六十九話 理への反逆
イスネアより、やや西寄りに北上した先。
帝都とを結ぶ直線上からは少し逸れた場所に、曰く祠があるのだという。
『お恥ずかしながら、義眼の力をもってしても自分では皆様を帝都までお連れすることはできません。お嬢様一人を先にお連れするか、道中にて物資の補給をさせていただくか』
それはアクタの言葉であり、後者だと即答したのがカレンである。
まぁカレンに限らず、その二択なら迷わなかっただろう。アクタをどこまで信用していいのかは分からないままだ。仲間を孤立させるか、補給の口約束をするかと問われれば、迷う余地はあるまい。
そしてアクタが補給地点に指定したのが、道中にある祠だった。
その存在は、遠い記憶を手繰り寄せるような口振りではあったものの、カレンも知るところらしい。
なんでも帝国に縁のある場所なんだとか。
『足を運んだことはないが、話には聞かされて育った。だから当然、父なら知っている』
とはカレンの言。
魔王の側に付いたというシュトラウス家当主の入れ知恵なのか、アクタ自身がなんらかの条件から割り出したのか。どちらにせよ、食料が持ちそうな距離だというカレンの判断もあって、合流地点はそこに決まった。
話がまとまると、アクタはすぐに『義眼』の力で姿を消してしまった。
あの虚空に亀裂を生む力だ。
相変わらずの常識とかけ離れた力。正体を知っているらしいグレイに話を聞きたくはあったが、同じく何も知らないであろうカレンが先を急ぐべきだと言って、ひとまずイスネアを出ることになった。
実際問題、旅は進まずとも時間が進めば腹は減る。
確かなことなど何もなく、祠まで順調に辿り着けるかも分からないのだから、日の高いうちから無駄話に興じるのは……それこそ無駄というものだ。そんな贅沢を許された状況ではない。
ゆえに一路、北へ。
そうは言っても一日二日で辿り着ける距離ではない。
夜になれば足を止め、野営の支度を済ませて朝を待つ。夜は冷えた。そのせいで眠りも浅かったのか、焚き火の爆ぜる音で目が覚める。
辺りは暗い。
なのに視界は、やけに通る。
相変わらずの奇妙な夜だ。
見上げた夜空の輝きから、生木特有の不安定で煙臭い炎に視線を移す。
光量が十分とは言えない。夜は夜だ。
それなのに……。
「いや」
首を振って、腰を上げる。
不自然な姿勢で寝ていたせいで、あちこちの関節が音を立てた。枕代わりになってくれていたルネが首を持ち上げ、半分も開いていない目で見てくる。なんでもない、と手を振ってみるも、却って居心地が悪そうになる。
と思ったが、違うのか。
ルネの奥、寄り添って寝ていたフシュカとの間から白い塊が這い出てくる。
「ちちち……」
しなやかで柔らかいトゲが引っ掛かることはないだろうから、単純に窮屈だったのだろう。二頭の間から精一杯の力で這い出てきたプラチは、ルネとは対照的の冴えた目で私を見上げてきた。
「悪い、起こしたか?」
「ここは暑いんだち」
ぶるりと身を震わせ、夜風を浴びてみせる。
いくら体毛が短いとはいえ、獣の体温に包まれていたのだ。というかプラチ自身、かなり体温が高い。そりゃあ暑くもなるだろう。
「どこか行くち?」
「そう遠くまでは。心配しなくていいよ」
「心配はしてないんだち」
言いながら、トトトと寄ってくるプラチ。
手を伸ばしてやると、ルネの脇腹の辺りからトンッと軽やかに跳んできた。ルネが迷惑そうに尻尾を動かす。眠気とは違う意味での半眼も覗かせたが、プラチは気にしないどころか気付いてもいない。
視線で詫びて、伝わったかどうか。また目を閉じて寝始めたルネを一瞥し、プラチを抱きかかえる。
「どこに行くち?」
「どの辺りがよさそうかな」
「……エレカ、身体が凝ってるな? 少し歩いた方がいいんだち」
そこまで分かるのか。
私の窮屈そうな動きから察したのかもしれない。
じゃあ、と言葉に甘えて焚き火から離れる。夜風は涼しいと言うには少し冷たすぎたが、プラチを抱いている分にはちょうどいい。
しばし二人で……というか、私が歩いてプラチは腕の中、夜風を堪能した。
その沈黙が出し抜けに破られたのは、焚き火の熱が恋しくなってきた頃のことだ。
「エレカには悪いことをしたち」
「緋色のことか?」
「あれはエレカが悪いんだち」
にべもない。
「私が言っているのは、その身体のことだち」
「身体……。だとしたら私こそ、きっと謝るべきなんだろう」
そして、それ以上にお礼を言うべきなのだ。
私が私でいられる理由。そこにプラチがいるのだから。
「まだ寒くないち?」
唐突な言葉に、返すべき答えは知っている。
「寒くはない。それに、話すなら離れておいた方がいい」
「無理はしてほしくないち」
「分かってる。……だから」
だから、なんなんだろう。
探したけど見つからず、肩を竦めるしかなかった。
抱えたプラチが必然、上下する。
それが合図になったわけでもないだろうが、腕の中でもう一人の私が口を開いた。
「あのアクタとかいう魔物、確かにメイディーイルで戦った奴の仲間だち」
そうなのか。
私の記憶にはほとんど残されていない魔物だけど、その分だけプラチが知っていることは多い。
「深淵の義眼も本物ち。あれは空間を歪ませ、世界中を自在に繋げる秘宝。魔王がどう使ったかまでは私の知るところではないちが、物理的な距離を無視できる力の重みは……旅をしてきたエレカには痛いほど分かるはずだち」
「あぁ」
離れた土地にひとっ飛びできるなら、旅という概念が消え失せる。
だからアクタが帝都まで連れていってくれたら、と思わずにはいられない。できないものを望むわけにもいかないが。
「どんな力も有限ち。義眼は世界に穴を空ける度、莫大なマナを消費するはずなんだち。それこそ私たち全員が通れる穴を作ろうと思ったら、あの魔物の存在自体が消滅してもなお足りぬほどのマナが必要になるち」
「言っておくが、無い物ねだりをする気はないからな」
「分かってるち。私がしたいのはそんな話じゃないち」
なら、どんな話を?
私が首を傾げたのは見えなかったはずだが、プラチは頷くような仕草を見せてから言葉を続ける。
それは、しかし唐突なものだった。
「今のエレカには、世界の輝きは見えるち?」
抽象的で、言ってしまえば詩的なまでのそれ。
すぐには意味を汲み取れず、我知らず星々輝く夜空を見上げてしまった。そして思い出す。
「あ……。もしかして夜なのに明るい――わけじゃないんだけど、視界がよく通ることと関係があるのか?」
「あぁ、やはりそうか……」
神妙に呻くプラチ。
そこに抱いた違和感は、恐らく間違いではない。けれどすぐに霧散し、頭は別のことを考え始める。
プラチの、その声音の理由。
「本当は全てを引き受けるつもりだったんだち。それでエレカが笑えるなら迷う理由はなかったち。けれど……グレイは私たちを姉妹と言ったが、どこまでも私たちは、私たちでしかない」
私たちは、等しく一つの私。
「産めよ殖やせよが人への至上命令なら、戦え減らせが神と王への至上命令。最後の一人になるまで戦い続けるために、世界は私たちに五感以上の感覚を与えるち」
「それが夜でも明るく見える理由?」
「そう。今の私を見るがいいち。こんなナリでも消滅せずにエレカと話せているのも、世界が私を神の一人と認め、戦うための力を授けている証なんだち」
世界、世界と当たり前に語るプラチ。
しかし世界とは、そんな恣意的なものだっただろうか。
なんだか違う世界に放り出されたかのような異物感と同時に、そういうものかと知らず納得してしまいそうになる自分も見つける。
自分の中に、自分ではない何かがある感覚。
「できるなら何一つ残したくはなかったち。怒りも、憎しみも、あるいは力でさえも」
後悔の滲む声音に、一体なんと返せばいいのか。
言葉を探す私を知ってか知らでか……いや、きっと察した上で気付かぬ振りをしてくれたのだろう。
「それでも残してしまったなら、伝え聞かせるが姉の役目ち」
姉?
思わず問い返しそうになったその時、けれど衝撃が疑問を掻っ攫う。
「妖精王の裏切りの顛末、そして私たちの森の――」
プラチの声と時を同じく、一筋の風が吹いた。
暖かい風。
郷愁を誘うそれは頬を撫で、視界を埋め尽くす。
光だ。
鮮やかな新芽の輝き。
ついぞ見ることなく失ってしまった、森の息吹。
夜の荒野に、命が芽吹く。
目を、心を奪われ、――しかし。
「下がれ、エレカっ!」
臓腑を掴んで離さぬ激情が、理由なき怒りが目を見開かせる。
暖かな光に包まれ、辺り一面に花畑を生み出しながら、それは遂に顕現した。
「エレカ・プラチナム・アーレンハート。我の森に火を放った不届き者め」
二対の足。
筋骨隆々とした肉体。
両手に握るは、長大な直剣と円錐槍。
栃の実を思わせる鳶色の眼差しが私たちを睨み、細められた。
上背で三メートルを超すであろう、半人半馬の男。
それが何者であるかは、問うまでもなかった。
「今更森を想って吠えるか! 裏切りの王が!」
「喋るネズミ……? だが、そのマナの輝き――」
叫び合う双方。
神と王が、相見えたのだ。
「お前こそがプラチナムか!」
「堕落した王に名乗る名などないッ!」




