16.朧げな記憶の中で
レベッカの部屋にキャロルが荒らしに入ってから数日経った。レベッカは朝から、追加で作っている思い出し薬の調合をしているところだった。
あれからというもの、レベッカの部屋の前にも騎士が立って警備をすることになり、何も事件は起きていない。落ちて割れてしまった薬がたくさんあったので、調合室の片づけだけは少し大変だったが、幸いにしてレベッカには怪我がない。
(暴漢じゃなくてよかったわ)
対峙したのが、大の男だったらどんなことが起きていたかわからない。犯人のキャロルも、レベッカにバレている以上、再度盗みに入るようなこともないだろう。グレンダもより慎重になるに違いない。一点だけ気になることはあるものの、惚れ薬を手に入れたグレンダがこれ以上キャロルたちメイドに何かを命じてレベッカに手を出してくることはおそらくないだろう。
(いけない、集中しないと)
混ぜ終わった液体を薬の瓶に注ぎこんで、最後にレベッカは瞼を閉じて魔力をこめる。
「よし、できた!」
きゅっとふたをしめたレベッカは、問題なく薬ができたことに安堵の息を吐く。
調合用デスクの上には、他にも昨夜調合が終わったばかりの建国祭用の惚れ薬も並んでいる。調合室の薬瓶が割れてしまったので作り置いていた建国祭用の惚れ薬が足りなくなりそうだったが、思い出し薬の調合の合間に作ってなんとか惚れ薬の数もなんとかそろえることができた。
(サイラス様のところに持っていこう)
できた思い出し薬を手に取って、レベッカはそろりと部屋の外に出る。
「レベッカ殿、お供します」
「ホッジ卿、お願いします……」
部屋のすぐ外に待機していた背の高い壮年の騎士――ホッジ卿に話しかけられて、レベッカは素直にそれに頷いて歩き出す。
実のところ、部屋が荒らされて以後、レベッカには移動中の護衛がつけられるようになったのだ。彼女は王城内を移動しているだけにもかかわらず、である。
(騎士の一人を当てがってくださるなんて……)
王直属の騎士団から、レベッカの護衛のために人員を割いてもらっているのだ。サイラスに大丈夫だと訴えたが、『必要だよ』と押し切られている。彼の気遣いがくずぐったくも未だに申し訳なかった。
今日は建国祭の初日だから、きっとサイラスも忙しい。思い出し薬を今朝もっていくことは伝えてあるものの、手短にすまさねばならないだろう。なにしろ建国祭の初日には、王族はパレードをするし、夜には舞踏会が開かれる。時間を無駄にはできなかった。
レベッカがサイラスの執務室についたところで、ホッジ卿は礼をして執務室のドアの前に立つ。この部屋から出た後も彼は移動の護衛してくれるのだ。
レベッカはすぐに部屋には入らない。
「ユリシーズ?」
なぜか今日に限ってユリシーズが執務室の外にいたからだ。
「レベッカ殿。殿下が中でお待ちだ」
「あなたは入らないの?」
「呼ばれるまではここにいる」
そう言って、レベッカだけ先に部屋に招き入れられた。
(どうしたのかしら?)
疑問に思ったものの、サイラスを待たせるわけにはいかない。彼はいつものように執務デスクで書類に目を通しているところだった。その手を止めて、こちらを見たのでレベッカはデスクに近寄って、薬を差しだす。
「来たね。それが二本目の思い出し薬?」
「はい、さっきできました」
今日は思い出し薬の二度目の服用日だ。調合に何日もかかるおかげで今日になってしまった。ついさっき調合の終わったばかりの薬の瓶をサイラスに渡して、前回と同様に魔力をサイラスに流して仕上げ、さっそく飲んでもらう。きゅっとフタをあけたサイラスは、その薬を一息に飲んだ。
「今度はどうですか?」
「……そうだね、今すぐには……」
首を傾げたサイラスは、レベッカをじぃっと見つめながらつぶやく。やはり記憶は戻らないらしい。だが、その顔に悲壮感はない。
「この間みたいに、きっかけがあれば何か思い出せるんじゃないかな」
「きっかけ……と言いますと」
「例えば、僕がレベッカと建国祭を回ったこと、を思い出すとか」
「えっありませんよ!?」
あまりにもあったできごとのようにサイラスが言うので、驚いてレベッカは否定する。これは嘘ではない。去年の今頃にはすでに彼と交際していたが、サイラスは王族としての責務を果たしていたし、二人の関係は伏せていたから社交の場で言葉を交わしたこともほとんどないのだ。デートは数えるほどだったし、いつも政務の合間だった。
突然の話に目を白黒させていると、サイラスがその真偽を確かめようとでもしているのか、あるいは思いだそうとしているのかレベッカをまじまじと見つめてから小さく息を吐く。
「ふぅん……もしかしたらと思ったんだけど」
「もしかしたら?」
「うん」
頷いたサイラスは、瞼を伏せて記憶をたどるように言葉を紡ぐ。
「しっかりとした記憶は戻っていない。けれど、忘れかけの夢みたいにぼんやりとした記憶だけど、うっすらと思い出せることも増えてきたんだ」
座っていたサイラスが立ち上がって、そっとレベッカの頭に手を伸ばす。今日の彼女の格好はさっきまで薬の調合をしていたのと、この後はサイラスと別行動をとる関係で、グレーのローブをまとっている。その頭にかぶっていたローブをそっと降ろして、サイラスはレベッカの髪に触れて一筋すくった。
「黒っぽい髪の女性と、話しているところとか、ね」
触れられたレベッカの髪は、日にすかすと紫色だが屋内では黒に近い見た目だ。この国の貴族に、黒髪の女性はさほど多くないはずである。
(私のことを……思い出したの……?)
どきりとしたレベッカが何かを言う前に、サイラスがさらに続ける。
「例えばさ、この間一緒に素材屋に行ったときに髪飾りを買ったでしょう? 思い返してみたら同じようなことを、以前誰かとしたことがあるような気がするんだ」
それは以前デートしたときに、蔓草の髪飾りを買ってくれたときの話に違いない。だが、その話にレベッカの胸が先ほどとは別の意味で痛む。
(……あの髪飾りを今見せられたら、サイラス様に思い出してもらえたかしら)
すぐにそうできないのは、手元にないからだ。実を言えば、先日キャロルが盗んだのは惚れ薬だけではなかったらしい。荒らされた私室の中からは、あの蔓草の髪飾りが盗まれていた。グレンダがキャロルに命じた盗みのことをすぐに解決できない以上、盗まれた髪飾りについても今は手出しができない状況である。
どんな目的であれを持ち去ったのかはわからないが、悪用されないことを願うばかりだ。
「黒っぽい髪の人と。だから建国祭でレベッカに髪飾りを買ったのかなって思ったんだけど……建国祭は違ったか」
サイラスの言葉に、レベッカは息を呑む。
(証拠なんて……髪飾りなんて、なくても、もうサイラス様に言いたい……!)
きゅっと手を握ったレベッカはぱっと顔を上げる。
「あの……!」
「困らせた? ごめん。でも、僕はそれがレベッカだったらいいなと思ってる」
「それは」
レベッカが言いかけたところで、唇にやんわりとサイラスの人差し指がおしあてられた。
「待って」
眉尻を下げたサイラスが、レベッカの言葉を遮って小さく息を吐く。
「今の言い方は僕がずるかった。大事な話はちゃんとしたい」
そこまで話したところで、女性の唇に触れていることに思い至ったのだろう。「ごめん」と慌てたように手を引っこめて、彼は目元を緩めた。その彼の耳が、ほんのりと赤い。
「今日は建国祭でこのあとは予定があるだろう? だから……今夜、舞踏会のときに、レベッカの時間を僕にくれないかな」
「でも」
「そのときに、ゆっくり僕の話と……それから、君の気持ちを聞きたい。いいかな?」
紫の瞳を揺らして、熱のこもった視線が懇願してくる。だからつい、レベッカは頷いてしまった。
「わかりました……」
「ありがとう」
ぱっと顔を明るくしたサイラスは、レベッカの手に口づけを落とした。




