10 芦毛の馬 (生贄) -side キャルム-
「あの芦毛の馬、アレの実家から貰ったんだろ?さすがだな。タイミングの悪さが見事だ」
本年ほど前、キャルムは母の実家から芦毛の馬を買った。
新しい馬が欲しくてお金を貯めていたキャルムは、母方の祖父から良い馬がいると言われ個人資産から購入した。祖父は相場よりかなり安くしてくれたので“貰った”という表現も間違いではないが……。
「その少し後に王妃主催の夜会があったろ?社交シーズンでもないのにって渋々行ったその夜会でな、妙な男から“緑の糸が売れてますね”って言われたんだよ。だから俺はちゃーんと“三男のおかげだ”って答えといたぜ」
そこまで言われて父の言いたいことが分かったキャルム。強く拳を握りしめてしまう。
2年前にアクランド伯爵夫人が亡くなってしばらくして、キャルムはノーラからアクランド伯爵家の羊毛産業の書類を任されるようになった。勉強を兼ねてアクランド領へ視察へ行った。
そこで起きたことはキャルムにとって苦い思い出しかない。
当時14歳だったキャルムは、自分に付いている従者は、当然、自分に付き従う者だと思っていた。それまでその忠誠心を疑うことなどなかった。端的に言えば純粋な子供だったのだ。
キャルムに付いている従者は、父が付けた者と母が付けた者の二人。その二人にとっての主人はキャルムではなく当主である父ダリモア辺境伯爵なのだと、アクランド領への視察で思い知らされた。
アクランド領への視察の最中、キャルムは父が付けた従者がアクランド領の特産物であるピスタチオの苗木を持っていることに気づいた。
特定品種として国へ登録している野菜や果実は、登録地以外の領で栽培し販売することが禁止されていて、苗木や種子の購入も特定の農家しかできないよう許可制になっている。
従者はキャルムの目を盗んでアクランド領の農民に袖の下を渡し、アクランド特有の品種として登録しているピスタチオの苗木を密かに入手したのだ。
キャルムはすぐに父の企みだと気づき、己の父の貪欲さ卑劣さ狡猾さや自分の行動を利用された事に落ち込む暇もなく、従者からピスタチオの苗木を奪いダリモアへ持ち込まないように対処した。
この時、確かにキャルムは生まれ育ったダリモアよりも将来婿入りするアクランドを選んだ。というより、いつも穏やかに優しく微笑んでくれるノーラの笑顔が曇ることが嫌だった。ノーラの笑顔を守りたいと思う気持ちで動いていた気がする。
父が付けた従者がまた新たな苗木を得るために動かないか警戒し、邪魔し続け、無事終わったと思っていたアクランド領の視察。アクランド伯爵領からダリモア辺境伯領へ帰り、夏が過ぎ秋も終わり冬になった頃、ダリモア産の新しい緑色の羊毛が市場に出回っていることにキャルムは気づいた……。
ピスタチオの苗木は囮で、父の本命はアクランドグリーンの染色方法だったのだ。
苗木の件で攻防していた従者ではない方、もう一人の従者。母が付けてくれた従者だからと安易に考え放置していたのが間違いだった。母が付けたとしてもダリモア辺境伯家の使用人なのだから、父の手先になりえるのだと考慮できていなかった。
ダリモア産の新しい緑色の羊毛に気づいたキャルムはすぐに調べたところ、母が付けた方の従者はアクランド領の視察中にキャルムが見ていない隙にアクランド伯爵本人に染色工場の内部へ案内してもらい、アクランドグリーンの染色方法を入手するだけでなく愚かなアクランド伯爵から使用許可まで得ていた……。
幸い、ダリモア産の緑色の羊毛はアクランドグリーンよりも彩度が低く糸の品質は低い。高品質で濁りないアクランドグリーンの下位交換・廉価版となるため、使用商品のランクが異なり、アクランドグリーンと共存することができる。
ダリモア産の新しい緑色の羊毛が発売されたことによるアクランド伯爵家の被害額は少ない、はずだ。少なくとも、アクランド産ピスタチオの品種が流出してた場合の被害額とは比較にならないくらい少額だと言える。
貴族の生活圏に入ってこない品質が低い糸を、毎日忙しくしているノーラが目にすることはないだろうと無理やりに思い込み、キャルムはただただ見てみないふりを決め込んだ。もう販売してしまっているためノーラが気づくことがないようにと願うことしかできない緑色の羊毛のことは、無理やり意識の外に置いていた。
半年前の夜会で父に話しかけてきた人物は、話の流れ的に、アクランド伯爵家の調査員で間違いない。
ノーラにバレないようにというキャルムの願いは虚しくも叶わなかったようだ。
誰かがノーラへダリモア産の緑色の糸の件を忠告したのだろう。常にノーラの後ろに立ち、キャルムへは愛想笑いもよこさないノーラの従者ルカの黒い瞳を思い出す。何の根拠もないが、きっとルカがノーラへ知らせたのだろうなと、キャルムは漠然と思った。
そして、実はキャルムのアクランド伯爵家婿入りを歓迎していなかった父は、まるでキャルムが率先してアクランドグリーンの染色方法を入手してきたかのように調査員へ答えてしまった。父のことだ。囮だったとはいえ、キャルムがピスタチオの苗木入手を妨害したことへの報復も兼ねているに違いない。
今回の件とは関係なく入手した芦毛の馬も、タイミング的に褒美として買い与えられた馬だとノーラに報告されてしまっている可能性が高い。
社交シーズンで王都で会う度に美しく成長しているノーラ。緊張してしまうからと、最近はちゃんと顔を見て話ができなかったことを悔やむ。ノーラはきっとキャルムに対して気まずい思いをしていたはずなのに、キャルムはそのことに気づいてすらいなかった。よりにもよって、アクランドグリーンの染色方法を入手するきっかけとなった羊毛の仕事の話ばかりしていたこの半年のキャルムは、ノーラの目にどう映っていたのだろうか。考え出すと、息が上手に出来ない……。
父の不敵な笑みを見てしまった今、自分とノーラの間に生じていた不協和音に嫌でも向き合わされる。
今のノーラに生贄の話やピスタチオの苗木を守った話をしたとて、キャルムの言葉を信じて貰えるのだろうか。一緒に対策を講じるなど、夢のまた夢なのでは……。
「お前をアクランドに婿入りさせたいくせに、オーダムの息子について警告してないお前の母も悪い。母子揃って肝心なところが甘いんだよな。まぁ、俺はお前がダリモアに残るのを歓迎してるから気にするな」
「オーダムの息子……?」
これまでの話に関係性が見えないオーダム侯爵の家名に、キャルムは思わず父へ惚けた顔を向けてしまった。
「本当に知らないんだな。お嬢ちゃんには黒髪の従者が付いてるだろ?あれはオーダム侯爵家の元嫡男だぞ。あとは自分で調べろ。……要は俺が言いたいのは、お前の立場を狙ってるかもしれない奴がお嬢ちゃんのすぐそばにずーっといたってことだよ」
これまで何となく、そう、本当に明確な理由もなくただいけ好かないと思っていたルカへの、ぼんやりとしていた印象の輪郭がはっきりとしてくる。
「元嫡男の従者くんがオーダム家で冷遇されてた時な、アクランドの嫁のおかげで待遇がましになったことがあるらしい。従者くんは死んだアクランドの嫁に忠義があるんだろ。忠義なのか恋情なのか執着なのかは知らんけど。……まぁ、緑の糸に気づいてもお前と婚約解消しなかったわけだし、お嬢ちゃんは従者くんを婿にするつもりはないんだろうな」
自分の将来がこんなにも不安定なのだと気づいていなかったキャルム。
今回の呼び出しはアクランド伯爵家へ婿入りできない場合の保険を考えておくようにという父なりの警告なのだろう。フィーネを連れて来ればダリモア辺境伯家へ残ることもできるという提案でもある。
一瞬優しいと喜んでしまったが、そもそも、父がアクランドグリーンの染色方法を入手しなければキャルムの婚約は安泰だったはず。いや、キャルムはルカの正体にも気づいていなかったのだから安泰とは言えない。
母やキャルムのことを“甘い”と断じる父だが、父にもそれなりに甘いところがあるようだ。
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父に呼び出された日から後日、アクランド伯爵家タウンハウスで恒例の婚約者同士の交流をしたキャルムは、ノーラが自分を見る目が冷え込んでいることに気づいた。
自分はいつからノーラとの離れた距離に気づいていなかったのだろうか。キャルムへ不信感を持っているノーラへ、ダリモア辺境伯家の直系男子しか知らない家史、端的に言ったらダリモア家の秘密を漏らす判断は取れない。アクランド伯爵家祖先の生贄の件をノーラに話すことはできなかった。
それと、ノーラはキャルムとフィーネと同時期に学園へ通うことになる令嬢たちへ“姉をよろしく”としたためた手紙を出していた。あの優しいノーラのこと。きっとフィーネのために良かれと思って手紙を出したはず。
そのせいでフィーネがアクランド伯爵家公認の元庶子だと周知され、今さらフィーネの存在をごまかすことができなくなってしまったなどと知ったら、ノーラはどれほど落ち込むだろうか。今さら、フィーネが他家から狙われるだろうことをノーラへ教えたところでどうしようもない。
キャルムはアクランド伯爵家祖先の生贄の件をノーラへ伝えることを断念した。
アクランドグリーンの件でノーラとの関係に亀裂が入ってしまったことはわかっている。それでも、ノーラから婚約解消の話は出なかった。キャルムはこのままアクランド伯爵へ婿入りしたいと思っている。父の望むフィーネへ乗り換えようなどとは考えていない。
その結果、フィーネが危険な状態に晒されたまま放置されることになるがそれでも構わない。
そもそも、“魔力が聖獣に好かれる”という事実だけで、アクランド伯爵家の人間が他家から狙われることなど、生贄だった過去を知らなくてもよく考えればわかるはず。
今、アクランド伯爵家の人間が普通の貴族と同じように過ごせているのは、彼らが雨乞いをしなければアクランド領に大きな損害が出ることが周知されているからであって、つまり、その抑止効果は嫡子だけにしか適用されない。嫡子以外の子供がいれば、その身体に流れる魔力を欲する輩が出てくることだって、危機感を持ってちゃんと考えれば、簡単に予想できること。その予想ができていないアクランド伯爵が悪いのだ。
当のノーラは、自身の特異な魔力に何の頓着もなくどれだけ素晴らしく他者が欲しているものなのか理解せず無防備なのだが、ノーラと関わったことがある人は皆そのことがわかるだろう。ノーラの父アクランド伯爵も同じであることを、ノーラの婚約者であるキャルムは知っていた。
今フィーネが危険に晒されているということをアクランド伯爵とノーラに伝え対策させることができるのはキャルムしかいない状況。それでも、キャルムは自身がアクランド伯爵家に婿入りするために沈黙を選択し、自分には何の責任もないと言い聞かせていた。
フィーネとは極力関わらないようにしようと、考えないようにと、無視しようと、学園入学前のキャルムはそう決意していた……はずだった。




