八十四話 出陣
夢を見た。
一目で夢だと分かる光景だった。
手を伸ばし、もっと長く味わっていないと願っても、景色は脆くも砕け散る。
伸ばした手が掴んだのは、天井との間に横たわる空気だけ。
「良い夢を見ていたち?」
不意に聞こえた声に、あぁと答えた声は本当に声になっていたか。
けれど満足げな微笑を見れば、声になったかどうかは重要ではないと分かる。
「あぁ。ありがとう」
「どうしたしましてち?」
首を傾げるプラチに、私も苦笑して返す。
良い夢だった。
夢にしか描けない光景で、そして本当なら、夢にも思い描けなかった世界だ。
「妖精王は出てくると思うか?」
「……? 出てこないと困るち」
「どうして?」
「力の差は見たち? 奴らが最終決戦のつもりで打って出てきたら、私たちには打つ手がないんだち」
「それで?」
「オールドーズの力は相当だち。私は見たこともないちが、身体に巡るマナがそう訴えるち」
言葉は答えになっていないが、代わりに十分な答えでもあった。
要するに、オールドーズと妖精王を同時に相手取ることになったら勝ち目がないわけだ。だから私たちを侮ってくれているうちに、妖精王だけでも倒さなければいけない。
最終決戦などと思わせる前に、決着を付ける。それが勝つための道。
「次は負けられないな」
「前も負けてはいないんだち」
「負けただろ、完膚なきまでに」
片腕をやられた。
思えば、あの時からそうだ。私を片付けるには最高の好機だった。しかし妖精王は、万が一の罠に警戒したのか他に優先すべきことがあったのか、手負いの私を捨て置いた。お陰で私は命を繋ぎ、宣戦布告の役目を担うに至っている。
侮られるに足る実力差があり、ゆえに侮られたのだから、結局は実力不足に助けられたのだろう。
だが、次はない。
もしも次また見逃されたら、それほどまでに取るに足らぬ存在としか示せなければ、戦うより前に決着は付いている。世界は私たちを見放すだろう。
「改めて言うよ。ありがとう」
敢えて名は呼ばなかった。
プラチを名乗る小さな友にして妹は、しかし同時に私でもある。エレカ・プラチナム・アーレンハート。その名を背負うべきは、だから私なのだ。
「……エレカ? いきなり何を言い出すんだち?」
「分からない振りはやめてくれ」
未だ見慣れぬ天井を見上げる。
去った夢は、そこにはない。
「安寧に微睡んでいられる時間は過ぎ去った」
「詩的だち」
「はは、確かにそうだな」
茶化すプラチに、空回りしそうな自分を見つける。
とはいえ、進まないわけにもいかない。足が地に着かないのは論外だが、気持ちが追い付くのを待っていたって埒が明かないのも事実だ。
踏み出した足が空を切る、それを恐れていては前になんか進めない。
「私はもう無辜の犠牲者じゃない。戦争、挙兵、言ってしまえば殺し合いだ。時代が、世界が強いたと言っても、メイディーイルのそれに私の名で同じものを返した。私が、エレカ・プラチナム・アーレンハートが招く死だ」
睨み合えと言ったところで、本当にお見合いする兵士はいないだろう。
国の存亡を懸けた全面衝突に比べれば幾分も犠牲は減るにせよ、人が死なない戦争なんてない。
狼煙を上げたのは、私だ。
守るべきはずだった民も森も失ったのに。
「これ以上、私だけが守られているわけにはいかない」
「……それが私の望みだとしても、だち?」
「この身を預けたら満足か? だけど、……いや、やっぱり我儘だな。私にも分けてほしいんだ。プラチが持つ力を。戦う理由を。その名を」
× × ×
そして、時は訪れた。
皇宮の眼前。
あるいは眼下と呼ぶべきか。
かつて帝国の主の居城だったそれを見上げて居並ぶは兵士、兵士、兵士。いったい何人いるのだろう。一目見ただけでは数えきれない彼らを、だから無数と評すべきなのだろう。
無数の兵士が見据える先で、まさかエルフの王を騙った私が怖気付いてなどいられるか?
猿芝居を承知で不遜な表情を貼り付けて、ちらりと横を見やれば兵士の隊列から離れた場所に見知った顔がある。
「そういえば貴様も出るんだったな、アクタ」
吐き捨てるように言ってやれば、向こうも心得たものだ。
「魔王より、そう仰せつかっております」
「魔王には皇宮の守りを任せたはずだが?」
「自分一人が魔王の兵などとは思わないでいただきたい。それよりも前線をエルフに任せ、肝心要の魔王は手をこまねいていたと風評を立てられては困る。微力ながら、自分も矛となりましょう」
事前に協議し尽くした中身を兵士たちに言って聞かせる。
メイディーイルの宣戦布告から幾日も過ぎ去った。ようやくの出陣、と軍隊を知らぬ私は思うところだ。わざわざ皇宮の前に整列させ、出陣式と口では言わないまでも演じるくらいなら、さっさと行軍を始めた方が建設的だろうに。
回りくどい真似をしなければならないのが国家というもので、更に言えば国を二分した争いであるらしい。
「それではグレイ、竜馬の方はどうなっている?」
挙げ句に私まで茶番に加わり、ありもしない上下関係を演じる羽目になる苦々しさよ。
「餅は餅屋というが、竜馬の扱いにはなるほど帝国に一日の長があるのじゃ」
「要するに?」
「栄養状態その他は問題なしじゃ。だが一つ問題があるとすれば、じゃ」
応じるグレイとて茶番の必要性を理解しないはずないと思うのだが、あるいは彼女の場合、何もかもが茶番なのか。とはいえ言葉の中身までもが茶番ではあるまい。
「問題?」
竜馬は足だ。
長駆、アカラト湖まで走ってもらわなければいけない。
元々いたルネたち三頭に加え、アクタが乗る一頭もオイゲンを経由して手配済み。
しかし全ては手配した通りに準備される前提だ。そこに問題があったのでは……と、懸念が頭を巡ったのも束の間だった。
「どうにも帝国軍とやら、餅屋のくせに竜馬の扱いが下手らしいのじゃ」
「つまり、どんな問題があったんだ」
「運動不足じゃ」
「……は?」
運動不足?
いや、それ自体はたかが、と一蹴していいものではない。ただ私たちが皇宮に来て、かれこれ何日だったか。いかに獣といえど、運動不足で足腰が鈍るほどの期間ではなかったはずだが。
「ほら、噂をすれば、じゃ」
苦笑気味に視線を逸らしたグレイの見やる先を追って、その言わんとしていたことを遅まきながらに悟った。
ここは皇宮であり、言うまでもなく軍の施設ではない。
ゆえに竜馬の厩舎も離れたところにあって、出陣式の真似事をするからにはわざわざ連れてくる必要があった。そして手配したオイゲンは見栄えを気にし、敢えて兵士たちの前に連れ出そうとしたらしいが……。
グレイに言わせれば、運動不足な竜馬だ。
早く自由に走り回らせろと盛んに要求するルネに対し、手綱を握る兵士はどこからどう見ても腰が引けている。それだけならまだいいが、続くリューオに至っては兵士に威嚇する始末だ。
私やグレイだから戯れているだけ……というより、わざと怯えさせて楽しんでいるだけだと見て取れるも、ほとんど戒めになっていない手綱を握る兵士にしてみれば生きた心地がしないかもしれない。
まぁ、そんな態度だから却ってリューオの悪戯心を刺激するのだろう。まったく、良くないところで主人に似てしまった。
「リューオ!」
叫んで、その注意を引き付ける。
悪びれもせずに眼差しを向けてきた一頭の竜馬には、だから己の主人を教えてやろう。
「遊び足りないなら悪かったが、文句はそいつじゃなくてこいつに言え」
言いながら、ずっと私の傍らで従者の振りをしていたカレンを顎で示す。リューオはなんだかよく分からない表情で頷いたのか無視したのか、別にどっちだっていい。あとはお前の役目だからな、と名付け親でもあるカレンに押し付けて終わりだ。
それから異論を封殺する意図も込めて、ルネを呼ぶ。兵士にちらりと目を向ければ、安堵と不安を共存させた、なんとも奇っ怪な表情とともに手綱を手放した。
ルネは兵士になど目もくれず、一直線に走ってくる。
そのまま突進されたら私とて無事では済まないから、突撃される前に声を投げた。
「新顔の一頭、お前たちに付いてこられそうか?」
「ふすんっ!」
「分からんが、まぁ不満そうじゃないなら大丈夫だな」
「ふんすっ!」
だから返事されても分からないんだけど。
じゃあなんで訊ねたんだと、自嘲を零そうとして我に返る。そうだ、整列する兵士たちに見せる必要があったからだ。しかしなんともはや、醜態一歩手前の姿を見せてしまった気がしないでもない。
後の祭りだ。
じろりと兵士たちを睨め回しつつ、善後策を探る。そんなものはなさそうだ。呆れているのかなんなのか、一つ一つは小さな息遣いの変化が、それでも無数の群れとなれば劇的な変化を起こす。
一粒一粒は小さな雨粒が川の轟音を呼び起こすように、兆しは見え始めた。
早いところ、退散させてもらうとしよう。
「ルネ、お前は私とともに先遣だ。動き足りないなら存分に走っていいが、有事に即応できる程度で頼むぞ」
「ふすっ!」
「リューオとフシュカは新顔の世話だ。私たちに追い付けとは言わん。見失わない程度で追随させてやれ」
悲しいかな、二頭からの返事はなかった。
まぁいい。
そして四頭目、見慣れない竜馬に目をやりつつ、言葉を向けるのはアクタの方だ。
「言っておくがアクタ、走っている間は竜馬こそが主人だと思え。振り落とされたなら、悪いのはお前だ。魔王の顔に泥を塗りたくなくば、せめて足は引っ張るな。それから――」
「それから?」
「帝国軍では竜馬に名を付けないらしい。だから自分の竜馬には自分で名前を付けろ」
はぁ、と気のない返事を返すアクタだったが、いつまでも新顔などと除け者みたいに呼んでいては忍びない。名前は大切だ。……己の名で宣戦布告のやり返しなどした後だからか、なおのこと身に染みる。
苦笑を打ち捨て、一度は落ち着いたくせに、早くもうずうずしだしたルネに手を伸ばす。
兵士たちが連れてくるために結ばれていた一本の手綱を取り外せば、満足げで得意げな顔が見上げてきた。眉間の少し上辺りを撫でてやり、その背に跨る。
「さぁ出陣だ。お前も遠慮なく――」
走れ、と言い終えるより早かった。
起こしていた上半身が置いていかれるかのような錯覚。一瞬にして加速したルネの背で、風の抵抗に邪魔されながら上体を下げる。久しぶりに、ルネと一体になる感じがした。
兵士は出陣に高揚するのだろうか。
置き去りにした背から、鬨と思しき大音声が持ち上がった。
茶番といえど、これから同胞と戦争をしようという彼ら。呆れも、憤りもすまい。ただひとえに、その犠牲を減らすことだけを考えよう。




