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九十話 戦争の果て

「よくやったのじゃ、カレン」

 声がする。

 言葉が聞き取れた。

 だけど。どうして。

 声の出処を探り、妖精王への警戒も忘れてあちこち視線をやる。

 そして見つけた。

 グレイが殺されたはずのそこ。

 上下に分かたれたティルの姿の、その上半分だけが起き上がっていた。

「……リューオがやられた」

「お主に比べれば安い犠牲なのじゃ」

 分からない。

 何を言っている?

 何が起きている?

「あぁ、お主もまだ混乱するのじゃ? まぁ無理もないのじゃ。お主にとっては友の姿なのじゃ」

 ティルの。

 いや、グレイの胴体の、地面と接していた辺り。胸だろうか。腰だろうか。もう見て取れない。その辺りが急に揺らいだのだ。

 風に吹かれた霧のように形が曖昧となり、そのまま舞い上がっていく。

 やがて見慣れた高さにまで視線が届いた頃、霧が晴れた。在りし日の姿、見慣れた格好のグレイがそこに立っている。

「儂はグレイ・グレー・グール。人喰いと呼ばれた神なのじゃ。姿など、借り物に過ぎぬのじゃ」

 けろりと笑ってみせた、その神。

 頼れる味方であり、失えば悲しかったはずの彼女に、背筋が冷たくなるのを感じてしまう。

「そして妖精王、お主は憐れで初心な男なのじゃ」

「ふ……、ふざけた神め。我を愚弄するか」

「ただ憐れんでいるのじゃ。信じ愛した女のため、勇者にもなれぬと知りながら戦った憐れむべき存在なのじゃ」

 グレイの言葉に、妖精王は何事か叫ぼうとした。

 だが声の代わりに口から吐き出されたのは、赤い液体。血だ。口から何か赤い生き物が生まれたのかと見紛うほどに大量だった。内臓がやられたのか。再生能力が全く機能していないのは明らかだ。

「死に損ない、風情が、我を――」

「だから死にかけてなどいないのじゃ。幾つもの時代を越えてきた王が、どうしてそんな簡単な詐術に嵌ったのじゃ? ルージュから人喰いの人喰いたる所以も聞かなかったのじゃ?」

 あまりに軽々しい、一人だけ日常の中にいるかのような声音。

 私もカレンも口を開けず、ただ互いを見合い、また視線をグレイと妖精王に戻す。ただ途中、カレンが軽く首を振ったように見えた。

 よくやった、というグレイの言葉。後先顧みないカレンの攻撃。どこかのタイミングで指示があったと見て間違いない。しかしこうなることまでは予期できなかったか。

「おのれ……、何をした……っ」

 両の目から光が失われつつある。

 あんなにも強大に思えた妖精王の最期が迫っている。意味が分からない。何一つ理解が及ばない。

 ただただ不気味なものをグレイに感じる。

「本当はエレカに任せるつもりだったのじゃ。プラチナムの力を取り戻せば戦い方も思い出すかと思ったが、エレカでいた時間が長すぎたのじゃ? なんにせよ、なのじゃ。ちょうどカレンがいて、カレンならば己の命の一つや二つ顧みないと分かっていたのじゃ」

 戦い方。

 私でいた時間。

 ちょうどカレンがいた……?

 言葉の意味は分かるのに、何を言っているのか全く分からない。気持ちが悪かった。気味が悪かった。

「妖精王、言い残すことはあるのじゃ?」

「戯言を……。我は、まだ、朽ちておらぬ……ッ!」

 悲痛な叫び。

 長剣を握り締めたまま、妖精王が全身に力を漲らせたようだった。

 あるいは本人は、そう思っていたのかもしれない。

 しかし現実に起きた光景は異なる。

 剣の柄からは蔦が伸び、右手を縛るように覆い尽くしていた。吹き出した魔力は全身を巡ることなく、傷口を塞ぐこともなく、ただ剣に集約される。

 根を張り、幹を伸ばし、枝葉を広げ――。

 見開いた目で己の右腕を凝視した妖精王が剣を投げ捨てようとするも、剣どころか肘から先が微動だにしなかった。関節が変な方向に曲がり、それに応じて馬の前足が砕けたように倒れ込んだけ。

「教えてやるのじゃ。お主に、世界に」

 グレイは、変わらぬ声で軽やかに紡ぐ。

「儂の姿は借り物なのじゃ。だとしたら、本体はなんなのじゃ? 儂とは、グレイ・グレー・グールとは何物なのじゃ?」

「……っ」

 妖精王の目に生気が戻る。

 力を取り戻したのではない。与えられたのだ。妖精王が左手に握る槍で己を貫こうとしたことからも、それは見て取れた。自害を止めたのは右手の剣から伸びた蔦だ。

「きひひっ! 無駄なのじゃ。その剣は、儂の力を注ぎ込んだ剣じゃ。まぁプラチナムの力も混ざった不完全品だが、再生の源に打ち込めば喰らうくらいはできるのじゃ」

 グレイは何者なのか。

 神の一人だ。

 そう一言で答えてしまう違和感を、ようやく思い出した。

 神とはなんだ、王とはなんだ。本当は何も分かっていないのに、そういうものだと自分を納得させてしまったのではないか。

「さぁ妖精王よ、祈るのじゃ、叫ぶのじゃ! 殺したくば力を使うのじゃ! 民草から吸い上げた力で凌駕してみせるのじゃ! でなければお主は、永劫儂の苗床なのじゃ!」

 煽る言葉だと誰でも分かる。

 私が妖精王でも、乗せられるものかと叫んで返しただろう。叫ぶ自由がなければ舌を噛んだ。だが、その自由さえもなければ?

 妖精王は睨んでいた。グレイを。ティルの姿をしたそれを。

 そして、もう一つ。

 決して自由を奪われないはずの心の奥底に、憎悪にも似た願いを抱いたはずだ。視線だけで相手を射殺せたなら、と。

 グレイは、きっと全てを見透かしていた。

「……っ! 貴様ァァァアア――ッ!!」

 自由を得た口で、妖精王は叫んだ。叫んで、しまった。

 舌を噛み切っていれば、あれほどの異形が死ねたかは定かじゃないが、再生能力を奪われた今となっては死を早める効果はあっただろう。

 間違えたのだ、だから。

 怒りに流された。

 グレイに煽られ、操られた。

 そうと気付いた時には、遅すぎたのだ。

「ッ!?」

 妖精王が手にしていた、私の、グレイの長剣。

 そこから伸びていた蔦が瞬く間に妖精王の全身を覆い、地面にまで潜っていく。反対に天へと向かって絡み合う蔦もあり、こちらは見紛うことなく幹や枝葉を形作っていった。

 ほんの数秒の出来事だ。

 妖精王が立っていた場所に。

 否、妖精王だったそれが、ほんの数秒で大樹へと成り果てた。

 およそ現実のものとは思えない光景だ。

 神樹に匹敵し、あるいは凌駕するほどに大きな、大きな樹。その中に閉じ込められた妖精王は、果たして生きているのか? 生きていたとして、それは妖精王と呼べる存在なのか?

 何一つ、見当すら付かなかった。

「グレイ……」

 呼びかけた時、私は全てを忘れ去っていたのだろう。

 犠牲のことも。

 なんのために戦っていたのかも。

「さて、なのじゃ。エレカ、カレンも。犠牲は出してしまったが、お主たちが生き残って何よりなのじゃ」

 喪失感の欠片も漂わせない声。

 異質だ。

 知っていたとも。知っていたはずだった。

 なのにいつからか、勘違いしてしまっていた。ティルの姿をしていたからか? ふざけた言葉遣いを頑なに貫いていたからか? カレンやプラチと愉快に声を交わしていたからか?

 理由はなんだっていい。

 この瞬間まで、私は気付けなかった。

 目を凝らしていたら、思い至る機会はあったのだろうか。

「ところでお主たち、儂と戦う気はあるのじゃ?」

 夕食の後に、デザートもあるけど、と告げるかのような。

 得物こそ構えてはいないものの、その気になれば私では真似できない業物を何振りも作り出せる。知っているのだ。幾度となく助けられてきた。

 それなのに今、ここで首を縦に振る選択肢があったか?

「……何を言ってるんだ、グレイ」

「ただの確認なのじゃ」

「なんの? 趣味が悪いぞ」

 アクタが殺された。

 プラチとももう言葉は交わせない。

 リューオはカレンの盾となり、散ってった。

 笑っている場合ではないのに、笑うしかなかった。なんでもないことのように笑っていなければ、次の瞬間に起きうる最悪を想像してしまう。

「儂はお主たちを仲間と思っているのじゃ。……本当なのじゃ」

「嘘臭いな」

 カレンが鼻で笑う。

 いつも通りなのか、そう装っているだけなのか。もう分からなくなっていた。

「なんじゃ、お主はあくまで勇者の座が望みなのじゃ?」

「そんなんじゃない。お前のせいで犠牲が増えたと言っている。お前がもっと早く――」

「許せ、とは言わないのじゃ。確かに儂はアクタを見殺しにしたのじゃ。お主を犠牲にする策も立てたのじゃ。結果として死んだのはリューオだったが、あれは儂としても想定外だったのじゃ。危機に陥ればプラチがエレカに力を託すことも想像はしていたのじゃ」

 淀みのない声。

 非を認める言葉を並べながら、悪びれようともしないらしい。

 だが、妖精王だった大樹は沈黙している。

 私にアクタを守れたか? カレンやリューオを死なせることなく妖精王を倒せたか? どういう絡繰りか知らないが、身を潜めていたグレイの策に乗ってやれたか?

「お前には助けられた、グレイ」

 問い詰める言葉を私は持たない。

 ただ一つだけ、訊ねないわけにはいかなかった。

「それで、お前は敵か? 味方か?」

「味方に決まってるのじゃ!」

 カレンが胡乱げな目で見てくる。

 声高に否を唱えないのは、自身もグレイの策に乗らなければ状況を打開できないと分かっていたからだろう。その上で策に乗って、その身を犠牲にしようとした。

 全ては私の力不足が招いた結果だ。

 神だなんだと言われ、言葉の上だけでもエルフの王などを演じ、どこかで勘違いしてしまったのかもしれない。

 私は所詮、私なのだ。

「どんな因果があろうとお主はジゼルの孫、友が遺した希望なのじゃ。理解し得ぬ言葉と承知で、こう言うことしか儂にはできないのじゃ。世界を蔑むことはあっても、そこに生きた友を嗤うことはないのじゃ」

 理解できないと前置きされた言葉は、確かに理解に苦しむものだった。

 まるで信用など不要とばかりの態度を見せながら、口にしたのは友や希望などという言葉。

 真意も意図も、理解できるはずがない。

 だが、答えは決まっている。

「言葉なんてどうでもいい。お前が味方だと言うなら、それを信じよう」

「エレカっ!?」

「カレンだって分かってるんだろう? どういう理屈か知らないが、妖精王の再生すら封じて大樹で呑み込んだ力がある。姿云々の絡繰りも明かすつもりはないらしいしな」

 言ってから一瞥すると、グレイは不満げな表情で返してくる。同じ頬を膨らますでも、ティルなら可愛げがあった。姿まで同じはずなのに、グレイのそれは何かが違う。

 ティルの真似というより、人間の真似をしている別の何かだ。

「説明したら長くなるだけなのじゃ」

「俺は構わんが? 手短な説明を求めた覚えもない」

「残念だが、儂の方に時間がないのじゃ」

 カレンがこちらを見る。これだぞ、と目が語っていた。

 しかし聞き入れるわけにはいかない。私とて同感だ。どうせ煙に巻くにしても、もっとマシな言い方があるだろう。せめて言いくるめる気概くらい見せたらどうなのか。

 ただ、分かってしまう。

 そんなことをする必要がグレイにはないのだ。

 なるほど、信用は不要だろう。

「グレイが自分を、私たちの敵だと言ったなら話は別だ。だが、味方らしい。だったら何を問題にできる? 妖精王にすら翻弄されたのに、今度はグレイを敵に回すか? 無理だよ、無理だ。私たちにできるのは――」

 言おうとして、けれども声にできなかった。

 リューオが死んだ。アクタも。プラチも言葉を失い、それどころか、あるいは……。

「……犠牲が多すぎた。私と、カレンと、それからグレイが生きているだけ喜ぶべきなのかもしれないが」

 でも、マオになんと説明する?

 アクタと、もう一人はなんという名前だったか。ともかく、あのメイディーイルで戦った魔物。あれを殺したのが私たちだ。もう一人のアクタまで、私たちの力不足で失わせてしまった。

 そして、問題の根本は未だ片付いていない。

 メイディーイル軍はどうなる? 首魁たるオールドーズその人も健在だ。

 プラチと話せたなら、一体どんな言葉を返してくれただろうか。妖精王は死んだ。それで満足すべきだと、森を愛した彼女は言っただろうか?

 私には、言えない。

「弔い合戦だなんて、馬鹿げたことを言うつもりはない」

「無論なのじゃ」

「オールドーズを倒し、覇者になるために。このふざけた世界に、ぶちまけてやらなくちゃ気が済まない」

「そうなのじゃ、そうなのじゃ」

 グレイが笑っている。

 何がそんなに楽しいのか、私には分からなかった。

 カレンは、首を振る。呆れているのか、困っているのか、その表情を読み解くことはできなかった。

「なら、改めて問うのじゃ」

「何を?」

「お主らは、儂の味方なのじゃ? 敵なのじゃ?」

 しつこい奴だ。

 些細なことなのかもしれないが、たったそれだけでも腹が立った。

「味方だよ。カレンも、そうだろう? 敵は今のところ、オールドーズだけだ」

 勝手に二代目魔王を名乗っているマオを除けば、他の神や王の名を聞かない。前の時代の戦いは、よほど過酷だったのだろう。

「そうじゃ。だから儂らは宣戦布告したのじゃ。そうじゃ?」

「え?」

 首を傾げたのは、グレイの言葉が分かりにくかったからだ。

 宣戦布告をした。そうか? ……と言いたいのだろう。いい加減、その話し方もどうにかしてもたいたいが。

「あぁ。そういえば、それもグレイの策だったな。宣戦布告に応じて、妖精王が来た。それをお前が倒した。見事なまでにお前の戦果だ」

 最初からここまで練り込んだ策だったのか?

 猜疑心に駆られそうになるも、すぐに振り払った。犠牲は出た。だが勝った。それが全てだ。だから次は、当のオールドーズを――

「はははっ、よくぞ言ったのじゃ、エレカ!」

 思案に耽りかけたところへ、朗らかに投げられた声。

 そこに違和感を覚え、顔を上げた時だった。

「世界よ、とくと聞くのじゃ!」

 グレイが空を見上げ、叫びだす。

「今この世界、この時代を二分する両勢力、それが帝国軍とメイディーイル軍だったのじゃ。狸寝入りする神も、怯え隠れる神もいようが、この時代、この世界はヒュームの天下だったはずじゃ!」

 まさに世界に聞かせるがごとく。

 高らかに叫ぶグレイに、カレンでさえ目を丸くしていた。急に何を始めた? そう戸惑っているうちに、言葉は紡がれてしまった。

「その分断された天下人たちが始めた戦争、勝ったのは儂らじゃ! ゆえに今、ここに口上を叫ぼう!」

 気付いた時には、遅かった。

「我はグレイ・グレー・グール! この時代の覇者であるッ!」

 宣言。

 あるいは、宣告。

 それが何を意味するのものなのか、私はいつの間にか知っていた。

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