響きの輪郭
継環省・第七防音層。
白木裕也は、無機質な白の訓練室に立っていた。
広さ約30メートル四方。天井は高く、壁面はすべて“音響遮断素材”で覆われている。
ここは、異能のうち「音」に関わる能力者専用の訓練区画だった。
「まずは、君の異能の“再現性”を確認する」
そう言ったのは、訓練官の男性——黒瀬と名乗る三十代前半の職員。
黒の上下に軍用ブーツ、鋭い目つきで裕也を見つめていた。
「昨日の発動は突発的だった。こちらの出す刺激に対し、同様の出力を再現できるかを確認する。
もし暴走した場合は、即座に制止する。命に関わるからな」
「……わかった」
裕也は短く答えた。
心臓の鼓動が少しずつ高まるのを感じる。
訓練室の静寂が、逆に神経を研ぎ澄ませる。
黒瀬がスイッチを押す。
四方の壁から、小さなスピーカーが展開された。
「周波数変調信号、レベル3から」
次の瞬間、空間に“耳に届かない音”が流れ始めた。
高すぎる。低すぎる。人の可聴域を超えた異音が、空気に震えを生む。
裕也は目を閉じる。
音ではなく、空気の変化を捉える。
脳の奥にある感覚が、過剰に研ぎ澄まされていく。
(……来る)
自分の中に、別の“律動”が生まれる。
呼吸、鼓動、足裏の接地感。それらがすべて、ひとつの波として重なっていく。
(この感覚……あの時と同じ)
——耳ではない。心臓で“音”を聴いている。
「《音律干渉》……」
囁くように呟いた瞬間、空間が反応した。
彼の周囲に“目に見えない円環”が浮かび上がる。
重なり合う波動。無数の干渉音が、空気中で複雑なリズムを奏でていく。
黒瀬の目がわずかに見開かれた。
(……これは、本物だ)
通常、音に関わる異能は“感知型”か“増幅型”が主だ。
だが裕也の能力は、音を「変質させる」。
圧や密度、構造までも反転し、別の現象として組み直す。
「テスト音、レベル4……5……」
音圧が高まる。空気が重くなる。
だがその中で、裕也の立つ“一点”だけが静かだった。
まるでそこだけ、音そのものが反響していないように——
「次、模擬攻撃パターンに移行する。衝撃音、四方向同時」
黒瀬の指示により、訓練室の床が震える。
次の瞬間、四方から強烈な“衝撃波”が放たれた。
裕也は反射的に腕を広げる。
「——《反響する自我》」
その瞬間、彼の身体の周囲に“見えない鏡面”が現れた。
衝撃音が、触れた瞬間に逆位相で打ち消される。
(……空気が、従う)
理解した。
自分は音を“聞く”だけでなく、“返す”ことができる。
ただの遮断ではない。
“他者の攻撃を、自分の内部に取り込み、反射させる”。
その特性は、明らかに通常の異能とは異質だった。
「……黒瀬さん」
裕也が口を開く。
「この力……災異のそれと似てるのか?」
「……その質問には、まだ答えられない」
黒瀬は目をそらさず、冷静に答えた。
「だがひとつ言えるのは、君の力は“純粋な破壊”ではない。
構造を理解し、干渉し、調和させる。むしろ、秩序に近い」
(秩序……?)
裕也は、自分の手を見下ろす。
自分は“音”で壊したのではなく、
“音の法則”に沿って災異を打ち消しただけなのかもしれない。
だが、それは誰のために与えられた力なのか。
その理由は、まだ見えなかった。
◆
訓練終了後。
控室で休んでいた裕也のもとに、一枚の封筒が届けられた。
差出人不明。表面には、手書きの文字がひとつだけ。
——《音は、まだ終わっていない》
(誰だ……?)
胸の奥に、再び微かな音が鳴った気がした。
鼓動のように、旋律のように、記憶の残響のように——。
裕也は封筒を見つめたまま、静かに息を吸い込んだ。
まだ、この力のすべてを知らない。
けれど、それでも——知りたいと思った。