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八十六話 誇りを胸に

「俺様はロック・オルサ。あんたの代わりに剣閃の名で呼ばれ、これからは勇者と呼ばれる男だ」

 オルサ跡地で知り合った男。

 あまり重要でもなかったために名前を覚えていないが、なんとかという義賊団で、なんとかという大男の下にいた男でもある。

 その彼が『オルサ』を名乗るのは単なる偶然か、あるいは何かしらの意味があるのか。

 どうあれ、言葉に重みはなかった。

 剣閃?

 勇者?

 そんなものに、なんの意味があるというのか。

 私の心中を見透かし、真似したかのように鼻で笑う声が聞こえた。

「道化か」

 嘲笑うカレンの一言に、男……ロックは表情を崩さず視線だけを動かす。

「そうだとも。まさか巡礼者が裏切り、魔王に味方したなどと言えるはずもない」

「強者に隷従する見返りはなんだ? 金か? それとも名誉?」

「街だ」

「なるほどな」

 それ以上の会話を断ち切り、カレンがちらりとグレイを一瞥する。

 そちらはそちらで拍子抜けとでも呼ぶべきか、なんとも曖昧な苦笑を顔に貼り付けていた。

 敵の策、なのだろう。

 種も仕掛けも皆目見当が付かないものの、彼を露払いとするつもりか。無駄だと思うが。油断を誘うために、なんて回りくどい上に確実性に欠けることをするとも考えられない。

「一応聞くが、グレイ。これで向こうが戦う意思を見せたと判断される可能性は?」

「あるはずないのじゃ。もし本当に勇者だというなら話は別だが……」

 私たちの会話を当然耳にしたはずのロックは、しかし眉を上げてみせるだけで答えない。答える義理がない、とも捉えられる仕草だが、そもそも状況を理解できているのか。

 少なくともオルサ跡地で会った時、その頃の私やカレンと同様にロックもまた世界のことなど知る由もなかっただろう。あれから月日が経ったと言っても、何年と過ぎ去ったわけじゃない。

 剣閃の名を騙る以上、緋色か彼女から話を聞いた立場の教会関係者とは接触したことになる。

 道化と呼ばれることを否定しなかったのだから、裏の策の存在を知りながら『街』とやらのために矢面に立つと決めたわけだ。……その、街。あの跡地かな。まさかメイディーイルではあるまい。

「私がやろう」

 憐れ、とは思わないでやるのが彼のためだ。

 私だって、名前を知るか知らないかといった程度の誰かに森の末路を憐れまれたくなどない。

「お前たちは周辺の警戒を。尋常な相手なら、私一人でもやれる」

 敢えて、名は呼ばなかった。

 ロックは先ほど、カレンのことを禍福と呼んだ。フードに隠された顔が見えていたという意味に過ぎないのかもしれないが、下手に名前を明かして帝国中枢との関係を勘繰られても面白くない。

「慢心……じゃあないんだろうな」

「当然だ。貴様ごときに何ができる?」

 笑ってみて、これでは私が悪者みたいだと自嘲が零れる。

 いや、ロックにしたところで悪者ではないのか。無法者だが、世界を前にすれば人間の法など意味を持たない。結局、世界なんていう大きすぎてよく分からないものに振り回される、ただ一匹の人間に過ぎないのだ。

「精々善戦してくれよ。でないと、私が罪悪感を負う羽目になる」

 毒を食らわば皿までと、露悪的に笑ってみせる。

「……私は少し避けているち。存分に力を振るうといいんだち」

 ルネの背から降りる時、一緒に降りて定位置たる肩に登ってきていたプラチ。

 その言葉に従って手を伸ばしてやれば、腕を橋としてトトトトとカレンのところに走っていった。あまり仲が良くない二人だが、残るのはグレイとアクタ、あとは竜馬たちである。

 諦めた顔でカレンが抱き止め、慣れない顔で肩に導いてやっていた。

「剣閃の名は俺様が貰った。これからは獣使いとでも呼んでやろうか?」

「好きにしろ。……それより、伝言係でないなら剣を抜け。いつか望んだ通り、剣の稽古を付けてやろう」

 言いながら、私自身も剣を抜く。ほとんど力を込める必要もない。始めの一瞬だけ力を込め、留め具というほどでもない抵抗感を断ち切れば、あとは音を立てることもなく構えまで持っていける。

 対するロックは、微かに迷う素振りを見せた。

 もっと話に花を咲かせるつもりでいたのか、その会話で戦いを避けられるとでも思っていたのか。

 けれど彼も、やがては迷いを断ち切る表情を覗かせ、己の腰の剣に手を伸ばす。

 見覚えのない剣だった。形も見慣れない。僅かに反り返った、不思議な形。その形だけでなく、えも言われぬ気味の悪さがあった。

 そして抜き放たれた刃を一目見、忌避感はある種の確信に変わる。およそ尋常ではない。異質な魔力が刃を纏い、螺旋を描くようにロック自身の右腕に這っていく。

「……魔剣なのじゃ?」

 グレイが独り言つ。

 ロックは答えず、ただ私一人を見据えてきた。

「手加減はできない。だが、心配は無用だ。罪悪感など、俺様はとっくに捨てている」

「そうか。そんなこと私には関係ないけど、な――ッ」

 言い終えるより一瞬早く、地面を蹴り上げる。

 身体が軽い。羽が生えたようだ。自分でも驚く勢いで彼我の距離が縮まるも、所詮は真正面からの突撃に過ぎない。

 無造作に、あたかも羽虫でも払い除けるかのようにロックが剣を振る。

 それだけで私の剣は弾かれ、ほんの一瞬バランスを崩された。その隙を当然、ロックが見逃すはずもない。

 上体を仰け反らせて逆袈裟の一撃を避け、重心が後ろに引かれる勢いのまま二歩、三歩と距離を取る。ロックは追い掛けてこない。剣を中段に構えたそれは待ちの姿勢だろうか?

 剣から立ち上る魔力は相変わらず腕に絡み付いていて、どう考えても長期戦ができるようには見えないが。むしろ短期決戦こそ望むところだろう。あの魔力がロックには見えていないのか、それとも刻限は承知の上で出方を窺っているのか。

 どちらにせよ、睨み合いをしていても埒が明かない。

 ロックの剣は見た目同様に異質だった。さして力を込めた様子もない割には重かったが、体重を乗せた重みともまた違う。剣自体に威力が込められている、そんな感じ。まるで魔法を剣の形に凝縮したかのようですらある。

 種は依然、闇の中。

 しかし理屈がどうあれ、その重みは既に覚えた。

 こちらも剣を構える。切っ先を地面に向け、腰も落とす。あんな剣とまともに打ち合うのは御免だ。叶うなら鍔迫り合いもしたくない。

 であれば、狙うは一撃離脱。瞬間的な衝突と、それを繰り返す乱打戦。

 再び地面を蹴る。

 ロックが腕を前に伸ばすようにして剣を突き出してきた。届きはしない。ただ、剣の行き場を塞がれる。構うものかと振り上げるのは、どうにも躊躇われた。

 それで姿勢を更に下げ、剣を横薙ぎに振り抜く。無論、こちらの切っ先もロックには届かない。だが、剣の先が届かないだけだ。

 一閃。

 剣の一振りを起点に、魔力で編み上げた斬撃を飛ばす魔法。

 不意打ちになって悪いけどね、と視線を持ち上げようとした次の瞬間、我が目を疑う。振り下ろされたままだったロックの剣の下で、魔法の斬撃が霧と消えた。

「それがエルフ流の剣技、妖精剣とやらか?」

 追撃の機会だった。

 だからといって手傷を負わされたとも思わないが、ロックは斬撃の代わりに言葉を投げてくる。

 どうも無駄話に興じるつもりらしいと分かっても油断はできず、少々みっともないとは承知で様子を窺いながら体勢を立て直した。それを見届けたロックが笑うように声を零す。

「俺様はあんたを買っている」

「あぁ、そう」

「あんたは気高い。ロベルトの振る舞いに苛立ちを隠すこともできないほど」

「……」

「そんなあんたが、どうして魔王なんぞに味方する」

 懐柔でもする気か?

 馬鹿馬鹿しい。笑い飛ばしてやりたかったが、そうと自覚した途端、違う意味で笑ってしまう。

「そういう貴様は正義感が丸出しだ」

 どこまでも私が悪者で、奴が正義の側に立っている。

 表向きは。

 無論、ただ私の敵というだけであって、メイディーイルに暮らす多くの民からすればロックこそが味方だ。わざわざ剣閃などと巡礼者の名を持ち出してきた以上、コソコソ隠れて出てきたはずもあるまい。

「まさか世のため人のために戦うなどと言うつもりか?」

 冗談のつもりで笑ってみせたが、ロックは仏頂面とともに鋭い眼差しを返してくる。

「悪いか?」

「そうは言わないが、無法者の下っ端の台詞とは思えないな」

 弱者の在り方を説いた男の台詞とも思えない。

 もしも力ある者が弱者のために戦えば世の中は良くなっただろうか。以前の私なら即答できた。そうすべきだと断言もしたはずだ。

 だが今は、そんなものは夢物語にもならないと知ってしまった。

「あんたはおかしいと思わないのか! 今の、この世界が!」

「思うとも」

「だったらどうして戦わないッ!」

「戦っているだろう? 見ての通り、ほら、剣を手に」

 戦うしかないのだ、私たちは。

 なんのために?

 世のため人のためではなく、ただ己のために。あの幼さを残したマオでさえ、戦うのは復讐のためだ。

「……誇りはないのか、エルフの誇りは!」

「ヒュームが利いた風な口を叩くじゃないか」

「――ッ、俺様はァ!」

 激昂、その一言に尽きる。

 次の瞬間、言葉にならぬ裂帛の声を上げながらロックが踊りかかってきた。力任せに振り下ろされた剣を、勢いが乗り切る寸前で叩き落とす。

 流れた剣先を引き戻す、その動きを読んで一歩深く踏み込んだ。剣を落とすまいと踏ん張ってしまったロックは咄嗟に距離を取れない。そこを狙って繰り出した突きは空を切る……が、辛うじて避けただけのロックは今にも転びそうになっていた。

 ほんの微かに迷う。

 ここで斬れば、ロックは死ぬ。当然だ。戦いの先に和解などないことは分かっていた。殺すための戦いなのだ。

 なのに、迷った。

 たったの一瞬、されど一瞬。

 迷いを振り切り、突き出していた剣を追撃に走らせようとした時だった。

 耳の辺りにチリチリと焦げるような違和感を覚え、反射的に剣を引く。――と同時、重苦しいほどの衝撃が腕を襲った。思わず剣を取り零しそうになりながら、間髪入れず迫ってきた剣を弾く。

 その反動も利用して後ろに飛び退り、一歩の踏み込みでは届かない距離にまで離れた前方を見やった。

 ロックが立っている。己の二本の足で。

 だが腕は、剣を握り禍々しい魔力に覆われた右腕は、関節でもない場所からおかしな方向に曲がっていた。

 当然だろう。

 今しがた私を襲った斬撃は、本来ならあり得ないはずのものだった。

 まともな感覚を持つ人間なら、自分の腕を折りながら剣を振るなんてできない。もしできたとしても、そこには威力など乗らないだろう。

 答えは、だから常軌を逸したそれ。

 ロックが剣を振るったのではない。剣がロックを振り回したのだ。

 やはり魔剣か。

 ロックは苦悶に顔を歪ませているが、見ているこちらが痛くなってきそうな有様の腕からは血の一滴も流れ出ない。それどころかロックの腕を覆っていた禍々しい魔力が勢いを増し、胸や顔の半ばにまで伸びていこうとしていた。

「フゥ……ふ、うぅ…………」

 肩で息をするロックの、それでいて獰猛な両目が私を睨み付ける。

「誇りをォ!」

 苦悶に歪む口から悲鳴の代わりに吐き出されたのは、異様な叫び声。

 言葉を聞き取れなければ獣の咆哮と思っただろう。理性を失った者の叫びなのだと。

 しかしロックの目には未だ意思が覗き、声は途切れながらも確かな言葉を結んでいく。

「誇り、なんだよ! 奴らは! 俺様は! 俺様たちはッ!」

 動けない。目を逸らせない。後手に回って良いことはないと理性が訴える一方、本能が判然としない恐怖に震えている。

「弱くたって、いいんだ、ろうが! 強い奴が、偉いか! かも、しんねえ……。けどなァ」

 ギラリと妖しく煌めいた眼光。

 それでようやく悟った。あれは知性ではない。理性でもない。妄執だ。本能の残り滓だ。

「俺様はロック・オルサ! 魔王を倒し、勇者となって、凱旋するッ!」

 口上。

 呼応するかのごとく爆発的に膨れ上がった魔力がロックの全身を包み込んだ。

 魔力の渦の中から、ただ声だけが聞こえる。

「そして、国を――。……りを、胸に」

 声にならぬ声。

 何を言おうとしたのか、言ったのか、脳裏に思い描くのは容易かった。

 誇りを胸に生きられる国。それを作ると、信じているのか。そのために魔剣を握り、オールドーズの手先となった。

 愚かとは言うまい。

 けれども、こればかりは言わざるを得なかった。

「憐れだ」

 国を作ろうとも、時代は終焉を迎える。

 世界は神と王に戦う運命を突き付け、それ以外の全てに死を突き付けたのだ。

「アアッッァァアアアァァァァ――ッ」

 最早、人の叫びではなかった。

 ただ魔力の奔流が突進してくる。剣を構えるまでもない。

「伸びろ」

 手を差し向け意識を走らせれば、言葉を紡ぐより早く私の身に宿る魔力が動き出していた。

 魔法の蔦がロックを襲う。十重二十重に、蔦ばかりの森を作らんばかりに。獣じみた立体的な動きで避け続けたロックだったが、翼までは持たない。

 それ以上の逃げ場がない空中に躍り出てしまった瞬間、失敗を悟ったのか滅茶苦茶に剣を振り回す。

 が、無駄だ。

 思い描くは白い炎。

 森を焼き尽くさんとした、憎悪と覚悟のそれ。

「我が名はエレカ・プラチナム・アーレンハート。誇りに代えて、憎しみを燃やす者である」

 森を燃やした果てに誇りさえも失ったエルフたちを思い出せ。

 情けも、躊躇いも、私なんかが持つには贅沢すぎた。

 炎が爆ぜる。

 衝撃波が頬を叩き、爆風が髪を揺らすも、心の中は凪いでいた。

 プラチよ。

 可愛らしい姿になった妹よ。

 あなたを尊敬する。

 これほどの怒りと憎しみ、悲しさや虚しさを抱え込んだまま、よくぞ笑っていてくれた。

 私には、まだ無理かもしれない。

 魔力から生まれた炎は燃え滓を……肉片の一つも残さず消え失せた。だというのに反り返った奇妙な形の魔剣だけが煤けた程度で燃え残り、無数の蔦を断ち切りながら地面へと落ちていき、そして最後に突き立つ。

 勇者になると叫んだ男は、もういない。

 魔王なんて存在しないのだと、呆気ない真実を知らぬままいなくなった。

 怒りも憎しみも、悲しさも虚しさも、そこには残されていない。

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