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七十三話 王殺し

 それは、まさしく異形であった。

 魚に似たヒレを帯びた、長く細い尾。

 やはり細長い、ぬるりと冷たい光沢を纏う胴体から、枯れ枝のような足が六本伸びている。

 背には透明な翅まであり、魚類に見えるのは尾と胴体だけだった。

 頭部は平たく広がっていて、その左右に巨大で、かつ無機質な目玉がある。

 しかし、何よりも。

 その平たい頭部の頂点に戴く、第三の目玉が不気味な印象を抱かせた。

 翡翠の複眼だ。

 数十の小さな目が体躯に対しては大きすぎる目玉を構築している。

 どこを見ているのか定かでない複眼を除く、左右の目玉が私たちを見つめていた。

「私は魔眼王。かつて魔王様にお供しておりました……」

 王。

 そう平然と名乗った複眼の持ち主は、けれど驚くほどに小さかった。

 いや、虫や魚にしては大きいと表現すべきか。少なくともプラチには体格で優る。全長一メートル近い、魚の尾を持つ虫だ。直視するのも、許されるなら遠慮したい。

 せめてもの救いは、その翅が羽ばたいてはいないことか。

 翅を持つ存在が羽ばたきもせず浮いている姿には違和感があるものの、あの体躯と翅のサイズでは、仮に羽ばたいていても飛べはすまい。

 王を名乗るからには、相応の力をもって浮遊しているのだろう。

「魔眼王といえば魔王の側近の一人。それが随分と様変わりしたのじゃ?」

「人喰いの神……。あなたこそ……話を聞いていなければ、敵方に寝返ったと勘繰る姿です…………」

 グレイの姿?

 と、ようやく気付く。

 魔王に味方したなら勇者やオールドーズには敵対したはずで、その陣営に与していた妖精王に近いエルフは敵と言っていい存在なのか。

「待ってほしい。私はエルフだが、オールドーズに味方するつもりはない」

「俺もだ。といっても、それくらいの話は伝わっているんだろう?」

 私と、同調したカレンの言葉に、魔眼王は表情のない顔で頷く。

 翡翠の複眼は、いつでもどこを見ているのか判然としない。

「えぇ……聞き及んでおります……、巡礼者禍福の名を…………」

「それで?」

「失礼ながら、試させていただきました……。かつての同胞にも容赦はしない元巡礼者。妖精王に反逆するエルフ。アクタより話は聞いていましたが……、百聞は一見に如かずというではありませんか…………」

 ふわふわと浮きながら、穏やかな物腰で。

 けれども聞きようによっては物騒極まりないことを、然もない風に魔眼王は言う。

「試したというのは、何を?」

「何、というほどのこともありません……。ただ、あなた方の出方を窺わせていただいたに過ぎません…………」

 暗闇に灯る、羽虫か目玉を思わせる淡い明かり。

 この明かりで安心できるかはともかく、最初から灯しておいてくれたなら、あんなに警戒することもなかった。

「まさか私たちが敵対するとでも?」

「いいえ、滅相もありません……。しかし、私は見ての通り……、最早戦えるような身ではありませんゆえ…………。身を潜め……、生き延びるために辺りを窺っていたのです……」

 見ての通り、と言われても。

 ずっと普通の獣な姿をしているプラチですら口から火を吹く。力を分ける前も、私と同じ姿だったなら平凡なエルフに過ぎない。

「今でこそ可愛らしい見てくれだが、魔眼王は実力者揃いの魔眼族をまとめ上げていた猛者じゃ。そう怪訝に見てやるんじゃないのじゃ」

 あるいはプラチとカレンも同じような表情をしていたのだろうか。

 誰に言うでもなく、グレイが肩を竦めながら零した。

 そして何か言いかけた魔眼王を遮って、辺りをぐるりと見回す。

「それより、食料はどこじゃ?」

 相変わらず薄暗い祠の内部。

 目玉めいた明かり以外の何も見えないそこに目を凝らす仕草を見せ、グレイが切り出すのは私も忘れかけていた本題だった。

「魔眼王ともあろう者が魔物に顎で使われている理由も気にはなるが、生憎と儂らはお主と雑談しに来たわけじゃないのじゃ」

「食料は、ここにはありません……」

「なら、どこじゃ?」

 あまりに平然とした言葉に、だからグレイもすぐさま応じたのだろう。

 返される答えがどんなものであるか、想像もしないで。

「あなた方には、帝都まで行っていただきます……」

 絶句する一言。

「ふざけているのじゃ?」

 静かに、けれど表情にはありありと苛立ちを浮かべ、グレイが詰め寄る。

「えぇ……。申し訳ありません……」

「は? え、ふざけてたのか?」

 思わず口を挟んでしまうと、魔眼王の左右の目がこちらを見た。

「いえ、食料がないことは事実です……」

「帝都まで行けというのは?」

「それも事実です……。しかし――」

 不意に言葉を断ち切った魔眼王の、その翡翠の複眼がキラリと煌めく。

 瞬間。

 浮遊する魔眼王の背後に、どこか見覚えのある亀裂が生まれた。

「そこまでの道は、私が作りましょう……。どうぞ、二代目が待つ地へ…………」

 深淵の義眼。

 アクタが右の眼窩に宿していたものとは似て非なる、巨大なそれ。

 まるで横たわる三日月のような――いや、そうか。

 閉じた瞼だ。

 昆虫や魚類の目ではなく、人間の目にある瞼。

「近頃、この辺りを妖精王が嗅ぎ回っています……。一度はアクタが義眼を使ったために……、私の居場所まで露見するところでした…………。あなた方には、リスクを冒していただきたくありません……」

 妖精王、そしてアクタか。

 私たちを強襲する前の段階で、そう遠くないところにいたはずだとはグレイが言っていたけど、裏にはそういう事情があったらしい。

「しかし、それができるなら先にそう言ってくれれば――」

「できるはずないち」

 安堵からか弛緩したカレンの声を、プラチが遮った。

「ここから帝都まで、直線距離でどれだけあるんだち? 私たち全員が通れる道を作るなど、たとえ神でも易々できることじゃないち。それを民なき王にできるとは、到底……」

「無論、この身と引き換えに……」

「それは道理が通らんち。貴様は、それほどまでに二代目とやらを想うんだち? それとも魔王への忠誠が――」

「飽いたのですよ……。単純な話じゃありませんか…………」

 小さき神と王が、聞きようによっては可愛らしい声で残酷なことを言い合っている。

 不可能を可能にする、捨て身の行動。

 その根源にあるのが忠誠心や憎悪ではなく、ただの。

「私の一族は滅びました……。しかし私は敗者……、魔眼の一族は戦いの末に滅んだのです…………。一族に顔向けはできませんが……、これでルージュを恨むのはお門違いというものでしょう……?」

「だったら、どうして二代目に肩入れするち」

「魔王様への恩返しと……、あとは先ほど言った通りです……。私は飽いてしまった……。私の一族がいない、この世に……。しかし意味なく命を捨てるなど……、彼らは許してくれないでしょう…………」

 民のいない世界に飽きてしまう。

 共感はできないけど、幸か不幸か想像はできた。森の誰一人としていなくなり、何をやっても自分一人なのだと知ってしまえば、何をするのも億劫になるのだろうか。

 首を振り、巡る思いを払い除ける。

 魔眼王の言葉は終わっていなかった。

「嬉しいことに、二代目が求めた到達者には勇者の素質があるようです……。私が死した後も、幾許かは道が開いたままになるでしょう……」

 勇者の素質。

 それが何かは分からないが、カレンのことを話しているのだと理解はできた。

「私を殺しなさい……、到達者。そうすればあなたは、世界に己が力を示すことができる……」

「無抵抗の死にたがりを殺すことが力だと?」

 唾棄するカレンに、しかし魔眼王は相変わらずの穏やかな声を返す。

「これでも王ですので……。そして王殺し、神殺しは何よりの称号なのですよ……。凡百の到達者とは違うのだと……、世界に示すことができるでしょう…………」

「示して、何をしろと?」

「申し訳ありませんが、問答に費やす時間はないのですよ……。お互いに……、ですよね?」

 無機質な複眼が、それでも笑ったように見えたのは穿ちすぎだろうか。

 思わずといった調子で黙ってしまったカレンに対し、魔眼王は無機質な視線を送り続けていた。

「元は巡礼者だというなら、勇者が何者であるかは聞いているはずです……」

「どこまで真実かは分からんがな」

「ルージュが伝えたがる勇者像など想像できますよ……。先の勇者を勇者たらしめたのは……、他ならぬオール・ルージュ・オールドーズなのですから…………」

 勇者とは一体なんだったか。

 女神の寵愛を受けた人間とか、そういう話だったはずだ。ただ、それはあくまでオールドーズが広めた話に過ぎない。

 神だ王だと当たり前に語られる中、勇者とはなんなのか。

 女神オール・ルージュ・オールドーズに限らず、神か王に支援された到達者、ということでいいのだろうか。だとすれば確かに、カレンは素質がある。なにせプラチとグレイ、二人も味方してくれる神がいるのだから。

 もっとも、片方は私でもあるんだけど。

 その私だってカレンの味方だ。それで素質があるというなら、否定はしない。

「苦労しますよ……、勇者というものはね…………」

「分からんな」

「でしたら、言葉を変えましょうか……」

 魔眼王の声が笑っている……かに聞こえるのも、やはり思い過ごしなのだろうか。

 虫と魚を足したような姿にこう思うのも変な感じだが、話すほどに人間味を抱かせる存在だった。彼と呼ぶべきか、彼女と呼ぶべきかも定かじゃない。魔眼王は、ただ魔眼王だった。

 そして、己を殺せと言う。

「敵がいるのです……。あなたの前に……、あなたが願う神の前に……。戦うための力を、力を得るための足掛かりを、私なら与えられます……」

 王殺しの称号。

 それがどんなものであるか、本当に意味があるのか知る術はない。

 しかしカレンは、じっと魔眼王を見据えたまま、その声に耳を傾けていた。

「到達者であり、勇者候補であるあなたに、選択肢があるのですか……?」

「だから殺せ、と?」

「利害の一致というものです……。感傷は劇毒でしかありません……。かの魔王でさえ、その毒には勝てなかったのですから…………」

「魔王が何者であるかは知らん。……だが、分かった」

 カレンが呟く。

 珍しく、消え入るような声だった。

「引導を渡せというなら、渡してやる。情けではなく、ただ俺のために」

「聞いていた通り、あなたは勇者になるべき人です……」

「それを決めるのは、貴様でも俺でもない」

「えぇ……」

 勇者。

 魔王を打ち倒した人間。

 その素質があり、なるべきとまで言われるのか。

「剣を貸そう。グレイとプラチの力が込められた剣だが、それでも大丈夫か?」

 前半をカレンに、後半を魔眼王に向けた。

 カレンの腕力と握力なら素手でもやれそうだが、それは双方に嬉しくない感覚を味わわせることになるだろう。

 当の本人たちが承知していないはずもなく、否で返されることはなかった。

 腰から、鞘を外す。

 手渡せば、カレンは二、三振っただけで重心を掴んだようだった。

「エレカ、竜馬どもを迎えに行ってこい」

 カレンが言う。

 どうして今、とも思ったが、全てを見届けてからルネたちを迎えに祠の外まで行くのは時間が許してくれないかもしれない。

 だから当然の判断で、私たちの誰がその役目を担うかといえば私しかいないのも分かる。

 しかし……。

 露骨な、隠す気もない意図を裏に感じてしまって嫌になる。カレンが、じゃない。私がだ。自分のことが嫌になる。

 オットーや緋色、私が殺しを快く思わないことくらいカレンは先刻承知だ。

 いや、誰だって好き好んで手を汚すことはないだろう。

 それでも決断しなければいけない時、分かっていても逃げる者はいるはずだ。それが私であり、それは今この場には邪魔な存在に違いない。

「すまない」

「気にするな」

 頭を下げ、背を向ける。

 背後から笑い声が聞こえた気がした。おかしな話だ。これから殺されようとしている者の声だった。

「あなたには、やはり勇者の素質があるようで……」

「黙れ。そういう話をしてるんじゃない」

 どこか気心知れたようにも聞こえる二人の声。

 ――けれども。

 外に待たせていたルネたちを連れ、再び足を踏み入れた祠に。

 あの視界を覆い尽くした闇も、目玉めいた明かりも残されてはいなかった。

 ただ見知った二つの顔と、そして見開かれた巨大な瞳だけが、私たちを待っていた。

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