94話 策
ルージュは取り乱していた。
意外なほどに。
しかし、あるいは、それが自然だったのかもしれない。
姿だけを見たらエレカとそう変わらなかった。エレカはまだ二十にもなっていない。少女と呼べる歳。
なのに二人は、人間ではないという。
馬鹿げた話だ。
――カテヌ、リュウジンには。
歪な言葉を喚いたあれは、未だグレイと呼んでいい存在か?
あれは竜と化した神。ゆえに竜神と呼ぶのが正しいのかもしれないが、どうにもそう呼ぶ気にはなれなかった。
竜から生えた人の身。
それを竜人と、敢えて呼びたい。
でなければふざけている。
この身が、禍福と呼ばれた俺が未だ人間の枠に閉じ込められ、エレカやルージュがあんな異形と横並びに語られるなど。
竜人の表情のない顔が、その口が歪んだ。
「ラァ、ハッハ」
降り注ぐ笑い声。
乱れ打たれる巨剣の雨に、後退を強いられたルージュ。そうして下がってきたところにエレカが並んだ。
「手を貸そう」
「なんのつもりですか」
口を開いたのは、ほとんど同時。
「……なんのつもりですか?」
不信感を露わに繰り返すルージュに対し、エレカはあっけらかんと声を返す。
「状況が変わった」
「そんな言い訳で誰が信用すると……」
「信用を買うために言葉を弄せと? それこそ無駄だろうさ」
鼻で笑ってみせるエレカがどこまで演技の自覚を持っているかは定かじゃない。
だが、その言葉は的を射ているはずだ。
俺も二人に近付こうとしたが、見れば見るほどルージュには隙がない。こちらには一瞥もくれないくせに、それを好機と勘違いしたら大火傷だろう。下手に隙を窺ったり気配を殺そうとしたりするのは下策。
位置関係的にどうしても後ろから近付く形になってしまうが、意識して堂々と、一歩一歩をゆっくり踏み出す。
「あわよくば共倒れとも思っていたが、あれは明らかに一線を越えた。このままでは周囲に被害が出る」
「心にもないことを、よくもまぁそんなに平気な顔して」
「そこは信用してほしいものだ。元々ここを戦場に選んだのも、イスネアの二の舞いを演じないためだった。貴様も把握はしているんだろう?」
エレカをよく知る俺ですら呆れ果て、仕舞いには正気を疑う言葉の連続。
今の今まで敵対しかしてこなかったルージュにしてみれば、積もり積もった不信感が却って怪しく思えてくるほどかもしれない。
それでいて、探り合いにばかり時間を使っていられる状況でもなかった。
竜人が無表情のまま睥睨してくる。顔は彫像のごとく動かないのに、首だけが獲物を観察する蛇のように気味悪く動いていた。
「テキぃ……? テキぃカ?」
背筋をナメクジが這う感覚。
当然、そんな経験はない。ないのに想起させられる、異物感をも内包した不気味さ。
それを真正面から受け止めたルージュとエレカは、それぞれ違う言葉と態度を、しかし平然と返すのだった。
「当たり前です」
「悪いな、そうなる」
直後に迸った絶叫は最早、生き物のそれではない。
……ィィィンと耳鳴りに似た残響が耳の奥を埋め尽くす。エレカの口が動いたのは見えたが、声は聞こえなかった。ちらりと振り返った視線が俺を見る。
ほんの一瞬。
ルージュの目を盗んだ合図かと思ったが、違う。一瞬しかなかったのだ、猶予が。竜人が大口を開けている。燃え盛る、粘度の高い炎が収縮。変に警戒心を煽らないよう、二人の真後ろに近付いていたのが仇となった。
炎が、解き放たれる。
見えた時には、眼前に迫っていた。炎じゃない。エレカだ。
自分の胸から覆い被さるように飛び込んでくる。抱き着くよう、と言えば少しは雰囲気があるかもしれないが、それをまともに受けた俺の率直な感想としては、ただの体当たりだ。
俺を下敷きにしたエレカの背中の上を、線状に細く引き絞られた炎が通り過ぎる。
凄まじい熱波が腕や頬を叩いた。それなのに俺より炎に近いエレカは涼しい顔をしている。……いや、気にも留めず他のことを考えている顔か。
「無駄が多い。その分、威力はルージュの光より低いのか」
微かに零された声。
俺に聞かせる意図がなかったことを、直後に合った視線で知る。
「馬鹿かッ、お前!」
いきなりの怒声。
ほんの今しがた零した声との温度差に、驚きすら湧かず思考が固まる。
「不用意に近付くんじゃない! 確かにお前は勇者だけどな、あんな化け物と正面から戦えるほど頑丈じゃないんだぞ!」
「えっ、あぁいや、すまん……」
それは知っているが。
その上でルージュの警戒心を煽らないために……と、そこでようやく頭が回った。
演技か、これは。反射的に間抜けな声が出てくれてよかった。でなければ嘘を見抜かれていたかもしれない。
しかし演技とはいえ、晒した隙は本物だった。
「……ッ!」
まるで歌でも歌うかのように竜人が口を開く。次だ。炎が、熱が収束するのが見えた。ほんの一瞬。それだけで準備が整ってしまう。
エレカに呼びかけ、いいや蹴飛ばしてでも――そんな時間もなかった。
放たれた熱線は、だが、狙いを大きく外す。
ルージュだった。
ルージュが竜人の横っ面に迫り、対応を強いたのだ。
……助かった。率直な言葉は呑み込んだ、はずだったのに。
「助かった!」
全く同じ台詞を、エレカが思い切り叫んでいた。
風を切り裂く轟音とともに振り抜かれた巨大な剣を空中で受け流し、ひらりと舞い降りるように着地したルージュ。その顔に浮かぶのは苦渋の色。
「助けたつもりはありませんが」
「だが、事実だ」
喜色が滲むエレカの声に、口をへの字に曲げて視線を逸らす。
ルージュにしてみれば、さぞやりにくかろう。真意を知っている俺ですら気味の悪さを自覚できるほどだ。ルージュとて嘘八百と気付かないはずもないが、万が一の可能性もある。
というより、たとえ理性が嘘だと断じても、あれほどの知性の持ち主ならば嫌でも考えてしまうはずだ。
もしもエレカが、本当に共闘を選んだなら――。
「策を聞きたい」
エレカが歩み寄る。
物理的にも、精神的にも。
「何度も言わせないでください。誰があなたなど信じるものですか」
「けど、私だけじゃ荷が重い。それどころか、さっぱり分からん。あれは一体なんだ? 妖精王を喰らって、その再生能力まで身に付けたとでも?」
「…………」
注がれる猜疑と諦観の眼差しに、エレカは肩を竦めて返すのみ。
ただし当然、二人が騙し探り合う間も竜人が手をこまねいてくれるわけもない。
「ッ、話は後です!」
ルージュが叫んだ。
と同時、剣を正面に突き出す。
細く引き絞られた光の槍が、竜人の熱線を相殺した。
「チィ……ッ!」
「それは共闘に応じると見ていいのか?」
舌打ちするルージュに、エレカの意地悪な笑みが刺さる。
「ふざけるのも大概にしなさいっ!」
「だが、今の一撃は貴様なら避けられた。違うか? なのに私の勇者を守ってくれたんだ。感謝するよ、心の底から」
心にもないことを平然と言う。
そもそも熱線は俺に当たる軌道ではなかった。狙いはルージュその人。しかし万が一にも背後の俺に当たらないよう無駄な力を使ってくれたようだ。
エレカの想像が当たっていたことは、直後のルージュの表情からも窺い知れる。
「あれのこと、私よりは貴様の方がよく知っている。ほら、策を」
どちらが上か分からない。
とはいえ知識も力量も、戦場における優位性の全てがルージュに傾いている。だからエレカのそれは虚勢に過ぎない。
敵に策を求めなければいけないのも、俺に怒鳴ってみせた言葉も、欺く手段でありながら本心でもあるのだろう。
対するルージュは、果たしてどう出る?
しばしの沈黙が戦場に漂っていた。その間も竜人が巨大な剣を振り回す。当然、闇雲に振り回しているわけじゃない。ただの一撃でさえ、対処を怠れば致命傷になりうる。
ただし巨大すぎる体躯が仇となって、避けて回るだけなら余裕がありそうだ。
だからこそ、不可解ではある。
否、一足飛びの答えだけは知っていた。
「奴は――、人喰い鬼は妖精王を喰らいました。妖精王の力は再生。そして妖精たちの王である以上、この世界に生きる全ての妖精の祈りがマナとなって供給され続けます」
ルージュが不意に口を開く。
剣戟が雨霰と降る中、俺の方をも一瞥しながらの言葉だった。
「冒涜しているな!」
「それは妖精王に? それとも人喰いの鬼に?」
「どっちでも同じことだろう? そんなことより、私は策を聞いたんだがな」
「新しき神が偉そうに……!」
苛立ち混じりの声を吐き捨て、鬱憤を晴らすかのごとく竜人へと斬り掛かるルージュ。
だが、奴自身が今しがた口にした通りだ。
反撃の剣を避けて距離を取ったルージュの向こうで、竜人の傷口から血が吹き出すことはない。代わりに突き出てくるのは、やはり腕。……再生と呼べるものかは微妙だが、少なくとも痛がる素振りはなかった。
「ですが、鬼は鬼であって王ではありません。竜なんて以ての外です。世界を欺き掠め取った力は、いずれその身を滅ぼすでしょう」
「だから放置しろと? 馬鹿を言うな、どれほどの被害が広がると思っている!」
叫んで返すエレカとて重々承知のはずだ。
どうせ最後には朽ち果てるからと放置できるなら、そもそもルージュが今なお戦っていることの説明がつかない。いずれ身を滅ぼすにせよ、その前に覇者と認められてしまえばルージュにとっては敗北なのだ。
ゆえに戦う。
その方策がルージュにはあるのか。なければ、反撃には打って出まい。延々と戦いを引き伸ばし、勝手に朽ち果てるのを待つ手もある。
「あなたも気付いてはいるのでしょう? あの巨体、燃費は相当に悪いはずです」
「はぁ? なんてっ!?」
「敵は、あの巨体を維持するためにも、動かすためにも、再生するためにも桁外れの魔力を消費しています! 戦わせ、傷付け、再生させれば、遠からず肉体を維持できなくなるはずです」
そのための大立ち回りにして反撃。
……しかし、ルージュは全てを語っていない。エレカも知っている。
「分かりやすいが、面倒だな!」
「あなたたちは逃げ帰ってもいいんですよ?」
「そんなに信用できないかね。今は連携すべき時だというのに!」
それが結論だと言わんばかりに、エレカが竜人へと一気に距離を詰めた。ルージュが呆れの色を横顔に滲ませ、追随する。
エレカの剣、ルージュの剣、竜人の剣。そこに時折、熱線が混じる戦い。
「ブレスを誘いたいですね」
「ブレスっ?」
「あの炎ですよ! 出力を絞っていますが、それでも燃費は悪いはずです」
「じゃあ、どうやって誘う!?」
「あなたは何から何まで指示されなければ動けないのですか?」
舌打ちが会話を終わらせた。
全てを後ろから眺めているだけの俺にできることは何か。また不用意に前に出てブレスを誘うか? それはやめろとエレカに言われている。演技であり、本音でもあった。選択肢から排除する。
それに語るに落ちると言っていいのか、ルージュは自分にも当てはまることを口にしていた。
出力を絞った攻撃。
ルージュが光の魔法を使いたがらないのも同じ理由だろう。奴は力を温存している。手の内を隠すのではなく、ただただ純粋に魔力を温存しているのだ。
その目的は?
目の前の竜人でさえ、倒すべき最後の敵ではないと?
あるいはエレカを警戒しているのか? 新しき神、と何度か呼んでいる。グレイ曰く、神や王とて時代の境目を眠ってやり過ごすのは消耗するらしい。この時代に生まれ落ちた、つまり消耗していない神とは特別な存在なのだろう。
ただ、だとすれば俺がエレカを蹴飛ばした、あの致命的な隙を見逃す理由がない。
俺たちなど取るに足らず、それよりは敵として意識する竜人さえ、できれば力を温存して戦いたい。
未だ隠れ潜む神や王が存在するのか。
判断する材料は、しかし皆無。
それでも答えに辿り着かなければいけないのだろう。
最悪でも手はあるとエレカが言った。
最悪の手を打たせないためには、一人ぽつねんと暇をしている俺が別の手を見つけなければ――。




