六十八話 いつか交わした言葉の通りに
漆黒の翼。
すらりとした佇まいに、やはり漆黒の長い髪。
微笑を浮かべながらも冷たい印象を抱かせる表情には、異質なものも同時に感じる。
当然だろう。
彼女の瞳は左が蒼く、右は黒かった。特に右目は、まだしも艶のある翼や髪と違って、一切の光を感じさせない闇そのもの。
左右で色が違うことも珍しいが、その昏い眼差しが何より異質なものを抱かせた。
そして、何より。
「いえ、ですから自分のことは構わず。どうぞ、先にそちらの用件をお済ませください」
場違いに慇懃な物腰が理解不能な気持ち悪さを腹の底に巣食わせ、そう言ってくれるなら……などと注意を逸らすわけにいかなかった。
威嚇していたルネでさえ戸惑いを見せ始めている。佇まいに敵意はないが、今ここに現れるだけで警戒するには十分だ。しかも突如として、何もないところに刻まれた亀裂から出てきたのだから尚更だろう。
呆気に取られていなければ、カレンかグレイが飛び掛かっていそうなものだ。
「構うなと言われ、構わずにおけるほど真っ当な存在か?」
そのカレンが吐き捨てるように問うた。
対する彼女は、可愛らしくこてんと小首を傾げて応じる。
「おやおや、自分ごときにそこまで警戒していただけるとは。巡礼者禍福の名は伊達ではありませんか」
「その名は捨てた。貴様に言うのも的外れだが、何度も言わせるな」
「なんと。それは素晴らしい。今代の勇者となるべきお方に、巡礼者の肩書は似合いませんからね」
平然と返された言葉に、カレンであっても沈黙してしまう。
勇者。
かつて魔王を倒した存在に並ぶと、まさに今、魔王の復活を知らされたところへ告げるか。
「……お前、何者だ?」
我知らず口を開いていた。
その時になって初めて彼女は私を認め、不可解そうに首を傾げる。
「あなたは? ……いえ、答えなくて構いません。話は順番に進めるべきです。でなければややこしくなって適いませんからね。そうじゃありませんか?」
至極真っ当なことを、闖入者その人が口にする違和感。
「ですから、まずはそちらの用事を済ませてくださいな。自分とて用もなく参ったわけではありませんし、手ぶらで帰っては主人に叱られてしまいます」
「お主に主人がいるのじゃ?」
「えぇ。そちらは……姿は変わっているようですが、グレー様とお見受けします。でしたら自分の右目を見ていただければ、お分かりいただけるでしょう」
闇を宿したがごとき右目。
やはりそれには特別の意味があるのかと、思わずグレイの顔を見やってしまう。
そして、苦渋の表情を見つけた。
「話は終わりじゃ」
「なっ……どうしてですっ!? 確かに協力はできませんでしたが、ともにルージュを敵として戦った――」
「違うのじゃ、お主じゃないのじゃ。そこの、ほれ、ルージュの手先が見えるのじゃ? 今まさに、そいつを殺すか逃がすか議論していたところなのじゃ」
「殺すべきでは? どこに議論の余地が?」
自身の言葉を遮ったグレイの声に、寒気を走らせるほどに冷たい声音で即答する有翼の彼女。
どいつもこいつも気が早くて困るが、そこまで反応する理由は先の半ばで断ち切られた言葉だけでも十分すぎた。
「そこのエルフじゃ。そいつが一度は見逃すべきだと」
「情けはいけません。魔王様もその優しさが泣き所となって敗れたのです」
ルージュ――、オールドーズの女神に敵対し、魔王を様付けする存在。
それには思い当たる節があった。
「お前、もしかして魔物か? メイディーイルを襲ったやつと同じ……」
見た目は全く違う。
だが異質さでいえば、まだしも近い気がした。
「チリを……同僚を倒したのは、やはりあなた方でしたか。シュトラウス氏が苦い顔をしたのも頷けます」
次から、次へと。
あれが同僚であり、裏にカレンの父でもある公爵家の当主がいるとまで。
「しかし、ここまで話を進ませてしまっては、自分とて名乗らないわけにはいきませんか」
「前後させて悪いが、そっちの方がむしろスムーズだろうな」
「でしたら不肖アクタ、皆様の前で名乗りを上げ……、上げ…………しまったッ。申し訳ございません、間違えて名乗ってしまいました……!」
何を言ってるんだ、こいつ。
きっと緋色まで含めた全員がぽかんと頭を真っ白にしたことだろう。
「これだから自分はいけないんです。大切なところで失敗し、大切じゃないところでは役にも立たないと、いつも主人から言われていますのに……。しかし、ここで失敗したままでは終われません。皆様に代わって、そこの不届き者を」
「どさくさ紛れに殺したら、私が貴様の主人ごと噛み殺してやるんだち?」
「失礼。怒りを抑えきれませんでした」
何がなんだか……。
怒るべきか、呆れるべきか、はたまた黙って勝手に話が収まるのを待つべきか。
心の中で精一杯、悩んでみる振りをした。
無理だった。
だって、そうだろう?
プラチは一応味方してくれたが、カレンやグレイと同様、緋色を見逃すことには反対していた。そこに怒りを抑えきれないとかで殺そうとする変な女……いや、魔物の女まで出てきてしまえば、成り行きに任せることもできない。
私が声を上げ、収拾を付けるしかないのだ。
「魔物の女」
「恐れながら、アクタと申します」
「それならアクタ、お前の上にいるのは本当に魔王なのか?」
「やはりお耳が早い。いえ、それよりそこの巡礼者が入れ知恵したと……」
「言っておくが、メイディーイルを襲ったのと同程度の力なら私たちの相手にならないぞ。話を進めた方が賢明じゃないか?」
本当に魔王の配下だというなら、敵対的な態度は取るべきじゃないのだろう。
だが一方で、ただただ腰を低く接すればいいというものでもないはずだ。
力関係も何も分からないとはいえ、私の身体を操っていたプラチが圧倒できた相手なら、グレイもいる今ここで遅れを取るとは思えない。強気に出て話を有利に運べるなら、それが一番だ。
「誤解を招いてしまったなら申し訳ございません。自分にも主人にも、あなた方と敵対する意図はありません。自分は主人の遣いとして、お嬢様をお迎えに上がったまで」
「お嬢様というのが、カレンか?」
「はい。既に名乗られてはいないという話でしたが、シュトラウス氏のご令嬢は禍福の名で巡礼の旅をしていると。しかし世界では、再び動乱の時代が幕を上げました。ゆえにお嬢様を保護し、帝都へとお連れすること。それが自分に課せられた役目なのです」
話に矛盾はない。
女……アクタ自身の言葉もそうだし、緋色から伝えられた話とも辻褄は合う。
「それはなんだ、父が――」
「待ってくれカレン、少し任せてくれ」
反射的に声を上げたカレンを制し、じろりと睨まれながらも視線の圧が弱まるのを待って言葉を再開する。
「お前の用件は分かった。だが質問に答えてないな」
「自分の主が魔王様かどうか、ということですね?」
明確な言葉。
それが既に答えかに思われたが、しかし。
「えぇ。不肖アクタが仕えるのは魔王様であります。新しき魔王。それが自分が主人と仰ぐお方」
魔王は、やはり復活しているのか。
勇者に倒されたはずの、最強の王が。
「信じ難い話だが、あの右目は正真正銘、魔王が手にしていた秘宝なのじゃ。深淵の義眼。そうなのじゃ?」
「えぇ。この服装とともに魔王様より預けられた、大切なものです」
服、と言われてようやく気付いた。
そういえば、そうだ。アクタは服を着ている。あのメイディーイルを襲った魔物、確か先ほど、チリと呼んでいたか? 名だとすれば不思議な響きだが、ともあれ、あの時の魔物は服など着ていなかった。
そして男も女もない姿をしていたのに、今そこに立つアクタは見るからに女で、服装も女のそれ。上背は私よりもあるが、胸の膨らみは詰め物をしていない限り、女と見間違えようがない。
「恐れながら、これ以上のことは話せません。そこにいる巡礼者の口を封じて構わないのであれば――」
「いや、十分だ」
「そうですか……」
どこまで殺したいんだ、こいつは。
「でも聖女の錫杖ですよ? 殺せる時に殺して、奪える時に奪っといた方が絶対いいですって」
「急に馴れ馴れしくなるな。ダメなものはダメだ。あと緋色――」
血の気が多い連中をいつまで引き止めておけるか不安になってきた。
声に続けて視線も投げかけ、未だ膝を付いたままの彼女を見下ろす。
「こんな折角だから、みたいな感じで殺されたくなかったら、さっさと支部でもメイディーイルでも逃げ込んでおけ」
「お主もどさくさ紛れに自分の意見押し通すのじゃ?」
「異論があるのは承知している。尤もだとも承知している。だが、だからこそ無理を通させてほしい」
横槍を入れてきたグレイに、視線は返さずに声だけ投げる。
他の二人にも、同時に話しているつもりだった。
「このままじゃダメなんだよ、私は、きっと。森が苦境に陥って初めて声を上げ、追放されたからと旅を始め、カレンに助けられて旅を続け、帰ったはずの森から逃げ出すようにここまで戻ってきた。このまま流されていくだけじゃ、ダメなんだ」
それは正解ではないかもしれない。
だけど、今までどこに正解が転がっていた?
待っていても正解が転がり込んでくることなんて、きっとあるはずがない。だから間違っていようと、自分で選んでいくしかないのだ。
正しいと、そうしたいと思える道を。
「少なくとも今ここで緋色を手に掛けたら、私は後悔する。次にまた会った時、そこで緋色が敵として私たちの前に立ち塞がっても、きっと後悔するだろう。だから、その時は」
緋色を見据える。
緋色も、私を見据えていた。
「その時にこそ、情けも甘えも斬り捨てられる」
「……ッ」
「二度と顔を見せないでくれ。それが唯一の、私から投げかけられる願いだ」
無理を通す。
それはすなわち、周りに無理を呑ませるということだ。
プラチにもグレイにも、今となってはカレンにも緋色に思うところはあるだろう。その思いを私の勝手で退けるのだ。
喉の奥で変な音が鳴りそうになる。
地面に手をつき立ち上がろうとする緋色を、誰かが攻撃しないとも限らない。それを止めるだけの実力が私にはなかった。
私はただ我儘を言っているだけ。
無力感は、恥ずかしさよりも悔しさを呼ぶ。
「エレカさん、あなたは……」
「無駄口を叩くな」
何を言おうと、無駄なのだ。互いに。
緋色は味方だった。頼れるし、話せば楽しいやつだった。相容れない部分はあっても、……いや、そうだな。最初から相容れない私たちだった。
緋の錫杖を手にしたまま、私たちに背を向ける彼女。
その拳は震え、足取りは乱れていた。
カレン一人でも緋色にとっては荷が重いはずだ。それに加えて私や、剣を一瞬で生成してみせたグレイ、挙げ句に正体不明ながら魔物を自称するアクタまでいる。正対していても太刀打ちできない相手に背を向けるほど、屈辱的な恐怖もないだろう。
「お優しいのですね、彼女は」
誰かが呟いた。
聞き慣れない声。アクタか。
「お主の主人もそうだったのじゃ」
「えぇ、それゆえ勇者に敗れました」
「……して、新しき主人は?」
「冷徹ですよ。あの方は復讐を誓っておられる」
「やはり、王ではないのじゃ?」
声は聞こえても、耳の奥までは届かない会話。
それが何を意味するのか、考えようともしていない自分を見つける。
「慕う民がいて、その民を守ろうとする、これが王でなくてなんだというのですか?」
「お主の語る王は悲劇しか生まんのじゃ」
「だとすれば、自分がお守りまでのこと。それが――」
「魔王の遺言だとでも?」
グレイが鼻を鳴らす。
「期待外れじゃ。まぁ元々、魔王復活なぞ信じてはいなかったのじゃ」
どういうことだろう。
考えてはみたものの、どうしても身が入らなかった。
「小難しいことは後でいい」
吐き捨てたカレンの言葉が、私にも進む道を示してくれる。
「帝都を制圧した公爵家が俺たちをお迎えくださるそうだ。急場を凌げれば、と但し書きは付くが、これで食料の問題は解決というわけだな?」
「えぇ。衣食住全てを整えよと、これは主人からのご命令です」
誰がどうやって手に入れた服であり、食べ物であり、住処なのかは聞くまい。
森を失い、神だ王だとわけの分からぬことを言われた挙げ句、緋色とは決別して彼女の信じる教会と――オールドーズの女神と敵対する方向に舵は切られる。
アーレンハートの悲願。
裏切りの妖精王に復讐する、その旅はまだまだ始まったばかりだ。




