俺のお嫁さん
……私の部屋のお風呂と全然変わらないや
隣の部屋だから間取りが一緒なんだ。だからいつもの景色と変わらない。
それでもやっぱりここが自分の家でないことを気付かされる。
シャンプーもボディソープも違うし、お風呂の蓋も違う
椅子も桶もシャワーヘッドも、お風呂の温度だって違う
「なんか変な感じ」
顔を浴槽につけてみる
やっぱりいつもより少し熱くて、でも気持ちのいい温度。疲れた顔が少し綻んだ気がした
「……はぁ」
天井を見上げてみる。ここは私の部屋のお風呂と変わらない。そしてこういう何もない景色を見ていると、少し考え事をしてしまう
「……最近おかしなことばっかり起きてる気がするなぁ」
先週ぐらいからかな?私の記憶がたまに飛んでいることがある……と思う。無意識かなとも思ったけど、それじゃあ説明がつかない事が起こった
先週の湊さんに泊めてもらった日。なぜか湊さんの家に訪問して、夜ご飯に寝泊まりまでさせてもらった時のこと。
これだけならまだ無意識でも理由が付く。……ほとんどあり得ない事だと思うけど
でもおかしかったのはその後。私の部屋に鍵がかかっていたこと
私の部屋の鍵は全部で3つ。私が所持する2つと管理人さんが持ってる1つ。
なのに部屋に2つちゃんと置いてあったし、あの日管理人さんは既に寝ていて鍵を開けることも出来ないし、そもそもそんな時間はなかったと思う
この謎が頭に残っていたから作品に集中出来ていなかった……なんて言い訳になっちゃうな
無理矢理締切を伸ばしてもらったんだし、悩んでいる時間なんてない!今は悩みを忘れて作品に集中ーー
♢ ♢ ♢
「……したかったんだけどなぁ」
私の新たなる悩みの種。1人暮らしであるはずの湊さんが何故かカワイイ女性用のパジャマを持っていることだ
私の知らないうちに彼女さんがいて、度々泊まりに来てる……とか?
思い当たる節がないわけじゃない。部屋の電気が付いているのに、湊さんが仕事から帰ってきた場面を見た事がある。
消し忘れて出ちゃったのかと思ってたけど、これが彼女さんが来ていたとなれば辻褄が合う
「彼女さん……いたんだ」
元々チャンスなんてほとんどないって分かってたけど、これで0になっちゃったなぁ……
♢ ♢ ♢
「パジャマを用意して下さってありがとうございます」
「大丈夫ですよ。というか服のサイズいけました?」
「……ほ、ほんのちょっとだけ小さいです」
パジャマなんていつぶりに着ただろう……?いつもはジャージだからなぁ。
あと自分のものじゃなくてもパジャマ姿を見られるのってなんか恥ずかしい……
「もうちょっと大きいのあるかもしれないから探してこようか?」
「い、いえ!お手数かけるわけにはいきませんから!それに本当全然問題なーー」
プチッ!
私の胸元のボタンが弾け飛んだ
「ご、ごごごごめんなさい‼︎弁償します‼︎」
「だ、大丈夫だから!ボタンなんて付け直せるし、それよりやっぱり新しいの持ってくるよ。脱衣所で待っててくれる?」
「は、はい……」
……まただ。胸がちょっと苦しいとは思ったけどボタンが弾けるほどじゃなかった。そもそもこれは弾けたというより破けたような感じ……
本格的にお祓いとか検討してみようかな……
「由布子さん」
「は、はい!」
「ごめん。やっぱりサイズは同じものばっかりで。でも1つだけちょっと大きめのやつがあったんだけど……」
扉越しの声でも分かるぐらい、湊さんはなぜか困惑してる
「な、なんですか?」
「……まあ一応扉前に置くから、無理だったらまた呼んで?」
「……?は、はい」
湊さんの足音が遠くなるのを確認して、私は置かれた服を手に取った
「こ、ここここれって⁉︎」
黒色のネグリジェ……しかもちょっと装飾が大人っぽくて、童顔な私にはセクシーすぎる代物だった
サイズは確かにさっきより大きい。ボタンじゃないから外れる心配もない。ただパジャマよりもこの姿で出る方が恥ずかしい……
出来ればパジャマがいい。でもまたボタンが弾けたりして湊さんの手を煩わせたくない……
うぅぅぅぅぅーん……
悩みに悩んだ末に、私はネグリジェを着ることにした
羞恥心より、またパジャマを駄目にした場合の罪悪感の方が心情的に勝っていたから
あと意外とスカート部分の丈が長かったのも選んだ理由の1つになった
「今度は大丈夫そう?」
「さっきよりちょっと大きめですし……大丈夫だと思います」
「よかった。じゃあご飯にしましょうか」
「用意してくれたんですか?」
「はい。あ、いつも自炊してますから。ちょっと量増やす程度で済むのでお礼なんて言わなくて良いですよ?」
「は、はい。い、いただきますね」
リビングの方から香ばしくて食用をそそるいい匂いがする……
「今更ですけど、食べたいものの要望聞けば良かったですね」
「そ、そこまでしてもらうわけには……」
「オムライスって食べれます?」
「す、好きです!」
「嫌いって言われたらどうしようかと思いました」
食卓の上にレストランに出てくるようなクオリティのオムライスにサラダを用意されていて、卵が半熟で上からたっぷりとデミグラスソースがかけられてる
「早速いただきましょうか」
「は、はい!」
湊さんは両手を合わせた
「いただきます」
「い、いただきます!」
……え?美味しすぎる。私が食べたオムライスの中で1番美味しい
「お、美味しいです。すごく!」
「……それは良かったです」
あまり食に興味がなくて味覚に自信のない私だけど、これは誰が食べても美味しいって言うと思う
家でこんなクオリティのものって作れるんだ……
「ちなみにですけど、明日の晩御飯の希望とかありますか?」
「で、ですからわざわざ私のためにそこまでしてもらうわけにはーー」
「どちらにしろ、明日の晩御飯に迷ってたので参考程度に聞きたいんです」
「うぅ……」
「ちなみに1番好きな料理とかってあります?」
「……ぱっと出てくるのはショートケーキです」
あ……私すごい変なこと言った
「ぷっ!あははっ!じゃあ明日の晩御飯はショートケーキにしましょうか!」
「わ、忘れてください‼︎自分でもおかしなこと言ったって思って……あーもうぅ……」
パジャマやネグリジェ姿を見せるより全然恥ずかしい……
……でも、湊さんの笑った声初めて聞けた気がする
だからこの恥は、私の黒歴史にはならなくて済んだ
♢ ♢ ♢
「ご、ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「食後のコーヒーいる?」
「い、いいですか?」
「うん。淹れてくるから待ってて」
想像よりも全然話が弾んでいたと思う。ただそれは湊さんが話を振ってくれていたおかげ。私から話題を切り出すことは1回も出来なかった
寡黙な人だと思ってたいたけど、全然イメージが変わった。笑うことは少ないけど話は面白いし、本のことになると饒舌になる。私が全然知らない湊さんの一面が見れて嬉しい
そして改めて、私のこの気持ちは偽物じゃないことも再認識出来た
だからこそ私は勇気を出さないといけない
これだけは絶対に聞いておかないといけない
「あ、あの……湊さん1つ聞いてもいいですか?」
「ん?どうしたの?」
「この服って誰のものですか?」
湊さんは意外にも驚いた様子を見せた
「あー……そういえば由布子さんは知らないんですっけ」
「何のことですか?」
「まあこればっかりは見てもらったほうが早いですね」
湊さんはリビングから繋がる扉を開けた
「これって……仏壇ですか?」
「そうですよ」
その部屋には、見覚えのない女性の仏壇があった
顔立ちが良くてとても可愛らしい女性が写っている
「お姉さんか妹さんですか?」
「いえ……俺のお嫁さんでした」
……雷が落ちたかのような衝撃が脳天を襲った
「……い、いつ頃亡くなったんですか?」
「7年前です。22歳の頃に病気で」
「そう……でしたか」
7年前なら私がここに引っ越してくる前……だから知らなかったんだ
でもよく考えたら何ら不思議な話でもない気がする。こんなにカッコよくて優しい人に、1人も相手がいなかった方がおかしい
「この服は嫁の物なんですよ。そんな物を着させるなって思ってるかもしれませんが……」
「い、いえいえ!むしろそんな大事なものを私なんかに貸すことになって申し訳ないです」
……元々私なんかにほとんどチャンスなんてないと分かってても、この事実はちょっと辛い
「あの……この方のお名前を伺っていいですか?」
「……李華」
「……李華さんですね。すいません湊さん。お線香をあげてもいいですか?」
「……あげてくれるのか?」
「まあ会ったこともない人にあげてもらうなんて、李華さんからすればいい迷惑かもしれないですけど……」
今、李華さんからすれば誰この女は?ってなってると思う。でもちゃんと聞いてほしい事がある。李華さんには伝えておかないといけないことがある
「そんなことないよ。李華も喜ぶよ」
「……一旦1人にしてもらってもいいですか?終わったらすぐに戻りますので」
「……何か話すのか?」
「それは……女同士の秘密ってことにしてもらえませんか?」
「……分かりました。じゃあ俺は先に戻ってますね」
仏壇の部屋には私1人になった
私は仏壇の前で正座をし、2礼2拍手をして私の前で目を瞑って頭を下げた
返事はもらえない。許可が降りるかなんて分からないからただ一方的に私から李華さんに報告するだけ
「……李華さん」
「なあに?」
「はぇっ⁉︎」
わ、私じゃない誰かの女性の声が聞こえた。気のせいなんかじゃない。ハッキリと聞こえてきた!
「どうしました由布子さん?」
私が変な声を出したせいで、湊さんがドア越しに私の様子を伺いにきてくれた
「何もないって言ってください」
「え、えっ?」
「早く言ってください」
「な、なんでもないです!」
「そうですか?だったらいいんですけど……」
「お、お騒がせしました」
咄嗟に言われた通りにしてしまった……
辺りを見渡しても人の姿はない。壁越しとかではありえないぐらいクリアに声が聞こえている
「だ、誰なんですか?」
湊さんに変に思われないように声のボリュームを少し下げて会話を試みてみる
「誰だと思います?」
「どこから声を出してるんですか⁉︎」
「どこからだと思います?」
怖い……声の距離は近いのに、そこに姿はない
考えたくないけど……もしかして幽霊⁉︎
「まあおふざけは大概に……したいところだけどあんまり時間がないですね。由布子さんがまた書斎に上がった時に話しかけますね」
「えっ?ちょ、ちょっと待ってください‼︎あなた誰ですか⁉︎」
……私の問いに対する返事はなかった




