17.紫のドレスと悪い予感
王城の敷地すぐそばには、建国祭限定の出店がたくさん立ち並んでいる。その中でも人気を博しているのは、王家の紋章つきの店だ。普段はお目にかかれない王族御用達の品が並ぶとあって、人気の商品が多い。とりわけ飛ぶように売れているのは、魔女印の薬である。一年かけてレベッカがこつこつ作りためた薬を出品するほか、お祭り専用に作る惚れ薬が目玉商品である。惚れ薬に関しては、魔力をこめないおまじない程度の効果であるものの、毎年人気を博している。
「盛況ですね」
屋台の前でそう言ったのは、レベッカつきの騎士のホッジ卿である。
「こんなところまで一緒にきてもらってすみません」
「いえいえ。これも俺の仕事です」
「助かります」
販売自体は別の者があたっているので、当日のレベッカがすることはないのだが、作ったものが売れているかどうかは気になるところだった。昼すぎに屋台を覗きにホッジ卿についてききてもらい見に来たが、今日の販売分についてはほとんど売り切れていた。今年も売れ行きは上々だったようでありがたいことである。
「じゃあ城に戻りましょうか」
「もういいんですか? 城下に出られるなら一緒に行くよう、殿下におおせつかっております」
ホッジ卿の申し出にふるふると首を振って、レベッカはきゅっとローブを目深にした。
「その……今日は、支度があるので」
小さい声だったが、きちんと伝わったらしい。ホッジ卿は破顔して、「そうでしたね」と頷くと城までの護衛をしてくれる。
部屋まで送り届けてもらい、支度のために一旦ホッジ卿には部屋の外にいてもらう。時間がかかるから下がっていいと伝えたが、「お待ちしています」とホッジ卿はいつも通り護衛を続けていたらしい。着替えを済ませたレベッカが部屋から出たところでまたもホッジ卿が待ち受けていた。
「お待たせしました……」
「よくお似合いです」
「……ありがとうございます」
レベッカが今身にまとっているのは、いつものグレーのローブではなく、紫のドレスだった。実をいえば、さきほどまでもローブの下にいつもと違って化粧といつもより整えた髪を隠していた。メイドにドレスだけを着つけてもらったのだ。
「美しい方を歩かせるには、エスコートが必要でしょうが……その役は俺ではありませんからね。俺はいつも通りの護衛の位置で歩きましょう」
「ホッジ卿……!」
顔を赤らめたレベッカが声をあげると、ホッジ卿は楽しそうに微笑んだ。
「殿下が楽しみにしていらっしゃいますからね。十年以上お仕えしておりますが、殿下から女性をお誘いしているのを見るのは初めてです」
「そう……なんですね……」
サイラスの護衛としては、ユリシーズがいつも張りついているが、ホッジ卿も古くから傍に仕えている騎士である。サイラスとの逢瀬はいつもユリシーズが同行しているワイズ伯でのことが多かったから、もともとはホッジ卿との面識はなかった。幼い頃からサイラスのそばを守る、そんな大事な騎士を自分につけてくれているのだ。
「ええ、ですから必ずレベッカ様のことをお守りします」
「……ありがとうございます」
改めて頭を下げてレベッカは感謝を告げる。
「礼には及びませんよ。では、舞踏会会場までお供いたします」
「お願いします」
赤らんだ頬の熱がおさまらないままに、レベッカは歩き出す。
(本当に変じゃないかしら……)
このドレスに袖を通すのは二度目だ。例の舞踏会のときに着て、サイラスの介抱のために汚れてしまったこのドレスは、汚した責任を取る言われ、一度サイラスに回収されて綺麗に洗われて返却されている。
『紫のドレス、あれを着てきてほしい』
舞踏会で時間を欲しいと言ったサイラスは、そうねだった。どうせパーティー用のドレスなど持ち合わせていないから、舞踏会会場に入って彼の話を聞くのならこれを着るしかなかった。とはいえ、このドレスを着るのは複雑な気持ちになる。
(サイラス様は……まだ私のことを忘れていらっしゃるのに、このドレスを……?)
どういう意図なのかはわからないが、今夜呼び出されているのは悪い意味ではないのだろう。だが期待に胸が膨らむのと同時に、ほんのりと不安もよぎる。舞踏会のあの夜、喜びと緊張を胸に臨んだ場で、絶望に突き落とされたのだから。まだサイラスに惚れ薬を盛った犯人が捕まっていないこともあり、サイラスに向けられた冷たい目を思い出されて、本当に大丈夫かと勘繰ってしまう。
(ううん、心配しすぎよね)
そう思いながら、歩いているといつの間にか舞踏会の会場についていた。日はすっかり暮れて、会場のシャンデリアがきらきらと煌めいている。すでに開場から時間がたっているらしく、踊る者や会話を楽しむ者でにかなりの賑わいだ。
「それでは、俺はここでお待ちしています。会場を離れる際は必ずお声がけください」
「いつも護衛ありがとうございます」
「とんでもありません」
そう言って会場の入り口でホッジ卿と別れる。
(王主催のパーティーで会場内に護衛を連れ込むのなんて王族くらいだものね)
他の貴族も護衛を会場に連れてきている者が多いが、会場の入り口付近で彼らは待機するのが通例である。
(サイラス様は……)
約束の時間にはまだ少し早い。けれど、準備の早い彼のことだから早めに行かねば待たせてしまうだろう。来るように指定されたのは、ホールのテラスへ続くドアの中でも一番隅にあるのところだった。
会場をぐるりと見回してみたが、食事をする気にもなれない。
(先に行っていよう)
テラスの隅で月でも眺めて待とうと思い、レベッカは目的のドアへと歩みを進める。テラスへと続くドアは全て解放されており、出入りが自由になっている。一番端であれば誰の邪魔にもならないだろう。
(あれ……?)
テラスに出たところで、話し声が聞こえた。
「この髪飾りに、見覚えはありませんか?」
声の方向を見れば、黒髪の女性と、そして銀髪の男性の後ろ姿が目に入る。傍には護衛騎士の姿もあるが、ほとんど二人きりといって差し支えない。彼らはテラスの先の庭園で月明かりを浴びてたたずみ、何かを話しているようだ。とっさに柱の影に隠れたレベッカは、ちらりと再び目線を二人に向ける。
(あれは……サイラス様とユリシーズ、それから……エマーソン侯爵令嬢?)
すぐに出ていくべきかとも思ったが、グレンダが手に持っていたのはレベッカの部屋から盗まれたはずの髪飾りだった。
(まずは様子を見るべきね)
幸い三人はこちらには気づいていないようだった。この距離ならいつでも出ていくことはできるだろう。レベッカが出ていくことでこじれる話もあるかもしれない。
(でも……何の話をしているの?)
「それはレベッカの髪飾りだね? どうして君が?」
「いいえ、違います。わたくしの髪飾りをあの魔女が盗んだんですわ」
「……へえ? そうなんだ、じゃあ、もう飲むよ」
サイラスはそう言うと、手に持っていた何かをくいっとあおる。
「わたくしが真実の恋人です。あの魔女に何を言われたのか知りませんが、この髪飾りを贈ってくださり、わたくしのことを愛してくださったでしょう……?」
「……僕が、君を……愛して……?」
そんな馬鹿な、と言い出しかねない様子だったサイラスが、手に持っていたものを取り落とした。
(惚れ薬の瓶……!?)
サイラスが飲んだのは瓶の形状から判断して、どうやら屋台で今日販売していたものと同じものである。盗まれたものかもしれないが、効能は低いはずだから問題はないのかもしれない。はっとしてサイラスに目を向ければ、彼は頭をおさえてふらつく。その身体を黒髪の女性が支えた。
(サイラス様!)
思わず彼に走り寄ろうとしたレベッカの身体が、ぴたりと止まった。
「……騒がないで」
耳元に押し殺した声が囁かれた。止まったのは、後ろから口元をおさえられ、喉元にナイフがつきつけられたせいだった。この声には聞き覚えがある。
「キャロル……?」
「……っ」
聞き覚えのある声に名前を呼べば、口をおさえる手が強くなる。
(他にも人がいたなんて……)
サイラスたちの会話に動揺していたとはいえ、気づかなかったのは迂闊だった。レベッカは護身術など習っていないから、こんな状況で逃げ出せるわけがない。どうしたらいいかと考えるその間にもサイラスたちは会話を続けている。
「……思い出の中にありますでしょう? 黒髪の女性と、デートをしたことも、愛を囁いたことも……」
「まさか、君が……」
ぼんやりとした声音で、サイラスは身体を支えるグレンダを見つめる。彼の顔は見えない。だが、なぜだか胸が跳ねてレベッカは息をのむ。喉元にあてられたナイフの冷たさも、この瞬間は忘れていた。
「僕の恋人……?」
(うそ)
耳に届いた言葉が信じられず、呆然としたレベッカの視線の先で、グレンダがにやぁっと唇をゆがめて笑んだ。
「ええ、そうですわ」
(……どうして……!)
叫ぶこともできずに身体をこわばらせたレベッカに、喉元のナイフの圧が強まる。
「怪我をしたくなければ、黙ってついてきて」
まだ眼前でサイラスたちはなにごとかを話している。だが心臓の音が大きく響いてもうレベッカには聞こえなかった。ただ、キャロルが促すままに抵抗もできずに従う。そうして、テラスの隅から抜け出すようにしてキャロルによって連れ出され、待機していた男たちに取り囲まれ、レベッカは攫われたのだった。




