27.溢れる想い
それからレベッカは何度か目覚めては再び眠るのを何度かくりかえした。起きたときにはサイラスがいることもあったが、一度目覚めたことで安心したのだろう。執務のある彼は席を外していることが多かった。
疲労ゆえかあまり意識ははっきりしていないが、目覚めたときには恭しい態度のメイドから世話を受けて軽食を取ったり、身体を清めたり着替えたりして時間が過ぎていっていた。次に目覚めたのはカーテンが閉められる音が聞こえたせいだ。おずおずと起き上がって部屋を見回すと、ランプで薄暗く部屋が照らされているのに気づく。もう夜になったらしい。サイラスは室内のソファに横になっていた。
(もしかして一日中寝ちゃった?)
記憶がおぼろげだが、夜中に目覚めたことはないので、二日も三日も経過したわけではないのだろう。
「お目覚めですか?」
小声で話しかけてきたのは、カーテンを閉めていたメイドだった。サイドチェストにランプを置いて、ベッドにいるレベッカを覗きこんできた。
「あ……」
「殿下はお眠りですので、どうかこのまま」
(どうしてサイラス様がソファに?)
レベッカが起きるのを待っていたのかもしれないが、それにしたって時間も遅いのだから彼ももうベッドに戻ったほうがいいだろう。
「サイラス様を、寝室にお運びしなくて大丈夫ですか?」
ちらりと目を向けて訊ねれば、メイドは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに微笑みを浮かべた。
「レベッカ様がいらっしゃるのが、殿下のベッドです」
「え……」
何を言われたのかいまひとつ理解できないでいたレベッカに対し、メイドは笑みを深めた。
「ここが殿下の寝室です。レベッカ様が救出されたあと、殿下は一番安全なお部屋を、とお命じにになられまして。殿下の権限で動かせる最上級のお部屋としてレベッカ様はここで休んでらっしゃるんですよ」
「ん……レベッカ、起きたのかい」
メイドと二人でしゃべりすぎたのだろう。ソファに横になっていたサイラスが起き上がる。
「殿下、騒がしくして申し訳ありません」
「問題ないよ」
振り返ったメイドが頭を下げれば、サイラスはなんでもないふうに言ってベッドに近づいてくる。
「お食事をお持ちいたしましょうか」
「いや、今夜はもう下がって構わない。用があれば呼ぶから」
「かしこまりました。ユリシーズ様にもそのようにお伝えいたします」
「うん、お願い」
そうやりとりすると、メイドはあっさりと部屋から出ていってしまう。
(……ここが、サイラス様の寝室?)
これでサイラスとレベッカは部屋に二人きりである。それを意識した途端にレベッカの頬が熱くなる。
(私、サイラス様のベッドでまる一日以上寝ていたの!?)
夜の寝室にふたりきり。しかも異性のベッドを占領するなど、普通の令嬢からしたら考えられない。ランプをサイドチェストに置いて行かれたので真っ暗ではないが、オレンジのぼんやりとした灯りにつつまれた空間は、より緊張を煽る。
「レベッカ」
ぎ、と音を立てて、サイラスがベッドのふちに腰かける。その手がレベッカの頬に伸びてきて、そっと触れた。
ぎゅっと目をつぶったレベッカに、ふっと息を吐いた気配を感じて、そうっと瞼を開く。
「熱は下がったようだね。よかった」
(昼も触れられたのに、変に反応しちゃった……恥ずかしい)
「……今少し熱くなったかな?」
「だ、大丈夫です! もう熱はありません!」
頬がより赤くなって熱を持ったのを指摘されて、思わず叫ぶ。
「ふふ、冗談だよ。元気になってよかった」
指先がいとおしげに頬をなぞって、サイラスが言う。その自然な触れ方に、胸がきゅうっと詰まった。
「あの……サイラス様、ごめんなさい。私、ここがサイラス様のベッドだなんて知らなくて……ずっと占領して」
「僕がここに寝かせたんだ。問題ないよ」
「そ、う……ですか」
謝ってばかりでは彼も困るだろう。それ以上返すべき言葉が思いつかず、俯いて目線を落としたところで、レベッカは自分がどんな格好をしているのかについてようやく気付く。
(待って)
サイラスのベッドの上で、レベッカはネグリジェの状態だ。異性、しかもサイラスの前で随分と無防備
な格好ではないか。
(私こんな薄着でサイラス様のベッドにいたの!?)
昼間に起きたときだって、そのままサイラスと接していたのだ。病み上がりで意識が途絶えがちだったからといって、あまりにもはしたない。着せられているのは一般的なネグリジェではあるものの、かがめば胸元が簡単に覗けそうだ。きゅっと布団を引き寄せて身体をかくしたものの、手遅れかもしれない。
(口づけまでしかしたことないのに……)
二人はスキンシップはとっても、長く清い交際を続けていたから、レベッカにこの手の免疫はない。どうしたものかと思っていると、頬に触れていたサイラスの手が離れて、彼女の手に重なった。
「……ごめん」
ぽつりと呟かれたのは、酷く後悔の滲んだ謝罪だった。
「どうして、サイラス様が謝るんですか?」
「君を守れなくて、ごめん」
驚いて顔をあげれば、眉尻の下がったサイラスと目が合った。その紫の瞳は、泣きそうに濡れ、揺れている。
「そんなの、サイラス様が責任を感じることじゃないです」
「だけど」
「サイラス様はちゃんと私を助けに来てくれました」
キャロルが誘拐をしたということはあれだってグレンダの企てだろう。だとすれば責められるべきは当然サイラスではない。安心させるように手を握り返してやれば、苦々しくサイラスは微笑んだ。
「遅くなってごめん。レベッカは自分で逃げようとしていたところだったんだろう? 倒れるくらいにたくさん薬を作っていたみたいじゃないか」
「あれは……」
指摘されて、地下室に残してきた数々の薬を思い浮かべる。確かに一日で作る量にしては多すぎたし、きっと徹夜で作業していたこともばれているのだろう。不休で薬を作り続けたのは、もちろん不安で眠れなかったのもある。だが、それ以上にもっと大事な理由があった。
「早く脱出したくて……サイラス様にどうしてももう一度会おうって、会って話をしようって思って必死だったんです」
「僕に……?」
目を瞠ったサイラスを見つめて、すぅっとレベッカは息を吸う。
「サイラス様」
片手だけで握っていた彼の手を両手で包み、レベッカは言うべき言葉を思い浮かべる。
「私、サイラス様のことが好きです」
「レベッカ」
素直に想いを口にして、レベッカはほっと微笑む。だが、レベッカはもっと話さねばならないことがある。
(もう全部、伝えたい)
「待って」
呼びかけには小さく頷いたが、レベッカは止まらなかった。
「サイラス様はエマーソン侯爵令嬢のことを恋人だと思っているかもしれませんが、私の気持ちは」
「待って、レベッカ」
ぎゅっと手を両手で握り返されて、そこでようやくレベッカは口をつぐむ。
「どうしてそうなるの。聞き捨てならないから、訂正させてほしい。レベッカ、エマーソン侯爵令嬢は恋人なんかじゃない」
「……そうなんですか……? あの、舞踏会のときにエマーソン侯爵令嬢の前で惚れ薬を飲んでたので、彼女を好きになったのかと……」
「ありえないよ!」
勢いよく否定されて、レベッカはぱちぱちとまばたきをする。いつも穏やかな彼がこんな声を荒げるのを見たのは初めてかもしれない。自分でも驚いたのだろう。サイラスは、ふー、と息を吐いてからレベッカの手を両手で握りなおすと、まっすぐに見つめてきた。
「僕が愛してるのは、レベッカだけだ」
低くて甘い声で囁かれる愛の告白。それは記憶を失う前には何度も聞いた台詞だ。聞くたびに胸を甘やかに締めつけて、心が温かくなっていたその言葉が、今は不安できゅうっと詰まる。
「……本当、ですか……?」
つい漏れ出た疑う発言に、サイラスは苦笑いをした。
「あ……っ、ご、ごめんなさい」
「信じられないのも仕方ないよ。僕はこの間まで、レベッカのことを忘れていたんだから」
「え……」
(記憶が戻られたの……?)
違う意味で再度どきりとしたレベッカは、サイラスの続きの説明を待つ。彼は一度手を離し、サイドチェストの引き出しをあけると小さな小瓶を取り出した。それは魔女印の惚れ薬である。お祭りで売られる、効果の薄いものだ。
「恰好がつかないけれど……もういまさらだ。順番がいろいろおかしくなってしまったけれど、僕の話を聞いてくれるかい?」
「はい……」
「舞踏会の日の夜、レベッカも見た通り僕はこの『気持ちを強くする惚れ薬』を飲んだ。それで僕は全てを記憶を取り戻したんだよ」
「……本当に、記憶が?」
まだ信じられないレベッカに、眉尻を下げたサイラスは再び彼女の手を握った。
「うん。……遅くなってごめん」
絞り出すように謝り、彼はレベッカの手を祈るかのように額に当てた。
「レベッカ、好きだ。記憶がないからって、君をほったらかしにしてごめん。ユリシーズに恋人が誰なのかを早く聞いて、すぐに君を守るべきだった。僕のせいで攫われるはめになって、本当に……ごめん。無事に戻ってきてくれて、ありがとう」
「サイラス様……」
彼の肩は震えている。俯いていてサイラスの顔は見えづらいが、その震えが手からも伝わってきて、レベッカはまたも胸が痛くなる。
「顔をあげてください」
そっと頬に手を添えれば、ゆるゆると顔をあげてくれた。
昼間は気づかなかったが、彼の顔は酷く憔悴している。誘拐されていたのはレベッカだが、たったの一昼夜でレベッカを助けに来てくれたのは、きっとサイラスが不眠不休で彼女の捜索をしてくれたおかげだろう。今日だって、サイラスも疲れているだろうにレベッカを休ませるためにベッドをずっと譲っていたのだ。熱を出した彼女のそばで見守っていたようだし、気が休まる暇もなかったに違いない。
偽の恋人が次々と現れていたあの状況では、真の恋人を据えるほうが難しかったかもしれない。それでも誠実に謝ってくれる彼の気持ちが嬉しい。
「サイラス様が謝られることなんて何もありませんよ」
じっと見つめて言えば、なおもサイラスは謝罪を続ける。
「記憶を失っていた間、君に冷たくすることがあっただろう。本当にごめん」
「……サイラス様は、ずっと優しかったですよ」
「そうかな」
サイラスはまだ不安そうだ。こんな彼は本当に珍しい。
(私が不安だったのと同じで、普通に過ごしてると思ってたサイラス様も、本当はずっと不安だったのかしら)
結婚を考えた恋人がいたはずなのに、それを思い出せないのは、もしかしたらもどかしい気持ちかもしれない。それを表に出さずにいたのだとしたら、不器用でいとおしい。
(新しい好きなところを見つけてしまったかも)
そう思いながら、レベッカはそっと彼の手を引き寄せて、その手に口づける。
「レベッカ?」
驚いたサイラスが声をあげる。無理もないだろう。唇を求めるのはいつも彼のほうで、今までレベッカは自分から求めたことも、進んで口づけたこともなかったのだから。それがたとえ手だったとしても、彼にとっては動揺するに十分だろう。
(私って本当にずるかったかも。サイラス様がしてくれることをずっと待ってて)
「サイラス様は、記憶がなくても優しかったです。だから、いつか記憶を取り戻してくださるんじゃないかって、勝手に期待して……ごめんなさい。私、すごくずるかったんです」
「それは……なんともかわいい期待だな」
レベッカの告白に、サイラスは毒気を抜かれたように、ほんのりと目元を緩めた。だがレベッカは首を振る。
「可愛くないです。……だから、今度はちゃんとずるくないように何度でも言いますね。サイラス様、好きです。子供のときからずっと、サイラス様のことだけが好きです」
きゅっと手を握りこんで言えば、ぽかんとしたサイラスが固まったように止まっている。だがすぐに手を握り返して、眉尻を下げて今度は彼から手に唇を落とされた。
「……うん。僕も、レベッカだけを好きだよ。何度薬で忘れさせられたとしても、何度だって君に初恋に落ちて、君だけを一生愛するから」
まるでプロポーズのような言葉だ。まっすぐに愛を囁いてくれる言葉が、今度は素直にレベッカの心に沁みた。
「嬉しいです」
はにかむとサイラスの紫の瞳と視線が絡む。こういうとき、以前なら彼から顔を近づけてきてくれていた。だが、少し照れながらもレベッカはお願いを口にする。
「あの……口づけ、してもいいですか……?」
「ふふ、もちろんだよ」
どちらからともなく唇が近づいて、二人は口づけを交わす。
寝室の壁には、オレンジのランプに照らされてできた二人の影が、一つに重なっていた。




