七十七話 受け継ぎし者
「あれはダメじゃ。ダメダメなのじゃ」
「何も知らん俺でも分かる。あれはダメだ」
「どう足掻いてもダメなんだち。王とかそれ以前の話だち」
ひどい言われようである。
三人揃って計五回も『ダメ』宣告しなくていいだろう。
しかしカレンじゃないが、私でもなんとなくの察しはついた。
執務室で、魔王の娘マオを名乗る少女と話してからしばし。
ずっと扉の前で待っていたらしいオイゲンに再び案内されて、私たちは今夜を過ごす部屋へとやってきた。明日以降はまた調整するとのことだが、今日はひとまずこの部屋で夜を明かす。
上等なベッドが横に三台並んでなお余裕がある奥行きの部屋で、幅も相応に広い。
案内するなり踵を返してしまったオイゲンとは違い、本人の前ではできない説明のためか一緒にやってきたアクタは室内まで入ってきたが、それでも狭くは感じなかった。
しかし今は、そんな部屋の感想を言い合える雰囲気でもない。
「……申し訳有りません、皆様。けれど確かに、お嬢様は魔王様の娘なのです」
詫びるアクタには同情さえする。
カレンとグレイとプラチ、あまり意見の合わない……というより合わせたがらない三人が揃って呆れていることにも気付かなかった少女を、主人と仰ぐ立場にあるのがアクタだった。
とはいえ、やはり同情より先にやることがある。
「ところでグレイ」
「なんじゃ? 儂はもう話すのも面倒なのじゃ」
「魔王の前に、他の魔王はいたのか?」
「いるわけないのじゃ。お主も知っているはずじゃ。魔眼王は、ただ魔眼王の名で呼ばれたから魔眼王なのではないのじゃ。神の力を持って魔眼の一族に生まれ、その力に驕ることなく溺れることなく、民を想うがゆえに王となった存在じゃ。死んだからといって、人の国の王のように次の誰かが空席に座るはずもないのじゃ」
話すのも面倒と言った割に、丁寧に教えてくれるグレイ。
ただ疲れているだけでないことは、そのことからも明白だった。
「あれは魔王ではないのじゃ。魔王の血を受け継いでも、魔王にはなれないのじゃ。魔王の娘、それだけじゃ」
「なら、先に分かっていたのか?」
カレンが問うと、グレイは首を横に振った。
「あそこまでボンクラだとは思わんかったのじゃ」
「お待ちください。いくら神といえど、我が主をボンクラ呼ばわりは――」
「口上の意味も知らぬ小娘が、ただ魔王の子だからと二代目の魔王を名乗る愚かしさ、本来は貴様が教え諭すべきことなんだち」
肩にいて表情の見えないプラチだが、見えなくても想像はできた。隠すことのない苛立ちで小さな顔を目一杯歪ませていることだろう。
「……お嬢様の、魔王様の仇への復讐を誓う気持ちに偽りはありません」
「気持ちだけで戦いに勝てるなら、オールドーズはとっくに世界を我が物としているのじゃ。奴の妄執をお主は知らんのじゃ」
「ですが――ッ!」
「協力しない、とは言ってないんだち」
プラチが呟く。
それから欠伸を零してみせた。ふあぁ、と気の抜けた息が耳元を通り抜ける。
「魔王の忘れ形見であることに違いない以上、利用価値はあるち。魔眼王が最期に手を貸したのもそれが理由だち。馬鹿と鋏は使いよう。ボンクラとて魔王の娘なら使い道はあるち」
アクタも最早、声は返さなかった。
明け透けにも程がある侮辱だが、反論したところで何も生まれない。仮に反論しようにも、グレイとプラチを前にしては立場も知識も違いすぎる。
問題にすべきは、感情の領域ではない。
「プラチはこう言ってるが、グレイは? 魔王に……違うな、マオに味方することに異論はあるか?」
「味方する、と言われると微妙なのじゃ。だが敵の敵は味方、利用価値があることは認めるのじゃ。味方するのではなく、利用されているように見せて利用するのじゃ」
「……それをアクタの前で言うか?」
口を挟んだのはカレンだった。
その口振りからして、グレイの考えに異を唱えるつもりはないようだが。
「構いません。寝首を掻くというなら話は別ですが――」
「それだけの価値もないち」
「……そう、ですか」
同意するわけにもいかず、といった具合に語尾を濁すアクタ。
ともあれ、ひとまずの結論は出た。
「改めて確認したいんだが。マオ率いる親魔王派、それと手を組んだシュトラウス家以下帝都勢、そして私たち。この三者が大なり小なり連携すると考えていいんだな?」
手を挙げ、念のための確認だと三人の顔を順に見ていく。
しかし、その中の一人、最も意外だった人物が意外な表情を見せた。アクタだ。
「いえ、言いづらいのですが……」
彼女は表情、声音ともに心底申し訳なさそうにしながら、その言葉を口にする。
「我々を親魔王派などと呼んでいただいた心遣いには感謝しますが、最早我々には主人と……マオ様と自分しか残されていません」
「帝都に、たった二人で威勢を張っていると?」
「いえ」
「じゃあなんだっていうんだ」
歯切れが悪い。
とはいえ苛立っても始まるまいと律した心に、続くアクタの言葉は衝撃的で、重すぎた。
「この世界に、最早我々しか残されていないのです。魔王様と勇者の戦いは熾烈を極めました。本来であれば魔王様の傍を離れてはならない親衛隊の者たちですら、エルフが合流した人類側の戦力を前に駆り出される他ありませんでした。ゆえに魔王様は勇者やその仲間を相手に、たったお一人で戦う形になったのです」
また前の時代の話か。
いや、それも知らなければいけない出来事だ。もっと言えば、これから聞こうとしていたことでもある。
だが何故、今この段階で語られるのか。
答えは明白すぎて、だからこそ言葉を全て聞き終えるまでは受け入れ難かった。
「魔王様は、勇者との衝突が避けられないと悟った時点で、マオ様を逃がすように命令されたのです。義眼も、その時に授かりました。全てはマオ様を、たった一人のお嬢様を死なせないために。魔王様も、魔王軍も、最後はそのために戦い、そして散ったのです」
「……つまり、どういうことだ」
「魔王様に忠誠を誓った者は、僅かな例外を除いて、あの戦いで散ったのです。残されたのは率いる民を失い、マオ様を安全な空間へと隔離する任を受けた魔眼王様と、あとはマオ様を傍でお守りする任を受けた自分とチリだけでした。そしてチリは、」
「メイディーイルで私たちが殺した。魔眼王も、経緯はどうあれ今はもういない」
途中で離反したらしいグレイのような者もいるが、確かな忠誠を誓った者たちは皆、忠誠を貫いた果てに命を落とした。
ゆえに今、残された戦力は。
「マオ様はああ言っておられますが、戦場にお連れするわけにはいきません。マオ様をお守りする、それが自分の受けた命令なのですから」
「義眼があるとはいえ、神や王には到底及ばない魔物が一人。魔王派の戦力は、たったそれだけというわけか」
「はい」
また世界中を旅して、グレイの同類を探して回るか?
あるいは今ある戦力でどうにかするか?
思考と議論を進めるには、しかし未だ必要な材料に欠けていた。
「だが、だとしても、質問を変える気はない。現状、他に味方する勢力は?」
「ないのじゃ。生き残ったエルフがいたとして、同じエルフだからと妖精王に楯突くかは疑問じゃ。ヒュームも多くはオールドーズ教会なる幻想を信じ、反教会勢力も実質的には教会の指先なのじゃ?」
「あぁ。懐柔しやすそうな無法者に関しては片っ端から教会の息がかかっている。そう仕向けてきた」
カレンが頷き、肩を竦めてみせた。
「俺たちの現状は、多勢に無勢。それがお前の知りたかった答えか?」
「悲しいけど、そういうことになるんだろうな」
ふっと息をつく。
ため息ではないけど、言うまでもなく安堵のそれでもない。ただ本当に、良し悪しもなく一息ついた。それだけだ。
「でも細かいことを一つ訂正しよう。多勢に無勢。確かにそうなんだろう。だけどな」
それはまだ、序の口に過ぎないのだ。
「私たちは、自分たちの戦力は把握している。神や王の戦いに真っ当な人間が意味をなさないなら、帝都の軍隊は戦力に数えられない。そうだな?」
「そうだち」
「治安維持や食料の確保には数えられる。後方支援というやつだ」
「裏を返せば、戦場に立つのは私たち」
「それについては申し訳なく――」
「謝罪は後だ」
ポーズでもなんでもなく、真摯に頭を下げようとしたアクタを手で制する。
私たちは、私たちだ。
これだけは確かで、詰まるところ、それ以外は不確かすぎた。
「私たちは敵を知らない。オール・ルージュ・オールドーズ。それはなんだ? 前の時代で勇者に味方した女神? そんなのは情報にもならない。妖精王がエルフを裏切った。それは私の身に宿る怒りと憎しみから嫌でも分かる。だが、一体どんな裏切りを働いたんだ? 妖精王はどうしてオールドーズに味方している? 帝都と切り離された帝国や、他の国やどこの国にも属さないヒュームたちは?」
戦うとか、そういう話を始める段階にも至っていないのだ。本当は。それなのに戦いは始まってしまって、妖精王には襲われたり二代目魔王を自称する少女に会ったり、順番が間違っているだけのこと。
だとしたら、やり直さなければいけない。
「まずは前の時代の話からだ。プラチは知っていても、私が知らない。カレンもだ。これでどう戦えと? 戦力や技術はあっても、知識と感情が伴わなければ勝敗は目に見えている」
この胸に宿る憎悪を、野放しにはしない。
己の手で確かに掴んで、己の意思で振るわなければ、そんなものは駄々をこねる子供と変わらない。
「勇者は何を求めて戦った? どうして魔王は軍勢を率いた? オールドーズの目的は? それが真実の歴史だというのなら、断片だけ切り取ることに意味はない。それは却って間違った決断を下すことになる」
私たちの味方は限られている。
しかし時は進み、状況は変化し、いつまでも同じままでいることはない。
シュトラウスではないが、教会やオールドーズに反発する勢力が現れる可能性は十分に考えられるし、だとすれば私たちと共同戦線を張る選択肢も生まれるだろう。
「知っていたら味方に付けられる勢力も、知らなければ敵に回すかもしれない。シュトラウスが良い例だ。カレンと親子だったから信頼関係もある程度築けたが、そうでなければ国を裏切った公爵と、元は教会の巡礼者という関係でしかない」
信じる理由より、疑う材料の方が多い。
そんな関係では何をやってもダメだ。上手くいくはずがない。
「だから教えてくれ。これは私が戦う理由にも直結する」
妖精王は、エルフの王でもある。
存在しないはずの王だ。
プラチの怒りと憎しみを共有できても、衝動だけで戦っていてはいつか破綻する。不明確な衝動だけを頼りに、また緋色と相対したら私はどうするだろう。
「幸い、時間はあるのじゃ」
「ここまで静観してきた以上、今日明日メイディーイルや他の土地に出向いていた軍が大挙してくることもあるまい」
グレイの呟きにカレンが頷く。
「儂の知る歴史と、アクタの知る内情。それを合わせれば、全体像と呼ぶに不足ない話はできると思うのじゃ。……どうじゃ?」
「えぇ。それが皆様の助けとなり、延いては我が主人を守ることに繋がるなら、過ぎ去った秘事を明かしても問題はないでしょう。瑣末事に囚われ、大局を見失うことこそ、魔王様は忌避されていました」
「だが、最後にはその瑣末事に足をすくわれたのじゃ」
「いいえ。魔王様にとっては、世界の命運こそ瑣末だったのです」
「そのために多くの民が、民を率いた王が、肩を並べ戦った神の命が無駄に散ったのじゃ。エレカも覚えておくといいのじゃ」
話を始める前、グレイは落ち着き払った声音と、冗談の色を消し去った瞳を私に向ける。
魔王の最期。
前の時代の終焉。
そこに私が学ぶべきはなんなのか。
「覇者は全てを手に入れるのじゃ。この世界を、我が物にできるのじゃ。世界か、愛すべき者かの二者択一など存在しないのじゃ。愛すべき者のために世界を諦めるなど論外じゃ。愛すべき者のために、世界を滅ぼすのじゃ。それがお主の、神の役目なのじゃ」
グレイにしては珍しい、どこか詩的な言葉だった。
愛すべき者のために世界を滅ぼせ。
真意の掴めぬ言葉を、だからそっくりそのまま胸に仕舞い込む。いつか理解できた日に、迷わず思い出せるように。
「それじゃあ、話をするのじゃ」
グレイが微笑む。
そうして、長い長い物語が始まった。




