10.魔女の薬
グレンダに文句を言われた翌日、またしても『偽の恋人』が襲われる事件が起きた。今度の被害者はなんと、あのグレンダである。グレンダが街中を移動中に暴漢に襲われたというのだ。幸い、侯爵家の護衛騎士が守ったおかげで、グレンダは怪我はしないで済んだらしい。
偽の恋人たちが襲われている事件の一番の容疑者がグレンダだった。その彼女が襲われたとなっては、一から調査のやり直しが必要になろう。とはいえこの件について、サイラスは苦笑気味にこう言っていた。
『侯爵令嬢が、自分から容疑をそらすために自作自演している可能性もあるけれどね』
なにしろ今まではグレンダと言い争った令嬢が事故に遭っていたのだ。レベッカと揉めて襲われたのがグレンダとなればその線は濃厚だろう。加えて、レベッカが魔女であり、王太子であるサイラスじきじきに令嬢が襲われている事件を調べているとなれば、グレンダがそんな工作をしていても不思議ではない。
『本当に被害者だとしたら申し訳ないけれど……。今度は犯人として暴漢を捕まえているから、彼らをしっかり調査をさせてもらおう』
そう言って襲撃の事件はさらに調査をすることになった。
そんな状況の中、今日のレベッカはサイラスから許しを得て半日ほど時間をもらい、久々にワイズ伯の家に向かっていた。話すべきことを考えながら歩くレベッカは、物思いにふける。
(思い返してみれば、サイラス様と出会って、もう十五年も経つのね)
同じ王城の敷地内なのに、ワイズ伯の家はサイラスの執務室がある棟からはずいぶんと離れている。彼の家にしか続かない石畳の一本道を歩きながら、なんとなくレベッカは懐かしい気持ちになっていた。
レベッカ自身も王城つき魔女として王城敷地内に住まう部屋を与えられているが、サイラスつきのメイドに扮する以前は、毎日、自室からこの道を通ってワイズ伯の家に通っていたのだ。それというのも、レベッカは魔女であると同時に、ワイズ伯の弟子だからだ。
先代魔女の跡目をレベッカが継いだのは、彼女がわずか十九歳のときのことだった。後継になる前に魔女としての知識は十年かけて叩きこまれたが、調合の知識はまだ浅かった。そこで、薬師としても活躍している王族つき医師であるワイズ伯にレベッカは弟子入りしたのである。
(この道を通って、もう五年ね)
魔女就任に際しサイラスと再会したとき、残念ながら十年も前に会った少女のことを彼は忘れていたらしい。
(残念じゃなかったと言えば嘘になるけど……)
たった一度会っただけの冴えない令嬢のことを覚えていろというほうが難しいだろう。しかもレベッカが帰ったあとにも騒動があったと聞いているから、そのせいでレベッカのことなどかすんでいても仕方ない。そんなふうに諦めていたにもかかわらず、それからはサイラスとよく会うようになったのだ。
(サイラス様がワイズ様に頻繁に会いにきてるなんて知らなかったわ)
おかげでワイズ伯に会いにきたサイラスとたびたび顔を合わせ、後日お茶会でのことを思い出したサイラスとの仲は急速に深まっていった。そうして二人は恋仲になったのである。
(ワイズ様にはサイラス様のことをずいぶんと相談してたわね……)
他の者と交流の少ない魔女の立場では、気安く相談できる相手もあまりいなかった。だからこそ、ワイズ伯には困ったことがあればよく相談していたものだ。今は再び彼に忘れられて、恋人ではなくなってしまったが。そして今日も、レベッカは困りごとを相談しにきたのである。
ワイズ伯の家を訪ねたレベッカは、応接室でお茶を出されたところで頭を下げた。
「お忙しいのにすみません、ワイズ様」
もともとワイズ伯が使う薬剤の多くは勉強も兼ねてレベッカが調合していたが、今はサイラスの調査の手伝いのためにその仕事を免除されている。結果として、ワイズ伯が調合の仕事まで請け負っているのだ。応接室のデスクにいつも広げてある研究資料が今はないから、研究をする暇がないということだろう。それが申し訳なくなる。
「レベッカが気にすることはありはせんよ。わしが殿下につくように言ったんだからのう。それにもともと、陛下たちの診察くらいしかわしがすることはなかろうよ」
どうせ暇なのだとワイズ伯は鷹揚に笑ってみせる。
「ワイズ様、私を甘やかさないでください」
「うむうむ。かわいいレベッカを甘やかすのがわしの趣味だからの」
「……ありがとうございます」
軽口を叩いてくれたおかげで、レベッカの緊張がほんのりとほぐれる。彼はレベッカをいつも娘のようにかわいがってくれているのだ。
「して、今日はどうした?」
気持ちが落ち着いたところでワイズ伯が話題を向けてくれる。
「どこから話せばいいか……」
レベッカはティーカップを手に取って、頭の中を整理する。
彼女が今思い悩んでいるのは、サイラスの記憶喪失の件だ。病気や頭を強く打ったがゆえの記憶喪失でない以上、なんらかの薬が投与されたことは間違いないが、未だ解決の糸口がつかめていない。レベッカがメイドとしてそばに仕えるようになってから、数日ずつ同じ薬草茶を飲んで様子を見てはいるものの、かんばしい反応は見られず、薬の特定もできていなかった。
(あと反応を見れていないのは、禁じられたもの以外では、惚れ薬くらいだけれど……)
「サイラス様が飲まされた薬の候補として、次は惚れ薬のことを調べようと思っているんです」
「ふむ? それに何か問題があるかの?」
「魔女の秘薬としての惚れ薬は、魔力をこめて効果を高めた、強力な暗示の薬です。簡単には解けません。もしその効果が続いている状態で、特定のための他の薬草や薬を投与すると……」
「まさか効果が強まると?」
他の薬を特定するのに使った薬草は、強い効果が出ても人体に悪影響が出るようなものはなかった。だが惚れ薬を摂取したかどうを特定するのに使えるのは、惚れ薬の材料ばかりだ。それゆえに効能を強めてしまう可能性が高い。
「そうなんです。もし使われていたのが惚れ薬だった場合……惚れ薬の正しい効果ならいいんでしょうが」
「惚れ薬が効くのは、よくはなかろうよ」
「……はい」
すかさずつっこまれて、レベッカは詰まる。もしサイラスが誰かを好きなんだとしたら、その効果が強まってはレベッカは困るだろう。それを見透かしていてのワイズ伯の言葉だ。歯切れ悪く答えながらも、彼女は続ける。
「その、サイラス様は今、薬の影響で記憶を失っている可能性が高いです。だから、もし効果を強めてしまって、また別のことを忘れたらいけないと思って……」
「厄介じゃのう……」
レベッカの懸念を理解したらしいワイズ伯が、顎を撫でながら唸る。
薬の特定はしないといけないが、もしこれ以上記憶を失うことになれば、どんなことになるかわからない。
二人してしばらく意見を出しあってみたが、答えが出ないことに匙を投げたのか、ワイズ伯は悪戯を思いついたような顔になった。
「いっそのこと、惚れ薬でレベッカを好きだと暗示をかけなおしてやりたいわい」
「そんなサイラス様の気持ちをもてあそぶようなことは……!」
反論しかけて、はたっとレベッカは止まる。
「……それです」
「なにがじゃ」
冗談に乗ったわけではないことをわかっていて、ワイズ伯が首を傾げる。
「サイラス様に『暗示』をかけてみるんです」
「ふむ?」
(どうして気づかなかったのかしら。もし惚れ薬による暗示で記憶をなくしているなら、ううん、何の薬だっていい。とにかく、暗示を解けばいいんだわ)
サイラスが飲んだのが何の薬かはわからない。だが、魔女の薬による強力な暗示ならば、記憶にフタをされているだけのはずだ。だからそのフタをなくしてやればいい。幸いにして、惚れ薬を飲んでいたとしても、解除の方向性ならば薬がかけあわされておかしな効能になることもないはずだ。
「サイラス様はときどき、過去の記憶を思い出すようなそぶりをされます。だから、記憶自体は消えてはいないと思うんです」
そこまで聞いただけで、ワイズ伯はレベッカの意図を察してくれたらしい。
「つまり思い出せなくなっているだけだから、記憶を取り戻すように暗示をかける薬を飲ませるということじゃな?」
「そうです」
「さすればレベッカが薬を特定せずとも、殿下が薬を飲まされた状況がわかるはずだのう」
うんうん、と頷いたところで、ワイズ伯はちらりと薬草棚に目を向ける。
「魔女の薬に、暗示を解く、あるいは記憶を取り戻す薬はあったかの?」
「はい。思い出しの薬があります」
そこまではきはきと答えたところで、レベッカはこの家と自室の薬草棚にある品種を思い浮かべる。
「材料が……足りないものがあるので、仕入れに行かないといけないですが……」
「決まりじゃな。その仕入れも含め、殿下に相談するとしよう」
「はい!」
今後の方針が決まり、レベッカは晴れ晴れとした気持ちで力強く頷く。その後、サイラスに相談のうえ、思い出しの薬を作ることになった。一人で行こうと思っていたその仕入れを、サイラスと一緒に行くことになるのだとは、このときのレベッカは思ってもいないのだった。




