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95話 真意

 現実とは非情である。

 戦いを眺めているだけで、その奥に隠された真意など見つけられるはずもない。

 時間はただただ無慈悲に流れていく。流れ落ちていく。

 幸か不幸か、エレカとルージュは上手いこと戦闘を運んでいた。接近して剣を誘い、それを避けて懐に飛び込む。正面から、だ。剣を引き戻す時間はないと悟った竜人は熱線を放ち、元からそれだけを狙っていたエレカとルージュは難なく避ける。

 その繰り返し。

 しかし竜人は、あれで本当に理性を失っているのか?

 明らかに二人の動きを読んでいる。恐らくは狙い――、熱線を撃たせようという意図も。熱線を出し渋るような気配を何度も覗かせた。半ば強引に剣で迎撃する場面もあった。

 その上で熱線を撃ってでも二人の攻撃を阻もうとするのは、熱線よりも治癒の方が多くの魔力を使うからではないのか。

 まぁ、竜人のそれを治癒と呼んでいいのかは甚だ疑問だが。

 いかに桁外れの巨体とはいえ、――否、巨体だからこそ竜人の防御には限界がある。

 機敏に動く敵が二人、それもエレカは温存を考えていないのか度々一閃とかいう、あの斬撃と炎を飛ばす魔法を放っていた。そうした攻撃から巨体の全てを守り切るなんてできるはずもなく、何回かに一回は竜人の身体に傷を付ける。

 その傷は元通り塞がれることなく、代わりにムカデの足のような腕を生やした。

 うねうねと無意味に動く無数の腕にまで意思が通っているとは思えない。仮に理性があったとしても、あの全てを自在に操ろうとすれば思考が追い付くはずがないのだ。

 ゆえに腕は無意味……と断じたいが、だとしたら魔力の無駄遣いではないのか? どうせ意味がないなら傷口を塞ぐだけでいい。

 理性があるように見えて、ただ戦闘に特化した本能でしかないのか。あるいは腕にも意味があるのか。

「……いや、そうじゃないだろ」

 反射的に唾を吐く。

 俺がすべきはなんだ、敵の分析だろう。ただ、その敵とは竜人ではない。ルージュだ。オールドーズの総本山。というか、オールドーズその人。

 竜人と同じく魔力の温存を考えている、奴の真意を探り当てなければいけない。

 もっとも、言うは易しの典型だ。

 探り当てると言ったところで、そもそも俺が知るルージュとは覇者の座を狙う神の一人ということだけ。あとは伝説として語られた話や、グレイから聞かされた前の時代の最後の戦いくらいか。

 神や王である以上、覇者となる以外に生き残る道はない。

 だが、ただ生き残るために戦っていた者を今までに見たか? 魔眼王は飽いたと言った。自分の一族がいなくなった世を儚んで死を望んだ。二代目魔王……マオは厳密には王じゃないらしいが、あいつも生き残ることを求めてはいない。復讐を、父の仇討ちを求めている。

 グレイにしたってそうだ。生き残るために覇者の座を目指したなら、その中で理性を失い異形と化すなんて論外だろう。

 誰しもが自分の目的のために戦い、あるいは死んだ。

 ルージュもその一人。

 幾つもの時代を跨いで覇者を目指す理由はなんだ? 勇者は人間の、ヒュームとエルフの栄華を願った。それが叶ったから今の時代には魔王に与した者たちの子孫がいないのだろう。

 ヒュームが、特に帝国が世界の覇権を握れたのはオールドーズ教会、延いてはルージュの策略があってのこと。反対にエルフが世界中に散らばり、互いの連帯を許されなかったのは妖精王の企みによるものだった。

「待てよ……?」

 ルージュが覇者になれなかった理由の最たるものが妖精王である。

 グレイの言葉を信じるなら、という些か不安な前置きをすることになるが、妖精王が上手く立ち回っていたら勇者とルージュの決別はなかった。奸計の存在を隠し、あくまでルージュは勇者の味方なのだと信じ込ませれば、覇者の一角に名を連ねられただろう。

 それができなかったから、ルージュはまた覇者の座を巡る戦いに身を投じる羽目になった。

 にもかかわらず、どうして妖精王との協力関係は健在だったんだ?

 前方を見やる。

 グレイだった竜人が二人の神を前に威容を崩していない。竜の首が消し飛ばされてなお、人に似せた姿を伴い起き上がってきた化け物だ。そう易々と決着は付かないらしい。

 しかし、考えてみれば今この状況すら不自然だった。

「迂闊と言うにも――」

 我知らず呟きかけた言葉を呑み込む。

 それこそ迂闊というものだ。ルージュの聴覚がどれほどのか分かったものじゃない。

 とはいえ、そのルージュは確かに迂闊だった。そもそも妖精王を単独で乗り込ませなければ、グレイがあんな巨体を手に入れることもなかったのだから。まるで前の時代の最後を思わせる迂闊さ。

 妖精王がルージュに執心していたのを思うに、意向に反して独断専行したわけではあるまい。

 単純に妖精王一人でグレイやエレカを倒せると考えたのか? そうすれば自身は手を煩わせることなく……詰まるところ、余計な魔力の消費なく敵を減らせる。

 それに妖精王の再生能力は尋常じゃなかった。俺たちも知らなかったグレイの力がなければ、……なければ?

 はっと我に返る。

 グレイが妖精王を倒せなければ、その後はどうなっていた?

 当然、俺たちは妖精王の前に倒れる。どれほど傷付けようと、底なしの魔力によって再生されてしまったら倒せるはずがないのだ。

 同じことが眼前の竜人にも言えるが、ルージュ曰く、あちらは巨体の維持や何かで消耗も激しいという。だからこそ熱線を吐かせつつ、再生を強いることで倒せるのだと。

 であれば竜人に比べれば小さな肉体に、そもそも王として正当な力を得ていた妖精王を倒すには?

 グレイが見せた『喰らう』とでも形容すべき超常の力がない限り、絶対に滅ぼすことのできない完全な不死身だったとしたら――。

 ルージュですら、手に余る。

 意図があって協力関係を保ったのではなく、ただ保たざるを得なかった。敵に回していい存在ではなかった。

 勇者に覇者の座を譲っても次の時代がある。しかもそれは人間の栄華というルージュにとっても悪くない時代。

 一方で妖精王を敵に回せば、魔力が枯渇するまで泥沼の戦いを続けることを意味する。妖精王亡き今なお魔力の温存を考えているルージュにとって、是が非でも避けたい、避けなければいけない可能性だったはず。

 そうなると、妖精王が単独で現れたのも納得できる。

 ルージュは妖精王が倒される可能性を考えていなかった。仮に魔力が枯渇して再生できなくなったとしても、自分の代わりに他の誰かが魔力を浪費し、浪費させてくれたと手を叩いただろう。

 誤算はグレイの存在、その力。

 だからこそ慌てて姿を見せた。妖精王ですらロックに魔剣を持たせる手間までかけたのだ。

 恐らく竜寧山脈の向こう側にいたルージュが、途方もない距離を一息に飛び越えるためには莫大な魔力を要するはず。それを力技で解決しなければいけない状況をグレイが作った。

 ルージュの計画はとっくに狂っている。

 エレカが突いたのは、そこに生まれる隙。感情的にも、理性的にも、エレカとの共闘は喉から手が出るほどに欲しい状況だろう。たとえ罠と承知でなお、牙を剥くその瞬間までは味方として利用したい。

 否、しなければ困る。

 それほどまでに魔力を温存する理由は、相変わらず見当もつかない。

 妖精王にグレイという、厄介な力を持つ敵は倒され、また倒れようとしている。今ここでエレカに覇者の宣言をされるわけにはいかないから戦いを続けているが、竜人を倒した後でエレカも倒せば、晴れて覇者になれるのではないか。

 そんな俺の予想を覆す何かがルージュの脳裏にはあるから、竜人もエレカも最大の敵としては見ていない。

 やはり、そこに隙が生まれる。

 エレカが狙うのは、必然、そこしかない。だから俺には手を出すなと厳命した。不確定要素を作りたくないのか。

 その上で、先に謝ってきた。

 ……最悪の手。一体どんな手を使うつもりか。考えるだけで目の前が暗くなりそうだ。

 ぐるぐると堂々巡りしそうになる頭を切り替え、戦況を見据える。

 最早あれを蛇と見紛う者はいまい。

 彫刻のごとき両目が無機質にルージュを追い、地表を這うほどに低い位置を巨大な剣が走った。だが、それだけではない。

 竜人にまともな筋肉や神経があるとも思えないが、全身が軋んで激痛を生みそうな姿勢で残る左手の剣も振り上げていた。

 片方を避けようとすれば、もう片方の追撃を食らう。

 今までになく踏み込んだ一撃だ。エレカの横槍を歯牙にも掛けず、先にルージュ一人を葬り去らんとする動き。

 あまりに大きすぎた隙は、ゆえにエレカも見過ごすわけにいかない。それを見ぬ振りするのは明確な裏切りで、共闘が口先だけだと確信させるに余りある。

 九十九パーセントの理性を、ただ一滴、一パーセントの猜疑心で濁らせる。

 そのためにエレカは己の剣を構えた。腰を落とし、左腰の鞘の近くに刃を向ける。傍目にも桁外れの魔力が集中していくのが感じ取れるほどに重々しい。

「ワァレ、コソがアアァァァ――ッ!!」

 竜人の絶叫。

 回避のため走っていたルージュが足を止め、すぐそこに迫った巨剣に剣の切っ先を返す。

 膨れ上がり、溢れ出す魔力が頬を叩くのを感じた。

「一閃ッ!」

 一瞬早く、エレカが剣を振り抜き、魔力を解き放つ。

 空気さえ焦がしたかのごとく強烈な炎と灰の臭いを撒き散らし、燃え盛る斬撃が虚空を走った。

 直後、ルージュの剣からも光が迸る。巨大な剣を――否、腕までも包み込む極大の光の槍。

 片腕を失いながらも、竜人は残された左腕を振り下ろす。巨大な剣と、その斬撃。まともに受ければルージュとて無事では済まないであろう一撃は、しかし予期した通り半ばで揺らぐ。

 燃え盛る斬撃、エレカの放った魔法が腕を失った右肩に突き刺さり、衝撃で巨体を押し込んだのだ。

 肩どころか胸の辺りまで焼け焦げ、どろりと竜人の肉体だったものが零れ落ちる。首も傾き、無機質な両目が斜めに空を見上げているようだった。

 その眼球が、初めて動く。

「――ッ!?」

「冗談っ!」

 思わず絶句した。

 そんな俺には気付かず、エレカが半ば笑いながら叫んだ。

 眼球はエレカを見据えていた。

 あるいは先の一撃は、左腕を狙ったのかもしれないが。

 どうあれ、竜人にはまだ片腕が残っていた。右腕も右肩も右胸も、右半身はほとんど形を失いながらも、左半身は痛痒も感じないとばかりに悠々動かされる。

 そして次の瞬間、全身に生えた腕が蠢動した。

 竜人の巨体が一瞬、ほんの僅かに浮き上がる。それが見えた時には、既に巨体が旋回していた。左腕だけでどうしてあそこまで自在にバランスを取れるのか。小刻みに動く全身の腕たちが空気を掴んでいるとでもいうのか。

 馬鹿馬鹿しい。

 笑ってしまうほど、そこからの光景は鮮明に思い描けてしまった。

 信じられない速度で巨剣が虚空を斬り裂く。一瞬でエレカとの間にあった距離を詰めてしまった。後退する暇もなく、咄嗟に剣を構えるのが精一杯。だが剣も肉体も、あまりに大きさが違いすぎた。

 剣と剣が触れた瞬間、なんなら触れる前には弾け飛んでいたようにも見えた。

 小さな爆発が二つの剣の間に生まれている。少しでも衝撃を殺そうとしたのか、あるいは竜人の剣を弾き返そうとでもしたのか。

 どちらにせよ、同じことだった。

 エレカの小さな、小さすぎる身体が地面に叩き付けられる。それでも勢いは止まらず、反動で跳ね上がった。

 喉から変な音が漏れる。

 嘘だろ、やめてくれよ。

 悲鳴じみた叫びが脳を支配する。エレカの瞳が、まだ竜人を捉えているのが見えてしまった。この期に及んで、まだ戦うつもりなのだ。

 逃げてくれ。

 どうすれば逃げられるのかも分からないまま、祈るように想った。叫んでいたかもしれない。

 エレカは握り締めたままだった剣を竜人に向ける。

 竜人は最早、剣など向けてはこなかった。

 無慈悲に顎門が開かれる。収束する炎。熱線が来る。ただの長剣で何ができるというのか。

 我知らずルージュを探していた。

 光の槍なら、今からでも間に合うんじゃないのか。

 目が、合った。

 そして逸らされる。

 熱線は、放たれた。

 エレカに避ける暇なんてなかった。

 迎撃などできるはずもなく、あの一撃を打ち消す術などあるはずもない。

「……い、おい。…………エレカ?」

 幸いなどとは口が裂けても言えない。

 ただの不幸だ、不運だ。それでも炎は引き絞られていたために、エレカの全身を焼き尽くすことはなかった。

 腹か、胸か。

 肉体に焦げた穴を穿たれながら、エレカが地面を転がった。苛立ち混じりに蹴飛ばした石ころみたいに、何度も弾んで転がってくる。

 何も考えずに駆け出していた。

 追撃が来たら巻き込まれる。だからなんだと冷めた理性に怒鳴り付けていた。

「エレカ! おい、エレカ……っ!」

 駆け寄って、しゃがみ込んで、力なく閉じたままの目を見下ろす。

 嘘だ。

 ふざけるなよ、ふざけないでくれ。

 思わず顔を上げていた。視線が右へ左へ動き回る。見つけた。

 ルージュがこちらを見据え、ほんの僅かに驚いた表情を覗かせるも、それだけだった。共闘など口先だけと察してはいただろう。だが今、ここで見殺しにすることにどんな意味があった?

 敵に何を願っても無駄だと知りながら、他に何もできず睨んでしまう。

 ルージュはまた目を背けた。

 最早興味もないとばかりに、竜人へと目も意識も向けてしまう。

 違う。

 俺だ、俺が無力だった。何もできなかった。しなかった。だから――

「……っ」

 不意に思考が断ち切られた。

 エレカが動いた気がしたのだ。咄嗟に目を落とす。エレカが微かに、ほんの微かに目を開けていた。だが身体には穴が穿たれたままだ。右の脇腹。寸前でどうにか急所は避けたか。それにしたところで致命傷には十分すぎる。

 言い尽くせない言葉が脳裏に溢れた。

 何を言おうとしても、言葉にならない。情けない嗚咽みたいな声だけが口から零れる。

 エレカが笑ったような気がした。

 笑える状況なんかじゃないはずなのに。

 それでも満足に動かない口を動かし、何事か言おうとしている。必死になって、弱々しい身体を抱き起こした。

 エレカの瞳はじっと俺を見ている。あまりに力のない、覇気のない、今にも生気が失われそうな瞳。抱き起こしたのはまずかったかもしれない。だけど、今更だ。

 せめて声だけは聞き逃すまいと、口元に耳を寄せた。

 それを感じ取ったのだろう。

 かつての力には程遠い、けれども力を込めた腕が俺の首筋を触った。

 予想外の力に引き寄せられ、吐息どころか唇が触れる距離で囁く声を聞く。

「……隠せ」

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