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六十六話 共鳴する世界

 廃墟の前、私たちとともに緋色は立っていた。

 しかし、それがただ立っているのか、立たされているのか、立ち尽くしているのかは判然としない。どれでもあるし、本人でさえも正確には掴めていないだろう。

「貴様は何をしに来た? 帝都に行ったんじゃないのか?」

 言葉の上では普段と変わらないカレンの声だが、警戒心を隠そうともしない佇まいと合わせて見れば誤解の余地はない。

 二人は古くからの付き合いがあったはずだ。

 実際にいつ頃知り合ったかは聞いてないけど、私とは比べ物にならないほど多くの時間や出来事を共有してきただろう。

 にもかかわらず今、カレンは容赦のない敵意を緋色に向けていた。

 困惑するのは無理のない話だし、逃げ場を求めた眼差しが私のところへと行き着くのもまた驚くことではなかった。

 とはいえ、そこに救いがあるかといえば話は別である。

「ほら、早く答えるち」

 私の肩にいる小さき彼女は、姿形が小さいだけで決して侮れる存在ではない。

「エレカさん、これは――」

「答え以外を口にする権利がお主にあると思っているのじゃ?」

 じろり、とまた別方向からの冷たい視線も突き刺さる。

 なんだっていうんだ。

 カレンにしても、プラチにしても、グレイにしても。

 確かに緋色はオールドーズの人間だが、それでも緋色だろう。カレンだって少し前まではオールドーズを名乗っていたし、私だって外套を纏って巡礼者を演じていた。望んだわけじゃないが、剣閃とまで呼ばれたほどだ。

「待て、待ってくれ。もう少し冷静に話をしないか」

「お主こそ冷静になるのじゃ。こいつはオールドーズの手先なのじゃ」

「だけど!」

「わたくしがオールドーズだと、何か不都合でもあるのですか?」

 緋色も緋色だ。

 どうして空気を読んでくれない。

 黙って私に任せてくれたら、と視線を送ってみるも、返されたのは怪訝さと憤りを足して二で割ったような表情。

 意思の疎通ができているのは私と緋色を除く三人だけで、その三人が揃って敵意を示すばかりに空気はどんどん冷え込み、鋭利なものを帯びていく。

「そちらはエルフの方とお見受けしますが、やはりエレカさんの森から?」

 負けじと質問を重ねる緋色に対し、返されたのはため息だった。

 しかも、カレンの。

「なぁ、緋色」

「なんです?」

「貴様は、そこまで愚かだったか?」

 またしても誤解など許さない、露骨なまでに敵意を滲ませた声音。

 そして有無を言わせぬ言葉が続く。

「言っておくが、俺たちにとって貴様の存在価値は乏しい。貴様から得られるものは二つだ。一つは情報。帝都に行って、また戻ってくるだけの時間はなかった。貴様が特命を無視するとは思えないから、何かしら事情が変わったんだろう。その事情には興味がある」

 ひとまず話を聞く気になったらしく、緋色は黙って視線を返していた。

 私も同時に考える。

 帝都を目指したはずの人物が再びイスネアに戻ってきた。その理由は?

 まさかずっと居残っていたわけじゃあるまい。仮にカレンと同じく到達者なる存在で、神の共鳴だか感化だかいう現象を免れたとしても、こんな大惨事を目の当たりにしたにしては冷静すぎた。

 そもそも人気ひとけの失われた国に身を潜め、廃墟の中に入っていった私たち……その時点ではまだ正体不明だった何者かを監視する理由も分からない。

 一度はイスネアを出たと考えるのが自然なのだ。

「もう一つ、それは――」

「使い走りだろう? ちょうど金があってもメイディーイルに戻って買い物はできないって話をしていたところだ。緋色が代わりに必要なものを調達してくれるなら助かる」

 言葉を遮られたカレンはへそを曲げたように視線も逸らすが、そんな山盛りの敵意とともに提案する話でもない。

 納得したのかしないのか、緋色は私の方を見たまま黙り込んでいる。

「エレカさん」

「なんだ?」

「あなた方は何も知らないんですね?」

「答えかねる。知らないことは多いが、知らなくてよかったはずのことも知ってしまった」

 緋色の瞳に浮かんだ色はなんだ、逡巡だろうか?

「禍福、あなたは情報と言いましたね?」

「話すならさっさと話せ」

「いいのですね?」

 声の代わりに、沈黙が先を急かした。

 瞳に浮かんだ色が揺らぐ。決意というより、諦観に似た眼差し。

「帝都は落ちました」

「……は?」

 カレンが首を傾げる。

 私にしてもそうだ。緋色は今、何を言った? 帝都が落ちた? そもそも上がるとか落ちるとか、そういうものなのか、帝都は。木の上に街があったとか?

 そんな馬鹿げたことまで考え、ようやくもっと単純な話だと理解する。

「まさか、その、攻め落とされたってことか?」

 戦争。

 そう、終焉の時代とは戦争の時代だ。

 帝都はかつて魔神に襲われている。前例がないわけじゃない。そして遂に陥落した。そういうことか。

「いいえ」

「違うのかっ?」

「いえ、同じかもしれませんが……」

 煮え切らない態度だ。

 それならまだ、敵意でもいいから露骨に示したカレンたちの方が話は早かった。

「勿体ぶるな。いいからさっさと――」

「カレンは一旦黙ってろ! その敵対的な態度がややこしくするんだ」

 カレンの言葉を遮る私の声に、ふと緋色が目を丸くした気がした。

 気のせいだったかもしれない。

 何事か頷き、今しがたの躊躇が嘘だったかのように迷いのない言葉が紡がれたからだ。

「帝都は内部から落とされました。首謀者は現シュトラウス家当主、オイゲン・シュトラウス。帝室の方々を人質に取り、帝都を実質的に占拠しています」

 帝国の大きさを……単なる土地面積ではなく、存在そのものの大きさを未だ理解しきれていなかった私にも、事の重大さは呑み込めた。

 それは大変な出来事だ。

 帝室とは七家の筆頭、六つの公爵家の上に立つ支配者の系譜だったはず。その者たちが人質に取られたとなれば、国を揺るがす一大事だ。

 しかし、私にはそれ以上の衝撃があった。

「シュトラウスだって?」

 聞き覚えがある。

 だって、それは――。

「えぇ。禍福……いえ、カレン。あなたの父君が、今回のクーデターの首謀者です」

 カレン・シュトラウス。

 それがカレンの名だった。

 獣化症の姿ゆえに名乗れないと、代わりにアーレンハートを名乗っていいかと言われはしたが、名とはそもそも血脈だ。禍福を名乗り、アーレンハートを名乗ろうと、その身に流れる血はシュトラウスのそれ。

 そして、そうだ。

 何か引っ掛かっている感覚はあったが、ついぞ思い出せなかったし、思い出すほどのことでもないだろうと蔑ろにしてきた違和感の正体。

 シュトラウス。

 七家が一角、帝国を支える六つの公爵家のうちの一つがそんな名だった。

「つまり公爵家が国を裏切ったと?」

「それだけではありません」

 幾重もの衝撃に襲われ、未だ混乱したままの脳に。

 続けられた緋色の言葉は重く、深く、どこまでも沈み込んでいくようだった。

「オイゲン・シュトラウスは魔王の力による支配を宣言し、その支配下に加わることをメイディーイル他、全ての帝国領地に要求しています。皇宮は既に魔王の居城と化したとも」

 勇者に討たれたはずの。

 死したはずの、最強の王。

「有り得ないのじゃ……」

 グレイですらも零したきり、二の句が継げないでいる。

 魔王の復活。

 国の中枢を担う公爵家の反乱。

 そしてその首謀者は、カレンの父親?

 あまりに規模が大きく、あるいは縁遠い世界のことで、それなのに身近な存在が関わってくる違和感。一事が万事理解し難い話ならまだしも、なまじ想像できる話が混じっているせいで気持ちの悪い感覚が胸に広がる。

 だが、お陰で理解できた。

 気持ちが悪い。理解に苦しむ。

 そういうのには、幸か不幸か慣れてきてしまった。

「こうやって時代が進み、変わるのか」

 共鳴、といったか?

 理屈は全く異なるのだろうが、まるで示し合わせたようなタイミングだ。

「エレカ?」

「世界は共鳴する。私たちが名乗りを上げたんだ。他の役者も、舞台に上がらざるを得まい」

「きひひっ! 流石はアーレンハートなのじゃ」

 こいつはどこまで知っている?

 心底楽しげに笑うグレイを横目に見やり、どこにあるかも知らない帝都を思う。

 魔王、か。

 オールドーズに敵対したというそいつが、蘇ったからと宗旨替えすることもないだろう。

 だとすれば敵の敵だ。味方になれるかはともかく、どうにか利用はできないか。

「緋色」

「なんでしょう?」

 どこか余裕を……本来の姿を取り戻した緋色。

 彼女になんと話を付けるべきか、口を開いてから悩んでしまった。

「エレカの目は騙せても私の目は騙せないんだち」

 その沈黙の数瞬を縫って、肩から紡がれる声があった。

「……?」

 緋色が目を細める。

 当然といえば当然で、一方、驚くべきことでもある。ネズミが喋っているのだ。目や耳を疑うか、そうでなければ問い質すくらいしても不思議はない。

 けれど緋色は、ただ一言返すのみ。

「あなたは?」

「オールドーズの敵ち」

 こちらも平然と返された声。

 だが、それは致命的な亀裂を走らせる、決定的な言葉である。

「次は貴様が答える番だち。貴様、どこで魔王の復活を知った?」

「それはメイディーイルで――」

「嘘をつけ。いつメイディーイルに行って、どうしてここに戻ってきたと?」

 もう一人の私が肩で笑う。

「ルージュの印とは、よく言ったものだち」

「印? 待て、なんの話をしてるのじゃっ?」

「貴様は黙ってるんだち!」

 グレイが知らず、プラチが知っていること。

 いや、私も知っていたはずだ。ルージュの印。特命に……あの帝都へ向かうよう告げる手紙に添えられた、オールドーズの中枢から出された指示であることを意味する紋様。

「貴様はどこまで知っているち? オールドーズの手先」

「……あなたは、先ほどから何を」

「知らんのだち? その錫杖を持ちながら……アハッ! その錫杖の持ち主だから、知らされてないんだち?」

 嘲笑に引きずられるように大きく、高らかに響いていく声は、予想もしなかった言葉を紡ぎだす。

「あの女は、どこまでも小さい女だち」

 女?

 誰のことだと、問う必要はなかった。

「オール・ルージュ・オールドーズ。愛した勇者に愛されず、聖女に負けた憐れな女神ち。聖女の振るった錫杖を持つ貴様を、あの阿婆擦れが愛するはずないんだち」

 プラチの声は廃墟立ち並ぶイスネアに木霊し、消えていく。

 オールドーズ。

 それが神の名だと。

 告げられた言葉に返す言葉を探そうとした私の前で、緋色がその名の由来となった錫杖を強く握り――

 直後、動きを止めた。

 否。

「誰が動いていいと許可したのじゃ?」

 グレイだ。

 彼女が手にした剣の切っ先は緋色の喉元に向けられ、一筋の紅を生んでいた。

 目にも留まらぬ速さで剣を差し向けた技量もそうだが、そもそもグレイは剣を携えてなどいなかった。

 ゆえに一瞬で剣を作り、それを瞬く間に抜き放ったのだ。

 信じ難い早業。

 何より鞘を作らされたお陰で分かる、文字通りの神業。

 種を幾らかは知っている私ですら目を見張るのだから、何も知らない緋色は引きつらせた顔で微かに首を反らすことしかできないのも当然と言えよう。

「話せ。貴様はどこで、誰から、何を聞かされた? 話さなければ――」

 不意に切られた声の主が、どこを見たのかは確かめようがない。

 まぁ、確かめなくても分かるんだけど。

「まぁ、十まで言わなくても分かるんだち?」

 いっそ可憐なまでの、弾んだ声音。

 それにどんな感情を抱いたのか、こちらは本人に確かめてみるしかないのだろう。

「エレカさん」

 たったそれだけで、首元に添えられたままの切っ先はまた僅かに食い込んだ。

「私はまだ緋色の味方だ、心配しなくていい」

 だから笑って、最大限の優しさを表現してみる。

 これで少しは落ち着いてくれるといいんだけれど。

「素直に話せば、悪いようにはしないから」

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