11.考えないようにしていたこと
魔女の薬を作るためには、いくつかの段階がある。材料集めに始まり、調合のうえ、魔女の魔力の注入で完成するのだが、問題はその材料集めと調合の方法である。通常の薬と違って、材料自体が貴重であったり、採取が厄介なものが多い。
今回作らねばならない『思い出しの薬』の材料は記憶にある限り、一人で仕入れるだけで事足りるものだった。ところが、念のため代々王城つきの魔女に受け継がれる本を確認したところ、調合を含め、一人では作ることができなかったのである。
「まさかレベッカと二人きりで王都を歩くことになるとは思わなかったよ」
王都の街を歩きながら、朗らかに言ったのはサイラスである。彼はいつもの王太子然としたかっちりとした服ではなく、貴族のお忍び風のくだけたスタイルである。最初は平民の装いを選んでいたが、顔だちの美しさや所作の高貴さからどうにも平民に扮することができなかったため、こうなった。地毛の銀髪は目立って仕方がないので、かつらをかぶっている。
対するレベッカといえば、グレーのローブ姿でもメイドのお仕着せでもなく、仕事がないときの普段着のワンピースである。お忍び用の服ではないものの華美なデザインではないので、かえってサイラスの装いとバランスが取れている。ただ、今日のレベッカは髪に飾りをさして、いつもよりほんの少しだけ華やかだ。
(……かつらをかぶっていても、サイラス様は目立つわ……)
歩いていると周囲の視線がやたら刺さる。いくらお忍びスタイルでもこれでは意味がないだろう。
「やっぱり、ユリシーズにもっと近くに来てもらったほうがいいんじゃないでしょうか」
「でもそれじゃあ、店主は僕らを店に入れてくれないんだろう?」
二人きりと言われて、不安を覚えたレベッカが訴えれば、あっさりとサイラスに言い返される。確かにその通りだ。
実のところ、レベッカたちは二人きりで街中を歩いているように見えるが、護衛騎士のユリシーズは離れすぎない位置で遠巻きに見守ってくれている。というのも、今から向かう薬の素材屋の店主は偏屈で、顔見知りの客、それも特に魔女以外の者はほとんど店に入れたがらないからだ。だが思い出しの薬の材料の中に『薬を飲む本人が思い出したいことを念じながら、直接選ばねばならない素材』が一つある。このため、最小人数で素材屋に行くことを考えると、護衛は遠巻きにしてもらい、レベッカとサイラスの二人で移動するほかないのだ。
(サイラス様を護衛なしで歩かせるなんて……)
王太子を無防備な状態で街中を歩かせるなんてとんでもない。どうにか別の方法をとレベッカは訴えたが、結局サイラスが『僕が買いに行ったほうが早い』と押し切っての今日だ。ユリシーズがつかず離れずの距離でついてきてくれているとはいえ、レベッカは万が一サイラスに何かあったらと気が気ではなかった。
「それでも、やっぱりほかにも方法があるような気がします……」
「レベッカは心配性なんだね」
ふふ、と笑ったサイラスは考えるような顔になる。
「事件解決の必要性がなければ、別に失った記憶なんて戻らなくていいって思っていたけど、僕が忘れているレベッカのことをいろいろと思い出せるなら、それもいい気がするよ」
「え……」
思わず隣のサイラスの顔を見れば、彼はほんのりと微笑みながらレベッカのことを見つめている。心臓が跳ねて、なんだか落ち着かない。
(私に興味を……?)
それは嬉しいことのはずなのに、別の懸念がレベッカの中に浮かんでくる。
「サイラス様は、なくした記憶を思い出したいわけではないんですか?」
つい口をついて出た質問は、やけに重みがあった。それは今までずっと、レベッカが考えないようにしていたことだ。
彼は、『婚約しようと思っていた相手』を忘れている。そしてくりかえし彼が、意中の人などいなかったとはっきりと言っているのをレべッカは聞いている。だからこそこう思ってしまうのだ。
(サイラス様は、本当は婚約なんかしたくなかった?)
舞踏会に先んじて、レベッカしか選ぶつもりはないと言ってサイラスはドレスを用意してくれた。あの甘いプロポーズも口づけも、彼の本心だろう。そのことにレベッカだって疑いはない。
けれどもし、サイラスが『忘れ薬』を自分から飲んでレベッカのことを忘れていたのだとしたら? 惚れ薬や他の薬などではなく、意図的にレベッカのことを記憶から消したのだとしたら。
舞踏会というあの場で突然倒れたこと考えても、サイラスが意図して忘れ薬を服用したとは思えない。だから可能性から消去していたものの、本当はサイラスが忘れ薬を望んで飲んだとは思いたくなかっただけなのかもしれない。魔力持ちは珍しいからこそ魔女も数が少ない。そのため魔女の薬は入手が難しいが、一国の王太子が求められないほど希少なものでもない。大体にして、先代の王城つき魔女は薬を作りためるのが好きだった。それこそ先代魔女が作りおいていた薬の一つや二つが消えていたとしても、レベッカには気づけないほど多く残されているのだ。だから本当は、サイラスが自ら忘れ薬を飲んだ可能性だってありえる。
(……私は卑怯者だわ)
サイラスを護衛なしで歩かせるのは気がひけるなんて言って、本当は記憶を取り戻す薬を作りたくなかっただけなのかもしれない。そう思うと、自分が酷く醜い生き物に思えてしまう。サイラスの支えになりたいと思っているくせに、万が一にでも彼が望んでレベッカを忘れていたかもしれないという可能性を、知りたくないとも思ってしまうのだ。
恋人から忘れられていて不安になるなというほうがおかしい。それでも、レベッカは無私の心で調査に協力できていると思っていたのに。
「事件を解決する必要がなければ、忘れた女性たちのことは、忘れたままでいいと思いますか?」
いつになく真剣な様子のレベッカの質問に、サイラスは首を傾げた。そうして少し考えたあとで、口を開く。
「そうだね……。実をいうと本当はわからないんだ。今は忘れているから、『思い出す必要がない』と思っている、というほうが正しいのかな。何人もの女性のことを忘れていて、今のところ、ほとんど困っていない。……不便に感じたのは君のことくらいかな」
「……っ」
「僕には婚約を考えていた意中の相手がいたらしいけれど……思い出さなくてもいいなんて言ったら、その女性に対してはとても失礼なことを言ってるよね」
サイラスにもその自覚はあったらしい。少し困ったように眉尻を下げて、
「もし思い出せたら、忘れていたことをすごく後悔するのかもしれない。婚約者にしたいなんて思うほどに愛した人のことだから。でも……本当に僕に恋人がいたなら、本当の恋人は今どうしてるんだろうね?」
ぽつりと呟いたサイラスが、レベッカをちらりと見る。
「……偽の恋人が多すぎて、名乗り出せないのかもしれませんよ。もしくは、名乗りをあげたご令嬢の中の一人がサイラス様の本当の恋人なのかもしれません」
「なるほど?」
レベッカが言えば、サイラスは目を瞬かせる。
「うーん、そうだね。だとしたら、僕に名乗り出せないでいるのかも。なら、本当に僕は悪いことをしているな。早く思い出さないと」
そう言いながら、彼の言いぐさはまるで義務でも語っているかのようだ。
「……なんて、これは少し恰好をつけすぎてるな」
「サイラス様?」
「もしかしたら僕は、思い出すのが怖いのかも。記憶を取り戻すことで今の気持ちと変わってしまうのが怖いんだ」
「それは、どういう……」
じっとレベッカを見つめていたサイラスが苦笑して黙る。そうしてからふと、歩いている方向に目をやって「あ」と声をあげた。




