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八十三話 それは何より雄弁に

 人が増えれば動きは遅くなる。

 森での会合やら何やらで経験してはいたが、ここまでだとは知らなかった。

 宣戦布告という衝撃とも呼ぶべき急報から一夜明け、しかし私たちは未だ、帝都の皇宮で暇を持て余している。

 軍とは、これほどまでに動きが遅い組織なのか。

 夜の行軍がないにしても、夜明けには移動の手筈を整え、昇りゆく日の下を進むものとばかり思っていたのに。

 まさかルネたち竜馬の世話を終えてなお、待機の二文字を突き付けられるとは。

 頭痛に苛まれながら、そうは言っても戦いを前に手をこまねくのも馬鹿げた話だ。

 そこで急遽、私はグレイに頭を下げることとなった。

「まぁ、ここなら広さは十分なのじゃ」

 そして私たちは、中庭へと足を運んだ。

 オイゲンは忙しそうにしていたから、代わりに暇そうだったアクタに事情を話し、教えてもらった場所。

 状況が状況だからか、手入れが行き届いているとは言い難いものの、花壇や植木で囲まれた空間は憩いの場という表現がどこまでも似合う。

 折しも昨日、まだ年端も行かぬ少年と知り合ったからだろうか。明るい未来を疑いもしない少年少女が駆け回る光景を望んでしまうが、現実は全くもって無粋なものだった。

 彼我の間には十メートルほどの距離。

 その向こうで、少女の姿をした一人の神が己の手から鈍色のそれを抜き出す。剣だ。必然、一時は手の平から腕にかけて剣が突き刺さっているように見えて、先に種明かしをされていても目を背けそうになった。

 しかし、直視する。

 グレイが剣を構えるのを見届け、私も腰に差した剣の柄に手をやった。僅かに力を込め、抜き放つ。

 平和を思わせる庭園に鉄を煌めかせながら、互いを正面に見据え合った。

「しつこいようだが、本当に儂でいいのじゃ?」

 力みのない姿勢からグレイが零す。

「グレイだけだからな、得物を使うのは。まさかプラチ相手にするわけにもいかないし、そこらの兵士じゃ相手にもならない」

 妖精王は剣と槍の使い手だった。

 あの体躯から繰り出される長柄を思えば、同じ剣というだけでしかないグレイ相手の手合わせにどれほどの意味があるのか分からない。とはいえ、徒手空拳のカレンやアクタを相手にするよりは、まだしも意味がある。

 それに長旅のお陰で基礎的な筋力や体幹は自然に鍛えられたが、剣の方はとんと振ってこなかった。プラチから受け継いだ力を合わせ、剣の振りを確かめる必要はある。

「儂が言ってるのはそういうことじゃないのじゃ」

「だったら、尚更だ」

 呆れ顔のグレイに言って返す。

 敵は教会、オールドーズ。最も警戒すべき敵が妖精王であることに変わりはないが、主力と呼ぶなら名うての巡礼者たちも忘れてはいけない。緋色の名を戴く彼女も、今となっては敵なのだ。

「まぁそれなら、軽く手合わせするのじゃ」

「本気とまではいかないが、そこそこ本腰を入れてもらわないと困る」

「その前に互いの太刀筋を知るのじゃ。お主も、儂が対応できると確かに分かっていなければ、本気で剣など振れないのじゃ?」

「それは……まぁ、言われてみれば」

 苦笑し、また剣を構え直す。

 そこからはもう、何を言っても無駄口になると悟った。

 グレイの目に、私の知らない輝きが灯る。ティルだった頃には、一度も見たことのない瞳。表情、気配、佇まい。どこから剣が出る? ……いや、そもそも私は剣を返せるのか? ティルの姿をした、グレイ相手に。

 笑ってしまう。

 その隙を教えるかのように、すっ――とグレイが歩を進めた。歩くのとは違う、流れるような体重移動。決して速くはないのに、反応が遅れた。

「ふッ!」

 無造作に上段から振り抜かれた剣の一筋に、逆袈裟の一撃を返す。力任せの、剣術などとは呼べないそれ。グレイは切っ先を逸らさず、まともに受けた力を全身で後ろに逸らした。

 淀みのない動作で詰めた十メートルを、軽い跳躍でまた広げる。

「余所事を思う暇があるのじゃ?」

 言葉ではなく、左右に振る首で答えた。

 グレイが剣の切っ先を翻す。来る、かと思いきや、来ない。じりじりと誘うような足取りで、私を中心とした弧を描きだす。隙はない、……ように見えたが、実際はどうなんだろう。

 ほんの一合、そして再びの対峙。それだけで己の実力不足を思い知らされる。

「……っ!」

 迷いを振り払うように駆け出し、真正面から愚直な一文字を描く。

 顔色一つ変えずに受け止めたグレイは、微かに刃を傾けた。力が逃げる。前傾していく上体に引っ張られ、体重をあまり乗せていなかった左の足が前に踏み出した。

 ――瞬間、吐き気さえ催す、凄まじい嫌悪感が胃を襲う。

「軽はずみじゃ」

「軽い手合わせじゃなかったのか」

「力は抜けと言ったが、気を抜けとは言ってないのじゃ」

「ぐぅ……」

 我知らず情けない声が漏れた。声というか、音だったが。

 しかし、凹んでいる余裕もない。

 すぐさま距離を取って仕切り直し、また剣を構えた。切っ先を正面に方向け、グレイと一直線に結ぶ。記憶にあるティルの表情と、何一つ重ならないグレイの微笑。

 互いの剣を知るための軽い手合わせだ。

 試すまでもなく分かっていたことだけど、裏をかくつもりでもなければ、こちらが全力で剣を振り回したとてティルの姿を傷付けてしまうことはない。仲間であるグレイを、斬ってしまうことはない。

 分かっていて、手が震えそうになる。

 情けない話だろう。

「ぐぅ」

「……?」

「いや、こっちの話だ」

 笑いながら吐き捨て、剣を構え直す。と同時、全力で地面を蹴った。

 グレイの顔に驚きはない。平然と剣が打ち合い、離れ、また衝突。

 時に思考ではなく直感で、理性ではなく本能で、意図もなく手癖に頼って剣を振るう。グレイは全てを叩き落した。隙を教えるように返される剣を、私もまた叩いて払う。

 加速していく中で、余計なものを削ぎ落とすように。

 手を伸ばせば拾える大切なものを、そうと知りながら捨て置くために。

 思考が手から、身体から離れていく。

 余裕の笑みを浮かべるグレイを見る度、刺激された脳が彼女の声を思い起こさせた。戦いは近い。私は勝てるか? 勝たなければいけないんだ、と自嘲しながら、引き出すのは昨日の記憶だ。



 幾度、剣と剣を打ち合っただろう。

 息切れして足を止めようとすれば、すぐさまグレイの剣が襲いかかってくる。

 何度かは、こちらが対応しなければ急所でなくとも身体のどこかしらには命中していただろう。手合わせなどという前提は忘れ去られ、あるいは既に過去のものとなり、形だけでも互いの心臓を狙い合う格好となっていた。

 しかし無心とは程遠い。

 眼前のグレイは細かく切った息を吐き、また吸うばかりなのに、脳裏にはその声が聞こえてくる。

 グレイは言った。

 世界は、私たちに戦いを求める。

 最後の一人になるまでとは言わないが、覇者という名の勝者を決めるまでは戦わなければいけない。

 裏を返せば、勝者が決まれば戦いは終わるのだ。覇者が決まれば、残る神と王は敗者として時代の陰に追いやられる。

 グレイがそうだった。

 私の記憶にない、けれども私が倒したという水の魔神がそうだ。

 あるいはオール・ルージュ・オールドーズその人でさえ、前の時代の覇者ではない。

 覇者になれなかった敗者は、次の時代に悲願を託して眠りに就く。

 だが、だとすれば勝者は何をもって覇者となるのか?

 倒すべき神や王はまだ生き残り、されど戦う意思なく眠っていたら?

 世界は幸い、寝床を探し当てて殺し尽くせ、なんて要求はしなかった。

 代わりに、全ての神と王に定める。

 力ある者は、戦う意思を持つ者は名乗りを上げよ、と。

 そして口上とともに望まれた戦いには応えなければいけない。戦いを避ける者は即ち戦う意思を持たない者であり、畢竟、覇者の座を求めてはいないのだと。

 昨日、宣戦布告によって敵主力を引っ張り出すとしたグレイに、オイゲンが疑問を抱いたのも無理はない。

 ある意味の必然として、守るべき帝都や民を盾に取られない限り、宣戦布告になど応じる義理はないのだ。口上など叫びたければ叫ばせておけばいいのであって、自分たちは着実に準備を整え、勝てる条件を揃えてから勝てる戦いに臨めばいい。

 それが人と人との戦いの常識。

 だが一方、世界が求める神と王の戦いは違うのだという。

 宣戦布告に応じなければ、それは戦う意思なしと認められ、覇者の座を巡る戦いからの陥落を意味する。ゆえにプラチナムの名を冠する私が宣戦布告を行えば、オールドーズは最低限、戦う意思を示さなければいけない。

 負けると分かっているメイディーイル軍を差し向けるだけでは不十分なのだ。

 グレイの説明に、オイゲンは納得できないままに頷いた。

 まぁ、そうだろうとも。

 神だ王だと、いい加減慣れてきた私でさえ、そういうものなのかと首を傾げそうになる。

 だからこそ一つ、確かめておきたいこともあった。

「ハァ――ッ!」

 淀みなかった剣戟に、不意に渾身の一撃を混ぜる。

 グレイはこれにも瞬時に対応してみせたが、被弾を避けるのが精一杯で、切り返すことはできずに距離を取った。ぴょん、ぴょん、と軽やかなステップで数メートル、十数メートルと一気に離す姿には、感心を通り越して呆れてしまう。

 どこまで力を隠しているんだろう。

 いや、出すまでもないだけで、隠しているつもりはないんだろうけど。

「……急にどうしたのじゃ?」

 切っ先を下げ、怪訝そうに訊ねてくるグレイに、なんと答えるべきかしばし悩む。

 どう言えばいいのか、咄嗟に言葉が浮かんでこなかったのだ。長い長い夢から覚めた朝、夢に慣れてしまった脳が現実を掴むまで時間がかかるように。剣戟に沈んでいた全身は、言葉を紡ぐという当たり前のことを思い出すにも苦労していた。

「グレイなら、大丈夫なんだろう、きっと」

「んむ? 何を言ってるのじゃ?」

「あぁいや、すまん。言葉が下手になった」

 あー、あー、と声を出してみて、ついでに思考も整え直す。

「昨日言っただろ。あの、口上がどうのってやつ。宣戦布告の話の時に」

「確かに言ったのじゃ。……って、なんじゃ、そういうことじゃ?」

 驚き半分、呆れ半分の声音だった。

「試してみないことには、よく分からないしな」

「まぁやるなとは言わないが、加減は考えてほしいのじゃ」

「分かった」

「分かってない顔が怖いのじゃ」

 言いながらも、のほほんとした笑みを崩さないグレイ。

 曰く、口上とは世界に示すもの。

 世界に我ありと、我こそが覇者たらんと叫ぶもの。

 過ぎたる名は身を滅ぼすが、かといって名も示さぬまま勝てる道理もないという。

「剣を構えろ」

「儂の台詞じゃ」

 呵々と笑うグレイに、だから安心して笑い声を返せる。

「我はエレカ・プラチナム・アーレンハート。いざ、尋常に――」

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