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八十七話 崩れ落ちた堰

 ロックは死んだ。

 私が殺した。

 不慮の事故や不幸な巡り合わせではない。その果てにある死をも理解しながら、互いが戦いを望んだ結果。

 しかし残された光景を見て、胸中にはえも言われぬものが漂う。

 反り返った刃で地面に突き立つ魔剣。

 亡骸さえも存在しない死の姿に、廃墟と化したイスネアを思わずにはいられない。

 剣の戦いを求めた所以は、矜持でも慢心でもない。ただただ、プラチから受け継いだ力をどこまで制御できるか、それを確かめたいだけだった。

 だからロックが魔剣に呑まれた時、不用意な接近を避けた己の判断を間違っているとは思わない。

 だが一方で、もしも炎で包まなければ亡骸だけは残せたのだろうかと感傷が混じる。冷静に考えれば分かるのだ。あれは肉体さえもマナに組み換え、魔剣が吸い取ったのだろうと。

 分かっていて、考えてしまう。

 だからこそ感傷と呼ぶのだろう。

「エレカ?」

 プラチの声が近くに聞こえ、それでカレンが近付いてきたことを知る。プラチは今、彼女の腕に抱えられているはずだから。

 プラチに情けない姿は見せられない。

 もう一人の私でありながら、ずっと葛藤をひた隠しにしてきたプラチ。情けない姿なんて、見せられるわけがなかった。

「大丈夫だ。それより――」

 これが敵の本命だとは思えない。

 振り返りながら、話を逸らす意図もあって言おうとした時だった。

 ちょうど口を開きかけていたカレンの瞳が見開かれる。私の顔に何か付いているか? 冗談めかす暇もなく、鋭い叫び声が持ち上がった。

「アクタ――ッ!」

「言われなくても、分かっていますよ!」

 グレイの叫びだった。

 叫び返したアクタの姿を探すが、どこにもない。はっと我に返って視線を戻す。と、虚空を裂いて移動したアクタがロックの魔剣を掴んだところだった。

「何を……!?」

 困惑が口を衝いて出るも、アクタどころかグレイも何も言わない。そんな余裕がないのだとすぐに見て取れた。

 アクタが再び義眼を煌めかせるも、それより早く魔剣が鳴動する。息が詰まるほどのマナの拡散。否、膨張とでも呼ぶべきか。重苦しい圧力を伴った波濤が暴風のごとく叩き付け、開かれかけた虚空の道を掻き消してしまう。

「なッ!? これは――」

「投げろ!」

 次いで叫んだのはカレンだった。

 悲鳴混じりの言葉にならない声を聞いてまた振り返ると、叫んだカレン自身、抱きかかえていたプラチを投げ出している。咄嗟に駆け出しながら手を伸ばす私の頭上を、何かが通り過ぎた。

 魔剣だ、と気付いたのは助走もなしに跳躍したカレンがそれを掴もうとするのが見えたから。

 だが、掴めない。

 カレンの常人離れした膂力をもってすれば届くはずの高さだった。ただ魔剣から吹き出すマナが物理的な障壁となって彼女を押し返し、あと僅か距離が足りなかったのだ。

 空中で驚愕の表情を見せたカレンだが、直後に私はもっと驚かされた。

 カレンがくるりと宙返りする。空中で。そんなにマナの勢いがあったのかと思った矢先、勢いよく跳ね上げれていた足の先がギリギリのところで魔剣に届いた。放物線を描いて地面に向かっていた魔剣が再び大空へ向けて軌道を変える。

 さながら曲芸だ。

 とはいえ、一歩間違えたら抜き身の刃に足を斬られている。二度とやってほしくないと苦言を呈す暇も、やはり残されてはいないのだが。

 魔剣がヒュンヒュンと風切り音を立てて飛んでいく。

 一秒が二秒か三秒ほどに感じられる間延びした時間の中、ふと違和感を覚えて足元を見た。

 緑……?

 それだけではない。禍々しくマナを吹き出す魔剣が通り過ぎた地面に、芽が覗いたと思ったら花が咲く。瞬く間に色鮮やかな草原を生み出す魔剣は、やがて独りでに放物線を断ち切った。

 辛うじて、と言うべきだろう。

 沼と化しているアカラト湖の上空に、ほんの数メートルほど入り込んだ時だった。いきなり回転を止め、一直線に地面へと落ちていく。

 地面というか、アカラト湖の泥濘に。

 プラチを抱えたまま無意識に走り出し、アカラト湖を見下ろした。

 沼が、果たして草原へと姿を変えていく。

 理屈は分からない。仮に読み解けたとして、同じ魔法を再現はできないだろう。

 ただ、理解する。

「構えるのじゃ!」

 グレイが叫ぶより早く、私は最大級の魔法を編み始めていた。

 森で教わったこともない、旅の中で必要と思ったこともない、だから知るはずのない魔法。それなのに不思議と、魔力で紡ぐべき形は脳裏に浮かんだ。

 まるで寝起き、目が覚めたという自覚も曖昧なままに髪を整え、着替えを探すかのように。

 衝き動かされるまま編み上げた魔力の波濤に、そうと気付いた私自身が戦慄するほど。

 しかし、躊躇はできない。

 他ならぬ私の胸に宿った激情がさせてくれない。

 魔剣が放つマナが臨界に達する。キィィィンと一瞬、耳鳴りがした。たったそれだけが前触れで、虚空を引き裂くようなこともない。

 気付いたら、そこにいた。

 認めた瞬間、編み続けていた魔力が私の制御を離れる。

 鮮やかな色に溢れた草原が、白い炎に包まれた。魔法によって虚空に放たれ、瞬間的に戒めから解かれた炎は爆発的に膨張する。ヴォンと空気を押し出す音が聞こえる傍らでは、ズォンと草花ごと沼を掘り返す音も聞こえた。

 十重二十重の爆発が十秒、二十秒と絶え間なく続く。

 まともな生命ならば跡形もなく消え失せるであろう破壊の後に、ただ黒々とした煙が残った。

 水が枯れ、窪地となっているアカラト湖は空気の流れも悪く、煙は中々晴れない。それで五秒かそこら、動くに動けない時間が過ぎた。

 されど十秒には満たなかっただろう。

 僅かに違和感があった。煙が動きを止めたように見えたのだ。そんなはずはないと目を疑った矢先、見間違いではないと知る。アカラト湖の中心に向けて渦巻きかけた黒煙が、次の瞬間には外側に向けて弾き飛ばされた。

 岸に立つ私たちにも暴風が叩き付ける。

 思わず顔を手で覆いそうになった私の横を、黒煙も暴風も意に介さず突き抜ける影があった。

 グレイだ。

 いつの間にか両手に握っていた二振りの剣が煙を引き裂く。そして姿が見えなくなった。何が起きたかと目を凝らし、アカラト湖に降りたのだと気付く。岸壁を蹴ったのだろうか。ほとんど水平に近い軌道で飛翔するグレイの背が眼下に見えた。

 煙が晴れゆくアカラト湖に、ギャィンと激しい鉄の音が響く。

「猪口才じゃ!」

 軽やかな声は上空から聞こえた。

 眼下に見えていたはずのグレイが上にいる? 先ほどの鉄の音は、そうか弾かれた音かと遅まきながらに思い至った。

 足場もなく、一直線に落ちていくしかないグレイに、アカラト湖から塔と見紛う円錐槍が迫る。

 それをグレイは両手の剣を十字に交差させて防いだ。なおも押し込まれるが、グレイの足元に地面はない。勢いは上空へと逃げ、捉えることはできなかった。

 けれども追撃されればグレイが圧倒的に不利だ。

 グレイは両手の剣を投げ付ける。――だけでなく、それを振り払うために薙がれた槍の横っ面を蹴った。先ほどのカレンも曲芸紛いの動きを見せたが、ここまでではない。

 そこまで再現するかのごとく、くるりと空中で一回転してみせたグレイは、当然のように私たちの傍に降り立った。

 視線は、しかしアカラト湖に注がれたまま。

 私も無事を確かめ、視線を追う。

 沼から草原、それから焼け野原となったアカラト湖に、それは立っていた。

 半人半馬。

 片手に円錐槍、もう片手に直剣。どちらも常人では持ち上げることさえ叶わないほど長大だが、彼は片手で軽々と構えている。

 その威容に、しかし畏怖はない。

「口上を待たず不意打ちとは、相変わらず作法がなっていない」

 立つ足場の高低から、必然的に私たちを見上げる格好になる彼。

 それでいて私たちを見下ろすかのような居丈高な態度に、なんの根拠もないわけではないと知っている。

 自分がどれほどの魔力を注ぎ込んだか。思い出すだけで全身が重くなる魔法を受けたはずなのに、傷一つ負うことなく悠然と佇む姿。人間の治癒能力とは一線を画す再生能力は変わらず健在らしい。

 広がる草花に既視感を覚えて最大級の先制攻撃を叩き込んでなお力及ばなかった。

 まざまざと見せつけられた力の差に、だからといって怯む道理がどこにあろう? 否、怯む自由さえ私にはないのだ。

「妖精王……。何も知らぬ人間を無駄死にさせた貴様が、どの口で作法など語るか」

 呟くように零した声。

 彼我には距離がある。別に聞こえなくて構わない、聞かせるための言葉でもなかったが、王ともなれば聴力も別格なのか。

「殺したのはお前たちであろう? そも無駄死にではあるまい。こうして我に道を託したのだから」

 会話に意味はない。

 言葉を交わしたところで理解し合えるとは思えないし、理解したいとも思わなければ理解してほしいとも思わない。

 それでも声を聞き、口を開こうとしてしまうのは何故だろう。

 ふと、ロックを思い出した。

 戦う前から饒舌に語り、こちらが会話を断ち切っても何か言いたげだった男。今の私は、あの時のロックか。

 理解できない怒りか憎しみか、あるいは憤り。

 そこに理由があるのかと言葉で問うて、ありはすまいと声で知る。

「戦争に作法は無用だろう」

 剣の切っ先を妖精王に向ける。

「だからこれは詠唱だ。貴様という仇を討つべく、世界より力を得るための魔法」

 敵の口上を待たいことは無作法に当たる。

 己の言葉に則ってか、妖精王が動く気配はない。足場が沼だから、なんて事情ではないだろう。アクタが足を取られたそこに、ずっと体重があるはずの妖精王は沈む気配もない。

 だから私の口上が、そして恐らく妖精王の口上が、この戦いの口火を切る。

「我が名はエレカ・プラチナム・アーレンハート。我らが母たる世界樹の仇を討つ者である」

 胸の内から湧き出す言葉。

 妖精王が微かに眉を動かすも、何か問うことはなかった。

 代わりに、予期していた言葉が紡がれる。

「我は妖精王。不遜にして蒙昧な我が子らを導かん」

 そして。

 妖精王は前足を持ち上げ、沼を疾走する。

 同時、私もまた剣を起点に魔法を紡いだ。

 戦いは、きっと終わらない。

 最後の一人、覇者たる者を決めるまで。

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