『黒木渚論・・・自由なライト』
『黒木渚論・・・自由なライト』
㈠
7/8に、東京国際フォーラムCでの、黒木渚のライブに参加したことは、以前述べた。その時の自己の状態を振り返ってみる。席は前から5列目の真ん中だったからか、とにかく暗闇で照らされるライトが目に入って、半ば、光の中で過ごしていた。勿論、音楽は、しっかりと、耳に届いていた。
㈡
自由なライトだった様に思う。その自由の根幹は、芸術である。光とともに生きてきた、黒木渚※が、光を失い、やがて、
「『檸檬の棘』のツアー(2020年開催)で、さらに巨大になった光が戻ってきたんです。その現象に名前もないし、意味もわかっていないけど、きっとあの光は、みんなが取り戻してくれたということに私の中ではしています。本当に、光を取り返してくれてありがとう」(ライブレポから抜粋)
と言う状態まで戻ったことの、ファンへの感謝の光だったのではないだろうか。あの自由なライトは。
㈢
つまり、あの自由なライトは、ファンを照らすという、黒木渚からのファンへの、感謝のメッセージだったのだろう。あのライブの夜、その自由なライトの中、舞台は光に満ちていた。今でも、その光に照らされて得たエネルギーで、自分は、生活をしている。もう一つ踏み込んで換言すれば、黒木渚は、「灯台」そのものだった。
客席を自由なライトで照らした、東京でのライブでの場の記憶を、自分は恐らく、一生、忘却しないだろう。
※黒木渚という本名で活動されているので、黒木渚と表記していますが、決して渚さんを呼び捨てにしている訳ではないことを、ご了承願います。