闘いを知る場
継環省・第七防音層、訓練区域C。
白木裕也は、音のない空間に立っていた。
この施設の壁と床には、音の反響を極限まで抑える特殊素材が使われている。
理由はただ一つ——**音に関わる異能者が訓練を行うには、無音こそが適切な“キャンバス”**だからだ。
「立ち方、目線、呼吸。それができてないうちは、力なんて出すな」
淡々とした声が響いた。
前に立つのは、継環省訓練課所属の教官、音野蓮。
若くして“継承等級A”に到達した実力者であり、音系異能者育成の第一人者とされている。
裕也は無言で頷き、再び構え直した。
肩幅に足を開き、腕を自然に下ろし、視線を正面に固定する。
「いいか。お前の能力は音に干渉し、形を与えるという特異な系統だ。
だが、干渉するにはまず……音を正確に“聴き取る”ことが必要だ」
音野は小型の機材を起動させた。
空気に微細な音波が流れ込む。
裕也の耳には、何も聞こえなかった。
だが——皮膚が反応した。まるで、触れられたように。
「感じたか?」
「……空気が、ざわついた」
「正解だ。その“ざわつき”を感じ取れたなら、お前はその音に干渉できる。
だが、今のお前はまだ、音と呼吸がバラバラだ」
裕也は自分の息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。
(……あのときは、勝手に体が動いた。でも今は……)
もう、助けてくれる“偶然”はない。
力を制御するには、自分で“音を掴む”必要がある。
訓練が続く。
重い靴音。無音移動。高周波による攪乱。
次々と流される音の中で、裕也はひたすら耳と意識を澄ませた。
やがて、教官が一歩踏み出す。
「——次は模擬戦だ。俺が敵役をやる」
「え?」
「驚くな。お前を倒す気はない。だが、追い詰める気はある」
音野が手を開いた。
その瞬間、空間が震えた。
(!)
空気を伝って、衝撃波が走る。
裕也は反射的に右へ跳ぶ。体が勝手に反応する——いや、反響する。
(……今、読めた)
音野の攻撃は、“速度”より“密度”が重視された空間圧迫型。
だが裕也は、その直前の音の“立ち上がり”を察知していた。
「ほう、避けるか。じゃあこれはどうだ」
教官の周囲に、淡く光る音の円陣が浮かぶ。
そこから放たれるのは、無数の“逆位相音波”。
鼓膜を刺激せず、脳へ直接干渉する破壊音。
裕也は咄嗟に自身の周囲へ“反響波”を展開。
その中で、鼓動と呼吸のリズムを整える。
(見ろ。音を——聞くんじゃない。響かせる)
足を踏み出す。
踏み込みと同時に、音野の攻撃が届く……その一瞬前。
——回避。
高速でステップを切る。
円環の波を飛び越え、音野の死角へ回り込む。
そして、右掌を突き出す。
「《音律干渉》」
無音の干渉波が、音野の肩をかすめる。
教官の動きが止まった。
「……いい判断だ」
音野は肩を軽く叩き、にやりと笑った。
「素人の動きじゃない。足の運び、波の読み……全部合ってる。
ただひとつ、足りないのは——“連携”だ」
裕也は小さく首を傾げる。
「単独では、どんな強力な異能も限界がある。
特に災異戦では、最低三人以上の連携が基本になる。
敵の特性に応じて、感知型、補助型、制圧型がチームを組む」
「……俺は?」
「スピードと直感。感知と回避力。
お前は“撹乱型”だな。戦場を走り、敵のリズムを崩す役だ」
裕也は目を細めた。
(撹乱……)
たしかに、自分の動きは直撃ではなく“切り崩す”ためのものだった。
音野は一枚のタブレットを差し出す。
「お前は今から“第九訓練班”に入ってもらう。
同じ新人たちと、しばらく共同訓練を行う。
その後、初の“模擬実戦”に参加してもらう」
「了解」
教官の視線が裕也の背に向けられる。
「その力、本気で扱う覚悟があるなら、他人の音も背負え」
裕也は、その言葉の意味を理解しきれないまま、静かに頷いた。
まだ“響き”は自分の中にある。
だがそれは、自分ひとりの音ではない。
それが、これから向き合うものだと、彼は直感していた。