60話 二人のエレカの前日譚
(演出上の理由で六十一話と順番が前後しています)
『お主らは最早、どこにでもいる姉妹なのじゃ』
そんなグレイの言葉からしばし。
無茶で無謀で、どうせ無理だと思えた策は、しかし意外な展開を見せていた。
「それで? 私に何をさせようというんだ?」
高圧的な態度こそ相変わらずだが、話を聞く気になっただけでも大成功だ。
とはいえ問題はまだまだ山積み。
エレカと楽しく話を、などとグレイは言っていたものの、プラチナムはそのエレカ自身でもある。まさか腹話術するわけにもいかないし、何をどうするつもりなのやら。
と、思っていた矢先だった。
「まずは器を作るのじゃ」
「はぁ?」
「お主の力を……ほら、今まで儂の剣に仕舞っていたように別の器に移してしまえば、その肉体の主導権はエレカに返るのじゃ」
グレイは平然と言ってのけるが、それでは振り出しに戻るだけだ。
プラチナムがエレカと話すには元に戻すのではなく、もう一人のエレカが必要になる。
いや、器とはまさにそういうことを言っているのか? もしや神にならそれが可能だと――
「人喰いの貴様になら器の一つや二つ作れるだろうがな、私がこの私の複製を作るだと? 何を言い出すかと思えば……」
「あぁ、やっぱり無理なのか」
思わず呟いてしまい、じろりと睨まれる。
「無理ではない。無理ではないが……」
かなり厳しいと。
そして恐らくだが、たとえ実現できても完成度については推して知るべし。
「待つのじゃ。儂は何もエレカそっくりの器を作れとは言ってないのじゃ」
「そうなのか?」
「そもそも本人そっくりの器を作るなど、儂にも無理じゃ。儂はあくまで本人の了承と手助けのお陰で、そっくりそのまま写し取っているに過ぎないのじゃ」
より得意らしいグレイにも無理なものを、プラチナムは無理ではないと言ったのか。
じっと見やると、そっと目を逸らされた。こいつ、既に神の威厳がないぞ。元々威厳というより威圧感に近かったにせよ、だ。
「そも先にも言ったのじゃ。エレカは可愛いものが、もふもふしたものが好きだと」
「と、いうと?」
「分からないのじゃ? お主、もふもふになるのじゃ!」
無理難題である。
つい今しがたイスネアの防壁よりも高い上背を誇る巨大な魔神……いや神を平然と打ち倒し、返す刀で俺たちまで屠ろうとしてきた相手だ。
にもかかわらず、よりによって『もふもふになれ』などと。
ただ会話が成立するようになっただけマシだと思っていた俺は、しかし甘かったらしい。
「ぬぬぬ……っ!」
目の前に白金色の毛をした大ネズミが転がっている。
俺は何を見せられているんだろう。
でっぷりと腹が出たせいでひっくり返ったら起き上がるのが大変なようで悪戦苦闘している……まではいいのだが、あろうことかその腹をルネが鼻先でツンツン突っついていた。
「くそっ! 何をするッ、貴様!」
「ふす! ふすすんっ!」
鼻息荒いルネと大ネズミの組み合わせは良からぬ未来を想像させる。
そろそろ止めるべきか。
悩む俺をよそにグレイは楽しそうに笑い声を上げていた。
「きひひっ! 偉そうにふんぞり返るからそうなるのじゃ!」
「人喰い! 貴様! いいから起こせ――ッ!」
「いい気味なのじゃ。お主の今の姿、エレカが見たらどう思うのじゃ?」
「くっ……」
逆さになったまま恨めしそうに睨む大ネズミ、それこそプラチナムだった。
器を作り、そこに力の全てを移した……つまり剣ではないが、再びエレカに肉体の主導権を委ねたのだ。
そのエレカは今、目を閉じたまま微かに胸を上下させている。
地べたに横たわらせるわけにもいかず、俺の膝を枕代わりにしていた。いかに容易くやったように見えても、肉体にかかる負担は相当だとグレイは言う。
しばらく待たなければいけないが、俺たちにはまだやることがあった。
『お主、もふもふになるのじゃ!』
そんなグレイの言葉を受け、幾らかの反発こそしたものの、最終的には不承不承に頷いたプラチナム。
曰く、簡単な器ならば作れる、と。
プラチナムの力を封印していた剣だが、あれも言ってしまえば器であるらしい。
問題はあれがグレイ渾身の器であり、そうでなければプラチナムの力を閉じ込めることは叶わなかったのだ。
その解決策を見出したのはプラチナム本人だった。
『姿と考えるからややこしくなるのだ。私が自ら作った器を常に維持する……それは相当な重労働だろう。例えるなら氷の器を作り、その中に水を保管しようとするようなものか』
プラチナムの言である。
水とはプラチナムの力の源……マナだろう。そして氷は水から作り出すもの。
容器を作るために内容物を使うわけで、なるほど、そこまで考えれば後は早かった。
プラチナムは器を作るためにマナを浪費し、浪費したお陰で器自体は小さく済む。随分と力の無駄遣いな気もするが、こうすれば再びグレイの剣に封印することなくエレカとプラチナムも切り離せ、器の形によっては会話も可能だろう。
……ただ、そうは言っても。
どうして大ネズミだったんだろうか。
心中で頭を抱えながら、そろそろ見ていられなくなったプラチナムに手を貸す。
意外とずっしり重かった。片手では支えきれない。両手で抱えようとして、改めてそれが真っ当な生き物でないことを思い知らされる。
「おい、なんかグニグニしてるぞ」
どこがもふもふだ。
それこそ水風船である。不用意に触れば弾けてしまう気がして、起こしてすぐに手を離してしまう。
「む……。少し器が小さすぎたようだな」
事もなげに言うが、それは大丈夫なのか。
「ていうか、どうして大ネズミなんだ?」
「……認めたくはないが、グレイの封印は堅牢だった。そのせいで外の世界がろくに見えなくてな。すぐに浮かぶ小さな獣といえば、これしかなかったのだ」
短い足でくしくしと顎の辺りを引っ掻きながら答えるプラチナムに、果たして可愛さなどあるのだろうか。
よそう、考えてはいけない。
何かの拍子に口が滑ったら全てが水の泡だ。
「しかし、やはり小さすぎたな」
まぁ確かに、決まった量の水で器と中身の釣り合いを取れと言われたら、器用と中身との配分は難しそうだ。
少し間違えただけで大きすぎたり、小さすぎたり。
そんな子供の算術の練習みたいなこと大真面目に考えもしなかった。それを咄嗟にやれるのだから、しかも口八丁というほどの会話もなくやろうとするのだから、つくづく神とは大したものだ。
「到達者よ」
「カレンだ」
「ふむ、ならばカレンよ」
小さくなっても態度は大きいままのプラチナムが見上げながら言う。
「私を手に乗せよ」
「どうして」
「貴様の肉体は到達者のそれ。生半な神の力は弾き返す」
代償が禍福と呼ばれた所以と思えば嬉しくはないが、お陰でエレカと出会えたのだ。
よく分からないまま手を出し、グニグニしていて不安なそれを皿にした両手に乗せてやる。あれだけ偉そうだったプラチナムが手の平に乗るのを見ると、なんだか不思議な感慨が湧き上がってきた。
なんというか、悪くない。
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
「何もしなくていい。少しじっとしていろ」
言われるがままじっとしている。
と、そいつは手の上で「ぎゅむむ……」とかいう不可解な、声なのかどうかも怪しい音を鳴らし始めた。
何やら踏ん張って全身に力を入れているようだが、いや待て、何をする気だ。
「お、おいプラチ――」
「むんぎゅっ!」
ぷるくちゃっ、と。
およそ生き物が発する音ではない、それどころか生まれて初めて聞く奇っ怪な音とともに、大ネズミの肢体が弾けた。
否。
水風船が弾け、中身の水を飛沫として巻き上げた、その瞬間で時を止めたかのように動かなくなる。
だが、それも数瞬のことだ。
プラチナムがぶるりと身を震わせると、水飛沫めいた表皮が確かな形を結び始め、やはり数秒とかからず輪郭を定める。
「ふむむ、上手くいったようだな」
満足げに頷くプラチナムの気持ちも分からんではない。
手の平で直に触れていたお陰で、変化にはすぐに気付けた。グニグニとしていた感触がぷにぷにと柔らかいものに変わり、どことなく不安定だった感じも払拭されている。
が、しかし。
その見た目は大ネズミからも乖離し、幾本もの棘を生やした不思議な姿になっていた。
「なるほど、考えたのじゃ」
「うむ。これで窮屈さはなくなった」
まぁ棘の分だけ器は大きくなり、溢れそうだったマナを溜め込めるようにはなっただろう。
ただ問題は、いくら手触りがマシになったとはいえ、外見的には『もふもふ』から遠ざかったことだ。
とはいえ些事に気を配っている場合でもない。
全てはエレカの与り知らぬところで起きた出来事。森を失い、友を失い、許嫁を失い……。多くを失いすぎたエレカに、神だ王だとわけの分からぬことを告げるわけにはいかない。
いつかは必要にせよ、今はまだ、仮初でいいから安寧を感じてほしかった。
そのためにも。
「さて、器の問題も解決したことじゃ。そろそろお主の扱いを決めたいのじゃ」
グレイが言う。
無論、対するはプラチナムだった。
「私の扱い? 私はエレカ・プラチナム――」
「それじゃ、それ」
「貴様のことを明かせば必然、反逆やら何やら……言ってしまえば森の暗い歴史を教える必要が出てくる。いずれ教えるにしても時期を考えるべきだ」
そうなのじゃ、とグレイが頷く。
そしてすぐ視線を下げ、プラチナムを見やった。
「もう一人の自分だのなんだの、いきなり言われても困惑するのじゃ。まずはお主の正体を偽り、信頼関係を築くところから始めるのが得策じゃ。そうすれば後から、実は……と明かすことも容易いのじゃ」
そう容易くはないと思うが、ここは承服してもらわなければ困る。手の平から見上げてくるプラチナムに、無言で頷いて返した。
「貴様ら、私を謀ってないか?」
「お主を謀ろうとエレカを謀ることはないのじゃ。そして今、エレカを第一に考えることに異存があるのじゃ?」
「……ないが」
釈然としない声音で返すプラチナム。
と、そういえば、先ほどから口が動いていない。どういう原理で喋っているのやら。
「というわけで、なのじゃ。お主は喋る獣ということにするのじゃ」
「納得でき――」
「そのまんまだな」
異議を叫びかけたプラチナムの声を、図らずも遮ってしまう。
しかし納得できるできないの話ではなく、見たままを言っているだけなのだから覆しようがないだろう。ここも承服してもらわなければ。
「エレカは竜馬たちも可愛がっていた。ただのネズミならともかく、喋る上に見たところ清潔感もあるネズミだ。悪い反応はしないだろう」
「……貴様、私をネズミ扱いするのか」
「目が覚めて貴様を見たエレカが、一目でどう認識するかの話をしているんだ」
ぬぬぬ、とプラチナムが唸る。
まずいな。
あんなに偉そうにしていた存在が手の平で唸るとなると、邪な感情が芽生えてしまいそうだ。正直に言えば、なんだか気分が良い。お陰でどこか可愛らしく見えてしまうのだから不思議だ。
まぁ声がエレカそっくり、というより身体が小さくなったせいか少し甲高くなっているから、それも影響しているのだろう。
そんな時代があったかは知らないが、幼く生意気だったエレカと思えば大抵の戯言は聞き流せる。
「さて、納得したのじゃ?」
話が済んだと見たか、グレイが問う。
プラチナムは、ふんと鼻を鳴らした。その時だけはピクリと鼻も動き、忘れかけていた自然な姿を思い出させる。
「口で喋った方がいいな」
「ん? どういうことじゃ?」
「いやなに、ずっと口を動かさずに喋っているだろう? それが不自然に見えてな。喋る獣というなら、口を動かして喋るべきだ」
「ネズミに声帯はないのじゃ」
よく分からないが、多分そういうことではない。
「口で喋れないなら喋れないで、喋る時に口を動かすだけでいい。それくらいならできるだろ」
「できる」
断言した。
その声を発する時に早くも口を動かしていないのだが、まぁ目くじら立てても仕方ない。
「じゃあそういうことで。あとはなんでネズミが喋っているのかだが……」
「面倒なことは全て神のせいにするのじゃ。昔から人間の得意技なのじゃ」
そう言われると立つ瀬ない。
天導病然り、確かに存在すら不確かな神を言い訳にしてきた過去が俺にもある。信じていたわけじゃないが、だったら尚更だろう。
「まぁ、それは適当でいいのじゃ」
なんとも緊張感に欠ける会話だが、それが却って不気味さを抱かせる。
感性が違えば、何に腹を立てるかも違っていて当然。どこに逆鱗があるのかも分からないのに、緊張感がないからと俺まで適当に振る舞う気にはなれない。
……のだが。
「それより大切なことがあるのじゃ」
「なんだ、まだあるのか」
「これが一番大切なことなのじゃ」
ふっふん、と無い胸を張ったグレイは、そして言い放つ。
「お主に必要なのは愛嬌じゃ! そんな偉そうな口調ではなく、もっとプリティな口調で喋るべきなのじゃ!」
開いた口が塞がらない。
到底理解し合えないと思えていた神なる存在だが、一つだけ確信できた。
今、俺とプラチナムは同じ思いを共有している。手の平に視線を向け、目と目で通じ合うことさえできた。
「言っておくがな、人喰い」
間違っても只人たる俺から言えたことではない。
心中を汲んでくれたプラチナムが、あまり合っていない口を動かし声を飛ばしてくれる。
「エレカを騙すのは忍びない。ゆえに多少の恥は甘んじて受け入れるつもりだ」
いや、ちょっと待て。
言うところはそこか、違うだろう。
もっと前段階で言うべきことがあるんじゃないのか。
俺の願いは、手の平にも届かない。
「だが、私にもプライドというものがある! 必要不可欠の器ならまだしも、口調までも偽って迎合する気はない! 腐ってもエレカ・プラチナム・アーレンハート! それが私だ!」
あまり叫ぶな、エレカが起きる。
言いたい言葉をぐっと飲み込んで、未だ明けない夜空を見上げた。
星が綺麗だ。
欠伸を噛み殺していたルネを顎で呼び、グレイと言い合いを始めてしまったプラチナムをそっと頭に乗せる。
ルネは嫌そうな目をしたが、プラチナムは満更でもなさそうだったから良しとしよう。
「……さて」
早く起きないと大変なことになるぞ、エレカ。
良い夢でも見ているのだろうか? 穏やかな寝顔に、そっと呟いてみた。
神とか王とか、反逆とか裏切りとか、時代の終焉ですら手に余る俺には遠い話に思えてしまう。
しかし、その渦中にエレカがいて、だから今ここにグレイとプラチナムもいるらしい。
再び空を見上げる。
明けない夜はないと誰もが言った。
一晩だけでいいから、今だけは明けない夜が欲しくなる。




