八十八話 溶解
想像したこともなかった。
当然すぎて考えるまでもなく、だからこそ深く意識することがなかったのかもしれない。
私という命は。
エレカ・アーレンハートという赤子は、無数の命の上に生まれてきた。
誰かを犠牲にしたという話ではない。父と母がいて、父と母にもそれぞれ父と母がいる。そうして命は繋がれ、紡がれるものだから。
私は、ただ生きているだけで命の上に立っている。
ただし私の場合、それだけでは終わらない。
プラチナムの名はどうやら神であることを示すらしく、それはアーレンハートの森に根差した憎悪が生んだものだ。
プラチナムの力はアーレンハートの森に宿る力も同義。
森は死んだが、お陰でプラチナム一人を衝き動かすためだけに全ての力を使える。
その力で、私はロックを殺した。
言い訳する気はない。言い訳して何かが変わるとも思わない。
ただ、私が命を摘んだという事実だけが残っている。
無数の命の上に立つ私が、無数の命に分け与えられるはずだった力を使い、更に命を奪いゆく。
言い訳はしない。
詫びる言葉も、あるはずない。
これは死んでいった者たちを蘇らせるためでも、次の命を紡ぐためでもないのだ。
ゆえに私は衝き動かされる。
復讐心という、何も生まないと分かっているからこそ、ただ破壊と暴力にだけ注ぎ込める激情に。
妖精王が焼け野原を蹴り上げる。
飛び上がる後ろ足が掘り返した『土』を見て、彼が沼同然だったはずのアカラト湖に立てていた理由を知った。あの草花が根を張ったのだ。更には炎が泥の水分を幾らか蒸発させ、最低限足場として使える程度には硬くなっていたらしい。
知ったところで、今更どうなるわけでもないが。
身の丈とは比べるまでもない高さの岸壁を、ただの一蹴りで飛び越える妖精王。勢いそのままに薙ぎ払われた両の得物は難なく避けきれたが、大地に刻まれた余波を見て背筋に冷たいものが走る。
円錐槍は、当然のごとく剣ではない。
それでいて大地を穿つどころか抉るとは。……いや、そもそも剣ですら大地とは斬れるものではあるまい。
桁外れの膂力は、しかし分かっていたことだ。
斬られた左肩の傷は癒えたが、味わった痛みまで忘れ去ったわけじゃない。あわや、と思わされたのも事実だ。
「……プラチ」
「分かってるち」
肩に――、最早そこにいるのが当たり前なプラチに声をかける。妖精王に気取られないよう視線も動かせなかったが、プラチはしっかり汲み取ってくれた。するすると背中を蹴って地面まで降りる。
いくら声が聞こえなくても、その動きは妖精王にも見えたはずだ。しかし一瞥の後、僅かに訝しむ表情を覗かせただけだった。
妖精王は背が高い。
こう言ってはなんだが、そのまま馬の背に大男が跨ったような長身である。
いかに長柄といえど、地面すれすれを駆け回るプラチを捉えようとすれば体勢を大きく崩す羽目になるだろう。それだけの隙を許容してまでプラチを追うかどうか。
追われたら大変だったが、幸か不幸か私やグレイが優先らしい。
「不可思議な話もあったものだ。以前は巫女かに見えたが、今は神の力を強く宿している。世界も口上に応えたようだ。……己の力を二つに割るなど、不可思議な話もあったものだ」
妖精王が笑う。
全て見抜いた上で、本命を私と見定めたか。
その世間話に付き合うなんて反吐が出そうだが、今は時間が欲しい。考える時間が。
「守るべき民に背いて世界樹を割った、裏切りの王の言葉とは思えない」
「民を導くが王の責務。与えられただけの安寧を己の成果がごとく誇り、取り上げられれば裏切りと叫ぶ。ゆえに愚かなのだ、お前たちエルフは」
口では怒りを叫ぼう。
だが脳裏では、冷淡なまでに可能性を探る。
妖精王の膂力は圧倒的。しかし本当に恐ろしい力は他にある。斬り落とした腕を繋ぎ直すほどの再生能力。あれがある限り、どれほどの爆発に巻き込んでも意味をなさない。
否、それどころか黒煙が私たち自身の視界を塞ぎ、不利な接近戦に持ち込ませる羽目になる。
残されたのはたった一つ、名ばかりの選択肢だけ。
「グレイ! カレン! 援護しろっ!」
「言われずとも」
「様になってきたのじゃ」
応じた二人が駆け出す。あの妖精王と接近戦だ。曲芸じみた動きを見せた二人だが、決定的な一撃を加えるには至らないだろう。
……そもそも、決定的な一撃などあるのか?
超常の再生能力だ。手足を斬り落としても繋ぎ止められるなら、狙うは急所のみ。頭か、心臓か。それで倒せるかも分からない。だが、やらない選択肢は残されていないのだ。
「ところで、自分は?」
息が詰まりそうになっていた私の傍ら、一見すると間が抜けたようにも映る姿があった。
「その命でもって道連れにしろと命じればやってみせるのか? お前は己の復讐を、忠義を果たせばいい」
諦観にも似たものを吐き捨てたら、それと一緒に何かが抜け落ちた。
アクタは、魔物だ。マオを守る盾である、と本人は思っているのだろうか。しかし彼女の正体は、最強と謳われたらしい王、伝説にも語られる魔王によって生み出された被造物。
こんなにも自然な、いっそ人間と呼んでしまってもいいような存在が――。
けれど、果物のなる樹や石から切り出した彫像かのように、意思ある存在の思惑通りに作り上げられた。
それが王だ。
私は今まさに、そんな王の一角と戦っている。殺そうとしている。
だが、あぁ、そうだとも。
「私は神だ。私も、異常な世界の一員だ」
前を見やれば、妖精王がグレイ、カレンと戯れている。殺し合いの戦争を、戯れと呼んでは不謹慎だろう。
しかし妖精王は、今の二人が時間稼ぎに等しい小手調べをしていると気付いていた。
グレイとカレンも一刀両断に打ち倒す術なんてないと知っている。
だから両者の戦いは一瞬で運命を決する様相にはならず、戯れているかのように見えるのだ。
無論、そうかといって油断があるわけではない。
猪突のごとく身を低くし距離を詰めるカレン。妖精王はそれに牽制の一撃を返すが、あれほどの得物だ、牽制といえど当たれば即死は免れない。一方、カレンもまた拳が届くなどとは思っていなかった。
牽制の刃が振るわれた時には既に横に跳ぶ。そのカレンを、長大な刃は追わなかった。
妖精王の左半身。
振り払われた直剣の重みで流れかけたそこに、まるで影から飛び出してきたかのように前触れなくグレイが剣を振り上げる。長く伸びた刃。ロックが扱っていた魔剣に似て反り返ったそれを両手で握り、大上段から力一杯振り下ろす。
引き戻された直剣がなんとか間に合い、グレイの剣を迎撃。勢いで優っていたグレイだが、膂力では妖精王に分がある。僅かに拮抗したかに思えた矢先、均衡が崩れた。
妖精王の上半身が捻られ、右手に握る円錐槍も追撃として放たれる。
グレイは直剣と打ち合っていた剣を敢えて流し、その腹で槍を逸らした。
しかし言うまでもなく、剣は盾ではない。ほんの一秒と持たず砕かれ、魔力の塵と散っていく。その破片を目眩ましに、迫る直剣の一撃を紙一重で避けた。
距離を取るグレイを左目で睨んだ妖精王は、見間違いでなければ、同時に右目で私を見やってくる。
援護しろと言ったまま、二人に戦いを任せていた私。
いつになったら動くのかと警戒するのは当然で、だから二度目の不意打ちなど叶わないと知っていた。
欲しかったのは隙ではない。
そこに妖精王を立ち止まらせる、それだけだ。
「一閃――ッ!」
飛翔する斬撃。
帯びた輝きは、けれど鉄の硬質さではなく陽光に似た淡いもの。
妖精王が初めて逡巡を覗かせた。斬撃は速い。文字通り、剣を振るう速さで迫る。舌打ちする暇もなく、妖精王が馬の足で地面を蹴り上げた。
膂力は桁外れだが、体躯も相応だ。追撃のため左に流れていた身体を更に翻すことはできず、逃げ遅れた直剣を一閃の刃が捉えた。
瞬間、半ばから両断――否、溶解する。
「これが……」
「森をも焼いた炎、王だからと逃げられるとは思うなよ」
以前、妖精王と相見えた時に無我夢中で放った炎の一閃。
馬の身に宿る膂力と、不屈の森を思わせる再生力。それが妖精王の力なのだとすれば。
「森も、誇りも、焼き尽くした。次は貴様だ、妖精王」
「たかだか剣の先を斬り落とした程度で、よくもまぁ吠えるものだ」
「私が語るは世界の真理。貴様は王だ。……だから? 私は、神だ」
神は王よりも力を持つ。
ゆえに魔王は戦いの前線に出るべきではなく、王としての采配を揮うべきだった。
では、妖精王は?
「貴様が従えるべき妖精が、エルフが、今ここにいるか?」
私は、敵だ。
妖精王が口を開こうとした。いや、開きかけた。
「小娘が――」
その直後、目を見開く。
瞬時に眼球が左右を行き来し、そして首ごと上を向きかけた時。
脇から、またも音さえ立てずグレイが迫った。だが妖精王は動かない。半ばで断たれた長剣を無造作に振り上げ、そして頭上に甲高い金属音を弾かせる。
「伊達にッ」
呻いたのはアクタだ。
上空に開いた義眼の道から身を躍らせ、鈍い光沢を帯びた腕を妖精王の脳天めがけ振り下ろしていたが、すんでのところで気取られたのだ。
そして剣と腕で拮抗はしない。
あの光沢は腕を硬化させる魔法だったのだろうか。傷はないように見えたが、足場のない空中で踏み留まれないのはグレイでも見た光景だった。
頭上からの襲撃を跳ね除け、妖精王は傍らにまで迫っていたグレイに馬の横っ腹から体当たりする。
十分な距離があれば勢いが乗り、筋肉質な横腹に新たな剣を突き立てられただろう。しかし距離を詰められたせいで勢いが乗り切らず、グレイの剣は妖精王の皮膚を薄く裂いただけだった。
傷は瞬時に癒やされ、巨躯の衝撃から逃げるグレイは追撃もできない。
華麗とは呼び難い戦い方に、妖精王が苛立ちの表情を見せる。それは同時に、未だ形振り構うだけの余裕があることを私たちに教えるものだった。
「ふむ、これで届く気配もないとは」
あっけらかんと吐き捨てられたアクタの言葉。もう少し緊張感を持ってほしいが、思うところは同じだ。
数で勝る私たちだけど、致命的なまでに決定力が足りない。
特にカレンとアクタ。二人の拳や蹴りは尋常な人間相手なら十分な威力を誇るが、尋常ではない肉体に再生能力まで持つ妖精王の相手は荷が重い。
一体、どうしろっていうんだ。
これが世界の望んだ戦いだというなら、せめて活路の一つや二つ用意しておいてほしい。
「我は寛大だ」
朗々と謳う妖精王。
誰も声を返せないし、返す気もない。言いたいなら言わせておけばいいと、それだけ思う。
「降伏しろ。我の肉体は、傷付けることはできても、滅ぼすことはできなぬのだから。降伏すれば命は取らぬ。ヒュームどものために首魁の首はいるが、なに、元々お前たちの首で満足したわけでもないだろう」
要するに覇者を巡る戦いから退いて、自分たちの命の代わりに首魁……オイゲン辺りの命を差し出せ、というわけだ。
馬鹿馬鹿しい。
沈黙を貫く私たちを見て逡巡しているとでも思ったのか、妖精王は悠然と直剣を掲げてみせる。
「分からぬのなら、教えてやろう……!」
掲げた剣の先、そこに集められた魔力が仄かに煌めき、そして。
「我は不滅。力を捨て王となったのではない、王となって力を得たのだ」
直剣は傷一つない、私に斬られる前の姿を取り戻す。
「我の前に立つというのなら、選ばせてやる。ひれ伏すか、朽ち果てるか」
斬り落とした腕を再生するところまで見せられたのだ。剣を元通りにされても驚くことさえできない。
そもそも剣ならグレイが魔力から作れる。確か、それくらいはできて当然という話だった。実際に私も鞘を作らされている。
しかし、本当か?
まるで威光を示すかのごとく見せつけられ、却って落ち着きを取り戻せた気がした。そして思い出す。帝都に来る前、肩を斬られたあの戦いの時もそうだ。
妖精王は手放した槍をわざわざ拾い上げた。
それは魔力で作るよりは楽だったかもしれないが、引き換えに腕を斬られ、その再生には魔力を要したはずだ。グレイのように最初から使い捨てと割り切っていたら、槍を拾うために時間を費やすこともなかったのに。
「調子に乗っているところ悪いが、お主ごときに負ける儂ではないのじゃ」
私の沈黙を、気圧されたなどと勘違いしたはずもないだろう。
けれどもグレイの声に、意識を引き戻してもらった。前を見据える。苛立たしげな妖精王が私たちを睨み、再び剣と槍を構えた。
「ですが、敵は切っても抜いても生えてくる雑草のような存在ですよ? 負けないことはできても、勝つことも難しいのでは?」
「土塊の魔物風情が吠えるのではないか!」
アクタの挑発に妖精王も叫んで返すが、すぐには動かなかった。
雑草かどうかはさておき、決定力に欠けるのは確かだ。その雑草ならば共存も考えられるが、妖精王とはどちらかが息絶えるまで戦うしかない。
「策ならある!」
なくても、馬鹿正直に認めるわけにはいかないが。
「ほう? ならば知るがいい。ただ世界から力を得ただけの小娘に、祝福を才覚と自惚れたエルフに、妖精王たる我に届かせる剣も、炎もありはしないのだと」
「貴様こそ知るべきだ。赤子がいずれ己の足で歩き出すように、たとえ愚かしく見えても変わらぬままの存在などないのだと」
古い時代のエルフを私は知らない。
知識として教えられようと、心の奥底までは届かない。
だが、断言できる。
それは私だ。古くは同じ樹の下に生きた森の一部で、私の同胞たち。
「手を貸せ、カレン! こいつとの決着は、私が付けるッ!」
時間稼ぎの問答は許しても、事細かな作戦会議まで許してはくれないだろう。
だからカレンにだけ、そう叫んだ。
きっと受け止めてくれると、根拠もなく信じて。
「抗うならば引導を渡そう。新しき神、我の子らよ。世界の道理を知るがいい」
妖精王が跳ぶ。
あぁ、嫌だ。
速い。目で追えないほどの瞬発力も、曲芸じみた変則的な動きがあるわけでもない。ただ純然たる膂力でもって、彼我の間に隔たっていた距離は消え失せる。
小細工もなく上段から振り落とされる直剣。
それを剣で弾きながら後ろに下がって、寸前まで私の胴体があった虚空を穿つ槍を見る。
剣も重い。ただ、尋常の剣だった。ロックが振るった、そこにあるだけで威力を纏っているような剣とは違う。
言ってしまえば、鉄の塊。
本当に嫌になる。
切れ味があろうがなかろうが、まともに食らえば致命傷は免れない。生き物としての格の違いを見せつけられている圧迫感。空飛ぶ鳥を見上げ、その翼に恋い焦がれるような。
そんな経験、ないけれど。
ただ、嫉妬にも似た何かを噛み締める。
ティルの、リクの、お父様の、他のみんなの、それからお母様の。
「私は、全ての犠牲の上に立つ」
「それが、どうしたという!」
槍が迫る。
風切り音が耳の真横を通り過ぎた。ほとんど勘に等しい、頭で考えていては間に合わない反応の賜物。
それほどに切羽詰まった戦闘の最中、それでも叫ばずにはいられなかった。
「貴様が築いた屍の山が、私を貴様に届かせるッ」
槍では捉えきれぬと踏んでか、横薙ぎに振り払おうと剣を引いた瞬間。
私と妖精王、彼我の間に火種が生まれた。
「――ふっ!」
妖精王は機敏だった。
攻撃に出ようとしていた全身を押し留め、馬の足では難しいだろうに炎が広がる僅かな時間も待たず真後ろに跳んだ。
だから、そこに見る。
生まれた火種が予期した爆発を引き起こさず、小さな火のまま消えていくのを。
妖精王は速い。
とはいえ、世界の理の外にいるわけではない。
「一閃!」
剣を振るう。
迸った斬撃が妖精王に迫るも、既に着地した後だった。引き戻された剣が斬撃を払い、白い炎を飛び散らせる。
その剣の影に隠れ、地を這うように姿勢を低く走る姿が見えた。カレンだ。
細かい相談など望むべくもなかったが、私が何をしようとしているかはともかく、どんな状況が欲しいかは汲み取ってくれたらしい。
カレンの手が妖精王の剣に伸びる。気付いて迎撃しようにも、妖精王は炎の刃を打ち払うために無理な動きをした直後だ。それでも膂力に任せて剣でも槍でも振り抜けば、カレン一人くらいどうとでもできただろう。
だから感謝する。
妖精王が愚かでなくてよかった。
そして同時に、その再生能力も無限ではないと知る。
カレンが剣の柄に向け拳を開き、妖精王は迎撃ではなく退却を選んだ。後ろではない。前へ。剣も腕も万が一にも掴ませまいとすれば、そうするしかなかった。
理想には程遠い。
けれど、望んでいた状況。
爆発を避けるために後ろに下がった妖精王と、その場に立ち続けた私との間には十分な空間がある。咄嗟の跳躍では距離を詰めきれず、悲しいかな妖精王に翼はなかった。
今この瞬間、退路はない。
紡ぐは極大の魔力。しかし狙いは正確に研ぎ澄ます。
広範囲を巻き込む爆発は、当てるのは容易くとも視界を塞いでしまうのが致命的だった。そもそも妖精王の全身を焼き尽くすほどの熱量は出せない。
ゆえに、引き絞る。
全ての爆発を、ただ一点に。
妖精王は悟っていた。跳躍の最中、剣と槍を振り上げる。攻撃のためではない。防御のために。こうなることを、カレンに回り込まれた時には既に気付いていたのだろう。
だから最も威力を殺せる状況を選んだ。
両手も得物も自由だ。急所への傷は防ぎつつ、真正面から爆撃を受けても勢いを脇に逃がせる空中。
それはつまり、どれほどの傷を負っても治癒しきれる、なんて世界の理から外れた存在ではないことを教えてくれる。満足はできなくとも、収穫だったと言い聞かせた。
「だけど――」
たったそれだけのために、カレンが命を張ったわけじゃない。
引き絞った魔力を、遂に解放する。
妖精王は剣と槍を交差させ、心臓と頭部を守る構えに入っていた。彼我の距離は刻一刻と縮まる。だが、狙いを外すほどの悪条件ではない。
なにせ狙うべきそこは、妖精王自身が固定してくれたのだから。
キィ――ンと甲高い音を聞いたかと思ったら、世界から音が消えた。無音の中、爆ぜる魔力を眼前に見る。妖精王が目を見開き、何事か口を動かした。声は聞こえない。
でも、見えた。
妖精王が剣を握っていた左手、その手首が炭となり、崩れ落ちる。
長大な剣が、地に落ちた。
音が世界に戻ってくる。爆風が耳の横を突き抜ける轟音がいきなり聞こえた。
「決着など、最初から……ッ!?」
望んじゃいなかったよ、当然だろう?
傷を負わせても治されて終わる。たとえ再生能力が有限でも、そもそも私たちだって無限の力なんて持っちゃいないのだ。どちらが先に力を使い果たすかの勝負なら、まずは剣を奪う。次は槍だ。
拾うために手を伸ばすなら更に魔法を叩き込む。グレイのように毎回作り直せるほど単純なものではないのだと、教えてくれたのは妖精王自身だ。
「だと、してもッ!」
妖精王が吼えた。
炭とかした手首を新しい皮膚が覆い、指が生えていく。しかし剣の柄に伸ばされるより早く、横合いから颶風が襲った。強烈な金属音が辺りに響く。妖精王の巨躯が十メートル以上も跳ね飛ばされていた。
踏み留まり、押し返さんと力を込められた槍の先に立っているのはグレイ。
「よくやったのじゃ、エレカ!」
きひひっ、とティルとは違う笑い声を上げる彼女。
その向こうに、亀裂が刻まれた。アクタか。ここからが反撃、なんて言えるほど優勢ではないが、今こそが攻め立てる好機だ。
カレンが再び妖精王の死角に回り込もうと走り出す。私も剣を構え、……妖精剣と言っていいのかは分からないが、魔法を織り交ぜた接近戦に覚悟を決めた。多少なり髪の先を焼き焦がす覚悟だ。
確かにその時、私はそうやって笑みを浮かべる余裕があった。
だが。
「調子にッ! 乗るなァ!」
妖精王が、またしても吼えた。
何をする気だ。見定めようと思った時には、開きかけていた虚空の亀裂を何かが掴んでいた。
「……蔦?」
妖精王の背から伸びた、蔦か枝か、あるいは根か。
なんだっていい。
茶色く硬質なそれが手指のように亀裂を掴み、そして握り潰す。じゃあ、どうなる。理解が追い付かなかった。蔦が開かれ、虚空はぽっかりと口を開ける。
アクタが落ちてきた。
首も、肩も、腕も、おかしな方向に曲げて。
「なっ……」
なんて、愕然と声を漏らすことさえ、私たちには贅沢すぎた。
いち早く状況を理解できたらしいグレイが跳び退ろうとするも、踏み出した足が地面から生えてきた蔦に絡め取られる。蔦が伸び、全身を包み込むまで、ほんの数秒とかからなかった。
妖精王が、未だ手にしたままの槍を構える。突き出した。
あまりに太く、長い円錐の槍。グレイの……ティルの細身を、穿つだけに留まらない。
「ふん……っ」
拘束の蔦さえも両断しながら、妖精王が鮮血とともに槍を振り払う。魔力に還り霧散する蔦から解放されたグレイは、上半身と下半身、別々に大地に落ちた。
「我は妖精王。我こそが妖精の王である。お前たちエルフに使える技が、どうして使えないなどと思えたのやら」
呆れ果てた声音だった。
「人喰いの旧き神よ。これが魔王を見捨て、我の子に反逆を唆した卑劣の末路だ」
吐き捨て、再び槍を構える妖精王。
あぁ、ダメだ。
理性が叫んでいる。感傷に過ぎないと。分かっている。だけど無理だった。
妖精王が私を見ている。それを私も見ている。
なのに、止まるなんてできなかった。




