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78話 勇者の伝説

 神聖王国軍は魔王軍の猛攻に押されていた。

 開戦当初ほどの勢いは失われたものの、魔王軍を押し返すことは叶わず、人々の住む土地を削り取られていく毎日だった。

 原因は彼我の戦力差、あるいは戦意の差にある。

 ある戦場で同じだけの損害を出しても、魔王軍は撤退せずに補充を続けられる一方、王国軍は前線を下げて更なる損害を減らさなければ戦線の維持さえ難しい有り様だった。

 亜人を下等と見下したヒュームと、対等の存在として交渉した魔王との差が、今に至る戦力差を生み出している。

 味方にはなれなくても、せめて三つ巴の構図を維持していたら、と誰もが嘆く。

 嘆いたところで時が遡ることはない。

 女神の寵愛を受けた勇者の一騎当千とも獅子奮迅とも叫ばれる活躍で局所的な勝利は上げつつも、大局においては魔王軍の優勢。後退しながらも維持してきた戦線だが、田園地帯にまで達してしまえばヒュームの継戦能力は破壊される。

 そうした戦況を突如としてひっくり返したのが、エルフの参戦だった。

 ヒュームが亜人にそうしたように、エルフもまたヒュームを下等種族としてきた歴史があり、妖精王その人の命令にもかかわらず共同戦線を拒絶してきた彼ら。

 その参戦は、あまりに衝撃的だった。

 ヒュームとの共同戦線を受け入れたこともそうだが、何より参戦の理由には味方になるはずのヒュームでさえ愕然としたほどだ。

 世界樹の焼失である。

 魔王軍と王国軍の戦争から距離を置いたエルフが、その時何をしていたかといえば森の防衛――正確には世界樹の守護だ。

 世界樹とはエルフの森の中心に鎮座する天まで届くと称された大樹であり、それはエルフにとって父であり母であり、また子孫でもあった。言い換えれば、彼らの全てなのだ。

 ヒュームが太陽なき大地で生きられないように、エルフも世界樹なき大地には生きられない。

 その世界樹が、厳重な守りの中にあって焼失した。

 信じ難い衝撃が戦争当事者の双方を襲い、そして血迷ったかと相手を睨んだのだ。

 当然、魔王もヒュームの王も、自分ではない、相手方のやったことだと叫ぶ。エルフとの参戦は、それほど戦争に与える影響が大きすぎた。

 しかし結果として、エルフはヒュームとの共同戦線を選んだ。

 曲がりなりにも王である妖精王が与していた陣営であり、妖精王の力があれば僅かに焼け残った枝葉や根からでも世界樹を再生させられると踏んでの参戦だった。

 たとえ王であれ、一度は蹴った申し出に頭を下げて応じるのはエルフにとって屈辱である。

 とはいえ、世界樹の存亡を前にしては選択肢などあるはずもなかった。

 こうしてエルフが参戦した戦場は、まるで時を遡るように逆転していく。奪われた土地を奪い返し、踏み荒らされた土地を踏み締めて前進。ヒュームとエルフの連合と化した神聖王国軍の躍進は目覚ましいものだった。

 そこにはエルフの戦力のみならず、魔王側に立っていた王や神が形勢不利と判断して戦線を離脱したことも響いている。

 逆転した戦争は、遂に勇者率いる精鋭部隊の魔王城侵攻へと到達。

 それは神聖王国軍にとって最後の戦いであり、魔王軍にしても危機の中に活路を見出す戦いだった。

 勇者を失えば、王国軍が崩壊することは目に見えている。

 それでもエルフは強力な存在だが、勇者に匹敵する圧倒的な何者かを擁しているわけではなかった。魔王が生き残り、一時でも王国軍を押し返せば、再び魔物の軍勢を生み出して反撃に打って出られる。

 その勢いを押し返すだけの存在を、勇者亡き後の王国軍は持ち得ない。

 ゆえに、事実上の最終決戦。

 敵味方双方が屍の山となりながら、一方は勇者を通すまいと命を賭して立ち塞がり、一方は勇者という最強の刃を魔王に届かせるのだと奮起する。

 戦力は拮抗していたが、致命的な違いが双方にはあった。

 勇者が魔王城へと侵攻している以上、補給の面で圧倒的に有利なのは魔王軍だ。魔族は怪我をすれば下がって治療し、その間に他の者が戦場に立てる。対する王国軍には、下がって治療する場所も、後ろから駆け付ける人員も足りていない。

 瞬く間に消耗していく戦場で、魔王城へと辿り着いた時には既に、王国軍は勇者とその側近だけになっていた。

 一方の魔王軍には、未だ魔眼王をはじめとする有力な諸侯が健在。

 それぞれ守るべき民や土地があるために全戦力を魔王城へと差し向けることはできないが、だとしても勇者の前に立ちはだかることはできたはずだ。

 にもかかわらず。

 魔王城で、勇者一行を出迎えたのは、魔王その人だった。

「我が魔王軍の支配する戦場を、よくぞ突破してきたと称賛すべきか」

 威容を誇った魔王は、しかし理性的な言葉を紡いだ。

 無論、勇者たちも魔王を蛮族か何かと勘違いはしていない。ただ刃ではなく言葉が向けられたことに、多少なりとも意外な思いを抱きはしたのだ。

 なにせ、魔王は。

「お前の称賛なんていらない。それより、攫われた姫を返していただこう」

「攫われた姫? 一体なんのことだ」

「とぼけるなッ!」

 勇者たちは何度となく作戦を練ってきた。

 魔王城は、それ自体が侵入者を阻む要塞である。それを攻略できればいいが、できなかったなら勇者が魔王と戦っている間、他の者たちが姫の救出をすることになっていた。

 神聖王国軍。

 その名にある王国の、たった一人の後継者が魔王によって攫われていたのだ。

「策謀好きのお前のことだ。人質として使える姫を殺しはしていないだろう」

「無論だとも。私には姫を殺す理由などないのだから」

「ならば返していただこう。よもや俺との戦いで盾に使おうなどと、そのような卑劣な策を考えてはいるまいな」

「無論だとも。しかし、何か誤解があるようだな」

 勇者の叫びに、魔王はどこまでも鷹揚と応じていた。

 心中には、違和感ばかりが膨らむ。

「レイノ」

 と、そう勇者の耳元で囁いたのは、聖女と謳われた美女だった。勇者とともに魔王軍との戦いの旅を続けてきた一人で、手にした緋色の錫杖は女神の加護を受けているとも言われる。

「話に付き合う必要はないわ。時間稼ぎかもしれない」

「分かっている。けれどアイラ、俺たちはただ魔王を殺しに来たわけじゃない」

 アイラと呼んだ聖女のみならず、他の仲間にも向けた言葉だった。

「魔王よ、どこまでも白を切るつもりか」

「そう、私は魔王だ。汝は勇者だ。そこに卑劣な小細工を挟む必要があると?」

「答えぬというなら問答無用、容赦もしない」

 勇者が剣を抜く。

 同時に、背後に居並んでいた仲間たちに声をかけた。

「姫を頼んだ」

「一人でやるってか?」

 笑いながら返してきたのは、何度となく酒の席で馬鹿話をしてきた仲間だ。

「魔王は魔法の達人だ。その腕は歴戦のエルフをも凌駕すると聞く。数で囲めば楽になるって相手でもないだろう」

「そうだけどな。……しかし、お前が死んじまったら元も子もない。気張れよ」

「分かってるさ」

 笑い合い、そしてともに笑みを消し去る。

 そんな彼らを見て、悲しそうに寂しそうに空を見上げる者がいた。

「この世界で、何度となく時代を越えて、長く戦ってきたのだがな」

 魔王の呟きに、勇者が口を開きかけた。

「答えずともよい。こちらの話だ。せめて口上を、最低限の礼儀を果たすとしよう」

 勇者の言葉を遮って、魔王は外套を翻す。

 仕込み杖と表現するのが、最も近い形になるか。魔王が天高く掲げた杖には、魔力の流れを補助する宝珠や機構が見られると同時に、本来であれば丸めてあるはずの石突きに刃が煌めいていた。

 魔法の達人でありながら剣術の達人でもある。

 エルフの魔法剣をも思わせるが、凡百のエルフと思えば痛い目を見るのは間違いなかった。

「我は魔王。我こそが魔王なり。この手、この身をもって、世界に清浄をもたらさん」

「清浄などと……!」

「名乗れもせんか。この時代の勇者は」

「――ッ。我は勇者。巨悪を滅ぼし、世界に平和をもたらす者だ!」

 口上が交わされ、勇者と魔王の最終決戦が始まる。

 その時、聖女たちも動き出した。魔王城へと乗り込んで攫われた姫を助けるために。

 目指すは魔王城、勇者との戦いに集中せざるを得ない魔王を横目に駆け抜けるはずだった。

 だが。

「王が自ら前線に出るなんざ、馬鹿げているとは思うんだがね」

「そうは言っても、そんな馬鹿には付き合えんって逃げ出すのは馬鹿にもなれん臆病者よ」

 二つの声が降ってきて、聖女たちの眼前で大地を揺らす。

 豚と牛の頭を持つ双頭の巨人と、下顎から巨大な牙を生やす鬼だった。

「お姫様を守るが我らの役目。ここを通すわけにはいくまい」

「世界でさえも取るに足らんと申すとは。魔王も所詮は男よ」

 笑う二人に、魔王も笑ってみせた。

「愛すべきものを守らずして、そんな世界にどんな意味があるものか」

 しかし言葉は、そこで途切れた。

 聖女が煌めく緋色の槍を天から降らせ、巨人と鬼との戦いに始まりの狼煙を上げる。

 一度動き出した戦場は、勝者と敗者を定めるまでに止まるはずもなく。

 魔王城へと侵攻した王国軍の最鋭鋒は、その魔王城の眼下にて最終決戦と相成った。



 剣であり杖である魔王の得物が両断される。

 宝珠が砕け、刃が折れた。

 最早戦う術を失った魔王に対し、けれど勇者が手を止めるわけにはいかない。

 それは世界の敵だ。

 侵略者であり、ヒュームの誰もが仇と憎む存在。

 逃がせば再起の可能性を残す。

 勇者はこの時代の覇者にはなれても、命ある以上はいつか死ぬのだ。その後に魔王が軍勢を率いることを、どうして勇者の身で許せただろう。

 許せるはずがなかった。

 己が手で殺し、勝利の鬨を上げる。

 そうして初めて戦争に、世界に決着を付けられるのだと、彼は信じてきた。

 しかし。

「お待ちください!」

 澄んだ声が一つ、戦場に響き渡った。

 アイラか。疲れと痛みで朦朧としそうになる意識の中、勇者は聖女を思い出す。聞こえてきた声は、どうも違う人物のものらしかった。

「イザベル……!? 何故――」

「何故ではありません! それはわたくしの台詞です! 何故ですか、何故あなた方が戦わなければいけないのですか!」

 叫んだ声に、呼ばれた名に、はっと勇者が視線を向ける。

 致命的な隙だった。

 いかに得物を折り砕いたとはいえ、魔王の膂力であればヒュームくらい一瞬で握り潰せる。我に返った勇者が剣を構えて魔王から距離を取るが、魔王はそれを一瞥しただけで、指一つ動かそうとしなかった。

「……姫、なのですか」

 呆然として、勇者は呟く。

 攫われる前に何度か顔を合わせた相手だ。国中に轟く美貌の持ち主でもある。一人の男としてアイラを愛したレイノであるが、勇者としては姫を助ける英雄であり騎士だった。

 その助け出すべき囚われの姫が、自分と敵との間に割って入る。

「勇者レイノ! あなたは誰に剣を向けたか分かっているのですか!」

「何を……。姫、あなたはまさか」

「あなたは愚かです。ずっと愚かでした。それがあなたの良さであり、あなたの欠点なのです。どうして、こんなことに」

 洗脳でもされたのか。

 人の心を操る魔法はエルフでさえも扱えないが、魔王になら可能なのか。それとも拷問や何か、魔法よりも非道な手段で心を操っているのか。

 信じ難い光景を前に、しかし勇者は見てしまう。

 姫の瞳は、いつかの記憶と変わらぬ、揺るぎない信念を宿していた。

「あなたも、あなたです。どうして勇者と戦う必要があったのです。わたくしたちを遠ざけてまで、どうしてこんな……」

「それが定めなのだ。我は魔王、なれば世界のために戦うが使命」

「だったら――」

 姫が叫んだ。

 その胸を次の瞬間、巨大な円錐形の槍が捉えた。

 騎士槍やランスとでも呼ぼうか。人々は、しかし、それをただ一つのものとして認識していた。

「妖精王……ッ!?」

 救い出すべき姫の胸を貫いた、味方だったはずの男の得物。

 次から次へと予想だにしなかった光景を目の当たりにさせられ、勇者は動けなくなってしまう。

「これだから我は反対したのですよ、ルージュ様」

「血迷ったな、妖精王――ッ!」

「最強と謳われた王が激情を叫ぶなど、血迷ったのはどちらですか」

 半人半馬。

 常人であれば持ち上げることすら叶わぬ長柄を両手で自在に操る王の一人が、悠々と魔王城の前に降り立つ。

「勇者よ、耳を貸しなさい」

「は……? あんた、おい、妖精王。お前は自分が何をしたか分かっているのか」

「だから、耳を貸せと。全く、これだからヒトというのは嫌いなんだ」

 なんでもないことのように吐き捨てた妖精王は、その馬の足で戦場だった大地を蹴って、物言わぬモノと化した姫のもとに近寄った。

 魔王が杖もなしに放った魔法を直剣で斬り捨て、妖精王は姫の身から槍を引き抜く。

 支えを失った姫が地面に転がった。虚ろな瞳が空を見上げる。魔王も勇者も、微動だにできなかった。

「勇者よ、聞きなさい。彼女は裏切ったのだ。本来であれば、彼女は魔王軍を内部から崩壊させる、その要となるはずだった。大人しく我がルージュ様に従っていれば、無駄な犠牲を出すこともなかったというのに」

「内部から崩壊……? 魔王軍を?」

「そう。それこそ傀儡王の姫君に与えられた使命。しかし彼女は裏切った。それゆえに魔王軍は勢力を保ち、このような茶番じみた決戦に臨む羽目になってしまった」

 知る由もなかったことを、当たり前のように告げる妖精王。

 勇者は、知らず魔王を見やっていた。

 魔王は、憎々しげに口を開く。

「愚か者が……。王が神に傅くなど」

「多くの神や王を従えた魔王がそれを口にしますか。しかしまぁ、あなたには感謝しているのですよ。最後の最後で、これほどの大失態を演じてくれたのですから」

「おい、妖精王……! あんたは何を言ってるんだ。使命? 茶番? 一体――」

 意味が分からない。

 今にも声が叫びに変わろうとした時、勇者の目に映ったのは、あまりに冷たい妖精王の瞳だった。

「自分一人に世界の命運が委ねられているだなんて、本気で信じていたと? だとすればお笑い種だ。勇者よ、あなたは勇者だが、神ではない、王でもない。ただの到達者でしかない」

 到達者。

 なんのことだ、と理性が叫んだ。

 しかし勇者の口は、パクパクと間抜けに上下するだけだった。

「とはいえ、あなたのお陰でもある。遂に悲願は果たされるのですから。世界は、ルージュ様の手に」

「最後までふんぞり返っていた王気取りの神が、何を世迷い言を」

「最後までふんぞり返っているべき王が、神か勇者を気取ったから負けたのですよ」

 笑う妖精王に、勇者は見てしまった。

 あれは確かにエルフの王だ。他者を蔑み、自分だけは特別だと信じる者の厭らしい笑み。実際に会ってみれば話のできるエルフもいたが、大多数は戦場でヒュームと肩を並べることを未だに忌避し、そのために死ななくていい命が幾つも散っていった。

「あなたは愚かだ、最強だった王。トロイの木馬と知りながら、どうして愛情など抱いてしまったのか。我には分からぬ愚かさよ」

「だとすれば汝こそが愚かだ、妖精王。傀儡の王とは、まさに汝のことであろう」

「我が忠義は愛ゆえに、我が愛は忠義ゆえに。負け犬の遠吠えに耳を傾ける気はない」

 言うと、妖精王が槍を掲げた。

「せめて情婦とともに、我が槍によって眠るがいい」

 魔王は最早、口を動かそうともしなかった。

 騎士槍が大上段から振り下ろされる。魔王は抵抗することもなく、ただ口に歪んだ笑みを貼り付けたまま槍を受け止めた。

 吹き出した血が虚空に花を咲かせる。

 姫が死に、魔王が死んだ。

 残された戦場には勇者がいて、妖精王がいて、傍らに目をやれば血だらけになりながら肩で息をする聖女がいた。勇者と軽口を叩いた仲間の一人は、ぐったりと手足を大地に投げ出している。

「さぁ、勇者よ。勝鬨を上げなさい」

 妖精王が笑う。

 まるで己こそが勝者なのだと言いたげに。

「ふざけるな」

「……何か?」

「あんたは――。貴様ごときが、俺に命令するんじゃねえ」

「……ふざけているのは、一体どちらか」

 妖精王が槍を構え、剣を振り上げる。

「あなたを殺せば、我こそが覇者となる。その意味を、理解できていないと?」

「なら、もう一度戦うまでだ。この戦いは俺たちの戦いだった。断じて貴様のための戦いではないッ!」

「散々助力を受けておきながら、恩知らずの愚か者が」

 勇者も剣を構え、視界の端では聖女が錫杖を支えに立ち上がる。

 最終決戦は、まだ終わらない。

 その緊張感が頂点に達し、爆発するかのごとく勇者と妖精王が互いに刃を向け合う寸前。

 空から、光が降り注いだ。

 無数の光の槍が幾重にも大地を貫き、世界を切り取る紗幕のように辺り一面を包み込む。

 最強の王は死んだ。

 最強の神は、未だ戦いに現れてすらいなかった。

 誰もが忘れていた現実を、その光が思い出させる。

 世界は閉ざされた。

 閉ざされた世界を知るのは、ゆえに、世界に囚われた者たちだけである。

 斯くして、勇者は覇者となった。

 最強の王は遂に敗れ、勇者を愛した神は歴史の紗幕に隠れ、愛と忠義を誓った王はそれを示すための犠牲を強いられる。

 閉じた世界が再び開き、新たな時代の新たな歴史を紡ぐことになるのは、永劫とも思える久遠の彼方のことだ。

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