19.初恋にまた落ちる
「今日はレベッカはおりませんよ」
久々にワイズ伯の家を訪ねたサイラスに対し、彼は何も聞いていないのに先手を打ってそう言ってきた。
「……何かあったの?」
「先日起きた馬車の事故を殿下はご存じで? 騎士団の薬を西の隊舎から東の隊舎に輸送途中に、馬車が横転したんですわい。それで薬がだめになって」
王城の敷地はかなり広い。騎士団の隊舎も敷地内に含まれるが、西と東の隊舎は敷地の両端で離れていて、たくさんの荷物を運ぶとなると馬車が必要になる。
「ああ、聞いているよ。なんでもだめになった等級の薬はすぐに手配できなかったはずだろう? だけどそれが、彼女となんの関係が?」
「輸送してたのは魔女の薬でしてな。レベッカがその薬を作っとります」
「なんだって……」
その話を聞いたサイラスは、本来の目的もそこそこに、ワイズ伯の家を出ると気づいたときにはレベッカの部屋の前に立っていた。
(一体僕は何を……)
そうは思ったが、確認せずにはいられなかった。だめになった薬は特殊なため、再補填するには半年ほどかかると聞いていたものだ。それをレベッカが作っているとは。いつものようにユリシーズは後ろからついてきているが、何も言わないでいる。
ノックをすると、ガタガタと音が鳴ったかと思えば、誰何もせずにレベッカが出てきた。
「……っ殿下!?」
驚いた様子の彼女は、酷くやつれている。目の下にはうっすらとくまがあるようだった。
「どうしたんだい、体調が悪いの!?」
とっさに彼女の肩を支えたところで、レベッカが倒れそうになっているわけではないということに気づく。腕の中のレベッカは顔を赤くしていたが、ぱっとローブを目深にかぶりなおし、すっくと立って部屋の中に招き入れてくれる。
「……すごい量の薬だね」
ドアの先はすぐに調合室だった。大きなテーブルの上に、ところ狭しと薬草と調合済の薬瓶が並んでいる。今まさに作りかけのものもあるようだ。
「魔女の薬がご入用でしたか……?」
ローブのせいで表情が見えづらいが、その声すらもほんのりかすれて聞こえる。
「君が騎士団の薬を作っていると聞いてね。様子を見に来たんだ」
「あ……! 大丈夫ですよ。明日までには半分ですが数が揃いますから」
「半分だって? あれは王国内の魔女から仕入れるにも必要な量を全て集めるのに半年はかかるって話だったろう。半分なら三カ月かかるところだよ」
ぎょっとしたサイラスが言えば、レベッカは口元を笑ませた。
「はい、ですからちょっと徹夜をしてしまいましたし、ストックの分までは手が回らなかったんですが……なんとか明後日の森の害獣駆除遠征に必要な分だけは間に合うと思います」
「そのために徹夜を……?」
「薬師の作る薬では、魔女の薬の代わりにならないものもあります。薬一つで騎士の皆さんが安心して遠征できるなら……薬の調合は私が頑張るだけで事足りますから」
なんでもないふうに言うレベッカに、サイラスはため息を漏らす。確かに魔女の薬は効き目が強いし、薬師の治療薬では治らないものもあるだろう。だからと言って、ないものは仕方ない。レベッカ一人が徹夜をして身体を壊してまでその薬を作る必要はないのに。
サイラスが不機嫌だと思ったのだろう、レベッカは口を閉ざす。
「君は……一生懸命なのはいいけれど、自分をないがしろにしすぎるんじゃないかな」
「申し訳、ありません……」
「いや、責めてるんじゃないんだ。……でも、今日はもう休んでほしい」
心配だから。その言葉は言えなかったが、レベッカは「わかりました」と言ってくれた。
このときからである。レベッカが無理をしていないか、サイラスがたびたび様子を見るようになったのは。別に王太子が気に掛けるようなことではないのはその通りだろう。だが、もうその時にはきっとレベッカに惹かれていたに違いない。
いつだって控えめな態度で人を優先する癖に、自分のことはおざなりなレベッカ。地位があっても魔女だというだけで虐げられる場面だってあるのに、レベッカは決して報復なんてしないで、いつだって怪我人を優先するようなお人よし。そんな彼女を守ってもあげたかった。自分のことを優先していいと諭すと、美しい赤い瞳を瞠って照れて微笑む彼女のことが、綺麗だと思うと同時にいとおしい。
そんなことがあってから、ある日サイラスはレベッカを外に誘いだした。
「君は放っておくと、いつまでも調合をしているから。少し休憩しよう」
そう言って薔薇園への散策に誘うと、レベッカははにかんでついてきてくれた。
(本当は僕が彼女と歩きたいだけみたいだな)
体調を心配して引っ張りだしたものの、一緒に歩くのは嬉しくて、薔薇園についたサイラスは心が浮き立つのを感じていた。みずみずしく咲いた赤い薔薇は、いつかのお茶会の頃を彷彿とさせるので苦手だったが、今日はそれが不思議と不快じゃない。むしろ赤い花弁の彩りが妙に心を弾ませる理由をサイラスはわかっていてここに誘ったのだ。
「この薔薇は君の瞳みたいだ」
そう囁いた瞬間である。
(あれ、このセリフ……)
既視感があると感じたのは一瞬のことで、視界が明滅したかと思えば、消えていたはずの記憶のフタが開いた。忘れていたはずの少年の頃のお茶会の記憶である。サイラスは確かに、この薔薇園で幼かったレベッカと出会ったことがある。ぱちぱちと瞬きをして、その過去の記憶の映像と今のレベッカを見比べて、サイラスは小さく息を吐いた。
「……僕は、レベッカに同じことを言ったことがあるね? どうして忘れていたんだろう。あのとき、君に一目惚れしていたのに」
「……っ」
突然の告白に驚いたのだろう、レベッカは声にならない悲鳴をあげて、固まってしまった。
(見たことのない顔だな)
目の前でみるみるうちにレベッカの頬が赤くなっていく。
「会っていたことを忘れていてごめん。レベッカ、君は忘れてしまった僕を責めずにずっといてくれたんだね」
眉尻を下げて謝れば、まだうまく声が出ないのだろう。レベッカはふるふると首を横に振った。
「ありがとう」
「い、いえ……。あのとき一度会っただけだったの、で……」
大丈夫です、と続けたようだがもごもごと口ごもっていてその先はよく聞こえなかった。いつもしっかり話してくれるのに、こんな彼女は珍しい。気づけばレベッカは頬どころか耳まで赤い。俯きがちになって見えにくい顔も真っ赤なのだろう。
「ああ……ちゃんと謝らないといけないのに。可愛いすぎる」
「っ!?」
ぱっと顔をあげたレベッカは、思った通りに真っ赤だった。
(初恋がレベッカで、忘れていたのに結局君が気になって……レベッカはすごいな)
「レベッカ、君が好きだよ」
考えるよりも先に、想いが口をついて出ている。まっすぐに見つめると、告白の言葉を脳内で咀嚼したらしいレベッカは、やがてとろりと微笑んだ。
「私、も……好きです」
「嬉しいよ」
そっとレベッカの手を取って、甲に口づける。それから頬に口づけて、二人で見つめあってはにかんだ。
こうして、幼い頃に一度出会っていたサイラスとレベッカは時を経て交際を始めていた。婚約者候補が虐められるのは未だに続いていることもあり正式な婚約までは交際関係を周囲に隠していたものの、二人の仲はいたって順調だった。そうしてプロポーズをして、舞踏会を迎えるまでの間、穏やかな幸せをかみしめていたのだ。
だが、それらの全てのレベッカとの思い出を、舞踏会の夜にサイラスは惚れ薬によって忘れてしまった。後になって考えると、お茶会のときの記憶がサイラスから消えてレベッカを忘れていたのも、きっと魔女の惚れ薬を飲まされたせいで『レベッカに惚れた』という記憶が消えたせいだったのだろう。
おかげで、サイラスの中には婚約者候補すら作れないという意識だけが残ってしまったのだった。




