15 カモミール (逆境に耐える)
父が亡くなった翌々日。
ノーラはアクランド伯爵家のタウンハウスで父の葬儀を執り行なっている。
葬儀の準備に忙しくしていた時は無心でいられたのだが、以外にも葬儀の最中は手持ち無沙汰の時がある。今は機械のように参列者一人一人に定型の挨拶を返しながら、考えたくなくても浮かんでくる不可解な疑問やこれからへの不安などについて、頭の中で一つ一つ解きほぐすように整理していた。
父の葬儀は王都とアクランド領の両方で行い、最終的に父はアクランド領の神殿へ埋葬する。
その神殿にあるアクランド伯爵家のお墓にはノーラの母エイダが眠っているが、かつて父の手によって、フィーネの母カミラも埋葬されていた……。
カミラのお墓をこのままにしておいて良いのか迷う。ノーラの一存で決めることはせず、フィーネに連絡が取れるまではアクランドへ眠らせておいたままにしておくことと決めた。
フィーネは父が亡くなった日の夜中、手持ちの装飾品を持ちアクランド伯爵家のタウンハウスから姿をくらましてしまった。
さすがに父がフィーネに付けたアクランド当主の腕輪は机の上に置き去りにしていたし、管理リストと在庫を確認してもらったところ、アクランド伯爵家の家紋が入ったものなど取り返さないと困る物は持ち出されていなかった。
おそらく渡すことになっていただろう手切れ金の代わりと思えば丁度良いだろう。
当主の腕輪の下には「お世話になりました」とだけ認めた、手紙と言えないような走り書きの紙があった。取り敢えず、誘拐ではなく自分から出て行ったと判断し、追っ手の手配はせずに放置している。
フィーネの意思なく連れ去られていた場合を想定して探し出すべきだろうが、ノーラを筆頭に末端の使用人まで皆、普段は持ち場でないことまで仕事に追われている現状。正直、問題が山積みの今、血が繋がっていないと判明したフィーネへの優先順位は低い。
継承魔法が失敗したのはフィーネのせいではない。
フィーネが自分の出自を知っていたのか、知らなかったのかは分からないが、それでも、フィーネを次の伯爵へ指定したのは父だ。父が悪い。次点でカミラ。
ノーラはフィーネへ罰を与えるつもりも、無一文で放り出すつもりも、もちろんなかった。
そんなことをしたら、次期アクランド伯爵であるノーラは、父親が死んだ途端に異母姉を追い出した極悪非道な人物だと周囲から思われてしまう。ノーラの心象がどうであろうと、外聞が悪いためそんなことはできない。
フィーネからは今後どうしたいか聞き出し、双方納得のいく落とし所を見つけるつもりだった。
それなのに、フィーネは換金できる宝石や貴金属を持ち出し、逃げ出すように居なくなってしまった。ノーラはフィーネから全く信用されていなかったのだと理解するものの、不思議と悲しくはない。
それだけノーラとフィーネには距離があったし、実は姉妹でないことが判明したこともある。それに、衝撃的なことが続きすぎて心が麻痺しているのもあるだろう。
そんなフィーネと同時に居なくなったルカ。
父の病室で見た二人の親密な様子とタイミング的に、ルカとフィーネは一緒にいると考えて間違いないだろう。
ルカの部屋には、アクランド伯爵家の使用人を辞める旨書かれた手紙と、退職時に必ず結ぶ秘密保持誓約書が置かれていた。契約書はあとはノーラがサインをするだけで魔法契約が完了する状態の完璧さで、ルカの私物以外持ち出された物は無い。
予告なく急に退職したことが非常識だという以外にルカに落ち度はない。ノーラがルカへ裏切られたと問い詰める理由もない……。
家令もルカもいなくなった中での葬儀の準備は、ルカがいないことで起こる不都合や手間が多かった。
有能なルカならば、ルカの突然の不在で周囲が困ることを正確に予想できるはず。
父の死という非常事態、切実に手助けを必要としているノーラの常ならない事態を把握しながら、それでも尚ルカはフィーネと出て行くことを選んだのだ。
ノーラの胸の奥はどんどんと冷えていく。
使用人の皆が一丸となって動いてくれたことで、こうして無事に父の葬儀は執行している。皮肉にも僅か2年前に母の葬儀の経験があったことで乗り切れたと言える。
今のノーラはアクランド伯爵代理。襲爵には王国の許可と儀式が必要で、まだ正式にアクランド伯爵に襲爵した訳では無い。
アクランド伯爵家は虹蛇を召喚することができなくなってしまった。早急に対処しないと、雨乞いは出来ないことでアクランドの民たちの生活に支障をきたす。
継承魔法が失敗してしまったことの事実関係を背景から含めて、直接、国王へ報告する義務がノーラにはある。
葬儀の準備の中で、父の死についての届け出と、国王陛下への謁見願いを出したのが昨日のこと。葬儀は今日から3日間。国王陛下からは葬儀が終わった次の日、3日後に面会すると、今朝方返事が届いた。
あれは浅はかな父の暴走の結果だった。
父が愚物だと理解しているノーラはそう考えているが、それを知らない人は誰かの作為的な計略だったと疑うかもしれない。……真っ先に疑われるだろうフィーネが失踪したことは心象が悪いだろうが、正しい経緯がわかればフィーネが罰せられることは無いだろう。ちゃんと捜査されるはずだ。
「このたびは突然のことで、お慰めの言葉も見つかりません。将来は姻族となるのです。私どもにできることがあればお手伝いさせていただきます。何なりとお申し付けください」
気づけば、参列者からノーラへの挨拶は、ダリモア辺境伯の番となっていた。体格が良く強面な辺境伯の哀れむような笑顔が白々しく気持ちが悪い。
そんな辺境伯の横にはキャルムもいて、居心地悪そうにしている。父の病室であったアクランド家の醜態の一部始終を見ていたのだからきまりが悪いのも仕方ない。
「ご冥福をお祈りいたします。……ノーラ、僕にできることがあれば、なんでも言ってくれ」
葬儀の準備でキャルムの手を借りることはなかった。雨乞いが出来なくなったことで、ダリモア辺境伯家はキャルムの婿入りを取りやめる可能性が高いと考えたからだ。
ダリモア辺境伯とキャルム、二人共に手助けを申し出てくれる。きっと、アクランドグリーンの件がなければ素直に受け入れていたのだろうなと考えながら、ノーラは他の参列者へと同じ定型の返事を返した。
「本日はお足元が悪い中、参列していただきありがとうございます。温かいお言葉、故人も喜んでいると思います」
「ノーラ嬢、なるべく早く提案したい話があるのです。こんな時に申し訳ございません。本日、葬儀が終わった後少しお時間をいただけませんか?」
身を乗り出しノーラに問いかけるダリモア辺境伯からふわっと甘いカモミールの香りがしてくる。目つきが鋭く威圧感のあるダリモア辺境伯が付けるには似合わない香りが印象深い。
ノーラにダリモア辺境伯からの誘いを断る理由はない。
自分の子供と同世代のノーラへ目上の人へ話すような丁寧な敬語を使う辺境伯に、逆に敬語が苦手なのだろうななどと思いながら、ノーラはダリモア辺境伯と今晩話し合う約束を取り付けた。
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「ノーラ嬢、巨大水晶を売却しましょう」
ダリモア辺境伯の第一声に、ノーラは言葉が出ない。
葬儀が終わった今は夕方。
ノーラはキャルムとの交流でいつも使っている、タウンハウスで一番大きな応接室でダリモア辺境伯とキャルムと3人でお茶を飲んでいるところ。昼から降っている雨のせいで夕方だというのに薄暗く、雨粒が窓を打ち付ける音もしている
ノーラが返事を返せないでいると、辺境伯はどんどんと話を進めて行く。
「巨大水晶を売却したお金で転送ゲートを購入するのです。最近では魔力を持っていない物でも専用の魔力を纏わせることで転送ゲートを利用できるようになりました。遠方へ物資を運ぶことが始まってます。それの水専用のものを開発して貰えば良い。アクランド領へダムを作り、そのダムとダリモアの領地にある浄水場とを転送ゲートで結べば、雨乞いが出来なくてもアクランドの民の生活は変わりません」
父が亡くなった日、ノーラは混乱している中でもキャルムとキャルムの従者、病院関係者に病室で起きたことの口止めを忘れなかった。
病院関係者は、自分たちには守秘義務があり、働く上で患者の秘密を知ってしまうことはよくあることなので信頼してほしいと返事をしてくれた。キャルムとその従者ももちろん首を縦に振っていたが、キャルムの父ダリモア辺境伯にはすぐに知らせてしまったようだ。
辺境伯の隣に座っているキャルムは、ただでさえ大きくクリッと丸い目をいつも以上に大きく見張って辺境伯を見ている。その驚きようから、キャルムはこの話を知らなかったと分かる。
「私の領地と接している隣国の王室には希少な水晶を集めていることで有名な方がおりまして、水晶を高額で購入して貰えるツテがあるのです。近々、隣国へ行く予定がございます。今、ノーラ様のお返事を頂きましたらその方へ話をしてこようと思っております」
父の突然の死だけでなく、虹蛇との召喚契約まで失ってしまったばかりで混乱しているノーラへ差し伸べられた救いの手。ここでノーラが首を縦にふるだけで水不足の問題は解決する。
「お断りします」
その瞬間、窓から閃光が差し応接室を青白く染め、3人の顔を照らし、間を置かずにドォーンという雷の轟きがした。
はっきりきっぱりと言い放ったノーラの言葉にダリモア辺境伯は胡散臭い笑顔のまま固まり、キャルムは戸惑いの表情でノーラを見つめている。
「なぜかな?」
辺境伯は笑顔から真顔になりノーラへ問いかける。大人の男性、それも見るからに屈強な権力者の圧に恐怖を感じる。
これからノーラは領民と伯爵家を守るため、こういう人とも対等に渡り歩いて行かないといけないのだ。
ノーラは震えそうになる手を強く握り締めた。
「それは、僕がいれば雨が降るからだね」
ノーラが返事をする前にいつのまにか開け放たれていたドアから声がかかる。
声の主は黒い頭巾に黒いマント、黒い手袋に黒いブーツ、黒いヴェールに黒いマスクで、よく見ると全ての黒い布には黒い糸で魔法陣がびっしりと刺繍されている。
指先一つ露出していない、真っ黒な服で全身を覆われたどう見ても不審者なのだが、彼は我が王国の呪われた王弟テオドール殿下だ。
不気味な服装にそぐわないカラッとした明るい声が応接室に響くと、また雷が鳴る。
「喉が渇いてお茶飲んだせいで雷鳴ってごめんねー」
そう言って、テオドール殿下は誰の許可も取らずにストンと空いていたノーラの隣の席へ座った。
「なるほど、テオドール殿下、ね……。はぁ、この対応のはやさ、こっちの動きを知られてたってわけか」
ダリモア辺境伯は苦笑いをしたあと、姿勢を崩し、今は長椅子の背もたれに寄りかかり、首元のタイを緩め、足をくみ出した。
「僕はただ友人のノーラを助けに来ただけだよ?」
「友人だなんてバレバレの嘘をつく……。そんななりだ、殿下は殿下だと証明する人を用意してるんですよね?殿下を引っ張り出せたそいつが犯人かな。めんどいから早く連れてきてくれ……」
ダリモア辺境伯はため息をつきながら髪をかきむしっている。綺麗に整えられていた髪は崩れ、辛うじて貴族に見えていた姿は今や見るも無残だ。
隣に座るキャルムとは同じ銀髪に紫色の瞳だというのに親子には見えない。
「お嬢ちゃんも、もう力を抜いて大丈夫だぜ。……心配しなくても、もう諦めたから」
そう言ってノーラに笑いかける辺境伯。葬儀の時の笑顔よりもずっと”らしい”なと思いながら、ノーラは緊張で固まっていた肩の力を抜いた。
ひとまず、この時点での、ダリモアにアクランドを乗っ取られる危機は脱せたようだ。
こんな後半になっていきなり王弟を出してすみません。
プロローグから存在は匂わせてたので許してください……。