八十一話 激情を我が身に湛え
急報が飛び込んできたのは、少年が帰った、そのすぐ後のことだった。
どんな顔をしたものか、と互いに顔を見合わせている兵士たちの向こうから慌ただしい足音が聞こえ、次いで兵士の輪を引き裂いて現れた人物。
それもまた兵士だった。
「え、エレカ様」
「今度はなんだ」
「アーレンハート様より緊急の招集とのことです」
「緊急? 用件は?」
本当ならすぐにでも駆け出したい気分だったが、さっきの今でそんな姿を見せられるわけもない。
「メイディーイルより伝令の兵がやってきたとのことですが、詳細は聞かされておりません。どうか来ていただきたく」
「どこに」
「どうせ言っても分からないから連れてこいとのご命令です」
カレンめ……。
顔から火が出る思いだ。
そんなに急ぎなら自分で来ればいいものを。というかプラチはどうした。いや私が一人になりたいと置いてきたんだが、……くそ、それでか。この感じだと何人かの兵に同じ命令を飛ばして手当たり次第探させたな。
もう少し騒ぎになるのが早ければ、そこから私の居場所も掴めたんだろうけど。
「……分かった、悪かった。すぐに行こう」
「助かります」
それをお前が言っていいのか。
まぁカレンが怖いのは分かるけど。風貌とかそういう話ではなく、なんだか生まれ持った威圧感があるんだよな、カレンは。あのオイゲンの娘だけある。
しかし、メイディーイルか。
ちょうど、と言っていいのか分からないが、そこの領主であるフルート公爵のことを思い出していたところだ。伝令が兵士だったということは、あの丸っこい御仁が何か言って寄越したか。
だとすれば公爵同士で話を付けたらいいと思うが、カレンが私まで呼び付けたのだ。
十中八九、嬉しくない報せだろうな。
「ここです、エレカ様」
名を呼ばれ、はっと顔を上げる。
考えながら歩いてきたせいで、そこがどこなのかも分からない。ただ目の前には大きな扉があり、それを兵士が開けてくれるところだった。
そして。
「遅いぞ、どこで油を売っていた!」
開口一番、部屋にいたカレンが怒声を飛ばしてくる。
「バルコニーで子守りをしていた」
「子守り? そんなことより、早く入れ!」
お前がいきなり叫ぶから足を止めたんだぞ、私は。
言ってはやるまい。
待たせた私が全面的に悪いのだ。
言われるがまま部屋に入ると、背後ではゆっくり扉が閉められる。あの兵士は入らなかったらしい。反面、部屋の中には既に別の兵士の姿がある。見慣れない服装だが、オイゲンの左右に同じ格好で立っているなら兵士だろう。
……それで、ここはなんの部屋なのか。
ぐるりと視線を一周させて気付いたが、窓がない。ランプが灯されているものの、室内は昼とは思えない暗さだ。
今までの例に漏れず部屋はそれなり以上に広いが、中央に大きなテーブルが鎮座するせいで窮屈に感じる。そのテーブルを挟んで右側にカレンとグレイが並び、左側にはアクタ。部屋の最奥、扉の前に立つ私のちょうど正面にオイゲンがいて、兵士は左右に一人ずつ。
テーブルをとてとてと走り、ぴょんと飛んだプラチを空中で受け止めると、ようやく席に着けた気がした。
「メイディーイルから伝令が来たと聞いたが」
「宣戦布告だ」
さらりと言われ、そうか宣戦布告かと頷いて返す。
脳に言葉が届いたのは、その後だ。
「はぁっ!? 宣戦布告!?」
「声がデカい。窓がなくて音が逃げないんだ、静かに喋ってくれ」
「だが、……だが、ここは帝都だぞ?」
「帝都に対する宣戦布告じゃない。魔王と、そしてオイゲン・シュトラウスに向けたものだ」
同じだろう。
今ここを支配しているのは帝室ではなく、その二人なのだから。
「既に徴兵や部隊の再編は済んでおり、いつでも侵攻を始められると言ってきた。実際はまだ完全ではないだろうが、伝令が往復する時間で済ませられるだろう」
「同じ国を攻めてどうするんだ」
「要求は帝室及び帝都の解放。奴らの大義名分は立つ。兵士は当然、国を救うつもりなんだろう」
まぁ確かに、そうなるのか。……そうなるのか?
よく分からない。
私が知る状況と、実際に起きている現実と、更には兵士たちに聞かせた偽りのストーリー。その全てが絶妙に噛み合わず、考えるほどに頭が混乱しそうだった。
「待ってくれ。状況を整理してほしい」
「最初からそのつもりだ」
応じたのはオイゲンだった。
傍らに立っていた兵士の一人が半歩ほどテーブルに寄る。
「説明は私からさせていただきます」
落ち着いた声音の男だ。
これほどの……と見かけからは分からないが、ともあれ兵士だろうとただのヒュームには太刀打ちできない面々が揃っているにもかかわらず、怯む素振りもなく堂々と口を開いてみせた。
「事の発端を何とするかは議論の余地があるかと思われますが、ここは宰相のクーデターを発端としましょう」
兵士がちらりと視線をやるも、首謀者オイゲン・シュトラウスその人は毛ほども表情を変えない。
「これに反教会派……とこの席では呼ばせていただきますが、ブッフバルト家及びデーニッツ家は呼応せず、静観を選びました。対して、いち早く非難の声明を出したのがフルート家です。彼は生粋の教会派でした」
「教会を中心に勢力が分かれていると考えていいのか?」
「いえ、厳密には領地や勢力圏も影響しています。フルート公爵が治めるメイディーイルは帝国第二の都市にして、帝都に最も近い都市でもあります。ゆえに静観という選択肢は取り得なかったと見るべきでしょう」
たとえ教会に味方しなくても、何かしら声を上げる必要はあった。
だとすると、選択肢は二つ。
シュトラウス家に反対するか、賛同するか。それはそのまま教会に賛同するか、反対するかの二択と表裏一体。そしてフルート家は教会派だったから、答えは必然的に……。
「他の公爵家は?」
「フルート公爵に次いで領地が近かった反教会派の両家が静観したために、動きは大きくありません。ただしアンクティル家は元々保守的な家柄で、オルランド家は急進的であったために教会との距離を縮めていました」
「分かりやすく」
「アンクティル家は帝室を特別に重んじ、どんな事情があろうともその安全と権威は確保されるべきとしています。またオルランド家は帝室依存からの脱却を目論んではいましたが、それゆえに教会との協力関係があります」
兵士の男は、そこで一度言葉を切った。
視線で、付いてきているかと訊ねてくる。大丈夫だ。今のところは。
再び口が開かれる。
「領地が離れていることもあって、両家は全面的な対立の姿勢こそ見せてはいませんが、代わりにメイディーイルを支援する方向でまとまった模様です」
帝都と対立するメイディーイルを支援したら、それは帝都に対立していることになるんじゃないか?
分からなかったが、分からない方がおかしいという目でカレンに咎められた気がしたから言葉にはしなかった。満足げに頷く姿が見える。被害妄想だろうか。
「要するに、帝都対メイディーイル、シュトラウス対フルートなわけだな?」
「違う。フルート家の現当主は帝都解放軍などと名付けたらしいが、このメイディーイル軍にはアンクティル家とオルランド家が治めていた土地からも兵が加わっている」
「どこが対立していないんだ?」
「言葉の上では、だ」
なるほど、実際には対立しているのか。最初からそう言ってほしい。
「つまりメイディーイル軍はフルートと、アンクティル? オルランド? ……の三公爵合同の軍だが、名前だけはメイディーイルで、だからフルート家の戦力だと言い張っているわけか」
「違う。奴らは自分たちこそが帝国軍であり、帝都が不法に占拠されているならば、そこを解放するのが帝国軍の役目だと言い張っている」
「もう分からん」
「簡単な話だ。奴らは帝都と、帝室を奪い返すために、ここ帝都に攻め込んでくる」
余計に分からない。
どうして帝都を取り戻すために帝都を攻めるんだ。そこに暮らす人々はどうなる。
まさか避難させるつもりか? どこに、どうやって。そもそも住む家をなくしてしまえば、避難先から戻っても暮らしてはいけない。加えて、干魃でどこも食べるものには困っている。
都市一個分の大移動など、旅を経験していない頃の私でも不可能だと分かるだろう。
「で、対する私たちの側はどうするつもりなんだ?」
「無論、迎撃します。兵の質は元々こちらの方が上ですから、数で劣ろうとも……」
「待て待て待て。頭が痛い」
「どうしたんだ、分からないなら黙っていろ」
カレンが苦言を零すが、黙っているわけにもいかない。
「なんのために、誰が、誰と戦うって?」
「帝都を守るために、帝国軍が、メイディーイル軍と戦うのです」
「そのメイディーイル軍は帝都を取り戻すために、帝国軍を名乗って、帝国軍と戦うんだろう? これは誰の戦いなんだ」
「帝国の戦いだ」
オイゲンが口を挟んだ。
だから私も、叫んでしまう。
「違うだろうッ!」
おかしい。
そう、すごく簡単な話だ。
「そもそもはオールドーズと魔王の……マオの戦いじゃないのか」
「しかし、帝国の命運が懸かっています」
「それがそもそもおかしいんじゃないのか!」
「エレカ、落ち着くのじゃ」
「これが落ち着いていられるかっ!?」
「お主は言ったはずじゃ。世界は傲慢だと。思い出すのじゃ。お主の森は何故燃えた。そもそも何故、エルフは世界樹のもとに生きられず、その枝葉を神樹などと崇めてきた?」
頭が痛い。ひどく。ぐちゃぐちゃになりそうだった。
いいや。
ぐちゃぐちゃに掻き回して、もう一度新しく組み立て直したい気分だった。
「私たちは、争いを定められているんだち」
「おかしいだろう……」
「世の摂理を嘆いてどうなるのじゃ」
「お前は黙ってるち!」
室内に沈黙が漂った。
ほんの数秒。きっと指折り数えたら五秒にも満たなかっただろう。
「無論、敵にも人の心はあるでしょう。実際に帝都に攻め込めるかは怪しいところですし、仮に攻め込めたとしても士気は保てません。勝機はまず、こちら側に――」
「ないよ」
分かる。
断言できる。
「フルート家が教会派なら、オールドーズは支援するだろう」
「というより、既にしているはずなのじゃ」
「オールドーズその人が出てくる可能性は?」
「ゼロに等しいと思うが、妖精王はまず出てくるのじゃ」
「帝都には死人も残らないぞ」
イスネアを思い出せ。
あの、もぬけの殻になった国を。たった一つの都市を国とし、帝都やメイディーイルよりずっと干魃の被害に遭いながら、それでもなんとか生きていた国だった。
私は、その最期を見ていない。
だが。
だからこそ。
「貴様はこの辺りの地形に詳しいのか?」
帝都を守るべき者が、帝都を取り戻しに来る者に対し、帝都を盾にするなどあってはならない。
それを平然と言ってのけた男は、やはり平然とした顔で頷く。
「無論ですとも。帝都のことであれば、たとえ違法に増築された建物であっても――」
「違う、帝都の周辺だ。……いや、もっと遠く。メイディーイル方面」
「……は? いえ、そこまでは」
「だったら詳しい者を呼んでこい」
男は素っ頓狂な顔で、私の顔をまじまじと見ている。
馬鹿なのか?
阿呆なのか?
思い出せ、貴様も。
「アーレンハート、止めてくれるなよ」
「は? いったい何を――」
疑問の声を、腰の鞘に手を添えて遮る。
「今すぐ、呼んでこい。次はない」
男は黙った。
黙ったまま、右も左も見ることができず、ただ唾を飲み込んだ。
それ以上の沈黙など許してやるものか。
「やるか、やらぬか、それを答える権利はあるが?」
「……直ちに」
足早にテーブルを回り込んできた男は、私の横を通り過ぎる時には最早走り出しているようなものだった。
扉が力任せに開け放たれ、遠ざかる足音が聞こえるほど、じりじりと静かに閉まっていく。
「やりすぎなんだち」
「加減が分からなかった」
「……あぁ、今のは演技でしたか」
ほっと肩を撫で下ろしたのは、ここまで沈黙を貫いてきたアクタだった。
ちょうどテーブルを挟んで正面に立つカレンが、鼻を鳴らしながらため息を零す。
「だと、いいがな」
「えぇ……。怖いこと言わないでくださいよ」
「いつからそんなに仲良くなったのじゃ?」
冗談半分のカレン、おどけてみせるアクタ、呆れるグレイ。
三人のお陰で少しは空気が軽くなったものの、相変わらず腹の底には重く沈む何かがあった。
「大丈夫だち?」
「分からない。少し変なんだ」
ここ何日か、穏やかな日が続いていた。
だから、だったのだろうか。
帝都の街を見て、森を思い出す余裕もあった。
いや、だからか。
似てもいないのに森を重ねたあの街を、少しも失いたくないと思ってしまった。
腹の底に、巣食うそれ。
私の知らない、私の気持ち。
「プラチはすごいな」
「急に褒めるなち」
「いや、すごいよ。……だから」
きっといつか、私が背負う。
その全てを。
覚えているはずのない、幼き日に失った母の姿を思い出す。
だから私の気持ちは、こんなに軽いはずがないのだ。




