14.建国祭の惚れ薬
「サイラス様、お待たせしました……!」
執務室に入ったレベッカは、いつものお茶よりも先に小さな小瓶を見せる。彼と共に材料を買い出しに行ったあと、思い出し薬はほどなくして仕上げ直前の形まで出来上がったので、今日もってきたというわけだ。
「これが思い出し薬か……」
執務デスクについている彼に小瓶を手渡すと、ガラス瓶の中の液体を見たサイラスは首を傾げる。日に晒すと綺麗な青色をしていた。
「最後の仕上げの手伝いをお願いしてもいいですか?」
「そういえば、言っていたね。何をすればいいんだい?」
「私が魔力を流しますので、サイラス様には竜骨を選んだ時と同じように思い出したい事柄を念じていただいて……」
そこまで話してから、レベッカは、はた、と止まる。
「……それは、手を握ればいいのかな?」
微笑んだサイラスが、すっと手を差し出してくる。
「はい、お願いしま……」
そう言って手を握りかけたところで、はた、とレベッカは止まる。
(……あのときは集中してたけど、すこし恥ずかしい……)
サイラスが記憶を失ってからというもの、手をつないだのなんてなかったのに、レベッカは薬づくりのために集中するあまり、サイラスの手を何の気なしに握っていたのだ。恋人だった頃は彼の手に触れることなんて前回は意識しなかったが、改めてサイラスから言われると緊張してしまう。
(そういえば、前回はサイラス様に許可を得ずに魔力を流してしまったわ)
彼は特に魔女や魔力持ちに対して忌避感はない。とはいえ、魔力を流すのは通常は相手に確認を取るものだ。
「あ、あの……いまさらですが、魔力を流してもいいですか?」
「うん? もちろんいいよ」
言下の許可にほっとする。
(無意識に流しちゃってることもあるのよね……)
薬の調合は間違えないが、どうにも気分が昂ったときなどに、レベッカは魔力を流してしまうことがある。サイラスが舞踏会で倒れたときを除けば、先代魔女の元で魔力の扱い方を学んでからはそういうことはほとんどなかった。
(小さい頃は、『おまじない』って言って無意識に流しちゃったりしてたんだけど)
とは言えほぼ意味はなかったから安心していいだろう。
「レベッカ?」
「すみません。じゃあ……触りますね」
尋ねられてはっとしたレベッカは、そっと手を重ねて息を吐く。
(集中しなきゃ)
「では、しっかり思い浮かべてください」
「わかった……」
身体の奥の熱を、サイラスの手に向かって流す。するとじんわりと小瓶の中の液体が、青から赤紫へと変化した。
「……っ」
ずっと黙っていたユリシーズが、小さく息を呑む。その音に促されるように、レベッカはゆっくりと流していた魔力を止めた。
「……できました」
「これで完成?」
「はい」
そうっと手を放して、レベッカは頷く。
「では、思い出したいことを再度念じながら飲んでみていただけますか?」
「うん」
返事をしたサイラスは、小瓶のフタをあけると一気にあおって飲みこむ。ほんの一口分しかないから一瞬だ。コト、と瓶をデスクに降ろしたサイラスはぱちぱちと瞬きをする。
「どうでしょうか……?」
「……特に、変わらない……かな?」
お茶でも飲むかのように薬を飲んだ彼は、薬瓶とレベッカを見比べながらそう呟いた。いつものように部屋の隅で護衛をしているユリシーズは黙ってそれを見守っている。レベッカは薬瓶を受け取りながら、あいまいに笑って見せる。
「ゾーイ様も何度か飲まないといけないとおっしゃっていたので、日を置いてまた飲みましょう」
「そうだね」
レベッカをまじまじと見つめながらサイラスは言う。何かを思い出せると考えてそうしているのかどうかはわからないが、少し落ち着かない。
「何か変わったことがあれば教えてくださいね」
ぱっと目をそらして、レベッカは努めて穏やかに言うと、小瓶を回収してティーワゴンで持ってきていたお茶の準備をしながら内心で息を吐く。
(このあとはこれを片付けて薬瓶を揃えて……そうだわ。もうすぐ建国祭だった)
自室の薬棚を思い浮かべたところで、唐突にレベッカは思い出す。建国祭というのは、年に一度この国の建国と豊穣を祝う、穀物の収穫時期に開催される祭りである。王都に出店が多く並ぶほか、国王からのふるまい酒などもあるため、なかなかに盛り上がるものだ。
(もともと、サイラス様の婚約者選びの舞踏会が先日あったのも、この建国祭に婚約者を大々的に発表する予定だったからなのよね)
国王陛下がそう算段していたらしいが、今となってはその計画も立ち消えている。おまけに偽の恋人の襲撃事件なども起こっており、建国祭の準備もあいまって婚約者の件については今は保留になっているらしい。ほっとするような複雑な気持ちだ。
(偽の恋人の襲撃事件はあれから起こってないけれど……)
結局グレンダが襲撃されたあとは、偽の恋人が襲われる事件も起きていない。サイラスに薬を盛られた件も含めて調査は難航しているが、建国祭は問題なく開催されるだろう。
「レベッカ、どうしたの?」
いつの間にか考えごとに夢中になって手が止まっていたらしい。
「すみません、サイラス様。今日のこの後の予定を考えていて……少しぼーっとしていました」
「大丈夫? 薬の調合で疲れてるんじゃない?」
気づかわしげなサイラスの様子に、考えごとで滅入っていたレベッカの気持ちがほんのり緩む。
「疲れてるわけじゃないんです、ご心配かけてすみません。相談なんですが、午後は建国祭の準備のために、少し席を外してもいいですか?」
「王城つきの魔女は、建国祭になにかしていたっけ?」
あれ、と首を傾げたところで、サイラスがぎゅっと眉間に皺を寄せる。
「サイラス様、大丈夫ですか?」
「うん……少し、頭痛がしただけ。もう大丈夫」
やんわりと手を振ったあとに、小さく息を吐いたあとは、サイラスはもう普段通りの顔つきに戻っている。
「……薬、効果があるみたいだよ。以前、同じ話をしたような気がする」
「思い出されたんですか!?」
「殿下、記憶が!?」
レベッカの声に珍しくユリシーズが重なって声をあげる。だが、当のサイラスは困ったように首を横に振った。
「うん、でもぼんやりとそんなことを誰かと話したかもしれない、程度かな?」
「あ……やはり少しずつですね……」
「レベッカ殿の薬が効くとわかっただけでもよかったです」
「そうだね」
ほんのりと落胆しかけたレベッカを励ますように、ユリシーズとサイラスが言葉を添えてくれる。確かに効いているとわかっただけいいだろう。この調子でいけば、何回か飲んでいるうちに暗示が解けていくに違いない。レベッカが頷くと、サイラスはほっとしたように続ける。
「話を戻そうか。レベッカは建国祭に何をするの?」
「魔女印の惚れ薬を販売するんです」
「惚れ薬!?」
ぎょっとしたサイラスに、思わずレベッカはくすくすと笑う。
(前に話したときと同じ反応をされてるわ)
どうやらユリシーズも同じことを思ったらしい、声をあげないながらも、ほんのりと口元を笑ませている。
「ユリシーズ、笑うな。レベッカ、惚れ薬なんてそんな気軽に売っていいの?」
むっとしたサイラスが一言でユリシーズに釘を刺して、レベッカに向き直った。
「惚れ薬と言っても、建国祭で販売するものはおまじない程度の効果しかないんです。サイラス様が飲まされた可能性の高い惚れ薬は、秘薬の類ですね。建国祭のものは、魔女の印をつけはするんですが、調合のときに魔力をこめたりもしないんですよ」
「でも効果自体はあるんだろう?」
サイラスは酷く懐疑的だ。
「ええ。飲ませられても、もともと相手が好きならその人への気持ちがちょっぴり強まる程度……それも半日程度できれるくらいのものです」
実に効果の薄い薬である。それならば、市販の媚薬のほうがよっぽど強いだろう。だが、売るものは所詮、祭りのお遊びのアイテムである。魔女印がついていれば縁起がいいと喜ぶ人も多いし、普段身近でない魔女の存在を国民に知らせる目的もある。魔力を用いずに調合する薬だから、本来は薬師でも作れるものだ。その製法が魔女にしか伝えられていないだけで。
「なるほど……。あれ、でももしなんとも思ってない人に飲ませたらどうなるの?」
「ない気持ちは育ちませんから……特に変化はありませんよ」
建国祭用の惚れ薬を先代魔女に教わったとき、そのようにレベッカは聞いている。あくまで両想いの者同士がつかってはじめて役に立つものなのだと。
「ふぅん。好きな人にしか効かないなんて、本当におまじない程度だね。ああでも、ほんのちょっと、勇気を出すのには役立ちそうだけど」
「ふふ、そうみたいです。建国祭で魔女印の惚れ薬を渡して告白するのは、例年のお決まりのイベントだそうですよ」
目の前で惚れ薬を飲んで、気持ちは確かなものなのだといって想いを確かめあうのだ。それを聞いたサイラスは初めて聞いたようなそぶりで「へぇ」と続けて声をあげる。
「建国祭でそんな風習があるなんて知らなかったな」
「サイラス様は、この時期ずっと内部の取り仕切りに忙しいですし、お祭りもほとんど街には降りられませんもんね」
「うん、だけどたまには遊んでみたいものだね。魔女印の惚れ薬も面白そうだし」
今までだって参加しようと思えば、少しくらい時間を作って祭りに行けたところを、行ってなかったのはサイラス自身だ。特に祭りに興味もなかったくせに、サイラスはそんなことを言う。
「……殿下、それはさすがに……」
サイラスが飲まされたであろうものとは別の薬ではあるものの、惚れ薬が面白そうだとはなんて言い草だ。不謹慎すぎる。偽の恋人などで迷惑をこうむっているのはサイラス自身だろうに。あんまりな物言いにユリシーズがたしなめたが、サイラスは悪戯っぽく笑う。
「ちょっと試してみたいじゃないか」
そう言いながらサイラスはレベッカの顔をちらりと見てきた。
(まるで私に飲ませたいみたいに……)
近頃のサイラスは、こういう悪戯が多い。おかげで心臓がもたない。
「……とにかく、午後は惚れ薬の調剤のために、お時間をいただきますね」
「うん、わかったよ」
どう答えていいかわからなかったレベッカはひとまずそうとだけ伝えて、執務室を辞する。
そうして自室に戻ったレベッカに待っていたのは、何者かに荒らされた酷い有様の部屋だった。




