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六十二話 その背に悲劇の運命を

「およそ信じ難い話だな」

 はは、と乾いた笑い声が自分のものだと気付くまでに、しばしの時間を要した。

 それほどまでに現実離れした、常軌を逸した、想像さえもするはずのない話だった。

 そんなことがあっていいのかと理性が叫ぶ。

 けれど本能は、どこか冷めた目で自分自身を見つめていた。

 私――、エレカ・アーレンハート。

 その正体が、まさか私ではなかったなどと、果たして誰が想像できただろう。

 お父様は知っていたのか。

 お母様は私のために死んだのか。

 なるほど。

 あぁ、そういうことね。

 理由もなく納得できる本能に、置いていかれそうになった理性がまた叫ぶ。

 頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 そりゃあ、隠そうともするだろう。

 心配そうに見てくるカレンの顔を物珍しい思いで見返してしまっていた。それに気付いたのも何十秒かそうした後のことだ。お陰で、より心配そうな顔になる。

 許してほしい。

 ……誰に? 誰が?

「大丈夫なのじゃ?」

 無神経なティル、の姿をしたグレイが今は心地良かった。

「身体に痛みはない。すこぶる好調だ。これも……」

「プラチナムの力なのじゃ。まぁ、プラチナムはお主自身でもあるのだが」

「プラチナム? それともプラチ?」

「どっちでも好きに呼ぶ……ち」

 ルネの頭から、差し出した手の平へと乗り移ってくるトゲネズミ。

 この可愛らしい白い獣の正体が、本来あるべきだった私。というより、森の全てを背負う運命のもとに望まれた存在。

 しかしお父様は、お母様は、己の行いを悔いた。

 グレイの力で、ずっと長剣の中に押し込められていた、もう一人の私。

 もっと怒っていいはずだ。

 お前なんていなければよかった、いるべきじゃなかったと罵られても文句は言えない。

 私に罪はないが、もう一人の私にも罪はないのだ。

 なのに。

「そういうお前のことは、その、エレカと呼んでもいい、ち?」

 おずおずと、手の平から歩み寄ってきてくれる姿を見てしまえば。

 笑おう。

 誰に言うでもなく、心の中でそっと決めた。

「あぁ、プラチ」

 自分でも引きつった笑みになったのが分かる。

 もう一人の私、本当のエレカ。エレカ・プラチナム・アーレンハート。そして、プラチ。

 彼女はトゲネズミの姿をしているから、眉はない。だけど目尻を下げて、心配の表情を作ってみせた。器用なものだ。

 女神や魔神、全ては等しく神だというが、その中にこんな小さく可愛らしいトゲネズミや、ティルと同じ姿の少女が入っているだなんて俄には信じられない。

 だが、どうして忘れられるだろうか。

 私にはなかったはずの感情。

 魔神という存在への耐え難い衝動、物心つく前に他界したお母様の記憶。

 それが私の私たる、プラチと異なれど等しい存在であることを教えてくれる。

 妖精王。

 守るべき民を虐げた、裏切りの王。

 憎悪はない。

 それでいて、確かに敵なのだという実感はある。

 裏切りは罪か?

 当然の問いに、けれど笑ってしまう自分がいた。

「エレカ?」

「なぁ、カレン」

 森はない。

 全てが死んだ。

 しかし私がいて、プラチがいて、グレイがいて、カレンがいる。

 十分だ。

「卵と鶏、どっちが先か決めることに意味はあるか?」

 眉を寄せ、首を傾げたカレンの脇でグレイがせせら笑っている。

 勘の良いことだ。

 全くもって油断ならない。

「妖精王が裏切ったのか。私が裏切るのか」

 どっちでもいい。

 どうだっていい。

「神様は人々に味方すべきだ。けれど人々は、いつだっていがみ合っている。神様が誰に味方したら、他の誰かの敵になってしまうのも当然だろう」

 裏切りは、罪ではない。

 矛盾した答えに、だから私は笑うのだ。

「頼む、オールドーズを裏切ってくれ」

 最初からそう言えば済んだのだと、カレンの表情が言っていた。

「それはもう、とっくに敵だ」

「そうか。……そうだな」

 まだ記憶が混濁している。

 どれが私の記憶で、どれがプラチの記憶で、どれが夢の中の出来事なのか。

 とはいえ全て、私のものだ。

「ところで、時代の覇者は一人だけなのか?」

 グレイに問う。

 にやりと笑って、それは口を開いた。

「前の時代の覇者は勇者なのじゃ。味方した神や王もいたが、覇者そのものは勇者一人。協力者は勇者に入れ知恵し、あるいは己の願いを託し、次の……今のこの時代に望みを繋いだのじゃ」

 その楽しくも不愉快そうな表情から、協力者たちの目論見が成功したことは察せられた。

「強いのか」

「規格外なのじゃ。正攻法で勝つには、それこそ魔王を味方に付けるしかないのじゃ」

「けど魔王は――」

「死んだち。最強の王は勇者の力と、手段を選ばぬ女神の奸計に落ちた」

 何か知っている口振りだが、幸か不幸か私にその知識はない。

 力は全て器に移したという話だし、元通り一介のエルフに過ぎないわけだ。どうして隠すのかは、今は聞かないでおこう。一気にあれこれ言われても困るのは私だ。

「その勇者は?」

「死んだち。勇者の願いは人間……ヒュームとエルフの栄華だったち。そこで不老不死でも願っておけば時代を越えられたちが、覇者といえど肉体が変わらぬままでは老いて死ぬち」

 覇権を巡る戦い。

 そのルールは意外にも細かく決められているらしい。

 ……誰によって?

 どうでもいい。前例があるなら、それに則って勝てばいいだけの話だ。

「それじゃあ覇者候補の筆頭は女神……前の時代、勇者に味方した神だと」

「そういうことになるのじゃ」

「そして、その陣営に妖精王もいる」

「そうだち」

 なんとも明快でいいじゃないか。

「カレン」

「目が据わったな」

 鼻で笑う声音に、なんと返すべきか咄嗟には言葉を見つけられなかった。

 代わりに肩を竦めてみせ、自嘲のため息も零す。

「私は……私たちは森長だ。先代が誇りを貫かんとし、その誇りをリクが守り、ティルが私たちに繋いでくれた」

 今はもう亡き者たち。

 だからこそ他の何を裏切ってでも、彼ら彼女らを裏切ることなんて許されない。

「反逆の狼煙はプラチが上げてくれた。なら、あとは示すだけだろう?」

 森は死んだ。

 だが、アーレンハートは健在である。

 プラチと、私と、それからカレン。森は蘇らなくても、繋がれた誇りは示してみせる。

「勇者の伝説が時代を越えて残るなら、今度は私が勇者になろう。アーレンハートの名を、必ずや語り継がせる」

 私たちが生きた証を、この手で刻む。

 それがせめてもの手向けだ。

 死こそが生きとし生けるものに運命付けられた最期だとしても、死んで当然だと、そう上から言われる筋合いはない。

 神がなんだ、王がなんだ。

 引きずり下ろす。この手で。

「きひっ! 伊達にアーレンハートの血を引いてないのじゃ」

「ま、どうせこうなる。分かっていたとも」

 グレイが笑い、プラチが呆れる。

 カレンは静かに瞑目し、じっと考え込んでいるようにも見えた。

「だからエレカ、私をずっと傍に置く……ち」

「……急だね」

「急じゃないち。最悪、神たる力が必要になる。その時に私が近くにいた方が色々楽だち?」

 私に力を返す。

 あるいは、私が肉体を返す。

 そういうことだろう。望むところ、とは言い難いけれど、神だ王だと言われるよりは自然な話に思えた。命は巡る、そうして森は成り立つ。自分の命は自分だけのものではなく、他者の命もまた自分と無関係のものではない。

「必要とあらば、容赦はしないでくれ」

「お互い様ち」

 まん丸の目で器用にウィンクしてみせるプラチには、可愛らしさより頼もしさを感じる。

 覚悟を決めるのに、これ以上の援護もない。なにせもう一人の自分だ。異なる人格を持ち、似て非なる人生を歩みながらも、等しくエレカ・アーレンハートであることに偽りはない。

「腹が据わったところで、エレカに渡したいものがあるち」

 手の平でピンと人差しなのだろうを立ててみせ、プラチはグレイを一瞥する。

「ほら、早く出せ」

「可愛くないのじゃ」

「貴様に愛嬌振りまく気はない」

「じゃあ誰に振りまくんだ?」

 思わず口を挟んでしまう。

 そもそも愛嬌を振りまいていたつもりだったのか。プラチはただ黙っていても可愛らしい見た目をしているが。

 しかし、どうやらこれは禁句だったらしい。

 プラチがバツの悪そうなぎこちない動きで視線を逸らし、グレイはきひひとティルの姿には似合わない笑い声を零す。

「と、に、か、く、だッ! 早く出せ!」

 激昂するプラチだが、小さな手足を必死に動かす様はやはり可愛らしいばかり。

 グレイも当然、怖がる素振りなど微塵も覗かせずに笑って応じた。

「まぁまぁ、分かったのじゃ。少し待つのじゃ」

 言いながら、グレイは服の胸元を開く。

「まッ」

 待って、と言う暇もなくグレイは自身の、つまりはティルの胸をはだけさせ……なかった。

 なんとか、かろうじて、ギリギリ見えないところまで開き、その膨らみかけの胸のすぐ上まで白い、焼け爛れる前の肌を覗かせる。

 そして、そこに手を伸ばした。

 細く柔らかい指先。

 何度となく握り、握られ、忘れようとも忘れられないそれが、その時。

 ずぶり、と音こそ立てなかったものの、グレイ自身の胸の上、鎖骨の辺りに突き刺さる。

 否、血すら出ない光景は、刺さるというより埋まる、だ。

 脳が理解を拒絶する。

 だが既に、グレイの手首から先は見えない。

 まるで何かを引っ張るように……違う。まるで、ではなく、まさに何かを引っ張っていたのだ。

 グレイの手がその何かを掴んで、ずぶずぶと引き抜いてくる。

 それは――、

「魔剣?」

 すらりとした剣身。

 陽の光を一身に浴びた氷を思わせる、澄んだ輝き。

 無骨な光沢を帯びた鈍色の柄が対照的で、なおのこと刃が輝いて見える。

 それは柄の先から刃の先まで、目測でも優に一メートルを超すのが分かる長剣だった。

 あまりに長すぎるせいでグレイは胸を反っているが、そうすると一緒に肩も下がるため意味があるのかは分からない。

 なんにせよ、やっとの思いで自身の胸から引き抜いた長剣を、グレイは私の方に差し出してみせる。

「儂とプラチナ……こほん、プラチの力を注ぎ込んだ剣じゃ。前の剣の代わりと言うには過ぎた品だが、お主なら振り回されることもないはずなのじゃ」

「神とは元来、策を弄するのではなく己が力で戦う存在。ゆえに武装くらい作れなければ話にならないち」

 武器を自分で作る?

 平然と無茶を言ってくれるが、無茶と知っているからこうして作ってくれたのかもしれない。

 ひとまず手の平のプラチを一旦どこかに降ろそうと辺りを見回し、またルネの頭に置くわけにもいかず視線を彷徨わせる。と、察したプラチは前足で私の肩を示した。

「そう重くはないはずち」

「……まぁ、確かにここが一番近いな」

 右腕を一本の道に見立て、ぴんと伸ばしてやればプラチがてててと登ってくる。

 肩に乗り、首の後ろを通って左側に回り込んで、左肩と左耳の間に落ち着いたようだ。軽いが、そうは言っても何もないよりは重い。ずっと同じ側に乗られていたら姿勢が変になるだろう。

 それは後で言うとして、未だ長剣を手にしたままだったグレイに向き直る。

「随分と綺麗だが、切れ味は――」

「言うまでもないのじゃ。マナが練り込んであるどころか、マナそのものから錬成した刃じゃ。お主が力を込めれば込めるほど、その切れ味は増すのじゃ」

 業物も業物というわけだ。

 うっかり刃に触れてしまわぬよう、あと肩のプラチを落とさぬよう慎重に手を伸ばし、グレイの小さな手と入れ替わりで柄を握る。

 気持ち悪いくらい、しっくり来た。

 前の剣と同じか、それ以上だ。少し馴染ませるだけで手の延長のように使える気がする。

 ……だが、しかし。

「で、これはどうするんだ?」

「どうするとは?」

 耳元でプラチが喋る。が、声の大きさは先ほどまでと変わらない。やはり口で喋っているわけではないようだ。

 それはそうと、困ったことが一つある。

「いや、鞘は?」

 この剣、相当な業物だというのに収める鞘がない。

 グレイも自分の役目は終わったとばかりに姿勢を戻し、また胸元から引き抜いてくれる素振りは見せなかった。

「お主が自分で作るのじゃ」

「……なんて?」

「お主が、自分で、作る、のじゃ」

 呆然。

 頭の中でそんな文字が泳ぐのを幻視する。

 逃げるようにカレンを見やった。カレンもまたなんとも言えない顔をしている。

「作れないち?」

「そりゃ、作れないでしょ……?」

「じゃあ作れるまで頑張るち。私にできることが、エレカにできないわけないんだち」

 ころんと首を傾げたのだろう。

 ぷにぷにと柔らかいそれが首筋を撫で、私の意思とは関係なく頬を緩ませた。

 その微笑を、どう受け取ってしまったのか。

「そういうことだから頑張るのじゃ」

 グレイが言う。

 プラチは何も言わない。

 カレンはそっと目を逸らし、どうやら頭の上の安寧が取り戻されたようだと悟ったルネが呑気に鳴いている。

 鞘なんて作ったことも、作ろうと思ったこともないんだけど。

 泣き言は、口にしたところで聞き入れてもらえそうにはなかった。

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