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 グレイの言葉通り、ジムは迷うことなく鮨屋へたどり着いていた。まあ、仮に迷ってしまったとしても、その時はまた屋根にでも登って目的地を探せばいいだけの話である。少し早く着いてしまったジムは、鮨屋の裏手にあった塀の上に座り、足をぶらぶらと揺らしてのんびりと犯人を待っていた。

 そして、夜七時を回る頃、静かな裏路地に砂利を踏む音が近づいて来た。忍び寄ってきた影は、懐から点火棒を取り出し、そこにぼんやりと揺らめく炎があらわれた。そうして影は鮨屋の方へ向き直った。

 ジムは音もたてずに、灯を目指して塀から勢いよく飛び降りた。犯人が慌てて手を引くが、それも遅い。ジムはなんと、点火棒だけを踏みつぶす形で着地したのである。そのまま点火棒をぐりぐりと地面に擦り付けて火が消えたことを確認すると、闇にそぐわない明るい声で挨拶した。


「こんばんは、レディ」


 まるでスポットライトを当てるかのように雲間から月明かりが降り注ぎ、ジムの姿が照らし出される。それに伴い、少女の顔も薄明るく見えてきた。それは、そばかすの張り付いたどこか違和感のある顔で、お世辞にも世間一般で美しいとは言われないであろうものだった。


「……あんた、何者?」

「まあまあ、そう警戒しないで。私はジム。ただの探偵さ」


 ジムはにこりと笑みを添えて、少女の質問に答えた。へらへらと返事するジムに異常性を感じ取ったのか、少女はすぐさま小刀を構えてジムの方へ向かって来た。

 ジムはそれをひらりと避けると、小刀を装備した少女の腕を右手で掴み、そのままくるりと体を回転させて壁に押し付けた。少女が再び暴れそうになったので、すかさず左手で抑え込むと、右手を引くようにしてジムは耳元にそっとささやいた。


「おいおい、落ち着けって。今暴れたら腕が折れてもしらないぞ?」

「くっ、そ」


 脅し文句にも屈せず、痛みを押し殺しながら少女はまだもがいているようである。ジムはやれやれとため息をつくと、懐に潜めてあったナイフで少女の顔の真横の壁を貫いた。


「何も武器を持っているのがお前だけとは思わないことだな」


 ジムの低い声にようやく現状を理解したのか、少女は体の力を抜き、抵抗を止めた。


「名前は?」

「……杏」

「お前が放火犯で間違いないな?」

「……だったら、何だっていうの」


 身体的な抵抗は諦めたものの、その精神はまだ鋭くとがりきっていた。ジムは面倒な予感が当たってしまったと危うく舌打ちしそうになったが、寸でのところでそれを呑み込んだ。


「百花って女を知ってるか」

「なんで姉さんの名をっ……⁉」

「なるほど、お前はあいつの妹か」


 思わぬところで姉の名を出されひどく動揺する杏をよそに、情報がまとまりつつあるジムはふむと息をついた。


「姉にすり寄ってきた男たちの家に火をつけてまわってる、か。なんだ、重度のシスコンか?」

「……私はあの男を殺しに行くの。離して」

「そう言われて離す訳がないだろ? 大体、今までの六回は全部ボヤ騒ぎでおさまっちまってるじゃねえか」


 図星を刺され、杏はぐっと言葉を詰まらせた。そこへ追い打ちをかけるように、ジムは静かに言った。


「お前、本当に殺す気あるのか?」


 その問いに答える者は、誰もいなかった。杏は瞳を揺らがせ、ただきゅっと唇をかみしめていた。しばらくの沈黙の後、杏はゆっくりと口を開いた。


「……姉の仇を、討ちたいの」

「仇?」

「姉は、殺されたのよ」


 俯いている杏の瞳は、憎しみで陰っていた。微かにふるわせた声で、杏は語る。


「姉さんは、本当に綺麗だった。町でも有名な美人だったのよ。姉さんと違って私は不細工だったからそれでよくいじめられたけど、姉さんは喧嘩なんて得意じゃないはずなのに、いつも私を守ってくれた。姉さんのことは、ずっと大好きだった。絶対に失いたくないものだった。……それなのに。鈴城って男は、姉さんに振られた腹いせで家に火を放ったの。こうやって、夜に忍び寄ってね。偶然……か、どうかはわからないけど、私も母さんも父さんもいなかったの。町へ戻ってきた頃には遠くからでもわかるくらいに火が立ち上っていて、もう遅かった。姉さんは一人で死んだわ。誰も助けてくれなかった。家が燃えてるって噂を聞いて、今まで言い寄って来た男たちも皆来てたっていうのに、誰も姉さんを助けに行ってくれなかった。姉さんに告白したあいつら全員、『姉さんを守りたい』って言ってたのに……。それで、私たち家族がやっと着いた時には、何もかも燃えてなくなっちゃってた」


 杏は感情を昂らせ、いつからか涙をこぼしていた。ジムは至って冷静にそれを背後から見つめていた。


「絶対に、殺してやる」


 ジムは、杏を捕まえたところで、意味がないように感じた。一度捕まえても、釈放されて普通の生活に戻れば、また同じことを繰り返すような予感がしたのだ。それがただの予感にすぎなければよかったのだが、あいにくこれはよく当たると評判のジムの予感なのである。

 そこで、ジムは交渉を進めることにした。


「とりあえず、あんたの憎しみは分かった。だがな、こっちも仕事だから、連続放火事件は止めなきゃならん」


 ジムの言葉を聞き、杏の身体がやや強張った。それを確かに感じ取ったジムは、一拍おいてまた声をかけた。


「そこでだ」


 声色が明らかに切り替わったことで、不思議に思った杏は顔だけを何とか後ろの方に向けた。すると、二人の目線がかちりとかみ合った。


「交換条件といこうじゃないか」

「……交換条件?」

「そう。今日のところは一旦諦めて、計画は明日に延期する。明日の夜までに、私はあんたの欲しいものを用意する。もしそれを手に入れられたら、あんたは潔く放火を止めて自首する。勿論、釈放されてからまた復讐するとかはなしだぞ? んで、もし私がそれをあんたに渡せなかったら、あんたは好きにすればいい」

「今の私に、欲しいものなんかあると思ってるの?」

「なんだ、欲しくないのか? 姉さんの形見とか」


 ジムが不思議そうな表情でそう尋ねてきて、杏は大きく目を見開いた。


「っ⁉ だって、あの日全部燃えてしまって……そんなのあるわけ」

「ははっ、ないものを探させるのはかわいそうだって? 随分とお優しいじゃないか」


 ジムは杏の言葉を遮る勢いで、煽るように言った。杏は瞬きを繰り返した。わざわざ相手に有利な取引を持ち掛けて来るなんて、そんなことがあるのだろうか、と信じられない気持ちでいっぱいだった。しかし、そこから迷いを絶つのは早かった。


「……いいわ。姉さんの形見が手に入ったら、あいつらを殺すのはやめる。けど、期限は夜七時ぴったりよ」

「もちろんだ。あ、場所はあの桜の大樹なんかどうよ? あいにく、まだ目印がないと迷子になっちまいそうでね」

「かまわないわ」


 こうして、二人の交渉は成立したのだった。ジムは杏の身体を離すと、今にも口笛を吹きそうなくらい軽やかな足取りで月明かりの照らす夜道を進んでいった。その場に取り残されていた杏も、ジムの姿が見えなくなってから、闇の中へと去っていったのだった。

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