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17 杏 (疑惑)



「ノーラ様、区切り良いところになりましたか?お茶の時間にしましょう!」


父の葬儀からひと月経ち、今は10月中旬。

国王との面会を始め、父が亡くなったことによる諸々の雑務を片付けたノーラは今は領地アクランドへ戻ってきている。


ノーラへ元気よく休憩を促した侍女は、明るい人柄にピンクの髪がよく似合うミリーだ。


ミリーはタウンハウス採用で、春にフィーネの侍女に昇格するまではメイドとして働いていた。今までは1年を通して王都タウンハウス勤務だったため、アクランド領で働くのはこれが初めて。

休日明けの出勤のたびに笑顔でアクランドの各所へ出かけた話をしてくれるミリーに、アクランドの地を気に入ってくれたことが分かり嬉しくなる。

相変わらず侍女長に怒られているところをよく見かけるが、いつも明るいミリーはノーラのお気に入りだ。


父と家令が亡くなりフィーネとルカが失踪したことで、アクランド伯爵家使用人の人員配置は大きく変わることとなった。


ノーラが正式にアクランド伯爵となるには王城での襲爵の儀式が必要だが、王国が決定した儀式の日程は3週間後の11月初頭。今はまだ正式にはアクランド伯爵ではないが、前アクランド伯爵だった父が亡くなった故の襲爵のため、周囲からの扱いはすでに伯爵同等となっている。


父が存命の頃は、伯爵直属の部下として雇うべき政務を助ける官僚達を、伯爵の父がいる状態でノーラの下へ付けることは出来なかった。そのために表向きにはノーラ専属の侍女や従者とし、彼らに文官の仕事も兼ねて働いてもらっていた。

その文官を兼ねていたノーラの専属使用人たちを正式に文官や事務官として配置し直し、文官の仕事が出来ない者でもノーラ専属使用人として配置できる本来の状態に戻す。


そんな配置変更により、ノーラ専属侍女の一人にミリーが配置された。ルカの失踪によって空いたノーラの従者の席には、コナーという壮年の男性が座ることになった。


コナーはノーラの母エイダの恋人だった人だ。


「午後のおやつは杏ジャムのケーキですよ。副料理長の自信作です」


そう言いながらケーキを差し出し、人の良い笑顔を浮かべたコナーの頬にはえくぼが出ている。コナーは父よりも年上の43歳で、ふんわりと癖のある柔らかそうなこげ茶色の髪に深い森のような緑色の瞳で、愛嬌のある可愛らしい顔。


コナーが従者となってからのノーラは、毎日決まった時間にお茶休憩と散歩の時間を取らされている。

巨大水晶へ魔力を込める日課は、本当は無駄だとしても、続けているため、屋敷から山頂への往復で運動は足りていると思っていたのだが、それは仕事だから景色も楽しむ散歩は別に必要と言われてしまう。片手で食べれる簡単な物で書類を見ながら食事を取ることも禁止されてしまった。


温厚で甘そうな見た目をしているコナーだが、意外にも頑固で厳しい。


特にもノーラが食事・運動・休息をおろそかにすることをコナーは絶対に許さない。このひと月でノーラは「まずご自分を大切にしないと。領地や領民を大切にできませんよ」と何回も怒られていて、今では言われるがまま休憩を取り散歩をしている。

ノーラの出産時に身体を壊していた母が風邪を拗らせて肺炎で亡くなったことがコナーに影響を与えているのだろう……。


杏ジャムを使ったケーキを食べながら、ノーラはひと月前の国王との面会のことを思い出していた。


ーーーーー


国王との面会は、ノーラの心配を他所にあっさりと終わった。


王城で通されたのは小さな謁見室。

思っていたより近い国王との距離に益々緊張してしまったが、少し遅れて入ってきたテオドールが相変わらずの真っ黒な格好で片手を上げ「よっ」と言い、その王族とは思えない気の抜ける挨拶に思わず脱力し、余計な緊張は解れた。


そんなテオドールが同席しても国王は驚かず、話し合い冒頭ですでに様々な情報を掴んでいることを明かしてくれた。

その表情には怒りや悔しさといった負の感情はなく、父の突然の死により若くして伯爵になることになったノーラを憂い励ます言葉までかけてくれる。国王を敵に回すという最悪の事態を予想していたノーラは、面会が始まったばかりでひと仕事終わったような安堵感に包まれてしまった。


ノーラは出来なくなった虹蛇召喚の代わりとして、転送ゲートの設置はせずに、アクランドへテオドールに来てもらって雨を降らせて貰いたいと思っている。そこまで国王は理解していると確認できた後で、本題が始まった。


たとえ国王とテオドールが知っているとしても、父の病室で起きたことをノーラは自分の言葉で説明する。ノーラの遅い喋りを遮ることなくしっかりと聞いてくれた国王。


「実は、フィーネ嬢がアクランド伯爵の娘ではないことは把握していた。フィーネ嬢に異母兄弟がいるとウィリアムから報告を受け、調査し、フィーネ嬢がアクランド伯爵と血が繋がっていない、つまりアクランドの魔力を持っていないと知ったのだ。フィーネ嬢を守護対象から外すだけで対応を終わらせ、王家の規律としてアクランド伯爵家に知らせることはしなかったが、それがまさかこんなことになるとはな。……アクランドの特殊な事情を考慮し、規律を破ってでも事実を伝えるべきだったと後悔しているよ。臨機応変に対応するべきだった……判断を誤った。すまない」


我が国の直系王族は個人の魔力から帯びている属性や魔力量などの情報が読み取れる固有の能力を持っている。直系王族だけの能力のために詳細は明かされていないが、少なくとも、複数人の魔力を見比べれば血の繋がりが分かることは明かされているのだ。


もしも直系王族が偶然かで知ってしまった意外な血縁関係を無闇矢鱈に吹聴すれば、厄介な問題や騒動を巻き起こしてしまうだろう。簡単に人の人生を変えてしまえる。

”王家の規律”の詳細はわからないが、おそらく、”知りたいと請われるまでは教えない”とか、そういった意味合いの決まりだろうなと、ノーラは予想した。


フィーネに異母兄弟がいると報告したウィリアムとは第二王子のことだ。


第二王子が気付いたということは、フィーネの異母兄弟が貴族学園に通っていると予想できるし、それはつまりフィーネの本当の父親は貴族だということ。国王はそれが誰かまで把握しているのだろうが、この文脈でノーラに家名を伝えないということは、ノーラは知らないままで問題がないのだ。聞き出す必要はない。


さらっと言っていたが、”フィーネ嬢を守護対象から外す”というのも、おそらくだが、アクランド伯爵家の魔力を使い反乱を起こす家や他国を警戒しているのだろうな、と予想できる。フィーネに限らず、アクランド伯爵家の人物は王家にとって監護対象なのだろう。……これも気づかないふりをしておくべき。


「今回のことは我が父が愚かだったために起きたことです。次期当主として育てていた嫡子がいるのに、最近養子に迎え入れ貴族としての教育もままならない庶子に継承魔法を使うとは、誰も想像しません。……王家のご判断に間違いはございませんでした」


ふと、ノーラは6歳の時に、前国王の弟に両親と共に魔力を見てもらったことを思い出した。母の貞節を疑った父は、カミラの貞操は盲信していたのだなと、乾いた笑いが出そうになる。


「でも、まさかテオが自らアクランドに行くと言い出すなんて、思ってもいなかった。呪いにかこつけて公務の類は全てサボ、逃げ、うーん、怠業して、どんなに言っても引きこもっていたからね。私はテオは外に出たくないんだと思い込んでいたようだ。……確認だが、テオが城の外に出たいからとこの事態を引き起こした訳ではないよな?」


国王はテオドールに問いかけながら笑っている。笑ってはいるが、その赤い瞳はテオドールを射抜くように鋭い。

その赤い瞳に睨まれたテオドールがどんな表情をして見返しているのか、黒いヴェールのせいでノーラにはわからないが、なんとなく、何も堪えてえていない気がする。


国王は38歳。24歳のテオドールとは14歳も年が離れている。

テオドールは元第四王子で、前国王夫婦が歳を召してから出来た末っ子王子。14歳年が離れた兄弟の仲の良さとは、ただでさえ一人っ子のノーラには想像もできない。


ノーラは自分が聞かれた訳でもないのに手に汗をかいてしまう。


「どうしても外に出たいって思ったら、そんなめんどくさいことしないで素直に兄上に相談する。それで断られたら色々画策するかもだけど。僕が兄上に『外に出たい』って言ったことなんかないだろ?王城の中なら自由にさせてもらってるし、ここには図書館も実験場も森も湖もある。兄上が言うように離宮に引きこもってるのが一番好きだし、現状に不満はないよ。……でも、外に出れるなら出たいな、くらいの気持ちはある」


「そうか。もし出たいと言われても、お前の雨は強力だ。魔法陣で呪いを抑えている王城から外には出してやれなかった。……アクランド伯爵家にとっては不幸なことだったが、テオにとっては外に出れるようになる好機に見えたんだ。疑ってすまないね」


そう言って国王はテオドールのフードに手を突っ込み直接頭を撫で回している。まるで幼い子供へ接するような仕草に、テオドールのことは心底可愛がっているように見えた。


「アクランドの問題についてだが、転送ゲートでの水転送は、現状の貴族間の均衡を必ず崩すことになる。水の販売権を得るための争いが発生し、そこへ過去の因縁も絡み複雑化するだろう。ノーラ嬢の保護をどうするかの問題もある。王家として揉め事を解決させないといけなくなるのが正直に言ってしまうと煩わしい。歓迎しない」


当初、国王がダリモア辺境伯の話に乗り気だったのは、面倒ごとが起きる前に解決できると思ったからだろうか。他の貴族家に知られる前に姻族となるダリモア辺境伯家が水の販売権を得てしまって、アクランド伯爵家の生贄の過去を知らないままのノーラを王家が囲ってしまうのが、国王にとって一番楽だったのかもしれない。


「テオを使ってアクランドに雨を降らせることは私も賛成だ。ただ、それによってノーラ嬢の身を狙う輩が出てくる。ノーラ嬢無しでアクランドに雨が降るということだからね。……それでだ、フィーネ嬢はアクランド伯爵の娘だと思われている現状は、訂正しないままでいよう。いつも虹蛇が召喚される日に虹蛇は現れなかったとなると、勘のいい者たちは真実に気づくだろう。でも、少なくとも次の雨乞い期間までは確実に、その後も少しの間はノーラ嬢を狙う輩をフィーネ嬢へと分散できる」


フィーネにアクランド伯爵家の血が流れていないことは、まだ一部の人間しか知らない。父が亡くなったあの病室にいた者と、ダリモア辺境伯と、王家の人間だけ、のはずだ。

フィーネはアクランド伯爵家の魔力を持っていると周囲に思われたまま、失踪している。歴史の長い貴族家からしたら格好の餌食だろう。フィーネ自身がアクランド伯爵と血が繋がってなかった事実を伝えても、身を守るための嘘だと思われてしまいそうだ。


護衛に囲まれているアクランド伯爵ノーラと、何の後ろ盾も護衛もなしでアクランド伯爵家を出てしまった庶子フィーネ。生贄を手に入れたいと思う人がどちらを狙うかと言えばフィーネの方に決まっている。


「テオにかけられた呪いによってアクランドへ雨を降らせることができるが、それはテオが生きているうち。呪いは継承できない。ノーラ嬢はテオが生きているうちに虹蛇を探し出して召喚契約を結ばないといけない。今は120年前と違って転送ゲートがあるからね。お金はかかるが、120年前よりもずっと楽な旅ができるはずだ。……それでも、少しでもリスクは減らしたい。そのために、フィーネ嬢を使う」


ドッドッドッと心臓の音がうるさい。脈が早くなり、呼吸が浅くなっているのがわかる。感情を出すなど貴族として失格だと分かりながらも、思わず胸を抑えてしまう。


ノーラはアクランド伯爵として、国王の提案に『承知した』と返事をしないといけない……。


これは虹蛇を探す旅の成功率を上げるため。ノーラの私欲のためではなく、アクランドのため。でも、フィーネの身を危険にしないと実現しないことならば転送ゲートを使えばいいじゃないかと、ノーラの心の中のフィーネが叫ぶ。


本当の姉妹ではなかった。ノーラが欲していた父からの愛をずっと独占していた。ノーラの婚約者キャルムと親しくしていた。ノーラからルカを奪って去っていった。


……だとしても、わざと命を狙われる危険な状態にして囮として利用するなど、そんな酷いことをしたいとは思えない。


「ねえ、ノーラさんは、どうしてそんなに”優しい”の?」


ノーラの優しさに感動しているわけでは絶対にない、単純に疑問に思っているだけの感情のない平坦な声色のテオドールの問いかけにノーラはハッとする。


ノーラの頭の中に『ノーラは”優しい”からね』という父の声が響く。幼い頃から、父に繰り返し言われていたその言葉。

幼いながら巨大水晶に一生懸命魔力を込めた時、一緒にいたいと言ったのに出かけてしまう時、ノーラの誕生日に家にいないことを謝る時、本来は父が作成する書類を作った時……。


優しくないノーラは必要とされない。父に振り向いてもらうには優しくないといけない。ノーラはそう思い込んでいた。『それはまるで呪いのようだ』と、内心で独り言ちる。


「我々は財と権力には責任が伴うことを教え込まれて育つ。高貴たるものの義務だね。これまで君と同等の贅沢な生活をしてきたフィーネ嬢は、その義務を果たしたことがあるかな?……そう考えればいい」


国王の言葉に心が少し軽くなる。


個人の気持ちに寄り添い思いやりや助けを与える優しさは必要なこと。でも、伯爵になったノーラには、”アクランド全体のために個人を切り捨てる”という個人に優しくできない場面が、これから沢山出てくるだろう。


優しさの呪いに囚われたままではいけない。


「承知しました。フィーネの出自の件と虹蛇の召喚契約が消滅した件は、王家からの許しが出るまで秘匿いたします。知ってしまった当家の使用人には厳しく言い聞かせますが、ダリモア辺境伯家へは王家よりご下命いただきますようお願いいたします」


「あいわかった。……何もフィーネ嬢をそのままにしておくつもりはない。王家で捜索し、見つかり次第隠れて護衛をつけようと思っているから安心してくれ。アクランドは今人手不足だろう。こちらに任せておきなさい。それから、わかっているかもしれないが、何か困ったことがあってもエイダの実家ニコルソン伯爵家へ声をかけるのはオススメしない。どんな小さなことでも私に相談してくれて構わないよ。……旅の日程を決めたら報告してくれ」


王家がフィーネを守ってくれると聞き、ほっと胸をなでおろす。フィーネに知らせないまま囮のようにしてしまうことになるが、王家の護衛がつくならばまだ罪悪感は軽い。


国王は”私に相談してくれて構わない”と言ってくれたが、ノーラにその予定はない。今はまるでノーラの味方のように話をしている国王だが、ダリモア辺境伯の提案に乗ろうとしてた人なのだ。レオポルドが動かなければ、あのままノーラを王家で囲うつもりだった人。”王国全体のために個人を切り捨てる”ことができる人。


これからはアクランドのために優しさを捨て個人を切り捨てる判断をしないといけないと悩んだノーラだが、切り捨てられる側になることもあるのだ。


「テオドールはこれからアクランドの領地に限り外出を許可する。といってもアクランドの隣、ケラハー辺境伯領の転送ゲートを使うことになるだろうから、正確にはケラハーとアクランドの2領だな。外出する前には必ず私に直接声をかけること。それと、どう雨を降らすか決めたらちゃんと報告するように」


「うん!」


テオドールは体を揺らし頷いた。外出許可が出たことに喜んでいるのが、顔が見えなくてもよくわかる。

ノーラは3日前にアクランド伯爵家のタウンハウスへ来る前にテオドールは国王の許可を取っていたのか気になってしまったが、追求することはしなかった。


その後は襲爵の儀式の日程を相談し、こうして、国王との面会は終わった。


ーーーーー


ミリーがお代わりのお茶を入れるのを待ちながら、ノーラは昨日届いた国王からの手紙を眺める。


『部下が王都の下町でルカ・レモンを見つけ、聞き込みで茶髪の小柄な女性と一緒にいたとの証言も得た。ルカくんとフィーネ嬢は一蓮托生で間違いないだろう。こちらの動きに気づかれ逃げられてしまったとの報告だった。

王家の者に気づき撒くほどに優秀とは、オーダム侯爵は本当に勿体無いことをしたと思うよ。

オーダム侯爵家の秘密を知っていたら捨てられることはないだろうから、ルカくんは生贄の事実は知らなかったはずだ。今、一番警戒しないといけないのはオーダム侯爵がルカくんに接触することだけど、逆にオーダム侯爵家の使者を尾行してルカくんを追う手も使っている。見つけたらまた連絡する』


ルカとフィーネの動向について、国王から直々の報告。砕けた文体が逆に恐ろしい。


ノーラはコナーとミリーに国王からの手紙の内容を零す。


「王都の下町でルカを見つけたって。でも、逃げられちゃったみたい。……茶髪の小柄な女性といたそうだから、ルカとフィーネさんは一緒で確定ね」


ノーラは侍女長とコナーとミリーの3人だけにはフィーネの出自と、虹蛇の召喚契約が消滅したことと、王家にフィーネを探してもらっている件は明かしている。生贄のことはもちろん知らせていないが、それでも3人ともアクランド伯爵家の特別な魔力については理解しているため、現状のフィーネが他家から狙われていることもわかっている。


ミリーはルカと同じ孤児院出身。ルカと共通の知人が複数いるために捜索の協力者として王家へ紹介した。それにより事情を明かしたメンバーに入っている。


「てっきりルカはオーダム侯爵家にフィーネさんを連れて行くものだと思っていましたが、ひと月たった今もまだ一緒に逃亡しているとは。……二人は本当に恋人同士だったようですね」


ルカはフィーネをオーダム侯爵への手土産とし、オーダム侯爵家に戻るつもりだったのではと、コナーは予想していた。

今年5歳となるルカの異母弟、オーダム侯爵夫人が産んだ嫡男だが、あまりにもオーダム侯爵に似ていないようだ。そのため、社交界では王族に血縁を確認してもらうのではないかという噂が流れている。お家騒動で混乱しているオーダム侯爵家へルカならば計略を持って飛び込むのではないかというのが、コナーの意見。


コナーがそう思ったのにはそれなりの理由がある。


母が亡くなったすぐ後にアクランド伯爵家を去っていったコナーのことを、ノーラはルカから”母の死で憔悴し退職した”と聞かされていた。真実は、ルカの手により、アクランド領で一番大きな貿易会社へ出向させられていたのだ。


愛する恋人である母から最期の時にノーラのことを頼まれたコナー。母の葬儀の時にはノーラを支えようと心に誓ってくれていた。それなのに、葬儀の後すぐに家令から貿易会社への出行を命じられてしまったそうだ。

アクランド伯爵である父のサインもちゃんとあり、拒否することができないその出向辞令。自分はアクランド伯爵夫人の愛人だったのだから、アクランド伯爵から忌避されて当然な存在。仕方ないと受け入れ、ノーラのことで後ろ髪を引かれながらアクランド伯爵家を去っていった。


それから2年経ち、アクランド伯爵と家令が亡くなったことを知り、たった15歳で伯爵となるノーラが心配になったコナー。母が存命の頃は政務の手伝いをしていたため、自分は必ずノーラの力になれる。もう一度アクランド伯爵家に雇ってもらえないかと、辞令を無視してでもアクランド伯爵家を訪ねることにした。


念のためにとコナーが持参してくれた出向を命じた書類を見たノーラは、それが、ルカが作成した書類だとすぐに分かった。


ルカの手が入った書類だとコナーに伝えると、コナーはこの出向を手配したのはルカかもしれないと、密かに予想していた旨を教えてくれる。

コナーはルカから酷く嫌われていたそうだ。嫌われていたより憎まれていたに近いと、コナーはため息をつく。ある日ルカから言われた嫌味で、コナーが母の恋人であるためにルカに嫌われていることを悟り、別の日には母を見つめるルカの黒い瞳を見て、ルカは母に想いを寄せているのだと気付いたそうだ。


父の政務の補助をしていた母。その母の政務を助けていたコナー。そのコナーがいないことでノーラはとても苦労した。


ルカは、ノーラが困ると分かっていても、それでも自分の復讐心を優先してコナーを追い出していた。

碌な確認もせずにすぐにサインする父を利用し、家令も抱き込みコナーを追い出す。


このように、自分の利益のために頭を働かせ卑怯な手段を取れるルカは、フィーネを利用してオーダム侯爵になろうとしているのではないかというのが、コナーの予想だったのだ。


「ミイラ取りがミイラになるってやつですかね?少し違います?」


「言いたいことは伝わりました。私はフィーネさんを見たことないからなんとも言えませんが、あのルカを籠絡できるとは、さすがと言うべきか……」


コナーはオーダム侯爵になるためにフィーネを利用しているという予想は間違えていたと認め、ミリーの例えに頷き、入れ違いでアクランド伯爵家を去ったフィーネに感心している。


アクランド伯爵家からコナーを追い出したのは、母の恋人だったことへの報復もあるだろうが、本命はノーラを孤立させルカへ依存させることだったのではとも、コナーは言った。


それも、どうにも、ノーラへの仕事の配分がおかしかったそうだ。もっと効率よく、ノーラの負担を軽く、執務に取られる時間を少なくするようにできたはずなのに、まるでノーラが仕事に追われるように配分されていた。


実際にコナーが従者になってからのノーラは、以前よりも自由になる時間ができた。父のサインをもらいに行く手間がなくなったとはいえ、それだけでは説明できないほどの違いがある。


文官を兼ねていたノーラ専属の侍女たちとは、今のミリーのようにたわいのない話をして打ち解けるような余裕もなく、大量の仕事と時間に追われながら予定をこなしていたかつてのノーラ。それがルカの策略だったかもしれない。


もしも、コナーがアクランド伯爵家へ残り、ノーラの従者になっていたなら、と考える。


読書のために約束の時間より数時間早くアクランド伯爵家を訪れるキャルムと、もっと交流できたのではないだろうか。侍女たちをはじめ使用人とも気楽に接して、友人と会う時間や、趣味の時間を取ることもできたのではないだろうか。父とフィーネが毎朝過ごしていた朝食後のひとときにノーラも参加することができたのではないだろうか。


最初はルカに助けられて嬉しいと喜んでいただけだった。それがいつの間にか、かっこいいと胸が高鳴り、何かあるたびにルカの黒髪を探してしまい、頼りになる大きな背中に縋りたいと思ってしまうようになっていた。キャルムを、婚約者を裏切っている自分を嫌悪していたが、ルカではなくコナーがノーラの従者だったなら、そんな気持ちにはならなかったのではないだろうか……。


コナーの話を聞き、コナーが話すルカは”狡猾”という言葉がぴったりだなとノーラは思った。

そして、最近のノーラはキャルムのことを”狡猾”だと思っていたが、キャルムのことを”狡猾”だと負の印象を抱くようになったのは、ルカにそう言われ続けていたからだと気づいてしまった。


確かにキャルムは賢い。でも、笑顔は下手だし、婚約者に仕事の話しかしないような不器用なところがある。そして、お人好しだ。”狡猾”ではない。

そうノーラは知っていたはずなのに。


アクランドグリーンの件は、キャルムの企みではなく、ダリモア辺境伯の企みと思う方が自然ではないか。


ルカからの報告を受けた後、腹を割ってキャルムに問いかけていたら、キャルムなりの考えが聞けたかもしれない。お人好しで甘いところがあるキャルムは、強欲な父親の計画に反対したのではないだろうか。きっと、あのダリモア辺境伯を抑えるのは嫡男じゃない14歳のキャルムには荷が重かったはずだ。


……あのお方は利に聡く計算高く本当に要領がいい。そして、私には自尊心が高い自信家に見えます。有能なノーラ様より、何もわからないフィーネ様の方がアクランド伯爵家を自分の思い通りに統べることができる、とでも思っているのでしょう。それにはフィーネ様を籠絡さえすれば良い。……フィーネ様を寵愛している旦那様ならきっとフィーネ様が望む通りにと動きます。……


かつて、キャルムがフィーネと親しくしていると忠告してきた時のルカの台詞を思い出し、コナーに伝えると、これは、ルカの考えそのものだろうと言われてしまった。


アクランドグリーンの件があってもキャルムとの婚約を解消しなかったノーラ。そんなノーラよりも、彗星の如く現れた”何もわからない”フィーネを籠絡した方がいいと判断した。ノーラの線も残したまま、隠れてフィーネへ近づいたのだろう。


でも、父の娘ではなかったと判明したフィーネを切り捨てなかったルカ。


オーダム侯爵家のお家騒動を知っていたコナーは、ルカはフィーネを利用していると思っていたのだが、国王からの手紙でその可能性は低くなった。


「フィーネさんはマーシャル男爵の孫娘でもあるんですよね。マーシャル男爵は複数の貴族夫人に近づき、恋愛感情を利用して投資に誘導し金銭等をだまし取る詐欺で捕まった男です。実際は詐欺より違法魔道具の密輸の方が重罪でしたが、密輸入相手の国との兼ね合いでそのことは罪状に上がらず、公然の秘密となってしまいました。……マーシャル男爵は異性を籠絡する手腕に長けていた。その娘のカミラはアクランド伯爵以外の男性とも体の関係を持っていたし。フィーネさんも充分にその血を受け継いでいたようですね」


コナーの言葉で、ノーラはカミラの父マーシャル男爵についてよく知らなかったことに気付いた。ちゃんと情報を手に入れておくべきだろうと、コナーへマーシャル男爵についての詳細をまとめておくように改めて頼む。


ルカはノーラを孤立させて自分に依存させ、アクランド伯爵家への婿というキャルムの地位を狙っていたのではないかとコナーは言う。


コナーの言う通りなら、ノーラはルカの目論見通りにルカに恋心を抱くまでになっていたのだ。それを思うと、自分への失望感で今食べている美味しいケーキの味も感じなくなってしまう。


ノーラはルカに恋していた。それでも、必死に抗いルカを遠ざけていた。ルカと二人きりになる時は図書室へ資料を探しに行かせていたし、アクランドへ戻ってきてからは王都へ緊急の書類を持っていくことはルカに任せていた。


そのノーラの必死な抵抗が、ルカがフィーネに捕まってしまうことへ繋がったのではないだろうか。


ノーラは思い出したのだ。とある晩、ノーラはルカを図書室へ行かせた後、残業している文官に書類を見せるため一人で事務室へ行ったことがある。

その時、ノーラは父の私室へ向かうフィーネと遭遇した。侍女も付けずに出歩いていたフィーネとすれ違ったその場所は、事務室がある公的な区画から私室など私的な区画へと繋がる廊下で、フィーネの私室から父の私室へ行くには絶対に通らない廊下だった。


……事務室がある区画には図書室もある。きっとあの時のフィーネさんはルカと逢引していたのね。


ルカとフィーネ二人の始まりは、ルカがフィーネを籠絡するつもりだった可能性が高い。でも、ミリーが言う通り、ミイラ取りがミイラになって、ルカはフィーネに籠絡されてしまったのかもしれない。







ルカとフィーネの種明かしが長くなり申し訳ないです。

説明回はここまで(のはず)。

次話から物語は動きます。

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― 新着の感想 ―
今度はコナーが怪しく見えてくる病気に罹りました…(惑わされやすく疑り深い読者) ここからキャルムへの信頼が回復することあるんだ…(ない?) 安らかにお眠りくださいぐらいの展開があるかもとびびりびびり…
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