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前世持ちの悪役令嬢の姉が身勝手な理由でショタを幸せにするだけの話

作者: 緋色の雨

「どうせおまえも身勝手な理由でボクを連れてきたんだろ!」


 ブラッドヴェイル公爵家のエントランスホール。真っ赤な絨毯が敷かれた階段を降りた先にある玄関の前で男の子が声を荒らげた。


 ダークブロンドの髪に澄んだ青い瞳の持ち主。彼は女の子と見紛うほどに愛らしい容姿をしているが、いまは古びた服を纏い、その瞳からは光が失われている。

 彼の名前はルシアン、今年で10歳になる男の子だ。


 そして、そんな男の子が見上げる階段の上には少女。

 軽くウェーブの掛かったピンクブラウンの髪。その髪に縁取られた小顔に収められた紫色の瞳は、宝石のごとき輝きを放っている。

 彼女の名前はエリスティア、14歳になる公爵家のご令嬢だ。


 男の子に敵意をぶつけられたエリスティアは「そうね」と自嘲した。その呟きを聞いたルシアンがびくりと身を震わせるが、エリスティアはかまわずに凜とした声を紡ぎ続ける。


「貴方をここに連れてきたのは私の身勝手な理由よ」


 ルシアンは乙女ゲームの攻略対象だ。その事実を知るエリスティアは、幼少期の彼が辛い日々を送ることになると知っている。

 だけど、だから助けたい――なんて高尚な理由で彼を連れてきた訳じゃない。


 エリスティアはまずその事実を認めた。

 それを聞いたルシアンが悔しげに拳を握りしめる。エリスティアはそれを見下ろしながらゆっくりと階段を降り、ついには彼の前に立った。

 それから後ろ手を組んで、前屈みになってルシアンの顔を覗き込む。


「でもね、私の目的は貴方を幸せにすることよ。私は身勝手な理由で貴方を幸せにする。だからその運命を受け入れ、思いっきり幸せになりなさい」

「……は? なんだよ、それ」


 意味が分からないと混乱する。

 そんなルシアンに向かって、エリスティアは小悪魔のように微笑んだ。


「私の目的を果たすため、貴方には幸せになってもらうわ」


     ◆◆◆


「はぁ……ようやく帰ってこれた」


 終電で帰宅した由里華はベッドの上に倒れ込んだ。

 由里華は幼少期に事故で両親を失い、それからは児童養護施設で育った。そんな彼女のささやかな願いは、いつか本当の家族を手に入れること。


 だが、親を持たない彼女が大学に入るには奨学金制度を利用するしかなかった。彼女は社会人一年目にして大きな借金を抱えることになる。


 だから、必死に働いた。

 借金を返済するためには、ほかのみんなのように遊んでいる時間なんてなかった。おしゃれをする余裕もなければ、彼氏を作る暇だってない。

 家族を手に入れるなんて、夢のまた夢だ。


「……エンディング、もう一回見ようかな」


 ベッドの上で仰向けになってスマフォのアプリを立ち上げる。

 異世界が舞台の乙女ゲーム。

 孤児院で育ったヒロインが聖女に認定されて貴族の養子になる。そうして様々な困難にぶつかりながらも幸せを手に入れていくサクセスストーリー。そのお気に入りゲームの続編が発売決定と言うことで、由里華は無印のエンディングを見返していた。


「はぁ……いいなぁ。私もいつか、こんな風に……」


 幸せになりたいと口にしようとするが上手く言葉にならない。急激なめまいを感じた彼女はぎゅっと目を瞑り――そのまま深い眠りについた。



 目を覚ました彼女の視界には天蓋が映った。


「うぅん……あれ? 私いつの間に寝ちゃって……っ!」


 寝落ちしていたことから、遅刻の可能性に思い至って飛び起きる。彼女が目にしたのは、まるで中世のお姫様が寝ているような天蓋付きのベッドだった。


 驚いて周囲を見回すが、由里華が暮らすワンルームの部屋とは明らかに違う。大きな部屋の床にはふかふかの絨毯が敷かれ、ローテーブルやソファまで備え付けられている。


「……ここは、どこなの?」


 真っ先に考えたのは、自分が誘拐された可能性だ。

 だが、直前の記憶では自室のベッドの上にいた。その状況から誘拐されるとは思えないし、なにより自分を誘拐する意味が分からない。

 そんな風に考えていると、不意に部屋の扉がノックされた。


「……誰?」


 恐る恐る返事をすると、そこから中世風のドレスを身に着けた女性が入ってきた。

 女性と言ったが、見た目は中学生くらいで、由里華よりずっと若い女の子だ。その少女が由里華のまえまで歩いてくると、ぺこりと頭を下げた。


「エリスティアお嬢様、おはようございます」

「……エリスティアお嬢様って……誰のこと?」


 少女の視線の先にいるのは間違いなく由里華だ。けれど、由里華にエリスティアなんて知り合いはいない。首を傾げる由里華に対し、少女はブラウンの瞳を瞬かせた。


「珍しい。寝ぼけていらっしゃるのですか?」

「混乱はしているけど……え、そもそも貴方は誰?」

「私はエリーズ、エリスティアお嬢様の忠実なる侍女でございます。……というか、やはり寝ぼけていらっしゃいますね。二度寝をなさいますか?」

「二度寝……っ!」


 社畜の由里華にとって、それはとても甘美な響きだった。だが、さすがにこの意味不明な状況で二度寝が出来るほど図太くない。なにより、びっくりするくらい前日までの疲れが消えている。それを自覚した由里華は「起きるわ」と言ってベッドから降り立った。

 そのとき、由里華はわずかな違和感を抱く。


「エリーズ、洗面所へ案内してくれるかしら?」

「かしこまりました」


 由里華は違和感の正体をたしかめるため、洗面所へと移動した。

 そして鏡を見て息を呑むことになる。


 鏡に映るのは、エリーズよりも少し下、14歳くらいの女の子だった。

 緩やかなウェーブの掛かった、ピンクブラウンの髪。その髪に縁取られた小顔には、整った形のパーツが黄金比を体現したかのように納められている。

 その中でも真っ先に目に入ったのは、キラキラとしたアメシストの瞳だ。その瞳が、鏡の向こうから自分の姿を不思議そうに見つめている。


(……これは、私?)


 明らかに自分とは似ても似つかない姿。にもかかわらず、鏡に映る女の子の動きは自分とリンクしている。由里華の脳裏に、異世界トリップという言葉が思い浮かんだ。


(待って。そう言えば、エリスティアって……)


 脳裏によぎったのは、寝る前にプレイしていた乙女ゲーム。ヒロインである聖女に嫉妬して嫌がらせをする悪役令嬢の姉がエリスティアという名前だった。


「ねぇ、もしかして私って、エリスティア・ブラッドヴェイル?」


 洗面所の外で控えているエリーズに向かって問い掛けると、「エリスティア・ブラッドヴェイルでなければ、貴女は何処のどなただというのですか?」と呆れた声が返ってきた。


(やっぱり、乙女ゲームの世界にトリップしたんだ。それも、悪役令嬢の姉に……って、待って。それって、つまり……破滅するってこと、じゃない?)


 今作の悪役令嬢が破滅するのは、ブラッドヴェイル公爵家が断罪されるから。このままなら、エリスティアも巻き添えを食らって破滅することになる。


「エリスティアお嬢様、なにかございましたか?」

「いえ、なにもないわ」


 考えるのは後だと、由里華あらためエリスティアは意識を切り替えた。

 そして蛇口に手を伸ばす。見たこともない形の蛇口だが、身体が使い方を覚えていた。エリスティアは無意識に魔導具を起動して、流れるお湯で顔を洗った。



 部屋に戻ったエリスティアは、エリーズに任せて身だしなみを整える。それから世間話と称して情報を仕入れつつ、朝食を食べ終えたところでようやく一息を吐いた。


(やっぱり、私は悪役令嬢の姉みたいね)


 国の名前や、攻略対象である王子の名前などが一致している。そのうえで、時間軸は乙女ゲームの舞台が始まるよりおよそ4年前だ。


 それまでに、断罪イベントが起こらないように立ち回る必要がある。

 そしてそのために必要なのは大きく分けて二つ。


 一つは、悪役令嬢がヒロインに突っかからないようにすることだ。

 悪役令嬢であるアンジェリカは高飛車なお嬢様だ。彼女がその権力を笠に着て、平民出身のヒロインに強くあたる。それがブラッドヴェイル公爵家の不正発覚の切っ掛けとなる。

 ゆえに、ヒロインに突っかからないように、彼女の高飛車な性格を矯正する必要がある。


 そしてもう一つは、断罪イベントのそもそもの原因をなくすことだ。

 ブラッドヴェイル公爵家は横領や賄賂など、なにかと後ろ黒いことをしている。それらの不正が発覚することで、ブラッドヴェイル公爵家は破滅する。

 ゆえに、ブラッドヴェイル公爵家の不正を是正する必要がある。


(アンジェリカの性格を変えるのは、それほど難しくはないはずよ)


 アンジェリカはまだ12歳だから、ヒロインに突っかからないよう、姉として妹を導くくらいならなんとかなるだろう。


 ただ、実家の不正をただすのは難しい。

 エリスティアは公爵家の長女とはいえ、まだ14歳の子供でしかないからだ。


 そう考えれば、なにもかもを捨てて逃げた方が早いかもしれない。妹に次期当主の座を譲り、自分はどこかの家に嫁ぐという手段もある。

 だけど――


(血の繋がった家族)


 いつか、自分も……と願っていた。児童養護施設で育った由里華にとって、血の繋がった家族というのは特別な存在だ。


 なにより、原作に登場するアンジェリカは何処か憎めないところがある。ヒロインに嫉妬して突っかかるのは事実だけど、陰湿なことは決してしない性格なのだ。


 そして、両親も決して救いようのないキャラではなかった。悪事を暴かれたときはすぐに罪を認め、無関係な娘達は助けて欲しいと懇願するシーンがある。


 それゆえ、実家の不正が暴かれて破滅するアンジェリカには同情の声も多かった。続編では、ヒロイン達の味方になるのでは? なんて噂も囁かれるほどである。


 ブラッドヴェイル公爵家の面々はたしかによい人間ではない。けれど、根っこまで腐っている訳ではないのだ。

 だから、出来ることなら家族を助けたいという想いを抱く。


(そうよ。私には原作乙女ゲームの知識がある。その知識を使えば、両親や妹を更生させて、破滅のない人生を歩むことが出来るはずよ)


 自分がなぜトリップしたのかは分からない。

 それでも、幸せを掴むチャンスがあるのなら逃す手はない。だから、由里華はエリスティアとして生き、破滅の運命を変えようと決意した。





 それから数日は、エリスティアとしての生活に慣れるために費やした。

 その間に分かったのだが、由里華としての記憶はすべて保持している反面、エリスティアとして保持しているのは意味記憶だけ、エピソード記憶は失われていた。


 簡単に言うと、地名や人名、魔導具の使い方などは覚えているけれど、誰とどのように過ごした、といった記憶が抜け落ちてしまっているのだ。


(でも由里華としての私は、アンジェリカが妹であると知っている)


 乙女ゲームをプレイした記憶があるからだ。

 もちろん、それで日常に支障がなくなるという訳にはいかないが、主要な人物と未来の出来事を知っているというのは大きなアドバンテージにもなる。

 だから、エリスティアは早速、破滅を回避するための行動を開始することにした。


「エリーズ、いまから街へ出掛けるわ」

「すぐに馬車の手配をいたします」


 エリスティアの命令に、侍女のエリーズは迷わず応じる。


(理由くらいは聞かれるかと思ったけれど……)


 いまのエリスティアは14歳の子供でしかない。そんな子供、それも育ちのいいご令嬢が街へ出掛けるとなれば、もっと理由を聞かれると思っていた。

 説得する方法も考えていたのだが、どうやら杞憂だったようだ。こうして、エリスティアはとくに問題もなく、用意された馬車へと乗り込んだ。


「行き先はどちらですか?」

「隣町の孤児院よ」

「……かしこまりました」


 一瞬の戸惑いはあったが、やはりなにも聞いてこない。彼女は御者と護衛の騎士達に行き先を告げ、エリスティアの向かい側のシートに身を預けた。

 ほどなく、馬車とその一行が移動を開始する。


(この子、私とどういう関係なのかしら?)


 この世界には魔物や魔族が存在する。

 魔族は魔族領から滅多に出てこないが、魔物自体はそこかしこに生息していて、たまに群れが町や村を襲うという被害も発生している。


 そんな世界だから、隣町まで移動するのには危険が伴うはずだ。なのに、エリスティアの思いつきのような言葉に、侍女である彼女がなにも言わない。

 これは、相当におかしなことだ。


(私がこんな無茶ぶりを日常的にしていた、とか? ……まさかね。ラスボスでもあるまいし、そんな暗躍するようなキャラじゃないはずよ)


 原作乙女ゲームにエリスティアはそれほど登場しない。名前だけはちょこちょこ出てくるが、基本的には悪役令嬢の姉、あるいはモブという扱いである。

 であるのなら、考えられる可能性はもう一つの方。


(護衛がそれだけ強い、ということでしょうね)


 公爵家の令嬢を護る護衛ともなれば、それ相応の戦闘力を有しているはずだ。であるならば、街道に出る魔物を恐れる必要はない、と言うことだ。


(もっとも、エリーズがなにも聞かないことの説明にはならないのよね……)


 エリスティアはこっそりと、向かいのシートに視線を向けた。エリーズはチョコブラウンのロングヘアーを後ろで纏めた、素朴そうな15歳の少女だ。


 だが、その若さでエリスティアの専属侍女でもある。

 しかも、公爵家の侍女となれば、普通は貴族の娘が一般的なのに、彼女は騎士爵を持つ平民上がりの孤児という変わった経歴を持っている。


 ――という意味記憶はあるのだが、なぜそんな少女がエリスティアの侍女になったのかというエピソード記憶がない。

 不思議な経歴だけに、ますますもって謎の存在である。


「エリスティアお嬢様、どうかなさいましたか?」

「いいえ、なんでもないわ」


 そっと視線を外す。

 エリーズのことも気になるが、いまは破滅回避について考える必要がある。


 アンジェリカの高飛車な性格を矯正するのはともかく、ブラッドヴェイル公爵家の悪事を是正するのは一筋縄ではいかない。

 ゆえに、エリスティアは保険を掛けることにした。

 その保険として最初に考えたのはヒロインの確保だ。だが、時期的に考えて、ヒロインは既に貴族の養女になっている。いまから確保するのは不可能だ。

 そこで目を付けたのが攻略対象の一人、ヒロインの幼なじみであるルシアンだ。


(孤児院でルシアンを確保する)


 ヒロインと同じ孤児院で育った男の子。実は死んだと思われていた王子の従弟であり、幼少期は呪いで苦しんでいるという設定だ。


 だが、呪いの正体は膨大な魔力を制御できずにいるだけである。

 引き取られた貴族の家で虐待を受け、精神が不安定になって魔力が暴走。半身に模様が浮かび上がり、それが不吉だという理由で孤児院に送り返された、という過去がある。


 作中ではヒロインと出会うことで精神的に成長。その過程で魔力の暴走が呪いの正体であると知り、魔力を制御できるようになり、晴れて王族の地位を取り戻す。


 エリスティアは、そのルシアンを救うことにした。なぜなら、死んだはずの王子である彼を救ったという事実は、実家が断罪されたときに減刑の材料になるからだ。


 身勝手な理由でルシアンの運命を変えることに罪悪感がないと言えば嘘になる。なぜなら、由里華はルシアンとヒロインのルートが大好きだったから。

 推しのカップルのあいだに割って入るのは、ファンとして御法度である。


(出来るだけ、原作のストーリーは歪めないようにしないと)


 破滅は回避しつつ、原作のストーリーは出来るだけ変えないようにする。

 それが新しい目標だ。


(そのためにも、まずはルシアンの確保よね)


 どういう名目でルシアンを引き取ろうかと考えていると不意に馬車が止まった。どうしたのだろうかと外に視線を向けると、騎士達が慌ただしく陣を敷いていた。

 その向こうには、ウルフやオークといった魔物の姿が見える。


「魔物の襲撃ですね」


 エリーズが淡々と口にした。

 それを聞いた瞬間、エリスティアの心臓がドクンと脈打った。

 この世界は魔物が跋扈していて、そんな魔物と戦うのが原作乙女ゲームの主軸だ。だが、そういう知識はあっても、自分が襲われるとなると話は変わる。


「……大丈夫なの?」

「想定より数は多いようです。ですが、エリスティアお嬢様のお手を煩わせる訳には参りません。すぐに殲滅いたしますので、どうかそのままでお待ちください」

「……そう。分かったわ」


 と、そこまで口にしてから「うん?」と首を傾げる。


(私の手を煩わせる訳にはいかない?)


 そこは、私を危険にさらす訳にはいかない――とかじゃないの? と考えていると、不意に馬車の扉の鍵が破壊された。

 次の瞬間、乱暴に開かれた扉からオークが姿を見せる。


 初めて至近距離で見る魔物の姿に恐怖を抱く。けれど、なぜか意識はクリアで、脳裏に浮かんだのは攻撃魔術の構成だった。

 本能が、その魔術でオークを撃ち抜けと訴える。だが、その衝動に身を任せるより早く、エリーズがスカートの下から短剣を引き抜き、オークの胸に突き立てた。

 そして次の瞬間、彼女はオークを蹴り出すと同時に短剣を引き抜いて扉を閉める。扉のガラス窓にオークの血痕が付着した。


「お見苦しいところをお見せしました。後で護衛にはキツく言っておきます」


 エリーズが優雅にお辞儀をするが、突っ込みどころが満載である。そしてなにより驚くべきなのは、エリスティア自身がさほど動揺していなかったことだ。

 日本で生まれ育った由里華としてはあり得ないことだ。


(どうなってるの? それに、さっきの魔術の構成は、一撃でオークを倒すのに十分な威力を秘めた魔術だった。私はただのモブじゃなかったの?)


「エリスティアお嬢様?」

「なんでもないわ。片付いたら出発するわよ」


 自分が動揺していない事実に動揺しつつ、考えるのが面倒になってシートに身を預けた。

 報告によると負傷者は零。

 被害らしい被害と言えば、馬車の鍵が壊されたことだけである。


 鍵はそのままで、窓に付着した血痕を護衛の一人が拭い取る。それからほどなく、一行は何事もなかったかのように移動を再開、無事に隣町の孤児院へと到着した。



「お嬢様、足下にお気を付けください」


 エリーズにエスコートされて馬車から降り立った。

 その瞬間、さぁっと風が吹き抜けた。ピンクブラウンの髪が風になびき、エリスティアは思わず髪を手で押さえる。そうして顔を向けたさきに男の子がいた。


 ダークブロンドの髪に、深く青い瞳。女の子と見紛うような容姿の持ち主。エリスティアの4つ下、10歳の彼はまるで天使のような可愛らしさだった。

 とんと、エリスティアは無意識に地面を蹴って駈けだした。


「貴方がルシアンね!」

「は? え? ちょ――っ」


 突然のことに戸惑いを隠せない。そんなルシアンに有無を言わせず抱きついた。そのままぎゅっと胸に抱きしめて、ルシアンの頭に頬を擦り付ける。

 由里華はルシアン推しである。


「きゃー、本物のルシアンだわ、可愛い~~~っ!」

「うわぁっ、な、なんだ!? はっ、放せよ!」


 ぐいっと突き放される。

 ちょっと残念に思いながらも、少しだけ冷静さを取り戻した。エリスティアはここで初めて、ルシアンの顔の半分を覆う文様に気が付いた。

 暴走した魔力が表面化した現象。文様と言うよりは、痣という方がより現象に近い。相応の痛みも伴っているはずだ。思わず手を伸ばすが――ルシアンは後ずさった。


「お貴族様がボクになんのようだよっ」


 いつの間にか、彼の瞳に敵意が宿っている。


(そう、よね。貴族に虐待を受けていたんだものね)


 強制的に身請けされた家で虐待された。そうして魔力が暴走し、文様が半身を覆ったら、呪いだなんだのと気持ち悪がられて孤児院に送り返された。


 彼が貴族を恨んでいるのは当然だ。

 彼の心を癒やすのはヒロインでも大変だった。貴族令嬢のエリスティアがそれを成し遂げるには、ヒロイン以上の努力が必要だろう。

 そのためにも、まずは彼を引き取る手続きがさきだ。


「突然驚かしてごめんなさい。院長先生はどこにいるかしら?」

「……先生なら、部屋にいるよ」


 警戒しながらも、律儀に教えてくれる。

 やはり根はいい子なのだろう。


「教えてくれてありがとうね」


 貴族らしさを前面に出さないように気を付けつつ、身を翻してルシアンのまえから立ち去る。そうして、エリスティアは院長のもとを訪ねた。

 院長は年配の女性だった。子供達と同様に質素な服装ではあるが、たたずまいが美しい。その辺りからも、彼女が高潔な人間であることが見て取れる。

 エリスティアはまず挨拶をして、それからルシアンを引き取りたいと打ち明けた。

 けれど――


「申し訳ございませんが、それは出来ません」


 院長は明確な拒絶を示した。その想定外の答えにエリスティアは動揺する。そしてその一瞬に、背後に控えていたエリーズが口を開いた。


「それは、ブラッドヴェイル公爵家の意向に逆らうと言うことですか?」

「エリーズ、止めなさい」


 権力で従わせるのは簡単だ。だが、それで攻略対象の一人である王子を身請けするなんて、どう考えても破滅ルートまっしぐらである。


 それに、ルシアンは質素な身なりをしていたが、決して汚れてはいなかった。院長達が愛情を持って子供達の面倒を見ている証拠だ。

 申し出を断るには相応の理由があるはずだ。


「院長先生、理由を教えていただけますか? 彼が一度貴族に引き取られ、そこで虐待されたことは聞き及んでいます。もしそういったことを心配しているのなら――」

「そうではありません。もちろん、そういう心配がないといえば嘘になりますが……」


 彼女はそう呟いて、だけどその続きは唇を結んで飲み込んだ。

 それから一息あけ、エリスティアに視線を向ける。


「ルシアンは、いまでもベイン子爵の養子なんです」


 その言葉を聞いたエリスティアは二重の意味で驚いた。

 一つはルシアンが未だに養子のままだと聞かされたから。そしてもう一つは、ベイン子爵という名前に覚えがあったからだ。


(たしか、ブラッドヴェイル公爵家と共謀していたのがベイン子爵だったはずよ)


 と、そこまで考えたところではたと気付く。ブラッドヴェイル公爵家が徹底的に潰されたのは、ルシアンを虐待した家と共謀していたからだと。


 破滅を回避するためには、ベイン子爵家と関わらない方がいい。だけど、ルシアンの養子縁組を解除するには、ベイン子爵家と関わる必要がある。


(これは……少し考える時間が必要ね)


「事情を話してくださりありがとうございます。すぐには答えを出せない問題のようなので出直すことにします。院長先生、今日は時間を取っていただきありがとうございます」


 エリスティアは席を立ち、エリーズに命じて孤児院に寄付をする。そうしてベイン子爵家とは違うと印象づけて、その日は退散することにした。




 ルシアンを保護するには、ベイン子爵に養子縁組を解除させる必要がある。だが、ブラッドヴェイル公爵家として、かの家に関わるのは好ましくない。

 それは、破滅ルートへ近づくことを意味しているからだ。


(とは言っても、私に出来る手段は限られてる。ほかの手は……)


 思いついたのは、闇ギルドの手を借りることだ。こちらも原作に登場する暗部だが、ベイン子爵家に直接関わるよりはマシだろう。

 なにしろ、闇ギルドへの依頼なら匿名で行うことが出来る。


 という訳で、昨日に引き続き、エリスティアは二日続けて馬車の手配をおこなった。その待ち時間に、もう一つの破滅回避のプランを進めることにする。


「エリーズ、いまからアンジェリカのところへ行くわ」

「……え?」


 なぜか『え、本気ですか?』みたいな顔をされる。少なくとも、隣町の孤児院まで行くと言ったときよりも、何倍も驚かれている。


「……なにか、問題が?」

「いえ、問題はありません」


 どう考えてもなにかありそうだが、本物のエリスティアならその理由を知っているはずだ。ここで追求するのは望ましくないと疑問を飲み込んだ。

 そうして一抹の不安を抱えながらも、アンジェリカの部屋の前へとやってきた。


「エリスティアだけど、いま少しいいかしら?」


 ノックをしてそう言うと、部屋の中から「スティアお姉様!?」と素っ頓狂な声が響き、続いて「わきゃっ」という悲鳴とともに、なにかが倒れるような音がした。

 直後に響く「アンジェリカお嬢様、大丈夫ですか!?」という侍女らしき声。


 一体何事かと、エリスティアは背後に控えるエリーズへと視線を向ける。しかし、エリーズはその視線に気付くと、さもありなんと言いたげに肩をすくめた。


(一体なにがあったのかしら?)


 由里華がエリスティアになってから、ほとんどアンジェリカと顔を合わしていない。

 関係が上手くいっていないのは確実だが、エリスティアのエピソード記憶も失われているし、原作乙女ゲームでもその辺りのことは語られていなかった。

 いまのエリスティアがその理由を知るよしはない。


 そうこうしているうちに、お待たせしましたという侍女の声とともに扉が開かれた。エリスティアが部屋に入ると、部屋の中頃でアンジェリカが出迎えてくれる。


 エリスティアより二つ年下の12歳。

 軽くウェーブの掛かったミルクティブラウンの髪にルビーのように赤い瞳。少し髪型や瞳の色が違うけれど、エリスティアとよく似た女の子だ。

 将来は悪役令嬢というだけあって気の強そうなところがあるが、それがまた可愛らしさを引き立てている。端的に言って天使だった。


「可愛い~~~っ!」


 あまりの可愛さに理性を奪われ、反射的に抱きついた。

 わずかな沈黙。

 次の瞬間、アンジェリカに突き飛ばされた。


「い、いきなりなんのつもりです!?」


 子猫が毛を逆立てて威嚇するように、アンジェリカが睨み付けてくる。だが、その姿がまた愛らしいとエリスティアは相好を崩した。


「ごめんなさい、貴方があまりに可愛くて、思わず」

「かわっ。……本気で、言っているんですか?」

「あら、私が冗談を言ったことがあるかしら?」

「それは、ありませんけど……」


 適当に言っただけだったのだが、エリスティアは冗談を言わないらしい。それはそれで意外だと思いながら、意識をアンジェリカに戻す。

 彼女はとても居心地が悪そうだ。


「もしかして忙しかったのかしら? 急に訪ねてごめんなさいね」

「い、いえ、それは問題ありませんが……」

「……そう?」


 ここで、さっき慌てたみたいだけど、なんて聞くほど野暮ではない。


(それにしても、姉妹なのにどうしてこんなにギクシャクしているのかしら?)


 仲が悪いにしても、少し関係がいびつなように感じる。

 なにか、アンジェリカの警戒を解く方法は――と、エリスティアは部屋を見回した。そして見つけたのは、開きっぱなしで放置された魔術の入門書。

 意味記憶を保持するエリスティアは、その内容を完璧に把握していた。


「アンジェリカ、魔術の勉強は順調かしら? なにか行き詰まっていることがあれば――」

「――ありませんわっ!」

「私が教えて……あ、そ、そう?」


 こうも食い気味に拒絶されてはどうしようもない。話せば仲良くなれるだろうと考えていたエリスティアは、それが甘い考えだったと思い知らされた。


(でも、嫌われているのとは、少し違うのかしら?)


 警戒されている感覚はあるが、嫌われているのとはどこか違う印象。もしかしたら、お互いが距離感を掴みかねているのかもしれない。

 少なくとも、エリスティアはそのように感じ取った。だが、急に距離を詰め過ぎても警戒させるだけだろう。そう思ったから、ひとまずは出直すことにする。


「貴重な時間を奪ってごめんなさい。私はもう退散するわね」

「あ、そう、ですか……」


 安堵しているように見えるが、どこか寂しそうにも見える。

 エリスティアは退出間際になって肩越しに振り返った。


「ねぇ、いまから街に行くのだけど、なにか買ってきて欲しい物はあるかしら?」

「……え? えっと……その……」


 アンジェリカは口ごもってしまう。

 けれど彼女の背後に控えていた侍女が「アンジェリカお嬢様は、最近オープンした、大通りにあるお店のケーキに興味がおありのようです」と助け船を出してくれた。


「アンジェリカ、そうなの?」

「え、あ、その……はい」

「そう。じゃあ買って帰ってくるわね。だから、一緒に食べましょう」


 エリスティアの言葉に、アンジェリカは目を見張った。

 返事はないけれど、代わりに拒絶もされなかった。ひとまず、今日はこれで満足するべきだろう。そう思ったエリスティアは「それじゃあね」と微笑んで退室した。

 それからパタンと扉を閉めて、横の壁にもたれかかって天井を見上げる。


「はぁ……仲良くするって難しいわね」


 妹と仲良くなって、ヒロインに嫌がらせをしないように誘導する。

 原作乙女ゲームのストーリーが開始されるまでおよそ4年。いまからなら十分に可能と思っていたエリスティアは、先行き不安な出だしに溜め息を吐いた。

 だから、思わず聞くつもりがなかったことを聞いてしまう。


「ねぇ、エリーズ、私はアンジェリカにどうして警戒されているのかしら?」

「……え、本気で仰っているのですか?」


 返ってきたのは、呆れかえった声。過去の自分は一体なにをやらかしたのか、エピソード記憶の欠落が恨めしいと、エリスティアは溜め息を吐いた。



 その後、エリスティアは馬車に乗って行き先を告げる。向かうのは、アンジェリカが興味を抱いているという、ケーキを売っているお店。


「エリーズ、ここでアンジェリカが好きそうなケーキを買ってきて。私は少し用事があるからしばらく別行動をするわ」


 そう言って馬車を降りようとするが、エリーズに引き留められる。14歳の貴族令嬢が一人で行動しようとすればそうなるのは当然だ。


(さて、どうやって説得しようかしら?)


 ここで強引に別行動を取るのは騒ぎになりかねない。なんとかして言いくるめようと考えていると、エリーズが大きな布を差し出してきた。


「これは?」

「フード付きローブです」

「……え?」


 どういうことかと困惑していると、エリーズの手によってフード付きローブを着せられてしまった。


「これであまり目立たないはずです。とはいえお嬢様はまだ小柄ですから、その辺の違和感を拭うことは出来ません。大丈夫だとは思いますが、お気を付けくださいね」

「ええっと、ええ、そうね……」


 いや、そこは危険だからとかなんとか言って引き留めるべきでしょう。なんて突っ込みが喉元までこみ上げるが、エリスティアはかろうじてそれを飲み込んだ。

 それから「それじゃ行ってくるわね」と馬車から降り立つ。


 そうして向かったのは、闇ギルドの隠れ蓑になっている魔導具を取り扱うお店。そこの受付の女性に、原作乙女ゲームで知った符牒を告げる。

 受付の女性は不思議そうな顔をするが、ほどなくこくりと頷いた。


「その商品は地下にございますのでご案内いたします」


 ゲームで見たのと同じやり取りを経て地下に案内された。そうして応接間に通されると、そこでしばらくお待ちくださいと告げられる。

 それから待つことしばし、知的なイメージの優男が姿を現した。


(サブマスターのシノヴァンね)


 原作乙女ゲームにも立ち絵が登場していたキャラだ。サブマスターと言うことはマスターもいるはずなのだが、そっちは作中に登場しない。続編で登場するのではと囁かれているが詳細は不明。無印でのトップは実質、サブマスターのシノヴァンである。


 つまり、決して油断のならない相手である。

 正体がバレないようにしつつ、ルシアンの養子縁組を解除させる必要がある。それも出来れば、養子縁組の解除が目的だとバレないような形で。

 そう思っていたから――


「それで、ありもしない符牒なんて使って、エリスティアお嬢様はなにを考えていらっしゃるのですか? 受付が戸惑っていましたよ?」


 いきなり正体を言い当てられて動揺した。


(どうして? ゲームで使われていた符牒なのに……あっ)


 原作乙女ゲームのストーリーが開始するのは4年後だ。4年後に使われている符牒がいまから使われているとは限らない。と言うか、使われていない方が自然だ。

 だから、符牒を間違えたのは仕方がない。

 だけど、


「どうして私の正体が分かったの?」


 符牒が違うのなら追い返されるだけのはずだ。なのに正体を見破られ、闇ギルドの窓口である地下へと通された。

 なにが目的なのかと警戒するエリスティアに、彼はおどけて見せた。


「どうしてもなにも、シルエットでおおよその判断はつきます。なにより、あの受付は貴方の声を覚えていますから」


 返ってきたのは、エリスティアの問いから少しずれた答え。


(もしかして、私は以前にもここに来たことがあるの……?)


 冷静に考えると、そうとしか考えられない。モブのはずの自分が闇ギルドのサブマスターと接点があった。そのことに動揺しつつも、エリスティアは素早く考えを纏めた。


 こうなったら、匿名で依頼するのは不可能だ。

 であるならば、依頼も迂遠な方法を取る必要はない。口止めをすることを前提に、ルシアンの養子縁組を解除して、ブラッドヴェイル公爵家に連れてこさせた方が早い。

 そう思ったエリスティアは開き直ってフードを脱いだ。


「単刀直入に言うわ。実はベイン子爵家が戸籍上養子にしている子供、ルシアンをうちで保護したいの。養子縁組を解除させる方法はあるかしら?」

「かしこまりました。私どもにお任せください」


 そうよね、難しいわよね。でも、その分報酬ははずむわよ――という、用意していたセリフは口にすることが出来なかった。


「え、やってくれるの?」


 代わりに、少し間の抜けた返事を零してしまう。


「エリスティアお嬢様のご命令なら最優先で」

「……そう? じゃあ……お願いね」


 ところで報酬は? と、喉元まで出掛かったセリフを飲み込んで、エリスティアは「期待しているわ」と言い放った。目的を果たしたエリスティアは闇ギルドをあとにする。

 ルシアンがブラッドヴェイル公爵家に届けられたのは、その翌日の昼下がりだった。




 午後の日差しが差し込む窓際の席で、エリスティアは魔術書に目を通していた。アンジェリカの部屋で魔術書を目にしたときに興味を抱いたからだ。

 その過程で、自分が既に中級レベルの魔術をマスターしていることを識る。


 原作乙女ゲームには魔物と戦うためのバトルシステムがある。そのときの能力と比較するならば、既にエリスティアは中盤の主人公と同程度の能力を持っている。比較対象が聖女とその守護者であることを考えると、エリスティアの強さは異常とも言える。


(もしかして、続編で登場する予定だったのかしら?)


 続編への伏線の一つ。そう考えれば、モブレベル扱いとはいえ、悪役令嬢の姉なんてキャラが作中に何度も登場していたことにも説明がつく。

 と、そんなことを考えていると、部屋に使用人がやってきた。用件を聞いたエリーズから、ルシアンが連れてこられたと聞かされる。


「昨日の今日で、もう……?」

「さすがシノヴァン、サブマスターだけあって手際がいいですね」

「え? どうして貴女がシノヴァンのことを知って……」


 口にしてから失言だったと気付く。

 でも、返ってきたのは、さらに予想外の答え。


「どうしてもなにも、エリスティアお嬢様が闇ギルドを組織する際、人選の手伝いをしたのは私じゃありませんか。まさか、忘れてしまったんですか?」

「うぇ? 待って、ちょっと待って。いま、聞き捨てならないことを言った!」

「……はい?」


 キョトンとされる。

 失言に気付いたエリスティアはとっさに両手で口をふさいだ。そうして無言で必死に頭を働かせて、新たに手に入れた情報を整理する。


(私が闇ギルドを組織した? じゃあ、作中に登場しなかった闇ギルドのマスターって、まさか私のこと? え、嘘でしょ、そんなこと、ある?)


 権力を笠に着た妹と悪事を働いた両親。家族に巻き込まれて破滅する、ただのモブな姉だと思っていたら、まさかの闇ギルドのマスターであると明らかになった。


「ね、ねぇ、エリーズ。私がモブだって言ったらどう思う?」

「ふふっ、十代前半で闇ギルドを創設し、アンダーグラウンドを牛耳るエリスティアお嬢様がモブなら、この世界の大半はモブ以下ですわね」


 さも当然のように言い放たれた。

 しかも、アンダーグラウンドを牛耳っているらしい。


(もしかして、私が一番の悪人だったり……しないわよね?)


 ないと思いたいが、それを是非するエピソード記憶は持ち合わせていない。


「それよりエリスティアお嬢様、ルシアンはどうなさいますか?」

「そ、そうだったわね」


 色々な事実が明らかになって頭がパンクしそうだが、ルシアンを放置は出来ない。ひとまず、ルシアンに会ってから考えようと、問題を先送りにする。

 そうしてエントランスホールに足を運ぶと、赤い絨毯が敷かれた階段の下にルシアンがたたずんでいた。エリスティアは静かにその階段を降りていく。


「やっぱりおまえか! こんなところに連れてきて、ボクをどうするつもりだ!」


 エリスティアに気付いたルシアンが声を荒らげた。彼の側に控えていたメイドがそれを咎めようとするが、エリスティアは手振りでそれを止めた。

 そのまま階段を降りながら、ルシアンに向かって優しく語りかける。


「最初に貴方を引き取ったベイン子爵が貴方を虐待していたことは知ってるわ。でも、私は貴方に虐待なんてしないから安心して」

「そんなことを言って、どうせおまえも身勝手な理由でボクを連れてきたんだろ!」

「それは……」


 エリスティアは階段の中程で歩みを止めた。

 彼の言葉が図星だったからだ。


 エリスティアがルシアンを助けるのは、彼の境遇をなんとかしたいから、なんて高尚な理由じゃない。少なくとも、エリスティアが干渉せずとも彼は幸せになれる。

 なにより、彼は貴族を嫌っている。

 だから――


「そうね、貴方をここに連れてきたのは私の身勝手な理由よ」


 エリスティアはまずその事実を認めた。

 それを聞いたルシアンが悔しげに拳を握りしめる。エリスティアはそれを見下ろしながらゆっくりと階段を降り、ついには彼の前に立った。

 それから後ろ手を組んで、前屈みになってルシアンの顔を覗き込む。


「でもね、私の目的は貴方を幸せにすることよ。私は身勝手な理由で貴方を幸せにする。だからその運命を受け入れ、思いっきり幸せになりなさい」

「……は? なんだよ、それ」

「私の目的を果たすため、貴方には幸せになってもらうわ」

「だから、どういう意味だよ!」


 意味が分からないと混乱する。そんなルシアンに向かって、エリスティアは小悪魔のように微笑んだ。そして次の瞬間、後ずさろうとするルシアンの腕をがしっと掴む。


「言葉通りの意味よ。まずはお風呂に入れてその身を綺麗にするから覚悟なさい」

「は? お風呂? え、あ、ちょ。引っ張るなって!」


 ルシアンが抵抗するが、この年代の4歳差は大きい。エリスティアは容赦なく、ルシアンを脱衣所にまで引っ張っていった。

 そして――


「止めろ! 服を脱がせようとするなぁっ!」

「子供のくせに、なにを恥ずかしがってるのよ?」

「うわああぁあぁっ!?」


 由里華の意識を持つエリスティアにとって、ルシアンはずっと年下の男の子だ。お姉さんが年の離れた弟の面倒を見ているような感覚で彼のブラウスのボタンを外した。

 直後、彼はなにかに怯えるようにボタンの外れた襟元を掴む。


 半身を覆っている文様を隠そうとしている。それに気付いたエリスティアは、メイド達に下がるように命じた。だが、それに慌てたのはメイド達だ。


「エリスティアお嬢様、彼をお風呂に入れるのなら私どもがいたします」

「いいのよ。貴女たちは着替えと食事の用意をしておいて」

「……かしこまりました」


 わずかに迷う素振りを見せるが、最終的にはエリスティアの指示を優先したらしい。メイド達はぺこりと頭を下げて退出していく。

 それを見届け、エリスティアはルシアンへと視線を戻した。


「さぁ、もう大丈夫よ」

「な、なに言ってるんだ、おまえがいるだろ!」

「心配しなくても、私は気味悪がったりしないわ」

「――っ」


 半身を覆う文様に言及され、ルシアンは少し傷付いたような素振りを見せる。


(可哀想に。ベイン子爵家で色々と言われたのね)


「最初に言っておくけど、それは呪いなんかじゃないわよ」

「……嘘だ。これは呪いだって……」

「ベイン子爵家の人達が無知だっただけよ」


 もっとも、身体に影響を及ぼすほどの魔力を持つのは、上級貴族の中でもほんの一握りだけだ。しかも、暴走状態に陥るのは未熟な証だから公表されることは滅多にない。

 ベイン子爵家の人々が知らないのも無理はない。


(でも、だからって、ルシアンを傷つけていい理由にはならないのよ)


 エリスティアは無言で自分のドレスの袖をまくり上げた。


「よく見ていなさい」


 エリスティアは無意識にしている魔力の制御をやめる。それから、あえて魔力が暴走するように、右腕に魔力を流し込んだ。


「――っ」


 腕が熱を帯びて、わずかな痛みが走る。次の瞬間、魔力が通る回路をなぞるように、腕にうっすらと模様が浮かび上がった。


「おまえ、それ……っ」

「いま、私は意図的に魔力を暴走させた。これが貴方が呪いだと思っているものの正体よ」


 そう言って暴走を始めた魔力を抑え込む。ただ、浮かんだ文様は負荷によって浮かんだ痣のようなものだ。魔力を制御してもすぐに消える訳ではない。

 少し指先で腕を撫でていると、ルシアンにその腕を掴まれた。


「お、おまえ、なにをやってるんだよ!」

「なにって、貴方にこれが呪いじゃないと教えてあげたんじゃない」


 酷い言い草ねと悪態を吐くが、ルシアンは眉を吊り上げた。


「馬鹿か! そんなの、口で説明すればいいだろ! 説明するためだけに自分を傷付けるなんて、なにを考えてるんだよ!」

「……もしかして、私の心配してくれてるの?」


 自分の方が辛いはずなのに、エリスティアの心配をしてくれている。ルシアンはとても優しい男の子だと、エリスティアは思わず目を細めた。

 けれど、それを指摘された彼は真っ赤になって否定する。


「そ、そんな訳ないだろ。ただ、自分を傷つけるのが許せなかっただけだ!」

「そうだね、ごめんね」

「なんだよ、馬鹿にしてるのか!?」

「してないよ」


 エリスティアは微笑んで、それからルシアンの頭を撫でつけた。彼は少しくすぐったそうにして、それから思い出したように逃げようとする。

 その瞬間、エリスティアは彼の腕をがしっと掴んだ。


「な、なんだよ?」

「いや、だから、もう裸を見られても恥ずかしくないでしょ? という訳で、お風呂に入れるから、おとなしく服を脱いじゃおうね」

「なんでそうなるんだよ、恥ずかしいに決まってるだろ!?」

「ふふ、おませさんなのね」


 エリスティアは笑って、ルシアンの衣服を剥ぎ取った。

 彼は悲鳴を上げて両手で身体を隠すが、かまわずに浴室へと連れ込む。そうしてドレスが濡れるのも厭わず、魔導具のシャワーを使ってルシアンにお湯を掛ける。


 まずは髪だ。比較的身ぎれいなルシアンだったが、やはり平民が使えるお湯の量や石鹸の質には限りがあるのだろう。丁寧に洗えば彼の汚れが落ちていく。


「二度洗いした方がよさそうね」

「わっぷ。お、お湯を掛けるなら先に言えよ!」

「あはは、ごめんごめん」


 エリスティアは笑って、ルシアンの髪を洗い流していく。そうして二度目のシャンプーをすると、今度は綺麗な泡だった。


「はい、お湯を掛けるわよ」


 今度は事前に忠告して、頭にシャワーのお湯を掛ける。そうして泡を流し終えるころには、ルシアンはすっかりおとなしくなっていた。

 その代わり、鏡越しに恨めしそうな視線を向けてくる。


「おまえ、ボクが怖くないのか?」

「……怖い? 貴方みたいな子供のなにが怖いって言うの?」

「そうじゃなくて……その……」


 そう呟くルシアンの手が、腕に浮かぶ文様に触れている。


「言ったでしょ、その文様は呪いじゃない。いますぐには無理だけど、いつかその文様も消せるようになるわ。うぅん、消せるようにしてあげる」

「……そんなことが出来るのか?」

「さっき、私が文様を浮かべて見せたでしょ? あれと逆のことをすればいいのよ。決して簡単なことではないけれど、私がちゃんと教えてあげるわ」

「……おまえが、ボクに?」

「ええ。だから文様が消えたら、ほどほどには感謝しなさいよね」


 そうすれば、ブラッドヴェイル公爵家が破滅せずに済むはずだからと、声に出さずに呟いた。それを鏡越しに見ていたルシアンは「変なやつ」と呟いた。

 エリスティアはその呟きには答えず、タオルにボディーソープを乗せて泡立て、それでルシアンの背中をゴシゴシと擦る。


「なぁ、おまえさ。名前はなんて言うんだ?」

「エリスティアよ。エリスティア・ブラッドヴェイル」


 自分の胸に手の平を当ててふわりと笑う。


「エリス、ティア?」

「長ければスティアでいいわ」

「……いいのか? おまえ、お貴族様なんだろ?」

「おまえおまえ言っておいて今更なのよ。さぁ、次はまえを洗うからこっち向きなさい」

「はっ!? いや、さすがにまえは自分で洗うから! って言うか、よく考えたら、どうしておまえがボクの身体を洗ってるんだよ、おかしいだろ!?」

「なにを恥ずかしがってるのよ。私は気にしないわよ?」

「そういう問題じゃないんだよ! もういいかげんに出てけ――っ!」


 全力で浴室から追い出された。




 浴室から追い出されたエリスティアは、自分の部屋でルシアンがお風呂から上がるのを待っていた。それから、ふと思い立ったようにエリーズへと視線を向ける。


「そう言えば、私がルシアンをお風呂に入れたこと、貴女はなにも言わないのね」

「止めて聞くお方ではありませんから」

「よく分かってるじゃない」


 エリスティアは笑って答えながら、やっぱりそんな感じなんだと自己分析をする。

 彼女の今日の行動はすべて探り探りの行動である。いつもと明らかに違う行動を取ったり、立場的に許されない行動に掛かれば、周りが止めようとするだろう。

 その気配を見逃さないように行動していたのだ。


 だが、周囲の者達は、エリスティアの行動を強く止めようとしなかった。ルシアンをお風呂に入れたときも、わざわざお嬢様がしなくても――といったニュアンスだった。

 普通なら、貴族令嬢にあるまじき行為だと窘められてもおかしくないのに、である。


(この世界観がそうなのか、私だけがそうなのかは分からないけど……)


 やっぱり少し変わっているのだろうという結論に至った。

 と、そんな風に考えていると、不意に部屋の扉がノックされる。訪ねてきたのはアンジェリカだった。許可を出すと、彼女がつかつかと部屋に入ってくる。


「スティアお姉様、また孤児を保護したというのは本当なのですか!?」

「え? あぁ、本当だけど……また?」


 以前にも孤児を保護したことがあったのだろうか? と、わずかに首を傾ける。そのとき、エリーズの姿を視界に収めたエリスティアは、あぁと察した。

 エリーズは平民上がりで、騎士爵を持っている。その上、エリスティアに対しての忠誠心が高く、ルシアンをお風呂に入れたことに対してもなにも言わない。


(以前の私がエリーズに対して同じことをしたのでしょうね)


 前例があるからあまり追求されなかった、ということだ。


「スティアお姉様、聞いているのですか?」

「ごめん、なんて言ったの?」

「もぅ! 見境なく子供を拾わないでくださいと言ったんです!」

「見境なく拾ってる訳じゃないわよ。……もしかして、お姉ちゃんを取られるとか心配してる? それなら、心配しなくても大丈夫よ?」

「なっ!? そ、そそそそんな心配してませんわ!」


 ぷいっと明後日の方を向く。

 だけどチラリと視線だけをエリスティアに戻すと、「本当ですか?」と聞いてくる。その愛らしさに、エリスティアは思わず笑みを零した。


「本当よ。なんなら、今度は貴女も一緒にお風呂に入る?」

「入りませんよ。というか、いくら女性同士でも、初対面で一緒にお風呂に入るのはどうかと思いますわよ?」

「……ん? ルシアンは男の子よ?」


 エリスティアがそういった瞬間、アンジェリカの顔が引きつった。


「気のせいですか? いま、男の子と聞こえた気がするのですが?」

「気のせいじゃないわよ」

「スティアお姉様、まさか男の子と一緒にお風呂に入ったんですか?」

「男の子と言ってもまだ10歳よ? それに一緒に入った訳じゃないわ。彼の身体を洗ってあげていたら途中で追い出されたもの」

「そういう問題じゃありません! 公爵家の令嬢がなにを考えているんですか!?」


 むちゃくちゃ怒られた。

 エリーズが後ろでこっそり頷いているので、どうやら彼女も本心では同意見のようだ。察するに、過去のエリスティアはあまり彼女らの意見を聞き入れなかったのだろう。

 そこまで考えた上で、エリスティアはこほんと咳払いをした。


「心配を掛けたわね。でも、ルシアンは貴族の家で虐待を受けていたの。だから、初対面の大人がお風呂に入れようとしたら、怖がると思ったのよ」

「……そういう事情があったんですね。配慮が必要なのは理解しましたが、それでもスティアお姉様がお風呂に入れるのはどうかと思いますよ?」


 咎めることに変わりはないが、それでも理解を示してくれる。


「アンジェリカはいい子ね」

「そ、そんな言葉で誤魔化されませんよ?」

「誤魔化してる訳じゃないわよ。ただ、貴女もルシアンと仲良くしてくれると嬉しいな」

「それは……努力はしますが、難しいかもしれません」

「え、どうして?」

「貴女がそれを言いますか?」

「……ん? もしかして焼き餅?」

「――違います!」


 食い気味に否定される。

 この年のころの子供は難しい……と、エリスティアは苦笑する。どうやって機嫌を取ろうかと考えていると、背後からエリーズに耳打ちをされた。

 それを聞いてぽんと手を叩く。


「そういえば、ケーキを買ってきたのだけど、一緒に食べる?」

「……食べます」


 さきほどまで拗ねていたのに、控えめに頷く姿が可愛らしい。そう思って抱きつくと、くっつかないでくださいと突き放された。



 アンジェリカとティータイムを過ごした後。エリスティアはルシアンの様子を見に行くつもりだったのだが、アレクセイが呼んでいるとメイドから聞かされた。

 ルシアンのことだろうと考え、すぐに父のいる執務室を訪ねた。


「お父様、お呼びだとうかがいましたが」


 ノックをして部屋に入ると、当主であり父であるアレクセイが執務椅子から立ち上がり、すぐにエリスティアを出迎えてくれた。


「おお、エリスティアか、よく来てくれた。見てもらいたいものがあったんだ」

「……見てもらいたいもの? ルシアンの話ではないのですか?」

「ルシアン? あぁ、おまえが引き取ったという子供のことだな。彼がどうかしたのか?」

「え、いえ、どうかしたというか……」


 勝手に引き取るなとか、せめて事前に相談しなさいとか、色々ということがあるだろうと思ったのだが、やぶ蛇になりそうなので飲み込んだ。

 代わりに、「いえ、なんでもありません。それで、お話というのは?」と誤魔化した。


「ああ、おまえに判断を仰ぎたくてな」


 アレクセイはそう言ってローテーブルを挟んで置かれたソファに腰掛けた。ただし、そちらは扉側――つまりは下座である。


(え、どうしてお父様が下座に? もしかして隣に座ろうと言うこと?)


 まさか、娘を上座に座らせるつもりではあるまい。そう考えたエリスティアはアレクセイの隣へと腰掛けたのだが――彼は軽く目を見張った。


「……どうしたんだ?」

「え、いえ、その、隣の方がお話をしやすいかなと」

「……なるほど?」


 なにやらすごく不審がられている。


(えー、どういうこと? 普段の私、もしかして上座に座っているの?)


 そんなことある? と、困惑しつつも話の続きを促した。彼は「あぁ、そうだったな」と言って、ローテーブルの上に書類を広げた。

 それはある事業の計画書だった。


(いや、なんでそんなものを、14歳の娘に見せようとするのよ?)


 おかしいでしょという突っ込みが喉元までこみ上げるが、部屋に控えている従者や使用人の反応から、これが日常的なことなのだと判断する。


(私が長女だから、後継者として教育している、といったところかしら?)


 そう考えれば、そこまで不思議なことではないかもしれない。

 それに、エリスティアが破滅を回避するには、ブラッドヴェイル公爵家の不正をなくす必要がある。そう考えれば、エリスティアが内情に関われる機会はありがたい。

 そう判断して事業の計画書に目を通した。


(――って、これ、魔石鉱山の採掘計画じゃない!)


 原作乙女ゲームでは、ブラッドヴェイル公爵家の不正について事細かに書かれている訳じゃない。けれど、断片的な描写はいくつもあった。

 それをあわせると、おおよそのことは見えてくる。


 つまり、ブラッドヴェイル公爵家は魔石が採掘できる鉱山の産出量を誤魔化し、そうして不正に得た利益で闇ギルドにいくつかの悪事を依頼していた、ということだ。

 それらが発覚して断罪されるというのが、原作乙女ゲームにおける悪役令嬢の末路。


 現時点で、これが原作に登場する鉱山のことかは分からない。それでも、産出量を誤魔化すような真似だけは避けなければいけない。

 だけど、だ。

 いきなり不正はダメですよと言って聞き入れてもらえるはずがない。というか、普通に怒られる可能性が高い。ここは慎重に話を進めるべきだろう。


「領地で魔石鉱山が発見されたんですね。これで領地はいまよりも潤うでしょうね」

「ああ、それは間違いない。その上で、だ。この計画で気を付けることはなんだと思う?」


 あまりに都合のよすぎる展開に動揺の声が零れそうになった。


(落ち着きなさい。きっとこれは当主教育の一環よ)


 あまりずれたことを言うと、話を打ち切られる可能性がある。まずは自分の話に一考の余地があると、信頼を得るのが大切だと結論づけた。

 エリスティアは由里華が持つ現代の知識と、エリスティアが持つ意味記憶を総動員して、この時代の採掘に対する問題点を洗い出していく。


「そう、ですね。早急に導入すべきなのは安全対策でしょうか?」

「安全対策というと?」

「頭を守る防具、換気システムの導入等です」


 エリスティアはそう言って、負傷や健康被害によって、採掘者の生存率が低いことを訴える。その上で、それらを改善する方策が必要だと訴えた。

 けれど、


「採掘者の生存率が重要なのかい?」


 不思議そうな顔で問われてしまう。


(この世界の平民の命は軽いのね……)


 であるならば、命は平等などと訴えたところで無駄だろう。分かりやすいメリットを提示するべきだ。そう判断して考えを纏める。


「経験者が増えれば、それだけ効率は上がります。しかし、生存率が低いと言うことは、経験者がどんどん失われている、ということですから」

「……なるほど。エリスティアが言うのならそうなのだろうね」


 想定以上にあっさりと受け入れられて戸惑う。


(うわべだけの返事……という訳でもなさそうよね)


 考えられるのは、エリスティアに対する信頼が元からあった可能性。エリスティアは平凡なモブなんかではない、ということだ。

 気になることもあるが、信頼されているのなら都合はいい。


「それと、透明性も重要です」

「……透明性?」

「魔導具の開発が盛んに行われています。魔石の需要はこれからも増え続けるでしょう。そういう意味で、この鉱山は注目を浴びることになります」

「なるほど。下手なごまかしは利かない、ということか」


 この世界、賄賂や不正は当然のように横行している。それなのに、彼はエリスティアの意図をすぐに理解した。想像以上に優秀で柔軟な当主である。

 そんなことを考えていたから、


「それにしても、エリスティアが透明性を訴えるとは驚いたよ。先日、所得を隠す方法を教えてくれたばかりだったのに、どういう心境の変化だい?」


 続けられた言葉をすぐには理解できなかった。だが、徐々にその意味を理解して、エリスティアはだらだらと冷や汗を流し始めた。


「え、あ、あの……私が、そんなことを言ったんですか?」

「ん? なんだ、忘れてしまったのか? まあ、おまえはその歳で恐ろしいほど、様々な事業に関わっているから無理もない、か」

「様々な事業に関わっている、ですか?」


 想定外の事実に動揺する。そんなエリスティアに対し、アレクセイは「おっと、その表現は正確じゃなかったな」と訂正する。

 安堵するエリスティアだが――


「おまえが取り仕切っている、というべきか。ブラッドヴェイル公爵家の事業の大半を14歳のおまえが取り仕切っていると知れば、ほかの貴族達がどれだけ驚くか楽しみではあるが、いまはまだあまり目立ちたくないのだろう?」

「そ、そうですね……」


 なんとか取り繕いながら、内心では(嘘でしょ!?)と叫んでいた。

 悪役令嬢が、その一家が破滅するのは、家が不正を働いていたからだ。なのに、その家の事業を取り仕切っているのが、当主ではなくエリスティアだという。

 それは、つまり――


(破滅の元凶は私ってことおおおぉぉぉおぉっ!?)


 信じられないと否定しようとする。そんなエリスティアの脳裏に原作乙女ゲームの断罪シーンが思い浮かんだ。そのシーンでアレクセイが訴えていたのだ。


 娘達は関係がない、と。


 ゲームをプレイしていた由里華は、悪人にしては潔いと思っていた訳だが……違う。

 本当は、黒幕である娘を庇っていたのだ。


(待って、落ち着きましょう。想定外ではあるけれど、私が元凶なら悪事の是正はしやすいじゃない。ここは前向きに考えましょう)


「お父様、さきほども言ったとおり、これからブラッドヴェイル公爵家がより注目を浴びることになります。不正をただし、出来るだけクリーンな政治を行いましょう」

「ふむ。エリスティアがそう言うのなら、その言葉に従おう」



 こうして、エリスティアは父の執務室をあとにした。


(びっくりするくらいあっさり最大の懸念が解決したわね)


 もちろん、根本的な問題がなくなった訳じゃない。過去の不正はすぐには消えないし、これからもやることは山積みである。

 それでも、見通しはずいぶんと明るくなった。


 アンジェリカも思ったほどひねくれていない。二人の仲がギクシャクしているのは事実だが、いまから向き合っていけば、ヒロインを苛めないようにすることは可能だろう。


(なら……)


 そう考えながら、ルシアンの居場所を聞いて食堂に向かう。

 ルシアンは借りてきた猫のような姿で席に座っていた。テーブルの上には食事が並んでいるのに、未だに手を付けていない。メイドに聞くと、警戒して食べようとしないらしい。

 そんな彼を見て、エリスティアはこれらのことについて考える。


 破滅の回避は難しくない。

 であるならば、彼を無理に保護する必要はない。孤児院に送り返せば、彼は原作乙女ゲームのストーリー通りにヒロインと再会し、幸せな未来を送ることになるだろう。

 だけど――


「ルシアン、ここにあるご飯はあなたのものよ。心配せずに食べなさい」


 エリスティアは彼の隣の席に腰掛け、ルシアンが安心できるように微笑みかけた。


「……じゃないか」

「え?」

「スティアが来るのを待ってたんじゃないか」


 エリスティアは思わず目を見張った。


「私のことを待っててくれたの? どうして?」

「どうしてって、それは……」


 孤児院ではみんな一緒に食べていたからと、声にならない彼の呟きが聞こえた。

 エリスティアは相好を崩して、切り分けられたお肉を一切れ、フォークで突き刺した。そしてそれを、ルシアンの口元へと差し出す。


「な、なんだよ?」

「食べさせてあげようかなって」


 破滅回避のために、ルシアンを救う必要はなくなった。

 だけど――


(私、ルシアン推しだったのよね。それに、子供のルシアンはすごく可愛いし)


「ほら、あーん」

「ばっ、止めろよ! ご飯くらい自分で食べられるから!」

「そんなこと言って、食べさせて欲しくて待ってたんじゃないの?」

「なんでそうなるんだよ! あぁもう、待つんじゃなかった! って言うか、止めろ! 無理矢理食べさせようとするな! 恥ずかしいって言ってるだろ!」


 嫌がるルシアンが可愛くて、エリスティアはクスクスと笑う。

 ただ、自分がそうしたいから。

 エリスティアはそんな身勝手な理由でルシアンを幸せにすると決意した。

 

 

 お読みいただきありがとうございます。

 おねショタは初の試みです。

 長編も書いてみようかなと思っているので、おねショタのお約束はこうだよ! とか、こう言うのが読みたい! みたいなのを感想に書いていただければ参考にさせていただきます。

 面白かった、続きが読みたいなど思っていただけましたら、評価やブックマークをぽちっとしていただけると嬉しいです。


【WEB版】回帰した悪逆皇女は黒歴史を塗り替える【大賞&ComicWalker漫画賞 受賞作】

 2章連載中のこっちもよろしくお願いします。

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