七十一話 そして旅は続く
それからの旅は順調だった。
ただし平穏とは言い難い。そもそも旅が平穏から程遠いところにあるものだし、私の左肩の傷が尾を引いてしまった事情もある。
治癒の魔法とて万能ではない。
特に自分を癒やすのは難しいのだ。傷付いた自分を癒やすために自分自身のマナを使うのだから、他者にかけるより効果が薄れたり疲労が増したりは避けられない。
傷の痛みもあって何度か熱を出し、その度に足を止めることにもなった。
それでも順調と言えたのは、王だの神だのに再び襲われずに済んだ、その一点に尽きる。
妖精王が現れた時、辺りには草花が生い茂った。
グレイ曰く、あれは妖精王が現れたから草花が生えたのではなく、逆に仮初ながら己の領土とすることで妖精王が力を存分に発揮させたのだとか。
力技と言っていい強引な手段で、そう何度もできることではないし、再びやるにしても次もまた私たちの位置を正確に把握する必要がある。あの時は緋色からの報告があったか、アクタが使った深淵の義眼の痕跡を頼りにしたか、というのがグレイの判断だった。
前者だとすれば私の招いた事態に等しく、後者だとしても便利に思えた力の更なる枷が垣間見えた形となる。
どちらにせよ、課題は山積みだ。
食料の問題もある。
というか、それが何よりの課題だった。
遂に餌を節約するため、ルネたちに狩りを許可する羽目になった。慎重に慎重を重ねてなお十分なんて言えない現状だが、慎重さで腹が膨れることはない。
とはいえ、ルネたちにも息抜きは必要だ。
それで実益を兼ねた狩りを許可したが、結果はどうだったか。
まぁ、悪くはない。
餌の消費量は目に見えて減ったし、何故かプラチと仲が悪かったルネも少しは懐く仕草を見せるようになった。……のはいいんだけど、献上品のつもりか有効の印か、ともあれ狩りで仕留めた獲物をプラチに持ってきたことで一悶着あったのも事実だ。
食料問題はルネたちだけでなく、私たちにも伸し掛かっている。
カレンは残りの食料から一食分を厳密に分けてみせたが、それは私とカレン、そして緋色の三人で旅をしていた頃の計算だ。緋色がそのままグレイに置き換わるまではよかったものの、問題はプラチである。
身体は小さく、されど日々消費するエネルギーは未知数。
ひとまず一心同体ならぬ二身同体の私の分を分けて計算の帳尻を合わせていたが、やはり不安は募るばかりだった。
そこに降って湧いたのがルネからの献上品だ。
プラチは制止する私の言葉を聞き入れず、何か意を決した顔でルネからの、些か形容し難い姿に成り果てた献上品を口にした。
そして三日ほど、黙り込んだ。
毒になる何かが入っていたわけではないらしいが、その気持ちを想像できないではない。
私もあれを食べたなら、何か大切なものを失った気がして数日は気が滅入るだろう。
三日目の夜、見かねたカレンが私にと言って自身の食料を分けてくれた。その私はプラチと食料を分け合っている。遠回しにプラチに分けたのは一目瞭然だ。
それを受け取ったプラチが、ようやく「ん」とだけ声を漏らし、二人の間にあった微妙な距離感も少しは狭まった気がする。
などと、懐かしく振り返ってみたところで。
いったい何度、減りゆく食料から必死に目を逸らしながら夜を明かしただろう。
遂にカレンが安堵の滲む声を上げたのは、月の形が変わっていくのをこの目で感じ取れるようになった頃のことだ。
「どうやら、進む方角を間違えていたわけではなさそうだ」
出し抜けに零された言葉の意味を、すぐに理解できた者はいなかった。
さりとて頭で考えるより早く全身に染み渡って、おぉと我知らず声を上げてしまう。それほどまでに安堵させられる報せだったのだ。
「見えてきたのかっ?」
「見えては、まだいないが、急げば今日中には着くだろう」
自らの言葉を咀嚼するように思案顔で応じるカレンは、今しがた周辺の調査から帰ってきたところだ。
一昨日の夜から日ごとにお供を変えつつ、地形やら何やらを調べていたカレン。
妖精王の時のように孤立したところを襲われる危険はあったが、全員でぞろぞろ出ていっては野営の支度ができないし、人数が多いために見落とすこともある。特に帝国に縁のある土地を目指すなら、私やグレイは邪魔でしかない。
それで不安やら申し訳なさを抱えながら待つ夜が続いたが、お陰で成果が出た。
満月が輝く夜だ。
夜闇は薄く、私たちの目がなくとも夜通し歩くのは難しくない。
「どうするのじゃ? 先を急ぐのじゃ?」
同じ判断を下したらしいグレイの問い。
それにカレンは首を横に振った。
「それくらいの距離、というだけだ。今から行ってどうする? 野営の支度を無駄にするだけだ」
言葉の通り、カレンが辺りを見に行っている間、私たちは代わりに寝床や食事場の準備をしていた。
といっても大したものではないが、片付けるにも時間はかかる。
グレイとて本気で訊ねていたはずもなく、異論は誰からも出なかった。
私たちの決定を気配で察したのか、ルネも欠伸を零す。最近は狩りも始め、ただ走り続けるよりも運動量や考えることは増えただろう。
獣には無茶な相談かもしれないが、夜はぐっすり寝てほしい。
私も寝る。
ようやく明るい夜に慣れ、夜は寝るものだと身体が思い出してきた。
味など度外視の保存と腹持ちだけはいい食事を済ませ、寝支度をする。もそもそとルネがやってきた。丸くなってすぐに寝息を立てる彼を有り難く枕にさせてもらうと、すぐ横でプラチも寝始める。
私の寝付きは、そんなに良くない。
けれど優しげなカレンの眼差しを見つけてしまって、なんだか居心地が悪く瞼を閉じた。
眠くはなかったはずなのに、意識はすとんと落ちていく。
山も木もない荒野の夜は短い。
山々は空を切り取り、木々は頭上を覆う。その分だけ夜は長くなるのだ。
旅をしていて、寒いのとはまた違う、冷たい夜を知った。
荒野の夜はそれだ。
大地の熱は日が沈むとすぐに空へと逃げていき、遮るもののない風が悠々と闊歩する。
浅い角度の陽光が空と地とを薄く照らし、短い夜が明けた。
慣れた朝の支度を手早く済ませ、空が朝と呼べるほどに明るくなる頃には竜馬に跨る。しかし、そう速くは走らせなかった。
身を起こしたまま、足と体幹でバランスを保つ。
速度と視野、どちらが身を守るかは時と場合によるが、今は視野を広く持とうというわけだ。
昨夜のカレンの話からして、そこまで急ぐ必要はない。それよりも帝国に縁のある土地だけに、待ち伏せじゃないが万が一に備えておいた方がいいと誰ともなく結論していた。
とはいえ、ゆったり走るのも考えものだ。
そよ風に揺れる枯れ草がちらちらと目に映り、その度に物悲しさを抱かせる。
森の外がこんなにも荒廃した土地ばかり、なんてことはないだろう。近くに村落がないのだから元々豊かとも言えない土地だったのだろうが、時代の影響も大きいはずだ。
命の源でもあったマナが吸い上げられ、代わりにマナを与えられた神や王が戦争をする。
理不尽な摂理だ。
その渦中に、望むと望まざるとにかかわらず身を投じるしかない私たち。
まったく……。
舌を噛む心配もない速度ゆえ、愚痴を零しそうになる。どうにか堪え、ため息も押し殺したが、私と一緒にルネの背に乗るプラチには隠せない。
短い足と、ちょこんとした小さな指で、どうやって踏ん張っているのやら。
まだしも私が前傾姿勢になり、お腹の下にすっぽり収まっている方が楽そうな体勢のプラチが不安げにちらりと視線を送ってくる。大丈夫だと軽やかなため息で返し、ついでに頭を撫でておいた。
いっそこうして、ずっと押さえておいてあげた方がいいだろうか。
しかし、それはそれで私が疲れるんだよなぁ。荷物じゃあるまいし、あんまり強く押さえてもいけないわけで。
……なんて、そんなことを考えていたお陰で気も紛れていたらしい。
気付けば太陽が高いところに輝いていて、見やった前方に驚きを見つける。
「草原か? いや、だが……」
一目見た時は、ただ土の色が濃くなっているとしか思えなかった。
それが近付くにつれ、緑色を帯びていく。ただし草花の色ではない。陽の光に照らされ輝いていた緑は、隔たる距離がなくなり姿が明瞭になるほど、その鮮やかさを失っていく。
やがて竜馬たちが足を踏み入れる頃になって、ようやく正体を知った。
深い深い緑の絨毯。
苔だ。
碧い色さえも孕んだ瑞々しい苔が一面を覆い尽くし、ここまで続いてきた荒野を途切れさせている。
「竜馬を降りるぞ。ここからは徒歩だ」
先導していたカレンが言い、減速し始めたリューオの背から飛び降りる。
ルネやフシュカも遅れて速度を落とし、私とグレイもそれぞれ自分たちの足で苔の大地を踏み締めた。ふんわりと、しっとりの中間。森に流れる川の近くにも苔が生い茂る場所はあったが、これほどではなかった。
プラチも興味があるのか、ルネの背から軽やかに跳んで地面に着地する。
ふかふかのそこを、ぺたぺたと歩き回ってから顔を上げた。どこか悔しそう。分かる。森よりも豊かな緑には、嫉妬とも似て非なる複雑な感情を掻き立てられるのだ。
腰を屈めて手を伸ばし、肩への道を作ってやりながら顔だけをカレンに向ける。
「これは?」
一から十まで言葉にする必要はないだろう。
打てば響くとはこのことで、カレンは間を置かず口を開いた。
「帝国の黎明期を支えた水脈……というか、それを掘り出した人工の湖だ。水脈が細ってからは湖とも呼べなくなったが、帝国の歴史を語る上では欠かせないものになっている」
かつての湖。
そう言われても、俄には信じ難かった。
「苔むした平原にしか見えないが」
「もう少し行けば掘り返した斜面が見えてくる。水源としては使われなくなって久しいが、代わりに大帝の偉業を称えるために大昔に建てられた祠があるんだ。アクタとの約束の場所だよ」
「偉業……?」
「大した話じゃない。いつの時代にも大なり小なり水不足はあって、飢饉は決まって国の屋台骨を揺るがす」
兎にも角にも、帝国にとっては過去の遺物というわけか。
人目を忍びつつも互いに分かりやすい目印となれば、確かに便利なのかもしれない。
しかし問題は――
「この苔だ、湿気はすごそうだな」
「言われてみれば、そうか。ここはまだいいが、湖底に下りたらどうなるかな」
まさか考えていなかったのか?
呆れそうになる私をよそに、まぁ行けば分かるだろ、とカレンは歩き出してしまう。
それならグレイはどうかと視線をやれば。
「腐った肉など食べたくはないのじゃ」
「なら狩りたてホヤホヤの肉なら食べるち?」
「……遠慮するのじゃ。幸い、餓えには強いのじゃ」
「なら明日から一食減らせ。その分をエレカに分けるち」
などと、プラチまで一緒になって言い合っている始末である。
思い詰めるよりはマシ、と前向きに捉えておくべきなのだろうか。けれども気を抜けば、痛くもない頭に手をやってしまいそうだった。
ため息をつく。
前を行くカレンの背中を追って踏み出すと、ルネたちも遅れまいと苔の大地を踏み締める。
心地良いのか、あるいは反対に気持ち悪いのか。ぞわぞわと短い毛を波立たせながらも確かめるような足取りで追い掛けてくる姿が、ほんの少し私の心を慰めてくれた。
彼らに、そんなつもりはないのだろうけれど。




