03 ラベンダー (不信感)
異母姉フィーネがアクランド伯爵家に来てから10日ほど経った。
この10日、朝食後のひと時をフィーネと父は玄関ホールに地続きになっている応接間で一緒に過ごしていると、使用人から報告を受けている。フィーネがこの家に慣れるようにという父なりの配慮なのだろう。
ひと時とはいえ毎朝、ただただ父と二人で過ごしているフィーネ。これまでノーラの人生にそんな時間はあっただろうかと記憶を探るが、もちろんない。
多忙なノーラがそこへ混ざることはできないが、二人はノーラをのけ者しているのではなく、ノーラが時間に余裕さえあればノーラとも一緒にすごしてくれるはずだ。
そんな父とフィーネ二人だけの朝の時間、フィーネは別宅から持って来た小さな織り機で織物を織っているらしい。
玄関ホールと地続きになっている応接間にはフィーネの織り機が置きっぱなしになっている。そのため、玄関や廊下を通っただけのノーラでもフィーネの織りかけの織物を見ることができる。
羊毛産業が盛んな我が国では、絨毯や敷物などを織ることを仕事にしている平民は多い。家の中で出来る仕事ゆえ、特にも女性は子供の頃から母親や祖母に織り方を習うのだと学んだ。
フィーネの母親は元貴族令嬢だったためフィーネへ織物を教えることなどなかっただろう。とはいえ、王都の市井で暮らしていたことで、フィーネは我が国の平民の女児として正しく織物を織っていたようだ。
正直、貴族籍に入るフィーネが織物を織る必要はない。むしろ織物は平民の仕事と連想されるため、貴族令嬢の趣味としてはそぐわないと言える。その時間を刺繍や礼儀作法の習得に当てて欲しいと思うものの、アクランド伯爵家へ来る前から製作していて途中になっている織物が完成してからでも良いかと、この10日何も言わずに放置していた。
「聞いて!聞いて!聞いて!」
ドタドタと足音を響かせながらノーラがいる衣装室に入ってきて「聞いて」と騒いでいる声にハッとする。
この高く透き通った声はフィーネに付けた侍女ミリーの声だ。
ここは沢山のドレスや衣服が掛けられ保管している衣装室で、普段は人がいない。偶然一人で衣装室の奥にいたノーラは、ドレスとドレスの間からこっそりとドア付近を確かめると、ミリーが廊下を掃除していたメイドを引っ張り込み、二人で衣装室へなだれ込んできていた。
ミリーはノーラより5歳年上の20歳でルカと同い年。とある男爵と平民の間に生まれた庶子のミリーは、ルカと同じアクランド伯爵家が出資している王都の孤児院出身で、その孤児院の院長に頼まれ、ルカと一緒にアクランド伯爵家で使用人として雇った。
ミリーは良く言えば陽気で明るく、悪く言えば落ち着きがない。侍女長やルカに怒られている姿をよく見かける、眩しい笑顔が目に付く使用人だ。
大人しいフィーネには、歳が近く明るい性格のミリーが良いだろうという侍女長の意見を取り入れ、フィーネがアクランド伯爵家へ来た10日前にメイドからフィーネ専属侍女に昇級したばかりだ。
ミリーは高い位置で一つに結んだピンク色の髪を揺らし、興奮が冷めないのか肩で息をしている。
「ミリー落ち着いて。ほら、ゆっくり深呼吸。吸って、吐いて、吸って、吐いて……。大声を出すとまたルカに怒られちゃうわよ」
「ハァ、ハァ……。ルカなんかのことより!聞いて!私、フィーネ様とキャルム様のすごいところ見ちゃったの!もう、フィーネ様がまるでこの前読んだ恋愛小説の主人公みたいで、本当にびっくりしちゃった!」
フィーネとキャルム、二人の何かしらを見て恋愛小説のようだったと興奮しているミリー。
キャルムはノーラの婚約者。
ダリモア辺境伯の三男で、ノーラが9歳、キャルムが10歳の6年前から婚約している。この6年間、キャルムとは領地にいる時は文通で、二人共に王都にいる社交シーズン中は月に2〜3回の頻度で面会してきた。
面会は婿入り予定のキャルムがアクランド伯爵家のタウンハウスへ来ることがほとんどで、今日も当家の応接室でお茶を飲む予定となっている。
ミリーはキャルムを見かけたようだが、約束の時間までまだ1時間以上ある。1時間以上早くキャルムがアクランド伯爵家へ到着しているのは珍しい事ではない。
文よりも武に重きを置くダリモア家の中で珍しく読書家のキャルムは、いつも約束の時間より1〜2時間早く来訪してきてアクランド伯爵家の応接室でゆっくりと読書をしているのだ。
婚約したばかりの頃に、自分が早く来ていてもノーラが予定を早める必要はなく、約束の時間まで放置して欲しいと頼んできたキャルム。「ダリモア家で読書をしているのが兄達に見つかると剣の稽古に連れ出されてしまうから、ここでないと安心して本を読めないのだ」と笑っていた。
そんなキャルムとのお茶会でキャルムの瞳と同じ紫色のドレスに着替えるために、ノーラは今、一人で衣装室に来ていた。
キャルムの瞳の色と同じ淡い薄紫色の生地で、キャルムの髪色と同じ銀色の糸でラベンダー模様の刺繍が入ったドレスを探している。
本来なら朝の時点で侍女がノーラの予定に相応しいドレスを選ぶべき。それが出来なかったのなら、せめて侍女か従者と一緒に衣装室へ来てドレスを選び直さないといけない。そんなことは分かっている。
でも、ノーラ専属の使用人たちは今、父が放置していたことが昨晩発覚したばかりの書類に関する確認作業を急ぎでやってもらっているのだ。
アクランド伯爵家には政務を助ける官僚達はもちろんいる。ただ、伯爵直属の部下として雇うべき彼らを、伯爵の父がいる状態で弱冠15歳のノーラの下へ付けることは出来ない。そのために表向きにはノーラ専属の侍女や従者とし、彼らに文官の仕事も兼ねてもらうという形で対応していた。
政務の補助を優先してもらっているために従者や侍女の業務が至らなかったり、手が回らないこともあるが、それは仕方ないこと。ノーラが認めているため問題ない。
キャルムのためにドレスを着替えたいという考えは、言ってしまえばただのノーラの我儘。時間がない中でどうしても着替えたいというのなら、ノーラ自身が衣装室へ行き望みのドレスを選んで持ってきた方が効率が良いだろうと判断し、一人で勝手に行動していた。
ミリーが衣装室へ引っ張ってきたメイドはシエナという名前で、ミリーより少し上の20代半ば、アクランド領地の商家の娘だったと記憶している。
まさか女主人のノーラが一人で衣装室の奥にいるなどと、ミリーとシエナは微塵も思ってもいないだろう。
「ありがとうございます」
突然ミリーはその場にしゃがみながら何かを受け取って手元に入れる動きをしながら、普段よりも高く少し震わせた声を出した。始まったのはミリーの一人芝居。
シエナは困った子を見るような目でミリーを見つめ「まーた劇団ミリーがはじまった」と呆れた思いを隠さずに言っている。
ミリーはしゃがみながら横へ少し移動し、今度は中腰になり元いた場所へ何かを渡す動作をした。
「上等な糸だね。アクランド産かな」
そして少し低い声を出し、先ほどまでいた位置に向けて目を細め口角を上げ笑顔を作った。衣装と衣装の隙間からでもミリーの表情がはっきりと見える。
目は真顔のままに口角を上げただけのわざとらしい笑顔なのだが、どことなくキャルムの笑顔に見えてくるから不思議だ。
ミリーは、おそらく、フィーネが糸を落とし、その糸をキャルムが拾いフィーネへ渡す場面を再現しているようだ。内容の不穏さを予感しつつ、ノーラは盗み見を続ける。
「笑いたくないなら笑わなければいいのに……」
声を高くして発せられたミリーの台詞。正しくはミリーが演じるフィーネの言葉。その無礼さにノーラは違和感を持つ。
キャルムの来訪はフィーネがアクランド伯爵家へ来てからは今日が初めて。よって、フィーネとキャルムの
二人は初対面のはず。しかも、キャルムはどう見ても貴族子息だ。
初対面の貴族子息に対して放った台詞として不敬がすぎるし、この10日で得たフィーネの人物像と重ならない。
父に連れられて初めてこのタウンハウスに来た日は怯えて震え、10日経ってもまだノーラやミリーをはじめ周囲の人たちを怖がって打ち解けられずにいる。そんなフィーネは、父に対してだけは気安い態度を取る。
ゆえに、フィーネは人見知りが激しく、親しい人にしか砕けて接することができない臆病な性格なのだと思っていたが、認識を改めた方がいいのかもしれない。
「っすみません。あなたの笑顔を見たらつい言葉が出てしまったの。糸を拾ってくれてありがとうございました。……でも、笑いたくないのに笑っていると、泣きたい時に泣けなくなっちゃうんですよ」
そう言って小走りで去るフィーネを演じたミリー。すぐにシエナがいる元の位置へ戻ってきて、今度は立ち去るフィーネをポカンと口を開けて見ているキャルムを演じている。
「キャルム様はいつもの目の奥が笑ってない笑顔も忘れて呆然としてた。驚きすぎたのだと思う。物陰から覗いてた私もびっくりしたし」
ミリーの小芝居の時間は終わったようだ。いつものミリーの話し方でシエナへ話し始めた。
「確かにフィーネ様の言葉はちょっと不躾だと思う。でも、そんなに騒ぐほどの話には思えないんだけど……」
「もう!何言ってるの!……シエナ、私が勧めた恋愛小説をちゃんと読んでる?いい?優秀で容姿が良いために人生がうまく行きすぎていてつまらないと思っている男の登場人物は、たいてい、その虚無感を隠すためにいつも笑ってるの。そんな男にヒロインは『笑顔が変』って言って、男は『本当は笑ってないことに気づくなんて、おもしろい女』ってなるか、もしくは『なんなんだ!』って怒って不愉快だけどあの女が気になるってなって、最終的にヒロインを好きになるのはお約束じゃない!」
鼻息荒く早口でまくし立てるミリーに迫られ、シエナは立っていたところから一歩引いている。
「だとすると、フィーネ様も恋愛小説が好きで、キャルム様にわざとその台詞を言ったんじゃない?」
「あのフィーネ様が?わざと?……フィーネ様ってめちゃくちゃ気弱だと思うんだけど」
シエナの言葉にミリーは納得できない様子だが、それは隠れて聞いてるノーラも同じ。
「ミリー、この前フィーネ様を安心させるために『自分はフィーネ様と同じ貴族の庶子です』って言ったのに、フィーネ様からは怖がられたままで意味がなかったって言ってたでしょ?私、昨日、わざわざ自分からルカに駆け寄って『ルカさんも私と同じ庶子って聞きました』って言い寄ってるフィーネ様を見ちゃったのよね。同じ貴族の庶子でもミリーは無視なのに、ルカには自分から積極的になるんだなーって」
「えっ、フィーネ様って大人しそうに見えて意外におとこず」
「シッ!声が大きい。外に聞こえる」
ミリーの口をシエナが抑え、二人の話を盗み聞きしているだけのノーラもなぜかドキドキしてしまう。シエナが手を離すと、ミリーは小声になって「気をつける」とシエナへ謝った。
「はぁ、男好きなのか。……ますますフィーネ様の侍女をするの、しんどいなぁ。フィーネ様が住んでた別邸の使用人との引き継ぎの話もシエナにしたっけ?別邸では掃除も洗濯も料理もぜーんぶ使用人がしててフィーネ様はなーんにもしたことないんだって。愛用してる石鹸や化粧水や香水もノーラ様のと変わらない高級品。織物に使ってる糸だって本来は刺繍用のまっすぐで綺麗な高級品だし」
いつも明るいミリーの苦々しい声に、ノーラはミリーをフィーネ専属侍女に采配した責任を感じてしまう。
「聞いた聞いた。冬は寝る前に魔道具でベッドを温めとくようにって引き継ぎしたんでしょ?『フィーネ様は冷たい布団が苦手なんですって言われたけど、冬の冷たい布団は全人類苦手だから』って愚痴ってたじゃない。……それを聞いた侍女長がノーラ様のベッドを温めるようになって、ノーラ様が冷たい布団に入ることがなくなったから、結果良いことだったんじゃない?」
そういえば、先週から寝る前にベッドが温められていて冷んやりとすることがなくなり感動していたが、その意外な発端を知ってしまった。後で侍女長に感謝を伝えようと思う。
「髪はツヤツヤサラサラ、肌はスベスベ、子羊の肉や白パンやケーキを日常的に食べてて、冬冷たい布団にひんやりする事すらない。汚いものを触ったことも、水仕事で手が荒れたこともないし、太かったり細かったりする糸でも平らになるように織物を織ったこともない。なのに当主様から”平民として苦労させた”って”かわいそうに”って言われてて、それを否定せず受け入れてる。……その度にイライラしちゃうの。専属侍女失格だよ。私、シエナと一緒のメイドに戻りたい」
「まぁまぁまぁ、世の中には使用人を怒鳴ったり殴ったりする貴族もいるって聞くし、それよりはずっとマシじゃない。お給料も良くなるんでしょ?イラッとしたら深呼吸して、後で私に愚痴ろうって思えば乗り切れるって。話ならいつでも聞くし。深く考えないで、やることさえやれば大丈夫。……同じ貴族の庶子だからってフィーネ様と自分を比べたりしたら絶対ダメだよ。ほらっ、ミリーの休憩時間終わるよ。私もそろそろ持ち場に戻らないと」
「うん。……シエナ、ありがとう」
ミリーとシエナは二人で次の休みに出かけようと約束しながら、衣装室を出て行き、結局二人に見つかることはなかったノーラだけが一人衣装室に取り残された。
先ほどまで姦しい声が響いていた衣装室は潮が引くように静かになり、掛け時計が時を刻む音だけがコツコツと響いている。
キャルムとのお茶会の予定まであと1時間。その前に片付けないといけない仕事がまだまだ残っている。ノーラははやく目当のドレスを探さないといけない。
魔道具による全館空調で気温は一定に保たれ、人がいない衣装室だとしても寒くない。なのに、ひんやりとした寒気を感じたノーラは、探し出したラベンダーの刺繍入りドレスを抱えて一人震える。
「ノーラ様?やはり、ここでしたか……」
静かな衣装室にルカの声が響いた。ノーラがいないことに気づき探してくれていたようだ。
「いくら屋敷内とはいえ、お一人で出歩いてはダメですよ」
「このドレスに着替えたいのは私のワガママだもの。皆には無理を言って急ぎで書類をやってもらっているし……」
ルカはノーラが持っていたドレスを取り上げ微笑む。暗く冷たくなっていたノーラの胸に日が差すような穏やかな笑顔に嬉しくなると同時、ミリーとシエナの会話を思い出す。
……ルカはお姉様から同じ庶子だと話しかけられた時、どう思った?お姉様にもその笑顔を見せたの?
そう問いかけたい心をぐっと堪え、ノーラもルカへ笑顔を返した。




