地下7層の残響
湿った空気が肌にまとわりつく。
地下水道の入り口に立った瞬間、裕也は“音”の輪郭を感じ取った。
——これは、あの日の災異とは違う。
もっと濁っていて、ざらついていて、壊れている。
「白木、行ける?」
沖田が短く声をかけてくる。
懐中灯の薄い光に照らされた横顔は、緊張を押し込めるように冷静だった。
「はい。……多分」
「多分でいい。私がフォローする」
その言葉が妙に安心感をくれる。
体育会系で明るい印象の彼女だが、実戦前の眼差しは研ぎ澄まされている。
《特別選抜班、全員地下7層に向けて降下開始》
通信越しに本部の声が届く。
階段を下るたび、空気が重く、音が濃くなる。
——ドゥン……ドゥン……。
深いところから、鼓動のような反響が響いてきた。
「残響体の“心臓音”ね……嫌な感じだ」
沖田が小声でつぶやく。
地下6層に到達したとき、Bルート探索班の通信が飛び込んだ。
《う……が……っ、た……すけ……》
「!」
雑音にまぎれて、叫び声にも似た断片。
「本部! B班の位置は!?」
《……反応が乱れています、正確に取れません!》
沖田は躊躇なく叫ぶ。
「白木、行くよ!」
「はい!」
二人は階段を一気に駆け降りた。
——そして地下7層。
湿気で曇った視界の奥で、“揺れている”ものがいた。
黒い波形。
人の形を真似しているようで、全く違う。
音が凝縮して生まれた、壊れかけの災異。
残響体。
「……来たか」
波が、こちらに“気づいた”。
次の瞬間——
——バッッ!!!
音の塊が弾け、衝撃波が走る。
地面の水が跳ね、壁面にひびが広がった。
「白木、左!」
沖田の声が飛ぶ。
裕也は反射的にステップし、衝撃の“音の軌道”を読み切った。
その瞬間、頭の奥に“反響”が走る。
(来る……!)
また一発。
残響体は規則を持たない。
攻撃の波長がバラバラな分、読みづらい。
けれど——
「……無秩序じゃない」
裕也の目が細められる。
(波の重なり……一部にだけ“元の音”が残ってる)
それはまるで、壊された楽曲の“原曲”が微かに鳴っているような感覚。
「白木!」
沖田が駆ける。
両掌を合わせ、空気を震わせるように構えた。
《振動掌》
——ドンッ!
彼女の放つ衝撃波が、残響体の右半身を揺らす。
けれど崩れない。
むしろ……濁った音が増幅し、反撃の波がすぐに襲う。
「くっ……!」
沖田が後退する。
裕也は前に出た。
耳ではなく、身体で音を聴く。
——ここだ。
残響体の中心“だけ”音が澄んでいる。
元になった災異の“核の音”。
「《音律干渉》……!」
裕也の掌から“反響音”が放たれる。
その音は、残響体の濁った波をすり抜け——核に触れた。
——ヒュン……!
世界の音が一瞬だけ止まる。
残響体が、輪郭を失った。
「今!! 沖田さん!」
沖田は迷わず踏み込み、掌打を叩き込んだ。
——ドォォン!!!!!
残響体は砕けるように弾け、黒い粒子を散らしながら崩壊した。
静寂が訪れた。
「……助かったよ、白木。あんたの“聞こえ方”、本物だね」
沖田が息を整えながら微笑む。
裕也も呼吸を整え、頷いた。
「いえ……俺一人じゃ倒せませんでした」
「うん。でも、これはチーム戦。
あんたが音を聴き、私が殴る……いいコンビじゃん」
不思議と、胸に小さな熱が灯る。
誰かと戦うのは初めてだ。
孤独だと思っていた“音”が——誰かと重なる。
その温かさに、自分でも驚いていた。
「白木、戻るよ。他の班も確認しないと」
「はい」
二人は地下七層の暗闇を後にした。
しかし裕也は気づいていなかった——
崩れた残響体の“欠片”が、壁に染み込み、かすかな音を立てていたことに。
それはまるで、次の災異の“胎動”のように。




