3.仲間と影
雨の日の傘の一件から、空と葵の間には微妙な変化が生まれていた。教室で目が合うと、葵は小さく頷くようになったし、空も自然と彼女に話しかけることが増えた。とはいえ、葵はまだどこか遠くにいるようで、心の奥に触れるには時間がかかりそうだった。
明日からは夏休みが始まる。健太が提案してきた。
「なあ、明日みんなで川行かねえ?夏だしさ、泳いでバーベキューでもしようぜ」
「いいね。誰か誘う?」空が返すと、健太はニヤリと笑った。
「お前、宮崎さん誘えよ。最近仲良いじゃん」「仲良いってほどでも..まあ、聞いてみるけどさ」その日、空は葵を校門で待った。
彼女が鞄を肩に掛けて出てきた時、少し緊張しながら声をかけた。
「明日、みんなで川に行くんだけどさ。宮崎さんも来ない?」
葵は一瞬立ち止まり、目を丸くした。それから、少し考えるように首を傾げて言った。
「みんなって?」
「俺と健太、あと何人か。気楽なやつらだから、楽しめると思うよ」
「.....うん、分かった。行く」
意外にもあっさり OKをもらって、空は内心驚いた。葵が笑顔を見せたわけじゃないけど、彼女の「行く」という言葉に、少しだけ嬉しさがこみ上げた。
翌日、川辺には健太やクラスメイトの由美、翔太たちが集まっていた。太陽が照りつける中、みんな水着に着替えて川に飛び込んだり、石を投げて遊んだりしていた。空は葵が来るのを待っていたけど、約束の時間を少し過ぎても彼女の姿は見えなかった。
「遅いな...やっぱ来ないのかな」
そう呟いた瞬間、木陰から葵が現れた。彼女はシンプルな白いTシャツにショートパンツ姿で、手には小さなバッグを持っていた。みんなが「おおー!」と歓声を上げると、葵は少し気まずそうに目を逸らした。
「遅れてごめん。道、分からなくて」「いいよ、来てくれただけで嬉しいからさ。ほら、入ろうぜ」
空が笑顔で言うと、葵は小さく頷いて靴を脱いだ。川の水は冷たくて、葵が足を浸した瞬間、思わず「冷たい」と呟いた。その声に、由美が笑いながら水をかけてきて、葵はびっくりしたように体を縮めた。でも、そのうち彼女も笑いながら水をかけ返し始めて、初めて見る彼女の無邪気な姿に空は目を奪われた。
夕方、バーベキューが始まると、みんなで火を囲んで肉や野菜を焼いた。葵はあまり喋らなかったけど、由美が「これ美味しいよ」と渡した焼きそばを黙々と食べていた。健太が「宮崎さん、都会じゃこういうのやらないの?」と聞くと、彼女は少し考えてから答えた。
「都会じゃ...あんまり。友達も少なかったし」その言葉に、場が一瞬静かになった。空は何かフォローしようと思ったけど、翔太が「じゃあここでいっぱい作ればいいじゃん!」と明るく言って、みんなが笑った。葵も小さく笑って、初めて仲間の中に溶け込んでいるように見えた。
夜が近づき、みんなが花火を始めた時、空は葵が少し離れた場所で一人座っているのに気づいた。彼女は膝を抱えて、手持ち花火の火花を見つめていた。空はそっと近づいて、隣に座った。
「楽しかった?」
「......うん。初めてだったから」「初めて?花火ってこと?」
葵は首を振った。
「こういうの。みんなで集まって、笑って...都会
じゃ、なかった」
彼女の声は小さくて、風に混じって消えそうだった。空は何か言おうとしたけど、葵が先に口を開いた。
「私、ずっと一人だった。親が忙しくて、家に誰もいなくて...友達も作れなくて。だから、ここに来て、ちょっと怖かった」
空はその言葉に胸が締め付けられるようだった。彼女の瞳には、花火の光が映っていて、少し揺れているように見えた。
「でもさ、ここなら大丈夫だよ。俺ら、うるさい
くらいに一緒にいるから」
空が笑って言うと、葵は初めて彼をまっすぐ見た。そして、ゆっくり頷いた。
「うん...ありがとう」
その夜、葵は最後までみんなと一緒に花火を楽しんだ。彼女の笑顔はまだぎこちなかったけど、確かにそこにあった。空は、彼女を包むものが仲間たちの笑い声やこの町の温かさかもしれないと感じた。でも、葵の心の奥にある影は、まだ消えていないことも分かっていた。