25.脱出劇
攫われてきてからどのくらい時間が経っただろうか。意識を奪われた時にどの程度時間が経過しているかにもとよるが、前代魔女の家に連れてこられているのなら移動時間も短いはずだ。となれば目覚めたのは夜のうちに違いない。身体に疲労は漂っていたが、キャロルが部屋から去ったあとも到底眠る気になれなかった。
部屋には外から鍵がかかっているらしいし、ドアの前には見張りの男がいるのを確認している。おまけに足首には鍵つきの足かせで鎖がついているから、脱出は困難だろう。
(逃げ出すには……見張りを無力化して、鍵を奪って……でも鍵を持っているのはキャロル……?)
ならば、キャロルと見張りを同時に無力化する必要がある。色々と策を頭の中で練りながら、レベッカは目潰しの粉薬に、睡眠薬など脱出に役立ちそうな薬を手当たり次第次第に調合していった。日の差さない部屋だから、時間の経過がわかりづらいものの、すでに二度キャロルが食事を運んできてくれているからおおよその時間はわかる。次にキャロルが来るのはきっと夕飯のときだろう。
(そのときに、キャロルと見張りを一緒に足止めできれば脱出できるかな)
夕飯がこない可能性もあるが、そこに関してはあまり心配していない。
(私に危害を加えるつもりはなさそうなのよね)
レベッカを犯罪者として仕立てあげて利用するつもりだから、倒れられては困るのだろう。もちろん抵抗が激しければ、脅されて肉体的な加害を受ける可能性もある。とはいえ、今のレベッカは粛々と薬を作っているからそれも考えづらい。
キャロルが食事を運んできてくれるたびに、彼女の足の傷の手当てをしたり少し会話を試みているが、最初にこの部屋に現れて以後はほとんど会話に応じてくれない。とはいえ、与えられる食事はきちんとしたものだし、「早く薬を作れ」と言いながらもおとなしく傷の手当てを受けてくれている。
(……傷の手当をしておいて、目潰し薬なんて使おうとしてるのは気が引けるけど……)
後遺症も残らず回復する一時的な目潰しだし、あちらはあちらでレベッカを犯罪者にしようとしているのだから脱出のためにもそこは許してほしいところである。
気は休まらないが不眠不休で薬を作り続けているおかげで、随分とたくさんの薬が作れた。もちろんコーポランディアには手を出していない。キャロルには薬の制作の進捗を確認されるたびに似た作用の薬を作るのに試作が必要なのだと誤魔化している。疑っているふうではあったが、彼女は指摘しないでいてくれていた。
(こんな薬を作り放題の状態で魔女を放置するなんて、どうかしてるわ)
精神を操る薬を作れるほどの材料が揃っているのだから、危険な薬を調合することだってできるのは簡単に想像がつきそうなものだ。とはいえ、キャロルは薬の知識などほとんどないのだろう。目の前で傷薬を調合していたときも何も疑問に思っていないようだった。魔女そのものに対する理解が浅いためにこんな体制なのかもしれない。
(調合の知識はあるようなのに、魔女に対する知識は浅い……? ちゃんとした魔女がいるわけではないの?)
考えてもわからない。
(もうそろそろキャロルが夕食を運んでくる頃かしら)
食事の間隔からいって、もうすぐ夜だ。攫われてからまる一日が経過したことになる。ドアの開閉のたびに視界に入る男は屈強で、あの守りを抜けていくことを考えると震えるが、やるしかないだろう。ドアの前に眠り香を仕掛けて見張りの男を眠らせることも考えたが、それではキャロルが来たときにすぐにバレてしまって意味がない。だから次にキャロルがきたときがチャンスだった。
喋り声が聞こえて鍵が開けられる音が聞こえてきた。
(きた)
「食事の時間よ」
やがてのほどにドアが開いたところで、レベッカが薬の瓶をキャロルにかけようとしたその瞬間に、キャロルにドンッと強く押されて部屋に押しこまれた。
「ん……っ」
よろけたレベッカは尻餅をついたが、押してきたキャロル自身もふらついている。かろうじてトレーの上の食事は落としていないようだったが。
「問題か」
小さく声を上げたレベッカに対し、見張りの男がギロリと睨みを効かせた。
「ううん、ただご飯が待ちきれなかったみたいよ。そんなにお腹空いてたの?」
軽やかにキャロルがいうと、男は不審な目を向けたがは舌打ちをしてドアを閉じた。
(どうする? 今キャロルに目潰しをかけても、見張りにはすぐに薬をかけられないかも……)
「薬の出来はどうなの?」
立ち上がったレベッカの身体をグイグイと押しながら、キャロルは部屋の中央まできて、作業台に食事のトレーを乗せる。そこで急に顔を近づけてきて、彼女は声を潜めた。
「深夜にあんたを逃がしてあげる」
「え……」
「あの見張りの男、酒癖が悪いから深夜に居眠りするのよ。あんたは寝ないで待ってて」
「キャロ……」
「全く! 早く作りなさいよね!」
急に大きな声を出したキャロルは部屋から出ていき、またすぐに鍵がかけられた。
(私を、逃がす?)
ぽかんとしたまま見送って、レベッカは固まってしまった。態度が軟化してきているとは思っていたがどうして逃がすなんて言ってくれるのだろう。不思議には思うが、夕食の時間に逃げ出すのは失敗したから、一度キャロルを信じてみるほかないだろう。
落ちつかない気持ちのまま食事をとって時間を過ごし、やがて深夜になった頃、ドアが唐突に開いた。小さなランプと鍵を持ったキャロルである。
「どうして……」
「あんた、手当したとき、あたしになんかしたでしょ」
「え……」
不機嫌そうにランプを置いて、キャロルは鍵束をちゃりちゃりとあらためる。
「ごめんなさい……さっき『おまじない』を無意識にかけてしまったの。『あなたの気持ちが楽になりますように』って……」
「! それ、前のときにもかけたでしょう!」
叫んだキャロルは、自分の声の大きさに一瞬ひるんで止まる。
「……やっぱり、あんたのせいだわ。今まで……つらくなんかなかったのに……!」
鍵をぎゅうっと握りしめたキャロルの目にじわりと涙が浮かぶ。だがぐいっと手でこすった彼女は眉間に皺を寄せて、はっと息を吐いた。
「……あたしは借りを返すだけだから」
小さい声で呟きながら、キャロルはレベッカの足かせの鍵を外してくれる。これでいくらでも逃げられるだろう。自由にはなったが、逆に不安になる。
「私を逃したりしたら、キャロルが大変な目に遭うんじゃ……」
「あんたって本当にお人好しよね。子供の時からそう」
どういうことかを尋ねる前に、手を引かれた。
「行くわよ」
「待って」
目潰しの薬と眠りの香をつかんでから、キャロルのあとをついていく。部屋の外へ出ると、ドアの前には男はいなかった。
「足音をできるだけたてないで」
囁くキャロルに頷いて、ドアのすぐ先に続く階段をそろそろとあがって地下室を抜けると、小さな部屋に出た。そこには男が酒瓶の転がるテーブルの上に突っ伏していた。大きないびきをかいているから眠りが浅いだろう。
「眠りの香を焚いておくわ」
キャロルの服をつまんで小さく囁く。飲み薬と違って効いてくるまでに時間がかかるものだが、やらないよりはましだろう。逃げるのに少しでも時間稼ぎになればいい。キャロルは返事をしなかったが待ってくれたので、テーブルの上に香を焚いておいてから、部屋を出て玄関ホールへと向かう。部屋のドアを閉じると他に人がいないのか、あるいはすでに皆寝静まっているのか、家の中は真っ暗だ。長くもない廊下を進んだところで、先導していたキャロルが急に立ち止まった。
「……うそ」
キャロルの持ったランプに照らされた先、玄関扉の近くには体格のいい男が一人立っていた。月明かりがさしているからなのか、ランプをつけていない。
(もう一人見張りがいたの!?)
ちらりとキャロルを見れば、彼女も強張った顔をしているので予想外だったのだろう。
「なんだあ……?」
男がぎょろりと睨んできた。
「なんで、魔女が部屋から出てんだ、キャロル。ああ?」
「……っ」
「おい! テッド、何サボってやがる」
ガァンッと大きな音をたてて壁を殴り、男が家の奥に向かって怒鳴る。テッドというのは居眠りしていた見張りの男だろう。
「早く逃げなさいよ!」
ずんずんと歩いてきた男の横を通り過ぎさせるようにキャロルが身体をおした。だが、男が許すはずもない。
「っごめんなさい!」
ぐわっと腕が伸びてきたのに対し、とっさに目潰しの薬をかける。
「ああああああ……っ! くそっ目が、このアマ!」
目を抑えながら腕をぶんぶんと振って、男が手当たり次第に殴ろうとしてくる。その腕が壁に当たって男は派手に転倒した。
「くそ、人が気持ちよく寝てるときに、なんの騒ぎだ」
「テッドおせえぞ!」
(早すぎて香が効いてない!)
奥から寝ていた男が現れ、不機嫌な声をあげた。眠そうな顔をしていて動きが緩慢なものの、眠りの香が充分に効いてないのは明らかだ。これで男二人に挟まれてしまったが、外に繋がるドアは幸い今なら男から離れている。ジリジリと玄関ドアへとレベッカは近づいていく。
「おい! 女を捕まえろ! キャロルもだ!」
「!」
ドアに手をかけたところで、目潰しの効いた男が叫ぶ。
「なにやってんだてめえ!」
ねぼけまなこだった男が追いかけてくるが、一歩レベッカのほうが早い。ドアをすり抜けてキャロルと共に走りだす。家の周りは林だから、近隣の住民に助けを求めることもできない。目の前に続く細い道をひたすら走って逃げるしかないだろう。
だが。
「逃がすかよ!」
「きゃあっ」
家を出たすぐそこで、キャロルが腕を取られて転倒した。
「キャロル!」
男はキャロルを引きずり起こすと羽交い絞めにしてにやぁっと笑う。
「おい、この女を助けたかったら」
「あたしを助けるわけないじゃないでしょ!」
振り返って止まったレベッカに対し、男とキャロルが口々に言う。だが、すでにレベッカの足は止まって先に進めないでいる。
(どうしよう……!?)
このままではキャロルが酷い目に遭うのは間違いない。
「……キャロルを離して」
「ならこっちにこいよ」
男の言葉に、じり、と足を動かしたレベッカを見て、キャロルは顔色を変える。
「絶対にこないで!」
「黙ってろ!」
キャロルの叫びに、苛立った男が彼女の喉元をぐぐっと締める。
「う……っ」
「そっちに行くわ!」
「あんたバカじゃないの! 人の心配ばっかり……!」
なおもキャロルが叫んだが、レベッカは一歩一歩慎重にキャロルたちのほうへと近づいていく。目潰しがまだ効いているらしい男も、よろよろと出てきたから捕まれば地下室へと逆戻りだろう。
(でも、キャロルを見捨てられない)
ぐっと唇を噛んで、もう一歩前へと出る。あと一歩前に出れば男に腕をつかまれるだろう。ちょうどそのときだった。
「……なんの音だ?」
先ほどまで騒いでいて耳に届いていなかったが、ドドっと地面を蹴って進む音が聞こえる。これは馬車ではない。
「馬の足音? なんだってこんな……クソッこっちにこい!」
「きゃあっ」
男が苛立たしげに怒鳴ってキャロルの身体を放ってレベッカに腕を伸ばしてくる。同時にレベッカがそこから逃げようと身体を翻したその刹那、林の暗がりから黒馬が踊り出た。
「……っ!」
突如として現れた馬に、レベッカは身を固めてぎゅっと目を閉じる。
「レベッカ!」
叫び声と共に現れた黒馬が、男をどかっと蹴り倒した。たまらず男の身体は地面に伏して呻く。
「うぅ……」
「なんだ!? 何が起きてる!」
未だ周囲が見えていない男が叫ぶが、続いて黒馬がその男も蹴り倒した。一瞬にして男たちが鎮圧されている。
「殿下! お待ちください……!」
一拍遅れて馬を駆って現れたのは、ユリシーズである。さらにそのあとをたいまつをもった馬が何頭か追いかけてきた。
「サイラス、様……?」
レベッカがおそるおそる瞼を開けると、そこには黒馬から降りたサイラスが、心配そうに顔を覗き込んでいるところだった。
「大丈夫?」
肩にそっと触れられた手は汗ばんで温かい。
(夢じゃない、の……?)
たった一日ぶりなのに、もうずいぶんと長い間会っていなかったように思える。肩のぬくもりは彼に会えたのだという実感をじわじわと与えてくる。
「私は……」
大丈夫です、と言おうとした声は、急な眠気で言えなかった。そのままレベッカは意識を手放したのだった。




