七十五話 幸か不幸か首枷よ
オイゲン・シュトラウス。
カレンの父親。
宰相。
そして、帝国を裏切り魔王に味方した人物。
壮年の彼には幾つもの姿があるらしいが、現実に存在するのは一人だけだし、だとすれば呼び名を変えたところで意味はあるまい。
彼は彼だ。
味方であるはずの兵たちにも有無を言わせぬ威圧感を見せつける姿には、やはり幾つもの顔を持たざるを得なかった者特有の疲れが覗いていた。
彼がまともな人間であるなら、……神や王や到達者などでないなら、今の世界は生きづらいに違いない。
無言のまま、彼は私たちを一つの部屋に案内する。
そこは狭い部屋だった。
といっても、あくまで最初に道が繋がった広間や、そこから歩いてきた廊下に比べたらの話だ。まぁ私とカレンとグレイ、加えて三頭の竜馬までいても窮屈とは言えない一室を、狭いと表現するのは間違っている気もする。
半ば手持ち無沙汰にそんなことを思っていた私とは対照的に、オイゲンが後ろ手に閉めた扉に鋭い眼差しを向ける者がいた。
グレイだ。
彼女は怪訝そうに、そして聞き耳でも警戒するように潜めた声を上げた。
「ここは……」
「魔王の力で外と隔離されている、らしい。真偽はともかく、音が漏れる心配がないことは確認済みだ」
オイゲンは平然と答えてみせる。
その短い言葉だけで幾つもの情報や違和感を読み取れたが、何より重要なのは直接語られたことの真偽だった。
「そうなのか?」
それが自分に向けられた問いだと見て取るやいなや、グレイは首を横に振った。
「そんな大層なものではないのじゃ。単なる結界、分かりやすく言えば目に見えぬ壁を作り出すだけの魔法じゃ。多少の細工こそあれど、空間そのものを断絶させる魔眼に比べたら月とスッポンなのじゃ」
月がどうしただか知らないが、おおよその答えは得られた。
魔王とオイゲンとの連携は盤石ではない。というより、そこに信頼関係がないのだ。
「あんたの裏切りで帝都が落ちたと聞かされた時は何事かと思ったが、詰まるところ魔王の名を借りただけの張りぼてか」
「それが親に対する口の利き方かと、以前なら叱るところだがな」
「俺とあんたで親子ごっこも今更だろう。……それより、実際的な話がしたい」
カレンの冷たい眼差しを、オイゲンは正面から受け止めた。
両者の沈黙はほんの数秒も続かず、互いに今にもため息を零したり肩を竦めたりしそうな面持ちのまま、けれど再び口を開く。
「なぜ帝室を裏切った。是非はさておき、あんたが国を裏切るとは思えない」
「仕方のないことだった。お前なら分かるだろう、今の帝国ではオールドーズが力を持ちすぎている」
「だから? 帝室は教会と距離を置いていたはずだが」
「まだ分からんか? それとも、そこのエルフの娘に言って聞かせるつもりか?」
グレイではなく私を一瞥し、オイゲンはまたカレンに視線を戻す。
「たとえ反教会を叫んだところで、フルート家が認めはしない。そんなことは散々ブッフバルト家とデーニッツ家がやってきた。奴らが正しかったと認めるのは癪だが、理由はどうあれ賛同しておくべきだったと今なら言える。今更、こちらから頭を下げて連携できる間柄でもないがな」
フルートの名はすぐに思い出せた。
メイディーイルの領主をやっていた男の名で、つまりは帝国を支える公爵家の一つ。……となればブッフバルトやらデーニッツやらも、同じく公爵家かそれに匹敵する力を持つ家柄なのだろう。
シュトラウスも公爵家だから、帝国を動かすには、あるいは均衡を保って動けないようにするには十分すぎる面子が挙げられたわけだ。
「それで強硬手段に打って出たと? しかし、そもそも教会を敵視する理由が分からんな。曲がりなりにも娘を売った先だろうに」
自嘲するでもなく言ってのけるカレン。
オイゲンは何か思うところでもあるのか、不自然な沈黙を置いてから答えを口にした。
「帝国は、何者の傀儡でもあってはならない。たとえ皇帝その人であれ、帝国を糸で操るなど断じて許されることではないのだ。教会だかオールドーズだか知らないが、我が物顔で歩き回らせてはなるまい」
曖昧で抽象的な言葉。
決して真正面からは答えていないように見えて、事実カレンの問いに答えているかは怪しいのだが、端々に意識を向ければ真意が汲み取れそうな気もした。
……というより。
「教会とオールドーズを分けて語るとは、貴様もしや魔王から入れ知恵されたち?」
私の肩で喋るプラチに、オイゲンは眉を少し持ち上げただけで平然と応じる。
「信じ難いが、何もかもが異様な現状を目の当たりにしたなら疑う方が建設的でない」
「だからといって教会ではなく魔王に味方した理由も分からんがな」
そう口を挟んだのはカレンだった。
実の父親相手ということで思うところがあるのか、純粋にヒュームの行動として違和感を覚えるのか。どちらにせよ、この親子はこと親子間の会話となると言葉が足りず、代わりに含意が多すぎて分かりにくい。
「待ってくれ、話が散らかりすぎてる」
オイゲンが帝国に反旗を翻した理由、それは確かに重要だ。なにせ、そのまま私たちに味方する理由にも直結する。
ただ同時に、事実上匿われている現状を思えば敵か味方かと悩む方が時間の無駄だ。
「何はなくとも、魔王と話をしなければ始まらない。そちらの手配を頼んでも?」
「無論だ。しかし兵たちの目がある。今すぐに案内することはできない」
「私たちがまずい……としたら手遅れだな。まさか魔王が兵士に見られたら困ると?」
「そういうことだ」
隠すでもなく頷いたオイゲンだったが、一拍置いた後には怪訝な色を覗かせる。
「アクタからは、魔王にも詳しいと聞いているが。知らないのか?」
「生憎と、私は――」
「儂が知っているのは前の時代の、本物の魔王じゃ。前の時代を生き延び、この時代で魔王を騙るような輩、知っておく必要すらなかったのじゃ」
私を言葉を遮ったグレイが、ふんと鼻を鳴らす。
嫌味な態度だと思ったら、肩でも同様に鼻を鳴らす者がいた。囁き声が聞こえる。
「エレカ、お前が今はプラチナムだち。恥ずかしいくらいふんぞり返っておくち」
なるほど、騙し合いの手札というわけか。
妖精王との戦闘……とも言えないほどの衝突でまざまざと自覚させられたが、現状の私はプラチの足を引っ張っているだけだ。それなのにイスネアでは我儘を言った。
大根役者でよければ、これくらいは汚れ役にも入らない。
「魔王の力は確かだったが。アクタを名乗った、あの魔物の実力も」
「メイディーイルを襲った魔物、あれを倒したのがエレカだ。イスネアを崩壊させた水の神……貴様には魔神と言った方が分かりやすいか? そいつも圧倒している。お人好しの小娘と侮れば痛い目を見るのは貴様だ、オイゲン・シュトラウス」
「……ほう?」
細めた目で見据えられ、我知らず背筋が伸びそうになる。が、どうにか我慢した。
侮るなというカレンの言葉は、そのまま侮らせるなという私への言葉でもある。そんなつもりがあって言い放ったかどうかはさておき。
「まぁ、考えたところで答えは出まい」
そう自らに言い聞かせるように零すと、オイゲンは私たちを順に見やる。
「私は話を通してくる。そちらは、もてなしもできず申し訳ないが、この部屋でしばしお待ち願おう。外に人員を配置しておくゆえ、所用があれば頼ってほしい」
異論はないな、という言外の圧に、こちらも無言で応じておく。
横柄とは言わないまでも、どこか威圧的な態度に思うところがないではない。かといって、ただ暴力で上を取っているからと平身低頭を求めるのも馬鹿げた話だ。
それに、まぁ。
他に何を言い残すでもなく、さっさと部屋を後にしたオイゲンを見送りつつ、私とグレイで目配せし合う。きっとプラチも同じ気持ちだろう。
「あれは確かにカレンの父だな」
堪えきれずに言うと、グレイも笑って頷いた。
「あの親にしてこの子あり、なのじゃ」
「とことん無愛想なんだち」
プラチまで一緒になって挑発するような声音で言う。
対するカレンは、意外にも腹を立てる様子もなく肩を竦めてみせた。
「否定はしない。……が、帝都に来たからには不便でもある」
「不便?」
カレンのことだから、というか三人のことだから喧嘩腰にやんややんや言い合う展開を想像していたが、全く思ってもみなかった言葉だ。
「シュトラウス家の跡継ぎは先の魔神侵攻の折に命を落としたことになっている。今の俺を見てシュトラウス家との繋がりを見出す者はいないにしても、カレン・シュトラウスの名は幸か不幸か未だ忘れ去られたわけでもないだろう」
そこまで言われ、ようやく言葉の意味を悟る。
シュトラウス家当主と、少なくとも協力関係にはあるらしい魔王のもとに、そのシュトラウス家のいなくなったはずの跡継ぎと同じ名の人物が現れたとなれば……。
まともに考えれば偶然でしかないが、何かありそうならば何かあるはずだと考えるのも、また人間である。噂好きや詮索好きには、ヒュームもエルフも関係ないだろう。
「まさか、カレンって呼ぶこと自体まずいのか?」
「リスクを冒すべきではないな」
「けど、だからって禍福と呼ぶわけにもいかないだろ」
それは今や敵の名だ。
外套のお陰で姿が知れ渡っているわけではないが、だからこそ名前は轟いていた。カレンの名で呼ぶ以上にまずい結果を招くのは火を見るより明らかだ。
「きひひ。ここは一つ、アーレンハートと呼ぶしかないのではないじゃ?」
悩む私に愉快そうな笑い声を投げてきたのは、言わずもがなグレイである。
肩のプラチがトゲを逆立ててみせたのが、首に当たるツンツンとした感触で分かった。大声で叫ばれる前に口を開く。
「まぁ、それが一番丸く収まるんだろうけどな」
「不満なのじゃ?」
「そういうわけじゃない。……本当だからな」
何か言いたげな表情を覗かせたカレンに一言釘を刺し、ため息を押し殺した。
「単純に、その名で人を呼ぶことに慣れていないだけだ。カレンだって、自分の父親をシュトラウスと呼ぶことに違和感くらいあるだろ?」
「もう慣れた」
要するに、最初は違和感があったということだ。
「それじゃあ、私も慣れてみせるよ」
呟き、肩を揺らす。
「プラチも、それでいいよね?」
「……エレカがそう言うなら、反論はしないでやるち」
ふざけた時代、渦中の帝都。
にもかかわらず呼び方一つで頭を悩ませるなんて贅沢が過ぎる。どこまでも気楽に、少し楽しんでみるくらいでちょうどいいだろう。
「なぁ、アーレンハート」
早速呼んでみる。
「どうした、いきなり」
「呼んでみただけだ」
やっぱり慣れないな。
心中で独り言つ私を見て、カレンも変な顔をしている。慣れないのはお互い様か。
「楽しくなりそうなのじゃ」
「まったくだ」
「相変わらずエレカは何も分かってないんだち」
肩から言われる。
そうだろうか?
まぁ、それならそれでいいさ。
納得しないまま考えることやめると、途端に眠気がやってきた。欠伸を零す。視界の端で、ルネが私の真似をしていた。
足元にやってきて我が物顔で寝始める姿に苦笑を零し、私も瞼を閉じる。
しかし睡魔は、ついぞ眠りに誘ってはくれなかった。




