13.魔女の素材屋
王都の華やかな街並みを歩いて進んだ先にたどりついたのは、大きな建物に囲まれた中で一軒だけ低く、ずいぶんと古めかしい店だった。この店は、魔女が営む素材屋である。戸をそっと押して中に入ると、薬草などの素材の独特な臭いが鼻を刺激する。それも窓が小さく薄暗い店内に、所せましと薬草や生薬が並べられているせいだろう。中には動物の肝や何に使うのかわからないものまでさまざまだ。一番奥にはカウンターがあって、老女が一人座っている。それが店主の魔女だ。今はそのカウンターの手前に、もう一人誰かが立っていた。
(先客かしら、珍しい)
この店はいつでも客が少ないから、他の客と鉢合わせになることは珍しい。サイラスと共に足を踏み入れたものの、順番を待とうとしたところで、怒声が響いた。
「あんたは全くしつこいね! 本人が来なきゃわたしゃ売らないよ」
「っ」
フードを目深にかぶった女性が店主になじられている。この素材屋は魔女の店だ。あとじさった女性が弾かれたように振り向いて突然走り出した。
どうやら女性はレベッカたちが入ってきたのに気づかなかったらしい。勢いよくレベッカにぶつかって、尻餅をついた。対するレベッカは後ろにいたサイラスに支えられたおかげで転ばずに済む。だが、代わりに頭を大きく揺すぶられたせいで髪飾りがカシャンっと音を立てて、落ちてしまった。
「……っ!」
かなり痛かったのだろう。声にならない悲鳴を上げた女性は、うずくまったままだ。
「すみません、サイラス様。……大丈夫ですか?」
しっかりと支えてくれたサイラスに謝罪してから、レベッカはすぐに女性に目線を戻して、手を差し伸べる。「ありがとう」と力なく呟きながら、女性は素直に手をつかんできたが、彼女の手元を見たレベッカは顔色を変えた。
「ああ、大変。血が出てるわ」
立ち上がったところで、女性がぱっと顔をあげた。転んだせいもあって、さっきまで目深にかぶっていたフードがずれて顔が露わになる。恰好からして女性なのはわかっていたが、魔女の店に来るにしてはずいぶんと若く、茶色い瞳に赤い髪のごく普通の女性だった。レベッカの顔を見た彼女は驚いたように目を見開いている。
「っ、大丈夫ですから!」
ハンカチを取り出そうとしたところで、女性は慌てたように声をあげて、手を引いた。
(あら、この方……?)
どこかで見たことのあるような顔立ちだが、それが誰なのか思い出せない。
「失礼します!」
酷く驚いたような様子の女性は、ずれたフードを目深にかぶりなおして、ばたばたと素材屋を走って逃げていってしまった。
(どなただったかしら……?)
思い出せないままに出ていった彼女を見送ったところで、カウンターがコンコンと叩かれる音が響く。店主の魔女だ。
「おやおや、まぁた誰かが来たかと思えばレベッカかい。ずいぶん久しぶりじゃあないか」
ついさっき赤髪の女性にかけたのとはうってかわって、穏やかな声をかけてきた。オレンジがかった赤い瞳が印象的な老女である。彼女がレベッカに対し柔和なのは、先代の王城つき魔女の頃から世話になっているからだろう。レベッカはカウンターに近づいて会釈した。
「ゾーイ様、ご無沙汰しております」
「ひひひ、もっと遊びにおいでよ。ここで店をやってるだけじゃあ暇で仕方ないからねえ」
「さっきのお客さんは?」
「ああ。あの子はだめだよ、魔女じゃない」
さっきの女性は茶色い瞳だったからそうなのだろう。
「頼まれて素材を買いに来てるらしいがね。そもそもあの子に頼んでるって令嬢も、正式な魔女じゃない。売るのを断ったら、あの子を寄越すようになってねえ。迷惑な話だよ」
つまり、ここは魔女が魔女にしか素材を売らない店なのだ。それは魔女以外の者が扱うには危険な素材も多く取り扱っているからなのだろう。
(令嬢のお使い……? さっきの方、貴族っぽかったけど、断って大丈夫なのかしら……)
少し心配になるが、この魔女――ゾーイは古くからここで店を営んでいるから、問題ないのだろう。
「それよりレベッカ。今日はお客さんをお連れだね?」
ちらっと後ろのサイラスに目をやったゾーイが品定めするように目を細める。その表情は、『魔女以外はお断りだって、あんたも知っているだろう?』とでも言いたげだ。
「はい。思い出し薬を調合するのに、竜骨が必要なんです」
「お初にお目にかかる。魔女殿の素材を分けてもらいたくレベッカに同行させてもらった。どうか、素材を譲ってくれないだろうか」
レベッカが説明すると、それまで黙っていたサイラスが会釈して言葉を添える。すると二人の顔を見比べたゾーイが頷いた。
「ははあ……。なら仕方ないね。いいよ、こっちにおいで」
「はい」
「世話になる」
カウンターから立ち上がったゾーイは手招きをしてさらにカウンターの奥へと導くのに従って、二人はついて歩く。店からは死角になっている扉を開くと、その先はまた部屋だ。だが、扉一枚経ただけで薄暗かった店内に比べて、ずいぶんと明るい。
大きい窓があるとはいえ、背の高い建物に囲まれているから日がささないと思いきや、裏庭に面しているおかげで明るいのだろう。
戸棚から小さい木箱をいくつか取り出したゾーイは、その箱の中に小さな瓶がたくさん入っているのを見せてくれた。
「どの竜骨がいいんだい? ここから、お選び」
瓶の中には白い粉末状になったものから、小さな小骨の形をしているもの、黒い小石のように砕けた塊が詰まったものなど、いくつもある。
「これが竜の骨……?」
「ああ、違うんです。本当の竜ではなくて……いろいろな動物の骨なんです、これは」
この世界に竜などいない。だからこそサイラスはいぶかしむ顔をしたのだろう。慌ててレベッカが説明するとサイラスは納得したようだ。
「魔女がいるくらいだから、僕の知らない場所に竜くらいいるのかと思っていたよ」
「面白いことを言う兄さんだ。魔女はいるが、さすがに竜はいないねえ」
ひひっと笑ったゾーイが小瓶を指さす。
「思い出し薬は兄さんが飲むんだね?」
「ああ……どうやら魔女の薬で記憶をなくしてるらしくて」
サイラスが答えれば、ゾーイは顔をしかめた。
「魔女の薬で失った記憶を魔女の薬で戻すのかい? 下手すりゃ別の記憶が飛ぶってのはレベッカだって知ってるだろう。忘れ薬でも飲んだならいいんだろうがねえ」
「実はどの薬を使われたのかがわからなくて……強力な暗示がかかっていると思うので、それを解きたいんです」
レベッカが困ったように説明する。ゾーイは「ふむ」と声を漏らすと再びサイラスに目を向けた。
「あんた、何の記憶を失ってるんだい?」
「……意中の女性と、それから何人かの女性の記憶を失っています」
「ははあ……そりゃあ惚れ薬だね」
「えっ」
「なに」
あっさりと言われて、レベッカとサイラスが同時に声をあげる。
「おや、レベッカは知らなかったかい?」
「はい……」
「こんなことは口伝だからねえ。先代は基礎を叩きこんだって言ってたが、学ぶにはちと時間が足りなかったんさね」
得心したように頷いて、ゾーイは続ける。
「惚れ薬っていうのはそりゃあ強力な暗示だよ。人間の意志を捻じ曲げて惚れさせるんだからね。だけどねえ、惚れ薬の暗示と同じくらい強烈に好きな相手がいりゃあ、効かないもんさ」
「そう……なんですか?」
「あんたはまだまだ経験が浅いねえ。やっぱり今度わたしんとこに学びに来な。あんたは優秀だけど、本だけじゃわからんこともたくさんあろうよ」
「はい……」
しょげた様子のレベッカに対して、ゾーイはひひっと笑ってみせた。
「なに、落ち込むこたない。薬がわからなくたって、あんたの推量は当たらずとも遠からずさ」
「その、惚れ薬が効かないというのは?」
サイラスが尋ねれば、ゾーイが頷く。
「惚れ薬はね、好きな人がいてもそれを捻じ曲げちまう。だけど、他に強く好きな人がいるなら、ねじまげきれなくて、好きな人を忘れちまうんだよ。他の女を忘れてるってのも、その好きな女にまつわる『何か』があるからだろうさ」
ゾーイは説明したところで、ひひっと笑う。
「兄さん、あんた見かけによらず、情熱的な恋をしてたんだねえ? 魔女の惚れ薬が効かないほど、一人の女を愛するなんてそうそうできることじゃないよ」
(サイラス様が、惚れ薬も効かないほどに私のことを?)
思った途端に頬に熱がのぼって、ついサイラスの顔を見る。だが、彼は複雑そうだ。
「僕が……そんなに誰かのことを?」
戸惑ったような声を漏らして、口元に手をあてている。
(サイラス様は……恋人を思い出すのがやっぱりいやなのかしら)
一瞬浮かんだ喜びも、そんなふうに不安がもたげる。さっき思い出すのが怖いと言っていたではないか。
そんな二人を観察したところで、ゾーイはレベッカのほうに目を向けてにんまりとした。
「とにかく、レベッカが思い出し薬を使おうとしたのは合ってたよ。本来の効果とは違うから、何回か重ねて飲む必要はあるけどね。記憶を取り戻したいんだろ? ほら、竜骨を選ぶといい」
「……ゾーイ様、ありがとうございます」
複雑ながらも礼を告げたレベッカに、ゾーイは首を振る。
「合うのがあればいいけどねえ」
(それが見つけられるかどうかは、私にかかってるわ)
ゾーイの言葉にうなずいて、レベッカはきゅっと表情を引き締める。薬の調合もだが、素材がきっちり選べていなければ、思い出し薬はうまく作用しないのだ。浮かんでいた不安を振り払って、レベッカは素材選びに頭を切り替える。
「では選びましょう。サイラス様、手を失礼します」
「うん?」
レベッカが手を差し出すと、サイラスは首を傾げながらも素直に重ねてくれる。その指を絡めて、きゅっと握りこめば、サイラスが息を呑んだのを感じた。だが、レベッカはもう彼の顔なんて見ていない。
(思い出しの薬……サイラス様の忘れていることが、思い出せるように……目的のものが見つかるように……)
瞼を伏せたレベッカは念じながら握りこんだ手の力を強める。するとじんわりと身体の奥に熱が灯って、それが腕を伝ってサイラスの掌へと流れていく。レベッカの魔力だ。
魔法使いや魔女なんていっても、魔法なんてものはない。魔女にできるのは、せいぜい身体に沸く魔力を何かに乗せて効果を強めるくらいなものだ。その魔力の影響で、薬や素材は強い効果を持つ『魔女の薬』になる。今はその魔力を腕を通じてサイラスの手に流している。人に魔力を流すのは、こういうタイミングくらいなものだ。
「サイラス様、思い出したい記憶を念じてください。それから、この箱の中から『これだ』と思うものを探してください」
瞼を伏せたまま、レベッカはサイラスに問う。すると、レベッカのほうに注意を向けていた彼が、一拍置いて箱に目を落とす。やがてじっと目を凝らしているふうだったサイラスは、小さく声をあげた。
「見つけたね」
「これ……だけ、輝いて見える」
サイラスが示した瓶は、光ってなどいない。だが、サイラスにだけはそう見えるのだろう。
「見つかりましたね」
ほっとして息を吐いたレベッカは、そっと瞼を開いた。
「……あれ、もう輝いていない」
「私の魔力を流したので、そう見えていたんです」
「不思議なものだね」
取り上げた小瓶の中には、粉末状の黄ばんだものが入っている。
「思い出し薬を作る仕上げのときにも、魔力を流してサイラス様に手伝ってもらうので、よろしくお願いします」
「うん、わかった。そのときも頼むよ」
きゅっと手を握りこまれる。その時になってようやく、彼の手を握りっぱなしだったことに気がついた。
「っごめんなさい!」
ぱっと手を離せば、サイラスがくすくすと笑っている。だけどどこかその顔は寂しそうだ。
こうして素材を手に入れたレベッカは、思い出し薬を作ることになった。




