23.ずるさの自覚
レベッカが目覚めると、そこは薄暗い部屋の中だった。かび臭い匂いが漂っていて、なんだか息苦しい。
攫われた際に、目隠しをされて移動をさせられた。どうやら馬車に乗せられていたらしいが、途中で何かの薬をかがされて強制的に意識を奪われたため、そこからの記憶がない。ただ、この息苦しさには覚えがある。
(ここは……地下の調合室?)
王城の私室は明るい部屋を与えられていたが、先代魔女は暗い部屋を好んだため、地下の部屋に調合室を設けていた。王城つき魔女を継いだときに、先代魔女の薬はほとんど自室隣の部屋に運び込んだものの、今でも時折先代魔女の調合室に行くことがある。だから地下独特の空気は嗅ぎ慣れた匂いだ。湿気た空気と調合済みの薬が混じった香りである。
(……身体は……)
手が縛られていて、うまく動けない。頬に当たる感触からして、冷たい地面に横たえられているのだろう。なんとか身体を起こして立ち上がろうとしたところでぎくりとした。
(鎖……?)
足首に足枷がはめられていた。しかも枷の鎖は近くのデスクの足に括りつけられ、大きな錠前をはめて固定されている。ゆっくりと動けば立ち上がることはできたが、鎖が短くて部屋から出て逃げることができない。おまけにデスクが重すぎて一人で動かして鎖を外して逃げることもできそうもなかった。
そろりと視線を巡らせれば、案の定、そこは調合室らしい。薄暗い部屋の中を照らすのは、テーブルの上に置かれたランプ一つきりだ。ほの暗い灯りでも、壁一面の薬草棚や、テーブルの上に散乱した調合道具が見て取れる。道具は新しいのに、家具はやけに古びていた。見慣れたような道具が多いが、もちろん先代魔女の調合室ではないし、レベッカの部屋でもない。だが、棚に置かれている埃を被った物の配置には、やけに見覚えがある。
(もしかして、先代魔女様が昔住んでいたおうちかしら?)
王城で先代魔女の手伝いをしていたとき、棚の薬草瓶の並びにはかなりのこだわりがあった。それも名前順とかではないからレベッカは覚えるのに苦労したものだ。独特な並びのはずだが、置き方がまるっと同じである。先代は王城つきの魔女として取り立てられる前は、王都の隅で一人暮らししていたのだと聞く。それを王城つきの魔女に任命された際、王城に移り住んだのだという。もしかしたらその昔の家に連れてこられたのかもしれない。
もしそうならここを抜け出してしまいさえすれば、王都内なのだから王城に戻ることはできるだろう。とはいえ、その逃げ出し方がわからない。部屋のドアはぴったりと閉じられているうえ、レベッカはそもそもこの部屋から出ることもできない。
(身体は……?)
縛られた手首はわずかに痛むものの、それ以外の不調はなかった。強いて言えば喉が渇いているが、幸いにして乱暴なことはされていないらしい。空腹具合から考えても、レベッカが攫われてからまださほど時間が経過していないように思える。だとすれば今は深夜だろうか。
(……どうしてこんなにうっかり攫われてしまったのかしら)
小さく息を吐いて目線を落とせば、薄汚れてしまったドレスが目に入る。土汚れを払いたくとも手が自由にならなかった。
(せっかく綺麗にしていただいたのに……)
サイラスからの大切な贈り物なのに、二度も汚してしまっている。一度目はサイラスを救うためだったから悔いもないが、今回は全くの不注意である。おまけに土汚れどころか、ドレスに縫いつけられた石の一部は外れてしまっている。これはきっと、攫われる直前、ナイフを外された一瞬に抵抗したためだろう。とはいえ、男たちにかなうはずもなく、叫び声をあげる間もなく押さえつけられてしまったのだが。
(ドレスをだめにしても結局攫われちゃった……)
このドレスを着ることになったときの悪い予感。それは無視してはいけないものだったのかもしれない。
(サイラス様は、何を話されるつもりだったのかな)
今朝話した時には、サイラスが自分のことを思い出してくれたのかもしれないと思った。大事な話だから時間を取りたいと言ってくれた。内容がなんであれ、レベッカに向き合ってくれるその気持ちが今朝はとても嬉しかったのに、今は状況が変わってしまっている。
(これじゃあ話を聞くこともできないわ。どうにかして、ここを脱出しないと)
考えたところで、レベッカは再び汚れたドレスに目を落とす。
(でも、今私が戻れたとして……それでどうなるのかしら)
城で最後に見た光景が瞼の裏に焼きついて離れない。背を向けたサイラスが、グレンダの腕に支えられていて、二人が親密に見つめあう様子。
もちろん前後の会話を聞こえていないし、どうしてサイラスがあの惚れ薬を飲んだのかはわからない。しかし、攫われる直前に耳にしたのは、確かに『恋人』という言葉だった。
(サイラス様が、エマーソン侯爵令嬢のことを恋人だと思っているの……?)
そう考えた途端に、胸がぎゅうっと詰まって、苦しくなる。
(なんで)
瞬間に暗い感情が沸いて、きゅっと唇を噛んだ。
今朝、あんなにいとおしげにレベッカを見つめておいて、どうしてグレンダと見つめあっていたのか。どうして惚れ薬を飲んだのか。そんな逆恨みのような思いが自分の中に渦巻いた事実がレベッカはいやになる。
(理由なんてわかりきってるじゃない。私がサイラス様に、自分から恋人だって言わなかったからだわ)
強く噛んだ唇が痛んで、胸の痛みと一緒にレベッカを苛む。
(私ってずるい)
サイラスに偽の恋人が次々と現れたという噂を聞いたとき、最初に浮かんだのは、舞踏会の会場で向けられたサイラスの冷たい視線だった。あの時、すぐにレベッカが素直に「私が恋人です」と申し出たとして、果たして信じてもらえたかどうか。
だが、もしも本物の恋人だと名乗り出ていれば、最初はつらく当たられたとしても、サイラスならいつかは受け入れてくれただろう。なのにそうしなかったのはレベッカ自身だ。
(サイラス様を困らせたくないなんて言って、本当は……私が傷つきたくなかっただけじゃない)
幸いにして、サイラスはあのあとワイズ伯とユリシーズへの信頼で、レベッカに対して冷たくすることはなかった。態度はどんどん軟化していっていたから、レベッカはこう思っていたのだ。
(思い出してもらえれば、なんとかなるなんて)
初めて出会ったお茶会の日の思い出は、再会してしばらくサイラスに忘れられていた。あのときは一回話しただけだったし、レベッカは気にしていなかった。それでもサイラスは最初の出会いを思い出してくれて、レベッカに告白をしてくれた。二度目に忘れられたときには、たくさんの思い出があったから、忘れられただけで充分に傷ついたからそれ以上のアクションが取れなかったといえば、それも事実なのだろう。
(思い出してもらえるって、思いこんでた……)
都合よくサイラスが思い出してくれて、再びレベッカを愛してくれる。そんな楽観をしていたのではないか。記憶が戻らないまま別の人を愛してしまう可能性を考えもせず、あるいは告白して傷つくくらいならと、レベッカは楽なほうに逃げただけ。
もちろん、彼を煩わせたくないという気持ちは本心だったし、自分の感情よりもサイラスが飲まされた薬を特定したりすることのほうが重要だったのは間違いない。それでも、レベッカがサイラスの本心を確認して傷つくことから逃げていたのだって事実だ。
(本当に、私ってずるい……)
心の中でぼやくと、じわりと涙が浮かんで溢れそうになる。
惚れ薬のせいなのか、それとも本当にグレンダのことが好きなのかはわからない。
(サイラス様に限ってそんなことない、と思いたいけれど……)
少なくともグレンダに対して、彼は嫌悪感しか示していなかった。それに誠実なサイラスが他の女性が好きなのに、レベッカに触れてきたりなどしないだろう。とはいえ、レベッカがテラスに向かう前から二人が話していたのも、惚れ薬をサイラスが飲んでいたのも事実だ。
もしもグレンダが新しい恋人になるのなら、今この場から脱出してレベッカが城に戻れたとして、サイラスの心にレベッカはいないのかもしれない。ならば、戻る意味などないのではないか。そんなふうに思えてしまう。そんな想像をするだけで胸が痛い。なら、ここを脱出せず、彼の気持ちなど知らないままでいるほうが楽なのかもしれない。
(そうやってまたサイラス様から逃げるの? 状況に任せて?)
サイラスが記憶を失ったときに逃げ出したから、今後悔している。
(ううん。それだけはだめ)
だからこそ、今度は立ち向かわねばならない。
(サイラス様の気持ちはわからない。確認するのも怖い……でも、戻って聞かなきゃわからないままだわ)
噛みしめていた唇をゆるゆると離し、レベッカは息を吐く。
(今度は逃げない。サイラス様に、きちんと気持ちを伝えよう。……だから、絶対にここから脱出しなきゃ)
決意をこめてぎゅっと拳を握りしめた、その時だった。ぎぃっとドアが開いて、人が入ってきた。




