その効果が変化している可能性です。魔力持ちの魔力は、魔法薬に魔力をこめるくらいしか使い道がない……というのはご存じでしょうか」
もともとのサイラスならば知っていて当然の知識だが、記憶を失っている彼には一応尋ねる。
「ああ、知っているよ。調合した薬に魔力をこめて作るんだったね」
「そうです。ですが、実のところ、魔力は何にでも魔力はこめられます。あまり知られていませんが、魔力はそのものが持つ力をほんの少し強める力があるんです」
「なるほど……? では人にもこめられる?」
レベッカの意図が分からないながらも、サイラスは頷いて尋ねてくる。
「初耳じゃが……、まあ秘匿されるのも無理もないのう」
苦笑をしたワイズ伯が口を挟んで、すぐにレベッカが話を続けるように促す。
「実は殿下が倒れられたあのとき、私が『目を覚まして』と祈った瞬間に、魔力が殿下のほうへと渡っていくのを感じました。まるで吸い込まれていくように……」
倒れたサイラスに向かって祈ったとき、確かに身体の奥から熱を感じた。あれは魔法薬を作るときの感覚と同じだった。そしてサイラスに流れこんでいった結果、彼は目覚めた。
「なんと。それでは、殿下に魔力がこめられて目覚められたと?」
驚いた顔をしているのはワイズ伯だけではない。サイラスも目を丸くしている。
「あくまで可能性ですが……。私の魔力が流れたことによって殿下の身体が強まって、薬の本来の効果からズレたのではないかと思います」
「ふぅむ……」
この会話を聞いたサイラスは難しい顔をしている。少し思案した後に惑ったように口を開いた。
「もしかしたら、記憶喪失なんかよりもっとひどい効果の薬を盛られていて、かろうじて今の状況で済んでいる、という可能性もあるのか……」
「薬の特定ができない以上、なんとも言い難いですね」
結局は可能性が増えるだけで、何もわからないということだ。
「いやはや、殿下の記憶喪失は、なんらか他者の悪意が絡んでる可能性が高いですからなあ。陛下はなんと?」
「犯人を捜すため、極秘に調査を進めてくださるそうだ」
「とはいえ、もう噂は広まっておりますからのう」
極秘と言っても、なかなか難しいだろう。サイラスもそれはわかっているらしく、重々しく頷いた。
「そもそも王城で僕に薬を盛れた人間なのだから、内部に事件を起こした人間が潜りこんでいるだろうしね。別ルートでも同時に調べたほうがよさそうだと思っているよ」
サイラスのセリフにいちいちもっともだ、とふんふん頷いてワイズ伯は、さもいいことを思いついたというように、わざとらしく手を打った。
「では、レベッカに協力させましょう」
「えっ」
「彼女を?」
ほぼ同時に声をあげたレベッカとサイラスは、一瞬顔を見合わせる。
(ワイズ様、何を考えてらっしゃるの……?)
これはこじれつつある二人を気遣う年配者のお節介、というやつなのだろうか。それを一瞬心配したが、レベッカの知る限りワイズ伯は態度はおちゃらけていてもいい加減な仕事をするタイプではない。
(でも確かにそうだわ。魔女の妙薬を使われているなら、それを解毒できるのも魔女の妙薬だけ。私がサイラス様の解毒に協力できたら、きっとそれが一番いいはず……)
今は記憶喪失しか症状がないが、魔女の妙薬には後から別の効果が出るものもある。それを考えたら日頃からレベッカが調査協力をして、彼のそばで変化を確認できれば早い対処が可能になる。
「レベッカはわしの元で調合の勉強を続ける身ですがの、先代魔女殿の後継としての知識は侮れない。通常の薬で考えられない事件ならば、レベッカはお役に立ちましょう」
「……そうか。君は魔女だったな」
改めてレベッカの顔を見たサイラスは、彼女の赤い瞳をまじまじと見つめる。赤い瞳は、魔力持ちの証だ。
(今のサイラス様のそばにいるのは辛いけれど……)
彼が向ける目線は、変わらず他人に向けるものだ。今日最初に顔を合わせたときよりは柔らかいものになっているが、舞踏会の前には比べるべくもない。
(でも、そんなの関係ないわ。私にできることをしなきゃ)
サイラスのために、自分にできることをしたい。そう思い、きゅっと拳を握ったレベッカは声をあげる。
「私からもお願いします。魔女の妙薬のことならきっと、お役に立てます」
魔女の妙薬について先ほど詳しく話したことで、魔女の知識として申し分ないと思ってくれたのだろうか。サイラスは強く頷いた。
「ワイズ伯の信任厚い魔女殿なら、ぜひ協力をお願いしたい。いいだろうか?」
サイラスがレベッカにお願いしてくる。こうなっては断るべくもない。
「私にできることなら、任せてください」
こうして、レベッカは恋人であることを隠したまま、サイラスの記憶喪失の原因を探る手伝いをすることになったのだった。




